第61話 頼み事
実際は周囲の印象ほどブランドも店の中で落ちついていたわけではない。
あそこまであからさまに迫られれば何も感じないわけではなかった。
とはいえ、あのまま店に残って流されるままに関係を持つというのは論外である。
ブランドは金銭を対価としてそういう行為に及ぶというのにはどうしても抵抗があった。
今まで仕事一筋で生きてきて、恋人ができたことがない。
そうこうしているうちに年を取ってしまって、この先も恋人ができる見込みはなかった。
女性を抱くことに関心がないわけではないが、性行為自体よりもそういうことをしたいという関係性を築くことの方が大事である。
あくまで、そういう関係性ができてからの行為にしか意味がないのだった。
とはいえ、恋人を作るために誰彼かまわず声をかけるような真似はしていない。
なにしろ職場には一回り以上若い女性しか居らず、自分のようなオジサンがそういう目で見るのは相手からすると気持ち悪いだろうと想像しているからである。
ベアトリスに話してきかせた過去のトールハイムの町での醜聞がブランドの行動の制約となっていた。
あのときのような非難の声を招かないように、身近な年の離れた女性に恋愛感情を抱かないように何重にも心に鍵をかけている。
なかでも小さな頃から知っているイライザの信頼を失うのが怖かった。
「ブランド、気持ち悪い」
そう言われてしまわないように気をつけている。
相手が親し気な態度を示してもあくまで先任者として敬意を抱かれているのに過ぎない。
それを勘違いしてはいけないと戒めていた。
ただ、ブランドはまだ肉体的には枯れていない。
日々欠かさない体の鍛練は同時に性的な欲望を強くする方向に働いている。
そんな中でベアトリスが着任してからというものイライザや他の女性と関わる機会が増えていた。
そのため周囲の女性を欲望の対象として見ないようにするのにさらなる努力を必要とするようになっている。
そのため、これ以上あの店にいたら本能的な欲求に抗えないところだったな、と反省しながら宿に向かった。
1人残されたフンボルトは唖然としている。
あの野郎、勝手に帰りやがった。
その思いよりもブランドの店でのスマートな振る舞いに驚いている。
店の女性に対して強く拒絶するわけでもなく、ごく自然に振る舞っていた。
帰る際も自分についた女性と店に対して心付けを渡している。
お茶を引くことになった相手に対して、このようなことができるのはかなり遊び慣れていなければできることではなかった。
あいつ、やっぱり隠れて余所の町で遊んでやがったか。
とりあえずブランドの裏の顔を探るという目的は達成したということに満足する。
しかし、新たな疑問が湧き起こった。
極めて欲望が少ないか、女性経験がないのであれば、イライザに対して何も行動しないということも理解はできる。
そうでないというのであれば、なぜにそっけない態度をとり続けるのかが全く分からなかった。
「さっぱり分からん」
そう呟いたところに、1度席を外していた赤毛の女性が戻ってくる。
「ねえ、この際3人でどう? 支配人が半額でいいって言ってるけど」
「さすがにそれは遠慮しておこう」
「そう。それじゃ、ご馳走様。お友達によろしくね」
お愛想だけとも思えない口調で伝言を頼み、きゅっと口角を上げた。
ブランドのやつ、こういうところでもファンを増やすんだな。
人は見かけによらないとはよく言ったものだと感心しつつ、フンボルトは自分についた女性と上の階に向かう。
ちなみにお店でのスマートなブランドの振る舞いはトールハイムの町のやり手婆あから聞かされた昔話のお陰であった。
フンボルトが疑っているように実は遊び慣れているというわけではない。
翌朝顔を合わせた際には2人はお互いに昨夜のことには触れなかった。
フンボルトは当初の目的は達成していたし、ブランドは他人の情事を口の端に乗せるような不躾な真似はしない。
宿を出て乗馬に跨る。
街中ということでゆっくりと馬を歩かせて南の門を目指した。
途中で乗合馬車の乗り場の前を通りかかる。
中から腕組みをして出てきた男がブランドとフンボルトに目を留めた。
近寄ってくると馬上の2人を見上げる。
「ええと、旦那がた。路上でお声がけする非礼は御容赦ください。お二方はいずこかの衛士さまでいらっしゃいますか?」
「ああ、そうだが」
「ちょっとお願いごとがあるんですが、聞いてくださいませんか?」
ブランドは衛士であるが、あくまでトールハイムの町でのことであった。
原則的には他の町ではその職権を行使することはできず、そこでは見慣れない制服を着ただけの私人に過ぎない。
とはいえ、人は制服を着た人間には何らかの権威や権限を感じてしまうものである。
また、制服であることは認識しても、どこの何かということに細かいところには無頓着な人間も多かった。
そんななかで声をかけてきた男はブランドたちの身分を正確に認識している存在と言える。
そして本来の職務ではないと承知の上で頼み事をしていた。
ブランドはダグラスによる公金横領の再審理のため公務として出張した復路の途上である。
あとは帰任するだけとはいえ仕事中であり、また管轄外のことであるので、何も聞かずに通り過ぎるのが普通の反応と言えた。
ただ、声をかけられたのはブランドである。
「どうした? 困り事か?」
馬を止めただけでなく、するりと下馬した。
これまでも道を尋ねられたり、トラブルの仲裁を頼まれたり散々足留めをされていたフンボルトはまたかという顔をする。
「旦那がたも南に向かわれるんですよね? 実は2、3日前からこの先の街道に狼の群れが出ているんです。私は乗合馬車の運行責任者でして、本日の便と同道いただけると助かるんですが」
「そうか、それは大変だな」
早くも引き受けそうな勢いのブランドを見てフンボルトが渋い顔をした。
「この町の規模なら騎士団が常駐しているだろう。何をしているんだ?」
「それが戦支度で東の方に出陣してしまいまして。私も詳しいことは聞いていないのですが、なんでも反乱がどうとか」
あ。
これはオラストン伯の関係ではないか。
そのことに思い当たったフンボルトは口を挟み辛くなる。
「そうか……」
それだけ言うと会話の主導権をブランドに戻した。
当然のことながら、快く承諾してしまう。
「ありがとうございます。それじゃ、すぐにお客さんに知らせますんで、中でお待ちください」
聞けば今日の便が出なさそうというので宿にもどってしまった者がいるとのことだった。
男は部下らしき者たちを呼び寄せる。
一旦引き返したお客さんに馬車が出ることを報せるように命じるのだった。




