第62話 規則と善意
「宿はすぐ近くなんで。お茶を1杯召し上がって頂いている間に準備しちまいますから」
乗合馬車の運行責任者を名乗る男は肩を抱かんばかりにしてブランドを待合室に案内しようとする。
こうなるとフンボルトも付き合うほかはなかった。
駒止めに手綱を結んだ2人は待合室に案内される。
運行責任者は中で待つ人々に叫んだ。
「衛士の方々が同行してくださるそうだ。準備ができたら出発しますよ」
しかし、反応はまちまちである。
歓迎する者もいたが、同行者が2人であることや騎士でないことに不安を示す者もいた。
乗合馬車の運行責任者はブランドたちに茶を出すように手配するとともに、渋るお客さんを説得しようと忙しい。
「そうは言ってもね、お客さん。狼の群れを退治するのはいつになるか分からないですよ」
「だけど、さすがに護衛の人数が少ないんじゃないか」
「あちらの2人は自分たちだけでも出立しようとされてるんだ。相当腕に自信がなきゃそんなことはできないでしょうよ」
そんな会話を耳にしてフンボルトは苦笑する。
狼が出ること自体を知らなかったからな。
まあ、狼ごときは恐れるに足らずなのだが、他人が我々の腕前をどう判断するかは別問題だろう。
どう説得するのかとの興味で耳をそばだてた。
案の定、お客の方が優勢である。
「いや、そんなことを言われても安全は保証できないんだろ?」
「それは騎士団が出動した後でも変わりませんが」
乗客が減ると収支が悪くなるのを気にしてか運行責任者は粘っていた。
「騎士と衛士では違うだろう!」
こういう言い方をされるとフンボルトも面白くはない。
ブランドを見るとのほほんと茶を飲んでいた。
「いいのか? あんな言われ方をしているが?」
「違うのは事実だからな。その認識を俺が何か言って変えさせるのもおかしな話だろう。それに絶対確実に狼から守ってやると言うまでの義理はない」
ブランドも他人の商売に無制限に肩入れするわけではないらしい。
確かにそんなことを言えば責任問題になる。
さすがにその辺りの区別はするんだな、とフンボルトは意外に思いつつ感心した。
そこに外から夫婦らしい男女が入ってくる。
「道中の安全は確保できたのですか?」
夫の方が責任者へと歩みよりながら問いかけた。
妻の方は待合室の方を見回していて嬉しげな声をあげる。
「まあ、ブランド隊長と……、フンボルト隊長。こんなところでお会いできるとは思いませんでしたわ。ひょっとして同行下さるというのは隊長でいらっしゃいますの? あなた、心配いりませんわ」
夫も振り返ると責任者に詰め寄るのをやめてブランドたちのところに挨拶にきた。
「これはこれは。お会いできてうれしいですよ。ブランド隊長がご一緒してくださるなら安心だ」
先ほどまで責任者相手にくどくと言っていた男がやってくる。
「失礼。こちらの方をご存じなのかね?」
「ああ。ブランド隊長ですか? そりゃ私どもの住むトールハイムの衛士隊長ですからね。町の者が安眠できるのは隊長のお陰ですよ」
「そうですとも。とても親身になって下さるんです。それにとても強くていらっしゃるの。大猿人はお分かりになる? 隊長は大猿人も退治されましたのよ。トールハイムの誇りですわ」
まるで我が事のように誇らしげに夫婦は自慢した。
その様子は郷里の名物を語るような感じである。
質問した男は改めて制服を着た男を観察した。
貴族的な怜悧な相貌は確かに自信に満ちあふれている。
女性はさらに言葉を足した。
「フンボルト隊長もお若いしトールハイムで従事されている日は短いですけどブランド隊長に次ぐ実力をお持ちですのよ」
文句を言っていた男は自分の認識違いを悟る。
そっちかよ。
年嵩ののんびりと構えている方に視線を動かした。
剛毅さは微塵も見て取れない顔だが、制服の下の体はガッチリとしているように見える。
「そうですか。貴重な情報をどうも」
男は責任者のところに戻ると前言を撤回した。
「やはり乗ることにしたよ」
「そうですか。それじゃもう1組のお客さんが戻ったら出発します。準備を済ませておいてください」
責任者は何事もなかったかのように淡々と応じる。
お茶をご馳走になったブランドもこの間にと用を足しに行った。
戻ってみると最後の客も揃ったのか、待合室には責任者と革袋を抱えた若い男、それにヨボヨボの婆さんだけがいる。
そして、なんだか揉めているようだった。
「どうした?」
半ば条件反射のようにブランドは声をかける。
婆さんはギョッとし、若者は憤然としながらブランドに訴えた。
「聞いてくださいよ。この石頭の酷さを。こちらのお婆さんが私に荷物を預けようとしたら、やめろと言うんです。運行規則がどうとかで。確かに馬車の屋根に載せる荷物は積み終わってるんでしょうけど、これぐらいなら僕の膝の上に乗せておけばいいですし。これぐらいの融通を利かせたっていいでしょうに」
責任者は渋い顔になる。
「私はね、お客さんのために言っているんですよ。それを義理人情が無いように言うのはやめてもらいたいですな」
2人の目が裁定を求めるようにブランドを見た。
ブランドはそれには取り合わず、お婆さんの方に向き腰を屈める。
「ご婦人。預けたものはなんです? 送り先は?」
「中身は私の作ったピクルスの入った壺ですじゃ」
そして、ここから南にある町の名を挙げ、そこに住む息子夫婦のところに送りたいのだと告げた。
若い男はほらねという顔をする。
「優しいお母さんじゃないですか。子供のために食べ物を送りたい。その親心を汲んでやったっていいでしょう?」
「まあ、その気持ちは分からんでもないな。ところで、乗合馬車は荷物の輸送も引き受けているんでしたな? この荷物だと……」
ブランドは責任者に向き直り、昼食2食分程度の金額を口にする。
「まあ、そんなものです」
「ひょっとして、その金額が入ってこなくなるから渋ってるんですか? じゃあ、いいですよ。僕がその代金払います。それでいいですね?」
「いや、そういうわけには……」
「何が不満なんです? あなたには小銅貨1枚の損もありませんよね?」
若者はこの守銭奴めというように軽蔑する顔をした。
「ちょっと貸してもらっていいかい?」
ブランドが若者の持つ袋に手を伸ばす。
しっかり受け取ったように見えたが手が滑ったのか、袋は床に落ちてガシャンと中の壺が割れる音がした。




