第7章 ライブラ王国と天秤の上の少年少女 21話
「マアトさん、絶対にここは通しません」
「ロロン。お願い。邪魔をしないでください。リブラ様は神にならねばなりません」
「それは、彼女と別れることではないのですか?」
ロロンが何気なく言った言葉にマアトは明らかな苛立ちを覚える。その表情をロロンは見逃さない。
杖を振るうと炎が噴き出される。ロロンはその炎を自身の腕をドラゴンの皮膚にして防ぐ。
「我々も、共に天界へ行けば良いこと」
「だとしても、コブラとリブラが離れ離れになってしまいます。やっぱり私は貴方を通せない」
「どきなさい」
「嫌です」
マアトはロロンに対して舌打ちをする。
「また、罰を受けたいのですか? 次貴方にあの世界を見せたら、さらに辛いものになるかもしれませんよ」
「どうぞ、やってください。次は自力で戻れますよ。私にはコブラがいる」
「いいでしょう。ならば、汝に罪を与える」
マアトが杖を振るう。その直後だった。ロロンの脳裏にアステリオスの表情が浮かぶ。彼が自分に対して刃を向けてくる。コブラ、キヨ、ヤマトが自分に攻撃を仕掛けてくる。
しかし、ロロンは微動だにしない。これはマアトが見せている幻だ。
「私の仲間は、私を邪龍と決めつけない。もし、邪龍に落ちているならば、喜んで首を差し出す。だから――この幻覚に私は屈しない」
ロロンの言葉と目に、これ以上は無駄だと判断したマアトは大きく溜息を吐く。
「ロロン。自身の使命を背負った龍よ。貴方はなぜ、リブラ様を妨げるのです。それが星巡りの儀式だからですか? ならば、リブラ様から札をいただいたら大人しく去ってくれるのですか?」
マアトは問いかける。もしそうなのであるならば、いっそここを通してしまおう。コブラをリブラのところまで案内もしてやろうかと思った。
正直、リブラが神に登ると決めた段階で星巡りなど天使たちにとってはどうでもよかった。
「いいえ、コブラは、リブラ様を引き留めるでしょう。ようやく再会したのに、またお別れなんて……。コブラがそうするならば、私たちも従います。コブラが求めているのはリブラ様の持っている星巡りの札ではありません。リブラ様本人です」
ロロンの言葉にマアトの眼が血走り、彼女に向かって炎を放つ。
ロロンはその炎を躱すことをしなかった。正面から炎を受け止める。
ロロンは炎に包まれてもなお、目を血走らせながらこちらを睨んでいるマアトの目をじっと見つめる。彼女の目は怒りの目とは少し違った。ロロンはその目と。炎から伝わる想いから彼女の真意を探ろうとした。
「リブラ様は天上に上がるの。その覚悟を邪魔するな!」
マアトは激昂した。炎はさらに激しく燃え上がる。マアトの脳裏には、この庭園で、最後に踊った思い出がよぎる。炎が庭園の花に移り、燃え広がる。
それを見た、マアトの表情に一瞬、悲しみがよぎる。
その瞳をロロンは見逃さない。背から翼を出して、自身を包み込んでいる炎ごと、風で一気に吹き飛ばした。
その風の勢いに庭園の花は風に乗って舞い散る。
ひらひらと舞う花びらがロロンとマアトの周りを彩る。
一気に風を起こし疲れたロロンは肩で息をする。
激情して花を燃やしてしまった自分への自責でマアトの表情は少し憔悴している。
「ここの花、キレイですものね」
ロロンは息を整えて微笑みながら話しかける。
その微笑みにマアトは、リブラの微笑みを重ねる。
「私はリブラ様のためにも、貴方を倒して、コブラを止めなきゃならない。神になるのはリブラ様なの。彼女が決意したのだから」
「本当に、リブラ様を大切に思っているのですね」
マアトはロロンの言葉に眉を細める。
敵意をむき出しな上、自分にとって見たくない景色を見せつけた自身に対して微笑みかけてくるロロンに対して、マアトは苛立ちを覚えたのだ。
「貴方は責任感のある人だから好きだと思っていたけど、違うみたい」
「そうなのです。私は悪人ですから」
「なにそれ」
挑発のつもりで言った言葉にも笑顔で返してきたロロンにマアトは思わず失笑する。
「私が悪人でも良いと、コブラはいいました」
「ならば、リブラ様が神になっても良いではないですか」
「いいえ、それはコブラが望んでいない」
「自分勝手な」
「えぇ、それでいいんです。それこそ、私達のリーダーなのですから」
ロロンの言葉に嘘偽りはない。正直に、真摯に答えている。
対してマアトは、ありとあらゆる感情をひた隠しにしている。そのことに罪悪感を感じるほど、まっすぐ見つめてくるロロンの目は輝いていた。
マアトはそんなロロンから目を反らす。ロロンはそんなマアトに近づく。
「貴方、歳はいくつですか?」
「はぁ?」
「この国に来て、何年でしょうか?」
「…………300年だけど」
「なら、私の方が先輩ですね」
恐る恐る答えたマアトにロロンはにこやかに笑って、マアトの頭をそっと撫でた。マアトは突然のことに驚き、ロロンの手を振り払う。
「何をするの」
「花、好きなのですか?」
「貴方には関係ないでしょう」
「先ほど、貴方の炎が花に移った時、貴方は一瞬動揺したように見えたので、どうなのですか?」
