第36話 不審者
外野があれこれと気を揉んでいる当人は何をしているかというと、とある裕福な商人の家の物盗りに関する捜査で忙しくしている。
事件の発端は数日前に巡回中の第8隊がその商人の家の塀を乗り越えようとしていた人影を発見したことだった。
誰何の声を発すると怪しい人物は慌てて塀の中へと消える。
「泥棒! まてえ!」
追いかけようとしたが塀は高くて外側からでは乗り越えられそうになかった。
見張りを残しつつ、第8隊の隊長は表に回って門番に門を開けさせる。
隊長ともう1名が門を固めつつ、数人の衛士団員が堀沿いに中へと駆け込んだ。
カンテラの明かりで周囲を照らしつつ、不審人物が隠れていないか捜索する。
応援を呼ぶ笛の音のせいか、屋敷の中が騒がしくなり、出てきた執事は迷惑そうな顔をしていた。
「こんな夜更けに何事ですか?」
「賊が屋敷の敷地内に逃げ込んだ。建物の中に入り込んでいるかもしれない」
「うちは番犬も飼っています。何かのお間違いでは?」
ちょうどそのとき、ガウガウという吠える声と驚きの声があがる。
「おわっ!」
執事はほらね、という顔をした。
「いや、間違いなく目撃したのだ。何かがあってからでは遅いぞ」
「いつも、戸締りはちゃんとしていますが、今一度確かめさせましょう」
執事の命令で一緒にいた雇人が散る。
しばらくして戻って来た者たちが口々にどこの扉も窓も固く閉まっていると報告した。
そこに、応援の衛士団が続々と到着する。
その中にはブランドもいた。
それまではトールハイムにある小規模な娼館のやり手婆の世間話の相手をしていたのだが、非常を知らせる呼子の音にこれ幸いと退散している。
ブランドの顔を見た第8隊長は安堵の表情を浮かべ、事情を説明してブランドにその場の指揮を引き継いだ。
この間に屋敷内の敷地はくまなく捜索されており、うるさく吠えていた番犬は庭師が大人しくさせている。
しかし、不思議なことに誰も見つからない。
執事はますます顔をしかめた。
「こう言ってはなんですが、見間違いだったのでは?」
「いや、間違いなく賊が塀の上から中へと飛び降りるのを目撃したのだ。見間違いなどではない」
間に入ったブランドが穏やかな声を出す。
「まあ、お騒がせしたのは確かだ。この場の責任者として主のダブレオ殿には私から説明しましょう」
執事が迷惑そうな顔をしているのは後で主から説明を求められてとばっちりで怒られるのを恐れているのだというのを察して助け舟を出したつもりだった。
執事はそれでもあまり気乗りしない様子である。
「うちの旦那様は夜は静かに過ごされたい方なんだ。そうじゃなくても多忙な時期でお疲れなんです。あまりお手を煩わせたくはないんですがね」
「そうだろうとも。あなたの立場は重々承知しているつもりだ。でも、なおのこと私が説明した方がダブレオ殿も納得されると思うがどうだろうか?」
ブランドは如才なく執事を懐柔した。
「まあ、確かに責任者に説明していただいた方がいいかもしれない。でも、旦那様は多くの方が屋敷内をうろうろするのも気に入らないでしょう」
「もちろん、私ともう1人だけだ。じゃあ、案内をお願いする」
執事は仕方ないというようにブランドともう1人を応接室に案内する。
誰かが知らせたのだろう、すぐにきちんとした格好のダブレオが入ってきた。
ダブレオはトールハイムに拠点を設けている大商人のうちの1人である。
本人自身はこの地出身ではなかった。
顎が張ったいかにも頑固そうな顔をしており、太い眉の下の目が鋭くブランドを凝視している。
ブランドは1歩進み出ると詫びを言った。
「夜分遅くにお騒がせして申し訳ない。ダブレオ殿のお屋敷の敷地に不審者が侵入するのを目撃しましてね。これも衛士団の仕事のうちです。ご不快でしょうがご協力ください」
「それで、その賊を捕らえたのですかな?」
「残念ながらまだ確保できておりません」
「ふむ。さして広いわけではなく隠れるところもない庭だ。それなのに見つからないのだとしたら答えは簡単だ。粗忽者の衛士が見間違えをしたのでしょう」
同行した第8隊長が抗議しようとするのをブランドは肩で制する。
「1人ならともかく、数人が一斉に幻覚を見るとは考えにくいですな」
「ならば、誰かがいたずらで幻影を見せる魔法を使ったのでしょう」
少し苛立ちを見せながらダブレオは自説を開陳した。
ブランドは小首を傾げるがすぐに元に戻し笑みを浮かべる。
「ふむ。なるほど。ダブレオ殿の意見ももっともですな。しかし、幻影魔法は存在は知られていますが実際に使える者は限られます。ましてや、これだけの人数を惑わすことができるほどの使い手ならほぼ特定できるでしょう。そんな大物がただのいたずらをするとも考えにくい。裏で何か大掛かりなことをしているのかもしれません。これは全力を挙げて捜査しなくては」
「あ、いや。確かにそうですな。そんな魔法を使える者は確かにこのトールハイムにはいないでしょう。やはり見間違いだと思うがね」
「まあ、ここは実際に誰かが居たと仮定して話をさせてください。その者はまだ敷地内、ひょっとすると建物内に潜んでいるかもしれないのです。これだけ立派なお屋敷であれば色々と高価なものもあるでしょう。確認しなくて大丈夫ですか?」
ダブレオはちらりと執事を見た。
「旦那様。戸締りを確認しましたが、窓も扉もどこも施錠されていました。誰も中には入っていないと思います」
「ということだよ。衛士団の諸君が仕事熱心なのは結構だが、やはり見間違いではないのかね」
「先ほども言ったとおり、その可能性は低いと思いますね。それに中から施錠されているというのは侵入者が居ないという証拠にはならないですよ」
ブランドは応接室の扉に近づくとつまみを捻ると振り返る。
「ほらね。鍵はかかっているが私は中に居ます」
「それでは、賊は既に建物の中に居るというのですか?」
「先ほどダブリオ殿が仰っていたように庭には隠れるところがほとんどない。一方でこの館はかなりの大きさだ。物置や倉庫で普段は人が立ち入らない場所もあるでしょう。館の中にいると考えるのが自然だと思いますが」
「それで家捜しをしたいということかね?」
「ぜひ、ご協力頂けると助かります」
ダブリオは額を押さえた。
「すまないが、今夜はちょっと気分が優れない。明日の朝、また出直してくれないだろうか」
「具合が悪いときに我々が館の中を騒がしくするのも気が引けますな。それでは出直しましょう」
ブランドはつまみを元に戻して扉を開ける。
「そうだ。最後に1つだけ。お休みのところ、わざわざ正装に着替えてお出でいただき恐縮です。敷地内と外は衛士団で固めていますので何かあったら声をおかけください」
第8隊長を招き寄せるとブランドは執事の案内で応接室を出るのだった。




