第32話 黒幕
衛士団の官舎で独り悦に入って喜んでいる者がいる。
第2隊長のフンボルトだった。
実はリッチーがイライザの担当エリアに出現するようにしたのはこの男である。
リッチーが封じられた古い呪物を入手しベアトリスが共同作戦で回ることになっている担当地区に投棄していた。
その際に封印のシンボルを棄損しリッチーを解き放っている。
優秀な魔法使いのなれの果てという存在のリッチーは今は失われた強力な魔法を含めた魔法の使い手である。
接近して剣で倒すのはなかなかに大変だが、攻撃魔法、特に火炎系統の魔法がよく効いた。
近年において魔法はより早く発動させる方向で著しく進歩している。
魔法の撃ちあいならイライザに分があった。
それに同行者は痩せても枯れても騎士である。
万が一にも負ける心配は無かった。
予想通りイライザが活躍して騎士たちの賞賛を浴びる。
フンボルトにしてみれば計画通りというところだった。
それで手間をかけてこのような細工をしたのは、注目を浴びて求婚が殺到し、釣書の返事を書くのに困るだろうイライザに救いの手を差し伸べるためである。
イライザの美貌と活躍を目の当たりにし騎士たちが目の色を変えるのはごく自然なことであった。
ベアトリスに助力を頼んで借りを作りたくないと考えるだろうことも想定の範囲内である。
そうなったときに頼れる相手はフンボルトしかいない。
性格的に借りを作れば謝礼をせずにはいられないイライザである。
一杯奢ってほしい、ぐらいなら応じるという予測もあった。
そのまま1夜を共にできるとまでは考えていないが、大切な1歩である。
頼りになるという印象は与えることは確実だった。
イライザに熱をあげてしつこく迫る騎士が出るようなことがあれば、実家が男爵家のフンボルトが役に立てる場面もあるはずである。
目的のためには骨折りを厭わない男の面目躍如だった。
もし、騎士からの縁談を受けられたら最悪の結果になるのだが、その心配はしていない。
今までの確執を考えれば一朝一夕に騎士への印象が改まるものではなかった。
求婚されているのはイライザであるし、比較対象がブランドであった。
騎士の中にそれほどの男はいない。
仮にフンボルトと比べても勝っているとも思えなかった。
ただ、多くの人が求婚するほどの魅力があるということをイライザが認識するきっかけになるとは考えている。
今はブランドに首ったけだが、他にも目を向けるようになってくれれば儲けものであった。
高くそびえるブランドの次に光り輝くのは自分だという自信がフンボルトにはある。
比較対象が明確なので、ブランドが提供できないものを差し出せばよかった。
フンボルトの見るところ、イライザは幸せな家庭というものに憧れがある。
両親が揃っており家族団欒の中で育ちたかった。
そんな気持ちが、自分が享受できなかったものを我が子に与えたいという望みになっていると想像している。
ブランドが良き夫、良き父になるかは不明だが、そうなろうと志向しイライザに表明しているわけではない。
フンボルトは適切なタイミングで囁けばいいのだ。
イライザが欲しているだろうことを一緒に実現していこうと。
心の中に迷いを生じさせるのは確実である。
後はタイミングを見計らうだけだった。
そういう観点からするとベアトリスがブランドへの信頼を高めているのは良い傾向である。
このまま親密度が増していき2人が結婚ということになれば完璧だった。
着任時にもこうなることを想像したが、ベアトリスはだいぶブランドに傾倒しつつある。
主だった部下と昼食を共にして絆を深めるというのは大貴族の父のやり方を真似ただけだろう。
それでも相手にブランドを選んでいるわけだし、その行動にイライザとのデートが影響しなかったとは言い切れない。
人は他人のものが良く見えるし欲しくなるものだ。
コロンナ家に育ったベアトリスであれば欲しいと思って手に入らなかった経験などほとんどないだろう。
一方のブランドは両手に花状態になりつつあるわけだが、これについて何も反応していない。
少しぐらいは欲を出しても良さそうなものだが相変わらずだった。
こと恋愛面に関しては関心がないのかいつものキレの良さがまるでない。
周囲に聞いても今までに恋人らしき者がいたこともなければ、仕事以外で娼館やそれに類する施設に入ったこともないようである。
フンボルトもトールハイムの町においては出入りしていないが、他所の町ではこの限りでない。
年齢の差があるにしても同じ男であるブランドがどのようにして発散しているのかは謎だった。
血筋を大切にする名家の嫡男であれば分からなくはない。
しかし、ブランドは一平民である。
そこまで品行方正である必要はなかった。
潔癖そうなイライザに嫌悪感をいだかれないためという可能性はなくはなさそうだったが、その割には全くアプローチをしない。
フンボルトからすると行動がチグハグなのだった。
しかし、この宙ぶらりんの関係もフンボルトの策により変化が訪れるはずである。
ひとしきり哄笑したあと、フンボルトは姉の宿泊している宿を訪ねた。
1つ違いの姉は都の社交界で名が知られている。
美貌と機知に富んだ会話で貴族の子弟の間で人気が高かった。
そんなわけで釣書を送られてお断りの返事の書き方を聞くには最適の人間である。
「やあ、姉さん。今日は頼みがあるんだけど。縁談の断り状の書き方のコツを教えてもらえる?」
事情を聞くと、ふーんという表情をした。
まじまじとフンボルトの顔を見る
「あんたがそれほど入れあげる女が居るんだ。まずはどんな相手か会わせなさいよ」
「絶対余計なことを言うだろ?」
「そんなことはしないわよ」
「紹介は勘弁してくれ。物陰からこっそり見るんでいいだろ?」
路上でイライザを見たフンボルトの姉は俄然やる気になった。
「我が弟ながらいい趣味してるわ。いいわよ。あんたが良い格好できるように協力してあげる」
一晩かけて詳細な指南書を書き上げる。
「なんなら、一緒に文案を練ってあげてもいいって伝えて」
「ああ、分かった。姉さん、助かったよ」
「家に帰ったら家族のみんなにも伝えておくわね」
「本気でやめてくれ」
気色ばむ姿を見てフンボルトの姉は高笑いをした。
指南書をイライザに渡すと非常に感謝される。
「お姉さまとあなたに」
フンボルトはトールハイムで名の知れた店の焼き菓子を返礼品として貰った。
かなり値の張る物で渡された姉も喜ぶ。
フンボルト自身はエールの1杯も奢って貰える方が良かったんだが、とちょっと残念だった。




