第63話 教訓
老婆はとてもそんな年齢とは思えない勢いで走り出す。
「おい。ブランド。何をしているんだ? そろそろ出発するぞ」
待ちくたびれたのか、フンボルトが戸口から顔を覗かせた。
「捕まえてくれ!」
ブランドのかけ声に老婆の腕を掴む。
事情が分からずとも即応できるのはさすがと言えた。
老婆がどこからともなく取り出したナイフの刃先も難なく躱して取り押さえる。
「おいおい、一体これはなんだ? 抜き打ちの訓練か試験じゃないよな?」
冗談を言う余裕もあった。
革袋の口を開けて中身を確認していたブランドは顔を上げる。
「なに。人の良い若者を騙して、ヤバいブツを運ばせようとしてのが露見して逃げ出しただけさ」
それから急ぎこの町の衛士が呼ばれ、老婆を証拠の革袋と共に連行していった。
通常であればこの場所にいた全員の聞き取りも必要になるところだが、ブランドとフンボルトの身分がものを言う。
代表として運行責任者のみが同行することになり、ブランドの証言は後ほど書面で送ることで了承が得られた。
4頭立ての乗合馬車2台は少し遅れたものの出発する。
その前で馬を走らせながらフンボルトはブランドに問いかけた。
「大筋はなんとなく分かったが、どういうことだったんだ? 俺だったからいいが、そうじゃなきゃ取り逃がすか怪我をしていたぞ」
「フンボルトなら十分対応できるだろう?」
信頼の言葉にフンボルトは頬が緩みそうになるのを引き締める。
「それはいいとして、なんで違法なものを密輸していると分かった?」
「俺の顔を見て狼狽したからな。衛士の制服を見て表情を変えるなんて、大抵が疾しいことがある人間だ。それにピクルスというのが臭い。他の臭いが強いものを同梱しているのを誤魔化すのにうってつけだな。あとは年寄りにしては話が理路整然としていた。いったん話し出したら、子供の自慢やら、素材をどう手に入れたのか話が逸れまくるのが普通だよ」
「日ごろから町の住人の話を聞かされまくっているベテランならではだな」
「まあ、そのままにしてこの先検問にでもあってみろ、人のいい若者が犯人扱いだ。俺や運行責任者が目撃しているからまだマシだがな。そうじゃないとどういう扱いになるかは予断を許さないだろう」
「で、そうまでして運びたかったものは何だったんだ?」
「黒い丸薬だった。実物を見るのは初めてだが、魔女の実を精製した薬だろう」
「なるほどな」
周囲に人家が減り木々が多くなってきたので、ブランドとフンボルトは会話を打ち切り周囲の警戒を強化する。
狼の襲撃に備える必要があった。
出発前に聞いた場所に近くなっている。
元々雇われている護衛と合わせて4人なので被害を出さないためには早期発見が重要であった。
警戒の甲斐があったのか結局狼の姿を見ることなく隣町に到着する。
その門をくぐるところで荷物の検査が行われていた。
門の脇の部屋に荷物が運びこまれ、全部開けられて中を調べられる。
ブランドとフンボルトの2人も例外では無かった。
2つの列があり、何とはなしに別々の列に並ぶ。
ブランドが並んだ列で取り調べを行っている衛士はまだニキビの残る若造だった。
この若者の態度が頗る横柄でしかも時間がかかる。
ようやくブランドの順番になると、荷物の中に大量に同じものが入っていることに難癖をつけた。
それに辛抱強く対応していると、外から入ってきた別の衛士がすっ飛んでくる。
「何をやっているんだ。こちらはトールハイムの衛士隊長だぞ」
若者をたしなめているのは以前ブランドが事件の解決に力を貸した人物だった。
いきなり文句を言われた若者はぶすっとする。
「そんなの俺は知らねえし。だいたい、どんな相手でも怪しいものがあったらちゃんと調べろって先輩が言っていたんじゃないすか」
年嵩の衛士はもういいと手を振った。
若手には次の人間の相手をさせ、担当を変わる。
「ブランドさん。お手数をかけてすいませんね」
「いや、これも仕事のうちだろう。俺が衛士であることは悪事を犯していない証明にはならないからな」
正論に苦笑いをしながら、衛士はブランドの荷物の中身を一瞥した。
「そうだとしても、これに問題はないでしょう。もう、結構です」
背嚢の蓋を閉じたブランドを部屋の反対側の出口に案内する。
既に荷物検査を終えて外で待っていたフンボルトが声をかけてきた。
「随分と時間がかかったな。こっちの列と違って異常なほど仕事熱心なのに当たったのか?」
その言葉にこの町の衛士は面目なさそうな顔になる。
「新人育成に苦労していましてね。トールハイムの方は皆優秀で羨ましいです。以前お世話になったときも若い衛士まで立派に任務をこなされてました」
ブランドは黙っているが、フンボルトはここは一言あるべきたと思ったらしい。
「そりゃ手間暇かけてるからな。こいつは新人が入ってくると、手本を示してやらせてみて、8割褒めて少しだけ改善を示唆してまた試させる。そういうのを飽きもせずに何回も繰り返すんだ。隊長の任務をこなしなからだぞ」
「そ、そうですか」
衛士は少し気圧されぎみに相槌を打った。
「まあ、だいたい誰もがそんな感じだろう? フンボルトやイライザもそうだし、他の隊長も似たようなもんだ」
ブランドはのんびりと応じる。
そりゃお前の真似をしているだけだ。
フンボルトは余所の町の衛士の前であるのでその言葉を飲み込む。
「これから参考にします」
年配の衛士が言うので、そのタイミングで別途連れてこられた馬の方に2人は向かった。
そこに婆さんから危ういところで荷物を預からされそうになっていた若者がやってくる。
「衛士さん。先ほどはどうもありがとうございました。あのまま袋を預かっていたら今頃は大変なことになっていたと思います」
「礼を言うなら先に声をかけてきたあっちの町の乗合馬車の責任者さんに言うんだな。面倒くさがらずにお客さんと言い合いになってまで止めてくれたんだ。そうじゃなきゃ私も口を挟む暇もなかっただろう」
「はい。後で手紙とお礼の品を贈ります」
それを聞いてブランドは笑った。
「まあ、お前さんの他人に親切にしようという心がけも見上げたもんだ。それは間違いない。ただ、世の中には悪い人間もいる。一見弱者のふりをするのもな。責任者は規則に固執しているように見えたが、あれはお客さんを守るためだった」
「はい。今なら分かります」
「そんなにしゅんとしなくていい。今回の件で悪いのはあの婆さんだけだ。これに萎縮して他人に冷たくならないでくれると嬉しいな」
「はい。気を付けます」
ブランドは手を差し出す。
若者の手を一瞬ギュッとすると別れを告げた。
今日の宿を探しながら独り言を漏らす。
「いやあ、今日はいいものを見た。責任者といい、さっきの若者といい、実に気分がいいな」
「幸せな結果になったのは、お前の機転のお陰だろうが」
「いやいや。私の役割など僅かなもんだ。あの2人の責任感と優しさの結果だよ」
フンボルトは感心することしきりなブランドを見て、実は凄く幸せ者なのかもしれないがここまでは真似はできないなと思った。