マアトはこうして話しているロロンを出し抜いてコブラたちを追おうかと考えたが、ロロンはその長身を生かしてしっかりと、マアトに威圧をかけている。しっかり逃げられないように警戒している。隙を見せない。
「えぇ、この『神の庭園』が大好き。もっとも天界に、私たちの故郷に近いから。それに――」
まだリブラが小さかった頃、無邪気にこの庭園を駆けまわっている彼女が大好きだった。
憔悴した姿で拾われた彼女はすくすく育ち、マアトたちに懐いた。マアトたちは最初こそ神子として、その使命のために従うのみと思っていた。しかし――。
(マアト――)
彼女に呼びかけられる度に、心地の良い気持ちになった。マアトは考えてしまった。
ずっと、このまま、彼女を見守ることが出来ればと――。
天使としての使命を忘れた。自分が天使でなく、彼女と同じ人であればと考えてしまった。
その思いは罪である。マアトはそう考えた。その日から、マアトは必要以上にリブラと顔を合わせることを禁じた。
罪には罰が必要だ。罪ぶかき自分に何かを愛する資格はない――。
「それに……なんでしょうか?」
ロロンはマアトの言葉の続きを問いかける。マアトは答えを渋った。
「こう見えても800年人のフリをしながら色んな人と関わってきたので、感情の機微には聡いつもりなのですが、マアト様、貴方がコブラに対して向けている怒りは、嫉妬のようなものだと思います。それは、なぜですか?」
「私たちはリブラ様の神になろうと言う決意を尊重する。なのに、あのコブラはそれを否定しようとしている。それが許せない」
「それが嫉妬ならば、貴方もリブラ様が神になることを望んでいないと?」
マアトは閉口し、視線を反らした。ロロンはそんなマアトに対してなんか可愛げを感じて思わず微笑んでしまう。
「マアト、天使であろうが、邪龍であろうが、人でなくても、人を愛していい。そして、愛した者を、自分の手元に置きたいと言う感情は、罪ではないと思いますよ」
「愛することは……罪じゃない?」
「えぇ、使命なんて言うのは、きっと自分で自分に押し付けたものなのです。神殿で貴方と共に祈りを捧げていた彼らは、きっと、貴方が天使でなくても貴方と共に祈ってくれますよ」
ロロンの言葉にはなぜか説得力があった。マアトは想像してしまった。自身が天使でなく、共にリブラと笑い合う日々を、またこの庭園で踊る光景を。
マアトはふと、かなりの時間を足止めされていることに気付く。こうなると、飛んでいっても、ロロンに止められる。それに、もうコブラたちに追いつくことは出来ないだろう。
マアトは大きく溜息を吐き、花が潰れないようにゆっくりとその場に座った。
「ん? 追いかけるのは諦めたのですか?」
「えぇ、今から追ってもどこに行ったか探すのも一苦労ですし、なんか、アホらしくなっちゃって」
「そうですか」
ロロンもマアトに倣ってゆっくりとその場に座る。花の心地よい香りが鼻を通る。
「ロロン。貴方には話しておくわ。私たちがなぜリブラ様の覚悟に従うか。少し寂しいのだけれどね」
「なんでしょう? ぜひ聞かせてください」
「リブラはね? 神子の修行である試練……貴方たちが受けた奴ね? あれで全てを捨てたのよ。神になるため、人々を救うために、過去の思い出も、私たちとの思い出も、私たちと離れ離れになる追体験をしても、彼女は涙一つ流さずに、受け入れたわ」
マアトの言葉にロロンは衝撃を受けた。罪を犯した自分を見せられたロロンはすぐに飲み込まれた。コブラに救われなければあのままであっただろう。そうでなくても、アステリオスを失った未来を見せられればきっと発狂すると思った。
しかし、リブラはそうではなかった。どれだけ自分個人に対して不幸が起ころうと、どんな犠牲を払おうとも、神となり、人々の導になるためならばありとあらゆる可能性を排除した。自己犠牲の道を選んでしまったのだ。
「彼女がそこまでして神になるなら、私たちは、そういう風に育ててしまった私たちに、彼女を止めることは出来ないわ。けど、こうしていざ神になるって時が来ると、一緒に天界に登るだろうと思っていても、ものすごく寂しいものがあるわね。もしかしたら一緒には入れないかもしれない。そう思うとこちらは辛いのに、リブラ様は、あの娘は、辛さもかきけしている。それがなんだか心苦しくって、よくわからないわね。長く人間と関わりすぎたかしら」
ロロンはゆっくりとマアトを抱きしめる。マアトも長身なのだが、彼女よりもさらに長身のロロンに包み込まれ、初めての状況にマアトは戸惑いが隠せなかった。
「天使だって、人を導く存在だって、悩んで迷って、間違ってもいいと思います。ここは私が年上なので、しっかりとお聞きしましょう。貴方の罪、罰。この試練が終わるまでゆっくり聞かせてください」
ロロンの優しい声にマアトは不思議と落ち着いた。まだリブラが幼かった頃、マアトはときたま今のように優しく抱きしめたことがあったことを思い出す。
――もっと抱きしめていれば、彼女も少しは執着を持ってくれたのだろうか。
マアトはそのままロロンの暖かさに身体をゆっくりと預けた。
ロロンもそんなマアトの頭に手を乗せると、疲れきった身体から意識がゆっくりと抜け、瞼が重たくなり、そのまま眠り落ちてしまう。
眠りについた二人を花の香りがゆっくりと包み込んだ――。




