第40話 お誘い
話が終わるとイライザはブランドを伴って団長室を退出しようとする。
それをベアトリスは呼び止めた。
「ああ、ブランド隊長。ちょっと話があるので残ってくれないか。イライザ隊長。急に呼び出してすまなかった。ご苦労様」
こう言われるとイライザだけ先に出ざるをえない。
話の内容が気になって仕方なかったが、ドラマタを呼んだ。
「ドラマタ。おいで。ブランドの話が終わるまで一緒に待っていましょう」
ブランドがドラマタを掴んでイライザに引き渡す。
「いい子にしているんだぞ。あとで美味いものをやるから」
シャロンが隠れている場所を見つかることができたのは、ドラマタの功績と言っていい。
怪我の功名とはいえ、殊勲者であるのは間違いなかった。
実はドラマタがシャロンに反応したのは、薬草採取のときに知らずにマタタビの匂いがついていたためである。
シャロンの家まで送っていったイライザにもその香りが僅かに移っていた。
ドラマタは嬉しそうに体を擦りつける。
その様子を見て、ベアトリスは密かに嫉妬していた。
非論理的ではあるが、ドラマタが好意を示す割合が、ブランドとの親密さに比例しているのではないかと感じている。
明らかにドラマタはブランドの次にイライザに懐いていた。
心の中のもやもやしてものを追い払うようにベアトリスは明るい声を出す。
「疲れているところに呼び止めて済まない。だが、早めに伝えておきたいことがあってね」
合図をされたフランセーヌが持ってきた釣書をブランドに手渡した。
「ブランド隊長へ縁談だ。騎士団のオーギュスト分隊長からの依頼でね。立場上私が仲立ちを頼まれたというわけだ」
「ありがたい話だと思いますが、お断りしたいと思います」
ブランドは中身を見もせずに返事をする。
「さすがに相手の名も見ずに断るのはどうかと思うが」
「きっと私には過ぎたお話であることは間違いないないでしょう。釣書を拝見してから断れば、条件が合わなくて断ったことになります。それは逆に失礼ではないでしょうか」
「まあ、理屈としてはそうかもしれないな。では1つ聞くがどんな相手でも結婚する気はないということでいいかな」
「そういうことになろうかと思います」
ブランドはやや他人事のように答えた。
「そうか。客観的にみて非常に条件のいい話だと思ったのだがな。先方も残念がるだろう」
「申し訳ありません」
ブランドは頭を下げる。
「いや、別に謝ることではない」
ベアトリスは複雑な表情をした。
好条件の縁談にブランドが首を縦に振るのではないかというのは杞憂だったが、こうもきっぱりと否定されるのもそれはそれで困る。
オーギュストになんと伝えるかというのも悩ましい。
それに今後ベアトリスがブランドに求愛しても断られる可能性が高いということだった。
現実的には求愛までこぎ着けるには多くの課題をクリアする必要がある。
その努力をした挙げ句にぴしゃりと断られたらと考えると気持ちが萎えかけた。
いや、そんな程度の気持ちだったのかとベアトリスは気を取り直す。
ブランドが顔を上げた。
「他に御用はありませんか?」
「ああ。呼び止めて悪かった」
ブランドが出ていった扉を見つめてベアトリスはふうと息を吐く。
「人と人との縁は難しいものだな」
「中には法に触れてでも手に入れようとする者もいるんですけどね」
フランセーヌは迷ったが少し踏み込んだ発言をすることにした。
「ベアトリス様も少し強引なことをされる必要があるかもしれませんね」
「フランセーヌ、一体なんのことだ?」
「縁談をまとめるためにはってことです」
この発言の中には《《誰の》》という部分が省略されている。
表面的には衛士団長へ持ち込まれる話のことだと解釈するのが自然だった。
ただ、主従ともにベアトリスの縁談という意味だということは理解している。
「やるべきことは多いが今日は疲れた。ダブレオ氏の処遇について2、3書状をしたためたら、家に帰って休むことにしよう」
これ以上は会話を拒絶する気配を感じ取ってフランセーヌはいそいそとペンや便箋の用意をするのだった。
一方、ドラマタを引き取りに向かったブランドはイライザと一緒にたまり場を出る。
本当は出ずっぱりだった部下の慰労をしようと思っていたのだが既に帰宅した後だった。
「イライザ。急に呼び出して悪かったな」
「いいわよ。私じゃないとって頼りにされるのも悪い気はしないわ」
「そういえば、アマンダさんの店に行くという約束がまだだったな。急な話だがこれからどうだろう?」
ドラマタがピクリと耳を動かし可愛らしく鳴く。
まるで賛成と言っているようだった。
前回ご相伴に預かって、美味しいものが食べられる場所だというのを理解しているらしい。
心臓がドキンとしたイライザだったが、迷った様子をみせる。
「あ、今日は都合が悪かったか?」
「あの、そういうわけじゃないの。えーとね」
逡巡したが諦めたように口を開いた。
「えーとね。ブランド。ずっと仕事だったのは分かるの。それで仕方ないと思うんだけど、ちょっと先に浴場にいってきたほうがいいんじゃないかしら」
ブランドは顔を赤くし慌てて顔を腕に近づける。
「ひょっとすると臭うか? では、急いで浴場に行ってくる。すまないが先にアマンダさんの店に行っていてくれ。すぐに俺も後から行くから」
ドラマタをイライザに預けるとブランドは更衣室で着替えをひっつかみさっと駆けだした。
残されたイライザはクスリと笑う。
「あなたの飼い主は普段は身だしなみに無頓着ってわけでもないんだけどね。仕事に夢中になっちゃうとこういうこともあるのよね」
両手で持ち上げたドラマタに語りかけた。
個人的には嫌いな匂いじゃないんだけど。
さすがにこの部分は口には出さない。
「じゃあドラマタ、先に行っていよう」
素敵な笑みを浮かべるとイライザも歩き出した。
ブランドに誘われてとてもいい気分である。
忘れていたわけじゃなかったんだ。
思わず頬が緩む。
その幸せな気分をぶち壊す愚か者が姿を現した。
「ねえ、お姉さん、綺麗だね。1人?」
「俺らと一緒に飲まない?」
少し酒に酔っているように見える。
「なんだ貴様らは?」
「なんか威勢が良くていいねえ。俺、気の強い女が好きだよ」
「そんなに邪険にしなくてもいいじゃんか。本当は誘われるのを待っていたんだろ?」
どうやら旅人のようであった。
トールハイムの住民ならイライザにこんなふうに馴れ馴れしくはしない。
「邪魔だ。失せろ。さもなくば路上での秩序紊乱の科でしょっ引くぞ」
「おい、いい気になるなよ」
イライザは掴みかかってきた男の腕の下をかいくぐると体重の乗った前足をさっと払った。
ズデンと見事に倒れ伏す。
「くそっ」
もう1人がその様子を見て腰に下げた剣に手をかけた。




