第96話 衛士の本分
叫び声が上がる少し前のこと、ギークを付け狙うならず者はついに任務を遂行することにする。
いつもは忙しく動き回るブランドが飲食店に入って出てこないので必然的にギークも動きを止めて様子を窺っていた。
本来ならばならず者が実際に動き出せばギークは喉を掻っ切られるか、内臓を地面にぶちまけて路地裏に転がるところである。
ところが、この男は妙な場面での運だけは強かった。
ちょうどブランドとイライザが階段を下りて来たのを目撃し、ギークは物陰から少し身を乗り出す。
ブランドを巡る恋模様についてはギークも承知しており、当然のことながらイライザを応援していた。
銀の匙を咥えて生まれてきた人間を毛嫌いしていたからである。
意外といい雰囲気じゃねえの、と更に体を前に出したところをならず者の刃が襲った。
監視業務を行っている人間が自分の姿を晒す危険がある行動をするはずがない。
そう思いこんでいたならず者の一撃は、ギークの頸動脈を深く切り裂くはずのところがわずかに肩を傷つけるだけに終わる。
「うわー。人殺し! 助けてくれー」
ギークは叫び声をあげながら地面に身を投げ出した。
この小悪党はドジで間抜けである。
誰かに襲われた局面で「人殺し!」と叫んでも普通は誰も来てくれない。
火事だ、と叫ぶのが正しい方法だった。
しかし、すぐ近くにブランドがいるという特別な状況では話は別である。
消火活動は衛士の仕事ではない。
もちろん1人であればブランドは駆けつけたことだろう。
ただ、今はイライザが一緒にいて何か大事な話をしかけているところだった。
さすがにこういう局面ではこの男もイライザに断りを入れるなりなんなりをして飛び出すのが遅れたはずである。
一方で殺人となれば完全に衛士の仕事だった。
叫び声が聞こえたということはまだ助けられる可能性があるということである。
間髪を入れずにブランドは声の方向に駆けだした。
不覚にも初撃をかわされたならず者は地面の上に無様に横たわるギークに憎々し気な瞳を向ける。
剣を逆手に持ちかえるともぞもぞと腹ばいから仰向けになって防御姿勢を取ったギークを突き刺した。
慌てていたせいか踏み込みが甘く、また腕が傷つくのも厭わずにギークが腕で防御したので剣は肋骨の間を通らない。
それでもその痛みにギークは叫ぶ。
「うぎゃー」
「くそっ」
ならず者は覆面の下から悪態を漏らして剣を振りかぶった。
もう1度突き刺そうとしたが、横から伸ばされてきた剣に払われる。
「ちっ」
邪魔が入ったのでならず者はぱっと飛び退って距離を取った。
「ギーク、しっかりしろ。傷は浅いぞ」
ブランドは大声で励ます。
「ダ、ダンナ……」
ギークは情けない声を出した。
「どけ! こんなドブネズミ1匹庇う価値もないだろう」
デート中にコソ泥を助けようという想定外の行動に対してならず者は叫ぶ。
「そうはいかないな」
ブランドが返答すると同時にイライザが駆け寄ってきた。
「何やってんのよ。本当にもう!」
その片手には短剣が握られている。
「覚えてろっ!」
月並みな言葉を残してならず者が背中を見せて逃げ出そうとしたところに火線が伸びて片足を焼いた。
「うお、あっつ!」
ズボンについた火を消そうとならず者は武器を投げ出し必死に手で払おうとする。
そこに火球が飛んできて地面で弾けた。
「投降しなさい。次は直撃させるわよ」
一世一代の誘いをしようというところを邪魔されてイライザは怒り心頭に発している。
それでも馬車を焼いたときとは異なり一応は手加減をしていた。
すぐ側にブランドが居るのだから当然ではある。
「分かった。分かった。撃つな」
ならず者は投降を示そうと両手を上げ、やっぱり火を消そうと腕を下ろしと忙しい。
その様子を見てイライザはフンと鼻を鳴らした。
「イライザ。そっちは1人で大丈夫か?」
振り返ればブランドがギークの体を横にして抱きかかえている。
「思ったよりもギークの出血がひどい」
「問題ないわ。大丈夫」
気丈にもそう答えるがイライザは心の中で絶叫していた。
ちょっと、ギーク、今すぐ私と代わりなさい!
「さすがイライザだ。でも無理はするなよ。すぐに応援が来るはずだ」
ブランドはあまりギークを揺らさないようにしながら早足で路地を出ていく。
医者に連れていかれる途中でギークはブランドに向かって問いかけた。
「なんで、あっしなんかちんけなコソ泥を助けたんです?」
「あまりしゃべるな。肺が傷ついているかもしれない」
「これぐらい平気っすよ」
「そうか。お前が物を盗むなら捕まえる。だが、お前が何もしていないのに殺されそうになったなら助ける。衛士というのはそういうものだ」
「へへ。ダンナには敵わねえな」
「敵わないついでに前非を悔い改めて正業に付こうとは思わないか?」
ギークは口の端に血の泡をつけながら苦笑をする。
「全部あっしが悪いんですが、悔い改めたところで誰もあっしのことを信用しないでしょう」
「私も微力ながら口添えしよう」
「あっしに今までに被害にあった人はそう簡単に許してくれないでしょう。そりゃ当然でさあ。あっしだってあっしの金を盗んだ奴に今日から善人でございと言われても納得できねえですもん。ダンナに迷惑はかけられませんや」
「まあ、今はここまでにしておこう。もうすぐ医者につく。頑張れ」
「ダンナ。非番、しかもデートの最中だったのにすいません」
「分かったから、もう喋るな」
ギークは咳き込んだ。
「そうは言ってもね。ダンナはいいかもしれねえが、イライザさんは相当お冠だ。今度顔を合わせたら首をねじ切られるか、こんがりと焼かれるか……」
「心配するな。イライザも衛士だ。それぐらいのことは弁えている」
「へへ。じゃあ、後でちゃんとフォローしておいてくだせえよ。ギークは悪くねえって……」
「ああ、分かった」
しつこく念押しをするだろうと思って返事がなくブランドは視線を下に向ける。
ギークは意識を失っていた。
ブランドは一刻を争うとさらに速度をあげる。
医者のところに到達するとブランドは良く通る声で急患の存在を告げた。
「先生! 先生! 急患です!」
扉が開いて医者が顔を見せる。
ブランドの腕の中の人間がギークであることに気が付いて驚きの表情に変わった。
「先生。そんなに重篤ですか?」
意味を取り違えた発言に返事をせず医者は中に入るようにと扉を大きく広げる。
ブランドは慣れた足取りで診察室に運んでいった。
それに続く医者はひとりごちる。
「こりゃ、話が広まったらギークは相当恨みを買いそうじゃな」
ま、死ねばそれまでだが、と心の中で思いながら処置の準備を始めた。




