第35話 縁談
騎士団分隊長のオーギュストがベアトリスを訪問する。
これは異例のことだった。
一般的な認識では下位のものが上位のものを訪問するものだということになっている。
公式の職制においては衛士団と騎士団に上下関係はない。
あくまで分掌する内容が異なるだけである。
しかし、トールハイムに限らず世間一般においてはなんとなく騎士団の方が上という感覚があった。
組織としては同格だが、実際の構成員に騎士や貴族なのか平民主体なのかの違いがあるのが影響しているのかもしれない。
というわけで、ここ数年は騎士団の分隊長が衛士団の詰め所を訪問することはなかった。
ただ、有力貴族コローネ家出身のベアトリスが着任した時点ですぐにその慣習は改められるべき状況になっている。
現実にはベアトリスが騎士団を訪れてはいるが、これは着任の挨拶という別のプロトコールに従ったにすぎない。
それ以外の場合もベアトリスが足を運んでいるが、これは和解の打診という意味合いもある。
しかし、オーギュストが今までの慣習に胡座をかいていた面は否定できない。
今回は騎士団側からのお願いごとである。
オーギュストは今までのマナー違反の清算も兼ねてベアトリスを訪ねた。
これを目撃した衛士団員にざわざわとした波紋が広がる。
「オーギュスト殿がこの詰め所に?」
「一体何事だ?」
「大事件でも出来したのか?」
それだけのインパクトがある象徴的な出来事だった。
秘書役の騎士も連れず、オーギュストは従者を帯同しただけである。
出迎えたベアトリスは笑みを浮かべると応接用のソファに誘った。
「先日はなかなかに贅を尽くした結婚式でした。会場ではなかなかお話しもできなかったですわね」
「そうですな。新郎側と新婦側で分かれていましたからな。今日はちょっとお願いごとがあって参りました」
「あら。また、仲人役のお話かしら。イライザ隊長は辞退したと思いますけど」
「まあ、似たような話ですが、相手が違いまして。ブランド隊長に縁談をお持ちしました」
「……。あら、どこのどなたをご紹介されるのかしら」
ベアトリスの応答には一瞬の間がある。
後ろに控えるバッシュは単に意外な展開に驚いたのだろうと思った。
これがフランセーヌなら主の心情を慮って息を飲んだことだろう。
同年齢で脱衣室にも入るなど距離が近いフランセーヌはベアトリスの中でのブランドの扱いが変化していることに気付いていた。
副団長がイマイチ頼りなく業務上で第1隊長に相談することも多い。
全部に同席したわけではないが、何度か陪席した経験からベアトリスが心を動かされるのも無理はないなと思っていた。
なにしろブランドは褒めるのが上手い。
魔女の実一掃作戦のために特別予算を取ってくる件のときも大真面目な顔でベアトリスを賞賛する。
親のコネを使っただけじゃないかという見方もできた。
ベアトリスにも葛藤はある。
親の七光りという揶揄の声もあり、自分1人の力で解決したいという気持ちもあった。
それを飲み込んでトールハイムの町がどうあるべきかという観点で決断をしている。
人は頑張ったことを誰かに褒めてほしいものだ。
しかし、トップを褒めてくれる人はあまりいない。
それをブランドに微妙な匙加減で提供した。
しかも、それが単なるお追従ではないことは性格的に明らかである。
自己肯定感を満たされたベアトリスの気持ちが動くのは仕方ないとフランセーヌは観察していた。
そんなわけで、口外はしていないがブランドへの気持ちを抱え始めているベアトリスは縁談話に虚心ではいられない。
オーギュストは淡々と質問に回答する。
「サレーノ子爵家のシャーリーだ。この情報は団長とブランド殿だけに留めてほしいのだが、シャーリーは1人娘なので家を継げることが確定している。そういう意味で悪い話でもないと思うが」
話を聞いてベアトリスは事態の深刻さを悟った。
ベアトリスの実家は名の知れた侯爵家であり、家格からすればシャーリーのサレーノ家よりもかなり上である。
しかし、兄が2人もいてベアトリスが家を継げる可能性は低い。
フンボルトと似たような境遇だった。
もちろん、ベアトリスが嫁ぐ際にはかなりの持参金がもれなくついてくるはずである。
ただ、人にもよるだろうが子爵家の当主というのはそれ以上に魅力的なはずであった。
「そうですね。かなり良い条件でしょう。しかし、ブランド隊長は個人の能力、資質としては申し分ないですが身分的に釣り合いますか?」
「そこはベアトリス殿のご協力次第ですね」
「どういうことです?」
「ベアトリス殿の後任にブランド殿を推薦いただけるでしょうか? 次期衛士団長に指名されたタイミングで騎士階級に匹敵するとみなされます。それであれば身分的な問題はありますまい。本人の承諾をいただければまずは秘密裏に婚約し、団長指名の際にそれを発表、実際に結婚するのは衛士団長に就任後ということで考えております」
用意周到に考えられている縁談話である。
もともと、トールハイムの衛士団長にはブランドが就くべきなのだ。
それは町の住民のほぼ総意である。
ただ、本人が自分はその器ではないと固辞しているために実現できておらず空席となっていた。
実績と経験を積ませたいコローネ侯爵が娘のベアトリスをそのポストに押し込んだが任期はあくまで1年である。
このような場合は箔が付けばいいので、それより短い期間で転任する例も多かった。
オーギュストの考えでは、ベアトリスもずっと衛士団長を務めるつもりはないはずである。
コローネ家にとってみれば、転任後のトールハイムの衛士団長の座を誰が占めようが関心は薄いと思われた。
縁談を報酬にブランドに衛士団長になることを承諾させれば、町の人々が喜ぶこと間違いなしである。
さらにブランドに見合う高位の婚約者が発表されれば、話題はそのことで一色に染まることが容易に想像できた。
浮かれたカップルの愚行はすぐに忘れ去られるだろう。
シャーリーも密かに思いを寄せていた相手と一緒になれる。
誰もが皆ハッピーになれる素晴らしい縁談のはずだった。
ただベアトリスは個人的には首肯しがたい。
しかし、己の公的な立場に縛られている。
「そうだな。ブランド隊長なら私の後任に相応しいだろう。別にその点に異存はない」
本当は大声で却下と叫びたいのをぐっとこらえてベアトリスは請け合うしかなかった。




