第76話 2人の魔法使い
ベアトリスが物思いにふけることになる少し前、すやすやと眠ったドラマタを抱きかかえてブランドは団長室を出ている。
シャーリーとイライザも一緒だった。
「猫ちゃん、寝ている姿は一層可愛いですね。そうだ。お名前はなんというのですか?」
「ドラマタです」
「そうですか。ドラマタちゃん。いい名前ですね」
イライザはブランドの腕の中のドラマタの背を撫でる。
その後ろでイライザは苦虫を潰した顔にならないように気を付けていた。
ドラマタに対して使われた眠りの呪文は発動させるだけならそれほど難しいものではない。
ただ、通常であれば団長室内の全員が射程範囲になってしまうだろう。
イライザであれば範囲を絞ることができるが、それでもブランドを巻き込まないようにするのは難しかった。
ブランドなら魔法に抵抗できる気もするが試してみるわけにはいかない。
躊躇している間にシャーリーに先を越されている。
そして見事にドラマタだけを対象にして眠りの魔法を成功させていた。
それだけのみならず、ドラマタの名前をぬけぬけと可愛いなどと言っている。
すっかり慣れ親しんでいるものの、冷静になって考えればドラマタの響きは可愛くはないはずだった。
名付けしたときも衛士団の女性陣からは不評だったし、イライザもどうかと思うと言っている。
それを後から知ったのをいいことに可愛いなどと言うとは油断がならなかった。
「眠りから覚めたら薬の効果が切れているといいですね」
「そうですな。かなりの興奮状態でしたから」
2人の間で交わされる会話にイライザが割り込む。
「それで、ブランド。この後はどうするの?」
「ああ。ラブ・ポーションの捜索にかかりきりで、隊員をほったらかし気味だからな。通常任務に戻るとするよ。今日は外回りのはずだから途中で合流する」
「私は内勤だからドラマタを預かっておくわよ。寝ちゃっていると雨の中を連れて歩くの大変でしょ」
シャーリーのふりをしたギルクスと一緒に外回りをしていたときは、ドラマタは肩からかけた鞄の上に陣取りその上を外套が覆っていた。
今は寝ているのでそういうわけにはいきそうにない。
イライザは回り込むとドラマタをひょいと抱え上げる。
「眠りから覚めたときに薬が抜けきっていないとまた凄い声で鳴きそうだし」
「イライザ、悪いな」
「いいのよ。ドラマタは私にはそれなりに懐いているから。ブランドには及ばないけどね。シャーリーさん、探知魔法を使っての捜索への協力ありがとうございました」
「先ほど団長からもお礼を言っていたが、私からも言わせてほしい。シャーリーさん、ありがとう。大変助かりました」
「いいえ。衛士団にお世話になっているのはこちらですもの。これぐらいのことは何でもありませんわ。騎士団の不始末で色々とご迷惑をおかけしてますから。護符をお貸ししたぐらいではぜんぜんお返しにならないですし。ブランド隊長からの依頼であれば大歓迎です。また何かあれば遠慮なく仰ってくださいね」
イライザとシャーリーの視線が交錯した。
お互いにいい大人である。
ブランドの前で相手を罵るようなはしたない真似をすることはなかったが、表向きの言葉の裏には別の意味が込められていた。
イライザの感謝の台詞は、もう捜査への協力は終わりであることを告げている。
一方のシャーリーは都へのダグラスの護送で貴重な護符をブランドに貸したことをアピールしていた。
あくまでにこやかに会話をしているので、ブランドは裏に潜むものに気が付いていない。
「では、私はここで失礼する」
「あ、気を付けてね。ドラマタのことは心配しなくていいから」
「足元が悪いので気を付けてください」
イライザとシャーリーが並んでブランドを見送る。
「それでは私も失礼します」
「お疲れさまでした」
2人も穏やかに別れた。
ブランドが居なくなっても気を抜くことはない。
他人の目のある場所で迂闊なことをすればすぐに耳に入ってしまうことが分からないような無思慮な人間は魔法を修めることなどできなかった。
執務室の自分の机に向かうとイライザは膝の上にドラマタを置いて書類仕事を始める。
すやすやと眠る猫はぽかぽかとあんかのように温かい。
その様子は先ほどまでの狂態が嘘のように穏やかだった。
イライザはラブ・ポーションの効果を思い出す。
やっぱり、ちょっと惜しかったかも。
自宅でブランドと夕食を共にしてから、この事件の影響もあってブランドとの関係に目立つ進展はなかった。
ラブ・ポーションを使われていたらテッドの人生が大きく歪んだだろうことは容易に想像ができる。
ブランドの職務に対する真面目さを尊敬もしていた。
だから、ブランドが仕事を優先することに不満はない。
とはいえ、今回の事件によってライバルの解像度が上がったことで危機感が募っており、焦りも強く感じている。
ブランドが都に行っていた間のイライザの苦労に対してお礼をするという話が宙に浮いたままなのが不安だった。
やっぱり身分の高い女性との縁談があればそちらに魅力を感じてしまうのかもしれない。
爵位というのはそれだけ魅力がある。
もし、イライザとブランドが正式に交際しているのであればそれほど心配ではなかった。
立身出世のためのに恋人を捨てるような男ではないという確信はある。
ただ、現時点ではイライザは古くからの知り合いで、親しい同僚にすぎない。
何を約束したわけでもなければ、キスの1つもしたわけではなかった。
そこまで考えてイライザは頬が熱くなるのを感じる。
ブランドとキス?
どんな状況になればそんなことができるのか皆目見当がつかなかったが、想像するだけで鼓動が速くなり体温が上がっていた。
一方のシャーリーはまとわりつく雨の中を騎士団の屯所に向かって歩いている。
ブランドの役に立てたし、魔法使いとしての実力を遺憾なく発揮した充足感はあった。
それでも心は晴れやかというわけにはいかず、天気と同じように曇っている。
ラブ・ポーションを発見できたことは良かったが、それはつまりシャーリーが大手を振って衛士団の仕事の手伝いをできる日々が終わったことを示していた。
イライザの慰労の言葉が脳裏によみがえる。
いつでもブランドと一緒に行動することができる衛士団の2人の有利さは認めざるをえなかった。




