*享の仕事
『何だってんだ!新婚旅行までは何が何でも休暇にしてくれるって言ってたはずなのに……こんな、まだ駆け出しの若造に緊急事態だから、行き先を変えろだなんて!!』
享のイライラは怒りに変わる。
ただ、昨夜のことを思い出してはニヤける享。
『なんだかんだで灯は僕のこと愛してんだから、本当素直じゃない……可愛かったな』と思いながら、リクライニングシートを倒して横になる。
ほぼ二日間、眠っていなかった享は、すぐにぐっすりと眠ってしまった。
成田空港を夕方出発し、同日、朝にロサンゼルス到着。
『あれ?』
到着出口から外に出た享。
職場の同僚五人が、様々な人待ち顔の中に紛れて立っていた。
中の一人が享に気づき、手を振って来る。
全員が"あれ?"という顔をしてる。
「何で?皆さん、どうされたんですか?」
一番年長と思われるイタリア系男のアレッサンドロが享の声に答える。
「お前こそ、奥さんはどうした?」
「え?」
「何で一緒じゃない?」
「何、仰ってるんですか?行き先変更は会社からの申し出と言われて、妻は、マサチューセッツにと」
全員が目を泳がせる。
「まさか!仕事じゃない?」
「あ、いや、仕事だったが思いがけず早い解決になって、呼び寄せておいて俺達が先に帰ったら、奥さんに申し訳ないと思って待ってたんだが……」
スーツに身を固めた男性チームリーダーのジェームズが言った。
そして、アレッサンドロが言う。
「これは達志が、長引くと思って奥さんを不憫に思ってのことだな」
「は?」
その後に続けと言わんばかりに、享よりは捜査官としては年上の黒人系男性トニーと若手白人男性二人チャールズとロバートからも話しかけられる。
「お前の奥さんに会えると思ってさ、ごめんな」
「どうせクワンティコに戻るなら一緒にと思って待ってたんだけど」
「腕を振るわす機会がないのに呼び寄せたりして悪かったな」
皆、口々に謝るが、享は
『達志の思いやり?』
の方が気になっていた。
「どうした享?」
「あ、いえ、そうだったんですね。仕事は終わった」
「あぁ、しばらく呼ばれないと思う」
「皆さんの折角のご厚意にお応え出来なくて申し訳ありません」
享は頭を下げるも、その後こう続けた。
「このままボストンに移動してもいいですか?」
「「「「「え?」」」」」
全員が驚く。
享は仕事ではないのなら、灯の後を追おうと考えたのだ。
「どうだ?ジェームズ?」
「そうですね」
アレッサンドロの問いかけに、少し呆れた様な顔をしながら、
「新婚旅行の邪魔をした訳だから」
「じゃ、いいんですか?」
「仕方ない許可しよう」
『仕方ないって仕事も解決出来るスキルを持ってるクセに、呼び寄せておいて何だよ』と、享は思いながらも、頭を下げて
「有難うございます!では皆さんお気をつけてお帰り下さい!失礼します!」
「戻ったら、今回の案件の報告書には必ず目を通す様に!」
「はい!必ず!」
享はスーツケースを括り付けた折りたたみ式のキャリーカートを転がして小走りに立ち去った。
取り残された五人。
享の態度を笑いながら
「あれはちょっと怒ってたよな」
「そうだよな。でも戻って来たらノロケを聞いてやれば、ご機嫌はすぐに治んだろ」
「まあ、そうだろうな」
「じゃ、僕達も戻りましょうか」
と、その場を離れた。
享は、ハーバード大、日本の大学と二つ大学を卒業した上にアメリカのロースクールでも優秀な成績を収め、時は昨年九月初旬、ほとんどの教育過程を済ませると、あとは十二月の卒業と翌年二月の司法試験を受けるのを待つばかりだ。
そんな秀でた才能に気づき司法試験の結果を待たずして享を狙っていた大手法律事務所からアソシエイト弁護士のオファーを既に手にしていた。
そんな九月のある日、行きつけの街のダイナーで犯罪心理学の本を読みながら夕飯を食べていた享。
その卒業論文のテーマ「刑事法における犯行心理と証言の信頼性」に目をつけたFBIのBSU(行動科学課)のベテラン捜査官(後にアレッサンドロ・モレッティと分かる)が、ロースクールの教授の紹介を装って接触して来た。
「君の論考を読んだ。君が見ているのは『条文』ではなく『人間の心の裏側』だな」
「法廷で判決を待つ側に立つつもりか?それとも、次の被害者が出る前に手中に収める側に立つつもりはないか?」
そう問われ、享は揺らめいた。
エリートコースである弁護士の道と、まだ黎明期で謎に包まれた「心理分析による犯罪捜査」という未知の世界。
FBIの捜査官は、自ずと命の危険もある現場にも出る事になる。
仕事に待ったはない。
留守がちにもなる。
休みも取るつもりで取れるかと言えば、今回の様な事も起こる。
ただ、日本で過ごした時間の間で様々な思わくを持つ人間との関わりがあった中、世の中に善人と悪人がいるとすれば、善人が悪人の思考を読むことが難解だと言うことが分かった。
そして犯罪心理学に気持ちが傾き、余計な事と分かりながらも関わる多くの講義を履修し、深くのめり込んだのも確かだった。
『灯、ごめん。気になることを仕事にするよ』
心の中で謝りながら、FBI捜査官になる道を選んだのだ。
手紙は書こうと思えば書ける。
だが、享はどんなふうに書いたとしても、自分の今の気持ちは書ききれない。
待たせているのも事実、灯の卒業を待っているのも事実。
卒業の時に、もう一度自分の気持ちを灯自身に確かめて貰う為には、手紙を読ませて心を繋ぎ止めるのはフェアではない気がしていた。
龍馬が気を利かせて勝手に享の成り行きを話しているのは分かってはいたが、そのくらいのことでは、気持ちが揺らぐ様な灯ではないと知っている享だからこそ、再会した時に、今度こそきちんと気持ちを確かめたいと思っていた。
享の勤務先はFBIの本拠地があるバージニア州クワンティコ。
その近くに灯が一緒に渡航してくれるならと新居を探した享。
ただ仕事がある時、かなりの時間を一人で過ごさせる事も考えて、FBI本部があるワシントンD.C.近くのアレクサンドリアという場所を選んだ。
平穏に暮らせるかが大きな不安要素だったがアレクサンドリアは洗練された落ち着いた治安の良い街。
日中のショッピングや散歩も安全な範囲で楽しめるため、灯が余計な危険や怪しいコミュニティに足を踏み入れずに「自分の手の届く安全な世界」にとどまっていてくれるという安心感がある。
『ちょっと自分の出勤には時間がかかるけど、達志がワシントンD.C.にいるし、何かの時には頼れる。灯は新居気に行ってくれるかな?』
ボストン行きの飛行機の中で色々妄想を膨らませた享だった。




