第95話 心づくし
夕暮れの鐘の音がなった時という大雑把な約束であったが、イライザがアマンダの店に到着したときは既にブランドが店の下の階段のところで佇んでいる。
特にめかし込んだふうではない。
長袖、長ズボンに小剣を佩いている。
青いボレロを重ねているのは、トールハイムではよく見られる着こなしでオシャレ要素と言えるかどうか。
それでも近づいてみれば生地の具合からするとどうやら袖を通したばかりのものと知れた。
イライザは他人には向けることのない笑顔を浮かべる。
「ブランド、お待たせ」
「ああ。私も来たばかりだよ」
ブランドの肩に乗ったドラマタがンニャオと鳴いた。
そろそろ、いくら広い肩とはいえどもかなり成長した猫には窮屈なように見えるがこの位置がお気に入りのようである。
「ドラマタ、こんばんは。待たせちゃった?」
「にゃ」
「それじゃお店に入りましょ」
イライザが先に階段を上り始めるとブランドがすぐ後ろに続いた。
店の扉が開いてウエイターが顔を出す。
「いらっしゃいませ。こちらの席にどうぞ」
案内された隅のテラス席は他の2席とは明らかにしつらえが異なる。
華やかな花がテーブルを彩り、クロスも端にレースがあしらってあった。
頭上から照らすランプのシェードも小鳥が仲睦まじくさえずる姿の飾り付きである。
足元にはドラマタ用の丸いカーペットが敷かれていた。
今日のブランドの装いの立役者である白猫はカーペットをフミフミすると満足そうに喉を鳴らす。
実はドラマタは出がけにそれまでブランドが着ていたシャツを破き新しいものに着替えさせていた。
テーブルセッティングに感心していたイライザは最初に運ばれてきたボトルにさらに驚く。
「本物の発泡酒じゃない。どうしたの?」
「お願いをして用意してもらったんだ。気に入ってくれるといいんだが」
ブランドはテイスティングを終え、ウエイターに軽く顎を引いた。
シャーリーとの席で出た特級品とまではいかないが、リュクス城館製の発泡酒である。
イライザは目を輝かせた。
酒は好きだが普段はルイジの店の安いもので満足している。
こういうもののグレードを上げると生活が苦しくなったときに慣れなくて不満が募るということを良く知っていた。
それゆえにいつもは自制している。
それにブランドと一緒ならどんな安酒でも美酒に変わるのだった。
とはいえ、ブランドの心尽くしである。
嬉しくないはずがない。
「ありがとう。嬉しいわ」
2人でグラスを掲げるとイライザは発泡酒に口をつける。
喉を滑り落ちていく細やかな泡の喉ごしに陶然となった。
「これ、本当に美味しい」
グラスに残っている酒をくいと空ける。
心得たものでウエイターはお替わりを注いだ。
「すぐにお料理もお持ちしますね」
ボトルを持って店の中に入っていく。
それに名残惜しそうな視線を送っていたイライザにブランドが話しかけた。
「ここだと温くなるので中に置いているんだろう。ボトルで頼んでいるので気に入ったなら残りも飲んでもらえないか? 栓を開けたら泡が消えるので早く飲んだ方がいいらしい」
視線を戻したイライザは見透かされていたことに少し頬を染める。
フンボルトや騎士たちなら目撃できなかったことに歯ぎしりしそうな表情だった。
「それじゃ、遠慮なく頂くわね。ブランドはもういいの?」
「口あたりがいい割に結構強いからな。今日は大切な日だから、酔いつぶれるような真似はできない」
「そう。じゃあ私も気を付けなきゃ」
そう返事しながらイライザは天啓を得る。
私が酔って自分で歩けなくなってしまえばいいんじゃない?
発泡ワインのボトル1本に含まれるアルコール程度では実際にはイライザの足腰を立たなくさせるには力不足である。
酒の種類を強めの蒸留酒に変えて量を3倍程度にする必要があった。
しかも、今日はブランドとのデートであり楽しいお酒である。
そのことを加味すると現実にイライザが歩けなくなることは考えにくかった。
しかしである。
ブランドが度数が高いお酒と認識してあるのであれば酔ったフリをしても信じさせることができるかも。
まあ、無理があるかなあ。
普段の振る舞いを反省しつつ、イライザはそういう行為は卑怯だと思い直す。
酒の力を借りるのは思いを告げるところまでにしなければと軌道修正をした。
最初の1杯にも驚かされたが次々と供される料理にもイライザは目を見張る。
前菜のひよこ豆に鰡の卵の燻製を散らしたものはブランドが奮発して用意した発泡酒とマッチしていた。
次に出てきたアスパラガスと干しエビのサラダは色のコントラストが美しい。
図らずもイライザの髪と服の組み合わせと一致している。
ウエイターが気を利かせてそのことを指摘しつつ装いについてブランドに尋ねた。
「今日のイライザさんはいつもとはちょっと雰囲気が違いません?」
「うん、そうだな。とても……優雅な感じがする」
自発的な発言ではなく半ば誘導されたようなものだが、狙い通りにきちんと伝わったことにイライザは大いに気を良くする。
確かに衛士団の制服を着て職務に精励しているときとは別人のようだった。
もともと華やかな美人なので服装は少し抑えめの方が上品さが引き出される。
3皿目はすりつぶしたブロッコリーと豚のベーコンのニョッキ。
4皿目は小魚を揚げて細く切った人参などの野菜と一緒に甘めのお酢で和えたもの。
この頃には発泡酒はなくなり、イライザは赤ワインとともに赤身の水牛のステーキを楽しんだ。
春らしい食材を取り入れた品は目にも舌にも心地よい。
「ん~、美味しい」
1皿ごとにイライザは感嘆の声をあげる。
喜んでもらえていることは明らかで慰労という目的を達成したブランドもホッとした表情をしていた。
苺をふんだんに使ったババロアを食べ終え、すっかり満ち足りた2人と1匹は帰途につく。
忙しいだろうにアマンダも顔を出して見送った。
ブランドが先に階段に向かったところでアマンダは腰のところで小さく握りこぶしを作って激励する。
イライザもコクリと頷いてそれに応えた。
階段を下りきったところでイライザは決意を固める。
「ブランド。今日は本当にありがとう。美味しいお酒に料理を楽しんだわ」
「喜んでもらえたならなによりだ」
「えーと、それでね……」
ブランドの肘に手を添えて引き留めた。
歩き出そうとしていたブランドは上半身を捻る。
「こういう特別なディナーもいいんだけど、ブランドと一緒にね、もうちょっとこう毎日普通の……」
「うわーっ! 人殺し! 助けてくれー」
微妙に回りくどいイライザの口説き文句をかき消す叫び声が上がった。




