第92話 陰謀と書面
その頃、官舎の1室ではフンボルトが頭を捻っている。
特別休暇の最終日、今日も今日とてブランドに関する陰謀を巡らすことに余念がない。
今では騎士団にギルクスという情報源ができたことにより、これまで以上に情報が多く集まってきていた。
どうもベアトリスが衛士団長の職を離れた後にブランドを就任させるという動きがあるようである。
もともと根強い待望論があるところに騎士団のオーギュストも支持しているとなれば外堀は完全に埋まっていた。
あとはブランド本人の意向だが、これはどちらがトールハイムのためになるかという正論をぶつければなんとかなりそうな気がしている。
頑なに固辞するのを翻意させるのは俺の役割だな。
フンボルトはほくそ笑んだ。
衛士団長の交代を機会に副団長のホーソンも勇退してくれればベストだが、そうでないとしてもフンボルトが第1隊長になるのは堅そうである。
出世計画は順調と言えた。
その一方で混迷を深めているのはブランドの配偶者の座をかけた戦いである。
騎士団に属するシャーリーの参戦はフンボルトにとっても想定外だった。
しかも実力行使に及ぼうというのは驚きである。
別にブランドがイライザ以外を選ぼうがそれはそれで構わないが、不意打ちで寝取るようなやり方は後味が良くなかった。
イライザがそのことをいつまでも引きずるようでは困る。
私が先にブランドと関係を持っていたらとイライザがいつまでも未練を燻らせるようなことになってほしくなかった。
広く公表されはされなかったが、トールハイムにラブ・ポーションが持ち込まれたことはフンボルトも聞いている。
自棄を起こしたイライザがラブ・ポーションを入手して非常手段に訴える可能性も否定できなかった。
そういう意味ではベアトリスは恋敵として都合がいい。
あのコロンナ家の娘というのは圧倒的なアドバンテージがある。
恋に破れたとしても諦めやすいはずだった。
それに引き替えシャーリーは単なる騎士団付きの魔法使いである。
横からかっさらわれたという気持ちが強くなるだろうことはフンボルトにも容易に想像できた。
ここには重要な情報の欠落がある。
フンボルトはシャーリーがサレーノ子爵家の唯一の相続人ということを知らない。
この情報があれば作戦の変更はありえた。
しかし、現実には不知ゆえにフンボルトの狙いはベアトリス1人に定められている。
慰労会の席上で強化オーク退治のときのことをノートンに語らせたのもフンボルトの作戦の一環であった。
ブランドは優秀だが己の功を誇ることがない。
謙譲は美徳ではあったがものには程度というものがある。
話を聞きたがっているベアトリスには何も知らせない方が酷というものだった。
フンボルトの見るところ、ベアトリスはますますブランドに傾倒している。
慰労会でもなんだかんだ言いながらさりげなく腕や肩に触れていた。
オラストン伯討伐も上手くいったしタイミングを測っているのだろう。
騎士団が抜けた穴を埋めるという間接支援という形だがベアトリスは討伐戦の重要な手助けをしていた。
凡百の指揮官ならいざ知らずコロンナ侯爵なら正確にその価値を評価するだろう。
ベアトリスは父親に褒美としてブランドをねだればいいのだ。
コロンナ侯爵の嫡子であるベアトリスの兄は既婚者だがまだ子がいないと聞いている。
子作りに精を出して息子を兄の養子に出すぐらいの提案も合わせれば、要望が通る可能性は着任当初に比べれば比較にならないほど高くなっていた。
このシナリオなら、ブランドが衛士団長の職にあるのも長くはない。
ベアトリス同様に伯付けが終わればより重要なところに栄転するだろう。
その後を襲う資格があるのはフンボルトだった。
あと1歩で顕職もイライザも手に入る。
ふふふふふ。
わーはっはっは。
もし人が見聞きしていたらぎょっとすること間違いなしな態度でひとしきり笑った後、フンボルトは現実に戻った。
より計画を完璧にするために自分にできることはないか?
シャーリーの存在は完全に邪魔である。
フンボルトの双眸に冷たい刃が宿った。
怜悧な頭脳で排除方法を検討するが頭を軽く振り諦める。
腕のいい魔法使いではあるもののイライザと異なり剣技に秀でているわけではないので近くから不意を突けば倒せないことはない。
しかし、事件の隠蔽はほぼ不可能でありリスクに見合わなかった。
あとは社会的に排除する方法も無くはない。
ただ、シャーリーの大人しく控えめな人柄では効果的な噂を思いつかなかった。
まあ、いい。
ブランドと一夜を過ごすという実力行使をベアトリスの従者が防いだのは運が良かったと言える。
どんな内容であれブランドに同じ手は通じない。
酒を控えるだろうし、酔わせてどうこうという策は2度目はあり得なかった。
一応念のために俺もギークに監視をさせておくか。
フンボルトはダグラスの確保の際にトールハイムの小悪党と繋がりができている。
小金を与えてブランドの見張りをさせることは適当な理由さえでっち上げれば良かった。
ギークは強い相手には逆らわない。
再び含み笑いが漏れる。
この時点ではフンボルトは自分の計画に重大な盲点があることに気づいていなかった。
***
その日の夜のこと、ベアトリスは自室に籠って父親への手紙を書いている。
もう気持ちを抑えているのは限界だった。
ブランドがイライザのために奔走し見事に無実を証明してみせた姿がまぶたの裏に焼き付いている。
そして、その後にこれ見よがしにブランドとお茶をねだっていたシャーリーのことが羨ましかった。
もう時間の猶予はない。
関係を一歩進めるために父親の内諾を得ておく必要がある。
手紙の中身はフンボルトの想像した内容とほぼ変わらなかった。
トールハイムの衛士団の隊長職にある者が見せたこれまでの活躍を挙げる。
この度のオラストン伯討伐の戦いにおいてコロンナ侯爵が満足できるほどの活躍をした貴族がいないことも念頭に置いていた。
コロンナ家に優秀な血筋を取り込むことにも熱心な父ならば心を動かせるだろうと見込んで提案を行う。
他家に嫁ぐのではなく分家を興して優秀な人材を夫にしたいとしたためた。
兄に世継ぎができなければ、ベアトリスの産む男子を養子に出してもいいし、世継ぎができれば本家を支える手足とさせることを誓う。
内容的にはフンボルトの想像を大きくは外れていない。
これで反対されればそれまでのつもりで思いの丈を文章に注ぎ込んだ。




