第86話 マリアージュ
「それでは衛士団の活躍に。乾杯!」
ベアトリスの発声でグラスやジョッキが掲げられる。
衛士たちが行きつけのルイジの店での慰労会が始まった。
若手の団員たちはすぐに思い思いにお替わりを頼み始める。
オーギュストとの席で懲りたブランドは薄いビールをさらにレモン果汁で割ったもののグラスを飲み干していた。
「ブランド隊長。次は何を飲む?」
同じテーブルに座るベアトリスが尋ねる。
内心ウッキウキだった。
実はベアトリスはブランドと酒の席を一緒にするのは初めてである。
団長の立場だと意外と機会がなかった。
ブランドが第1隊の団員と飲みに行くことがあるのは知っていたが、そこに入ると気を遣わせてしまう。
昼食を一緒に食べたことはあるが、その時はお酒は飲んでいない。
というわけでブランドと飲酒をするのは今日が初めてである。
声をかけられたブランドは思案顔になった。
店員に合図をすると清涼飲料水を頼む。
動かなくなった馬車の撤去をしたときに飲んだものと同系統の飲み物だった。
ベアトリスは気づかわしげな表情になる。
「ブランド隊長。まだ傷が治りきっていないのか?」
「いえ、そういうわけではないのですが、あまり酒に強くないので控えようと思いまして」
「そうか。前回戦果を報告をした際に父から労いの品として送られてきたワインがあるのだが、それではやめておこうか」
「そういうことでしたら少しだけ頂きます」
ベアトリスの目配せにフランセーヌが酒瓶を取り出した。
周囲からどよめきの声が上がる。
ブランニュ産の逸品であり、実際に飲んだことは無くても名前は知っている銘柄の赤ワインのボトルだった。
ブランドも知識としては知っている。
「そのような貴重品な品を頂いていいのですか?」
ベアトリスはにこやかに笑みを浮かべた。
「そのために父が領地から取り寄せたものだからな。遠慮なく味見をしてみてくれ」
フランセーヌが開栓したボトルをベアトリスに渡す。
ルイジの店の者がグラスを用意した。
もちろん、持ち込みをすることは事前に断ってある。
ベアトリスが手ずから赤ワインを注いだ。
「さあ、どうぞ」
コトリとブランドの前にグラスを置く。
貴重なワインというだけでなく、普段はそんなことはしないだろう令嬢が自分で注いでくれたことにブランドは恐縮することしきりだった。
「団長にこんなことまでして頂いて……」
「なに、父の名代だよ。結果を出した者にはこうする習慣でね」
コロンナ侯爵の人身掌握術を聞いてブランドは感心する。
それから目の前の大振りなグラスを観察した。
「実際に頂いたことはないのですが、年代物は空気によく触れさせた方がよろしいと聞いています。こちらもそうした方がいいのでしょうか?」
ベアトリスは満足そうに肯く。
「さすがよく知っているな。グラスの中身をゆっくりと回転させるといい」
ブランドはテーブルの上でゆっくりとグラスを動かした。
鼻先に持っていくと大きく鼻で息を吸う。
それから少量を口に含んだ。
皆の視線が集まる。
「感想は?」
問われたブランドは困った顔になった。
「いつものものとは違います。それで……美味いには美味いのですが、あいにくと私はこの真価が分かる舌をを持ち合わせないようです」
「そうか。この世界は数を飲んで舌を鍛える部分もあるからな。そうだ。他の団員にも」
ベアトリスはフンボルト用にもう1杯を注いで渡すと別のボトルを開けるようフランセーヌを促す。
ブランドの正直な感想が微笑ましかった。
ここで取って付けたような評を述べては興醒めというものである。
ブランニュ産の逸品を配り始めたフランセーヌには団員が群がっていた。
これを逃せば一生味わうことがないワインである。
「こ、これは!」
「いやあ、これこそがヴィンテージだね」
「適当なこと言ってんな。赤と白の区別もつかねえくせに」
「うるせえ、色ぐらい区別がつくさ」
そんな喧騒を背後にベアトリスはブランドにワインのお替わりを勧めた。
「無理にとは言わないが、時間をおいてまた試してみてほしい。また少し味が違うはずだ。ああ、ちょうど鴨のローストがきた。素敵なマリアージュが味わえるはずだ」
マリアージュ。
飲み物、特にワインと食べ物の組み合わせの妙を表す表現だが、もともとは結婚を意味する。
ふふふ。
私とブランドの相性もきっと素晴らしいものに違いないわ。
コロンナ家の本拠がある町の大聖堂の前に花で飾り付けた馬車で乗りつける光景を想像してベアトリスは心が弾んだ。
自分でも鴨のローストを食べブランニュ産の赤ワインを口に含む。
ん、というようにベアトリスは小首を傾げた。
決して不味くはない。
しかし、鴨のローストの味付けが濃すぎるせいか赤ワインの味と喧嘩をしている気がする。
ブランドの顔をチラリと見るが満足そうに食べていた。
そのこと自体はいいのだが、ベアトリスの心に小さな不安が兆す。
醸造技術の粋を集め金と手間暇をかけて作ったヴィンテージワインをベアトリスとするならば、この鴨のローストはブランドということになった。
マリアージュが成立しなかったのは貴族と平民、その間に横たわる溝を突きつけているような気がする。
こんなことを考えてしまうこと自体が不快であった。
ベアトリスは口の中に広がったものを洗い流すようにワインをさらに口に含む。
頭を一振りするとブランドに話しかけた。
「それでは改めて本人の口から派遣中のことを聞かせてくれないか。もちろん詳細な報告書はもらっている。だが、こういう席なんだ、謙遜せずに活躍したところを語るがいい」
「団員の皆が普段の訓練で培った実力を遺憾なく発揮しましたな。さすがというか頼もしい限りです。ドラマタも果敢にモンスターの顔を引っ掻いて活躍したんですよ」
ブランドの膝の上で素焼きの鴨肉をもらっていた白猫はニャニャっと返事をする。
予想通りに自分語りをしないブランドの様子を見たフンボルトはノートンを呼んだ。
「おい、ノートン。お前さんのところの隊長の活躍話を団長がお望みだぞ」
他の団員と高級ワインの味わいについて話をしていたノートンはすっ飛んでやってくる。
「お呼びですね。じゃあ長くなりますけど、騎士団の屯所に着いたところから。留守番を命じられたのと余所者への警戒心からか、態度の良くないジジイの騎士が出迎えたんですよ。普通はムカつくじゃないですか。でも、隊長ったらですね……」
ある程度話が進むとブランドが口を挟んだ。
「ノートン。話を盛りすぎだ」
「事実そのままでしょ? ね、フンボルト隊長もそう思いますよね」
「うん、まあ、そうだな」
臨場感溢れるエピソードと珍しく困ったような表情をするブランドをベアトリスは多いに楽しむ。
その場の盛り上がりと共に先ほど覚えた不安は春の雪のように溶けていった。




