第98話 ギークの失踪
結局、ならず者は自分に依頼をした人間を白状する。
大至急トールハイムから離れた町にある犯罪組織の拠点を摘発するように使者が遣わされた。
摘発の実施にはその地の衛士団だけでなく騎士団も協力する。
今やコロンナ家の名声はそんな協力を引き出すぐらいの力を有するようになっていた。
騎士団が協力したこともあり迅速に犯罪組織を一網打尽にすることができる。
そのこと自体は良かったが、やり口が少々強引なところがあったのは否めない。
このため、ギークを始末するようにならず者に直接命じた男は抵抗したために騎士の1人によって絶命させられていた。
このため、依頼の出元が誰だったかが辿れなくなってしまう。
その報告を聞いたブランドはギークのためにもうひと骨折ってやることにする。
からくも一命を取り留めたものの、本気で殺しにきた存在がいることに家に閉じこもっていたギークは扉を強く叩く音にびくりとした。
「おい、ギーク。私だ。ブランドだよ」
なんの用事があるか分からないが、居留守を決め込むわけにもいかない。
渋々と出てみるといつものように何を見ているか分からない衛士隊長が立っている。
「ダンナ、なんの用です?」
「ああ。ちょっとな。中に入ってもいいか?」
「汚いところですが」
ブランドが扉を閉めるとギークは急に不安になった。
一方的に恩義を感じてはいるものの、ブランドとギークの関係は犯罪を取り締まる者と取り締まられる者である。
知られるとまずい話の1つや2つはあるのだった。
「それで、ダンナ、御用というのはなんでしょう?」
「ああ。ギーク。お前、トールハイムを出ろ」
「なんですって?」
「お前はこの間プロに襲われた。面目ない話だが私たちは依頼主までたどり着けていない。このままではまたお前に刃が迫ることになるだろう」
「だから、トールハイムを出ろとおっしゃるんで? だけど、ここを出てどこに行くんです? 費用は?」
「場所はもっと北の方だ。そこで人生をやり直せ」
「ダンナ、唐突すぎますぜ。まさか本気であっしを正業に就かせようというんですか?」
「ああ。そうだ。このままここで今の仕事をしていれば死ぬかもしれない。お前の言うとおりお前の過去の所業を許せんというのがいるんだろう。まあ、それで殺すというのは論外だがな」
「折角の心遣いですが、あっしは……」
「そうか。それほどまでにトールハイムを離れたくない理由があるのか?」
「そういうわけじゃないんですがね」
「声をかけられないまでも弟に目が届く範囲に居たいのか」
「ダンナ、どうしてそれを?」
「私は衛士だぞ。多少、顔かたちが変わり年を取ったぐらいで分からなくなるわけがないだろう」
ブランドはギークの本名を口にする。
ギークは慌てた。
「本当に恐れ入りました。どうか、そのことはご内聞に。あいつに迷惑をかけたくないんです。お願いします」
「ふざけるな。だったら正業に就け。弟さんの前に堂々と出られるように変われ。お前はいいかもしれないが、弟さんは今でも家を出ていったきりのお前のことを気にしているんだぞ」
決して声を荒らげるわけではないが、ブランドの声はギークの体を打ち据える。
顔を伏せてしまった。
「そんなことは分かっているんです。あっしはダメな兄なんですよ。真っ当な人間になんかなれるわけがねえ」
「悪党は死ぬまで悪党か」
「そうでさあ。もう、あっしはせこい稼ぎで生きていくしかねえんです」
「じゃあ、死ぬか?」
ブランドは腰の小剣を抜く。
「ちょ、ダンナ?」
ギークが怯えて後ずさり糸目の第1隊長の顔を見た。
相変わらず細い目でギークを見据えるブランドが何を考えているかは分からない。
びゅっと剣が鳴る。
斬られた。
目をつぶったギークは恐る恐る目を開く。
あれ?
どこも痛くない。
先日、ならず者に襲われたときはあちこちに大小の怪我をした。
ようやく傷が癒えたばかりで体はまだあの時の痛みを鮮明に記憶している。
「これで小悪党ギークは死んだ」
「やめてくださいよ。ダンナがこういう芝居っけがあるとは思わないからマジで斬られたかと思いました。分かりましたよ。ダンナの言うとおりにします。あんな死ぬかと思う経験は2度とごめんだ」
「では善は急げだ。これを身につけろ」
ブランドは顔の下半分を隠す布とフード付きのマントをギークに投げ渡した。
「え? 今から?」
「そうだ。下に馬車を待たせてある。それに乗れば、お前を新天地に連れて行ってくれるだろう」
「えーと身支度に時間は頂けないんで?」
「私の目の前で盗品を持っていこうというつもりか? お前が出ていったら元の持ち主にきちんと返しておいてやるから安心しろ」
「あ、いや、そんなには無いはずというか……」
「弟さんのことは任せろ。今までと同様に目を配る。俺宛てに送ってくれば仕送りも弟さんにきちんと渡そう」
ギークである限り弟に経済的な支援をすることは難しい。
なにしろ、出所の怪しい金であるからして、もしかすると累が及ぶかもしれなかった。
今後は真っ当な商売に精を出せば僅かな金額かもしれないが弟に渡すことができるかもしれない。
ギークは覚悟を決める。
「分かりました。よろしくお願いします」
ブランドが横領するかもしれないということは少しばかりも疑わなかった。
「あっしはだらしがない人間です。もしかしたらダンナの信頼を裏切るかもしれねえ」
「大丈夫だ。お前は生まれ変わった。それでもし、何か再び悪事をしそうになったときは、それが弟にバレるかもしれないと考えるんだ。そうすれば思いとどまれるだろうよ」
ブランドは淡々と言い聞かせる。
ギークは下着や着替えなど僅かなものを取りまとめた。
布で顔を覆いフード付きのマントを身につける。
家を出ると裏通りに止めてあった目立たぬ馬車にギークは乗り込んだ。
「ダンナ。この御恩は一生……」
「いいから行け」
ブランドは御者に合図を送る。
馬車はひっそりと走り出し宵闇の中に消えた。
それを見送っていたブランドの顔に笑みが浮かぶ。
今頃は座席の上に置いた財布の中身を見てギークが驚いているはずだった。
ブランドと数人の衛士による餞別である。
フンボルトが少し多めに金を出していた理由をブランドは知らなかった。
しばらくすると闇の中からノートンを始めとした第1隊の衛士がやってくる。
「それじゃ、ギークの身柄を確保しようか」
家探しは失敗に終わり、この日を境にしてトールハイムからギークの姿は消え2度と姿を現すことはなかった。




