第101話 殺し屋
「お嬢様!」
細剣を抜いたフランセーヌが女の子に斬りつけた。
ちっ。
舌打ちをした女の子、実はベアトリスの殺しを請け負ったプロの殺し屋はバックステップをしてかわす。
本来ならスティレットで反撃を加えているはずだった。
しかし、その肝心な武器は刃を握ったブランドによって微動だにせず、やむを得ずにスティレットを手放している。
まったく忌々しい衛士だった。
事前に雇い主から警告は受けていたし観察の結果、それなりの手練れだとは把握している。
それでもこの殺し屋は絶対の自信があった。
それは虫も殺さぬ少女に見える容貌で花売りをすればターゲットに無理なく接近できるからである。
相手は花束に隠されたスティレットが急所に刺ささって初めて気づくのが通例だった。
ベアトリスを襲った殺し屋は既に2桁の実績を持つプロである。
ギークを狙ったならず者とは腕も覚悟も違った。
それなのにブランドが反応できたのには理由がある。
トールハイムで花売りをして家計を助けている子供をこの糸目の隊長はすべて把握していた。
トマスとミリーの姿を目撃して気が逸れていたが見たことのない子供が花売りをしていることに違和感が働いている。
ただ、反応しようとしたものの今日は任務中のために制式の長剣を腰にさげていた。
この間合いでは抜くことすらままならない。
とっさの判断で身を投げ出してベアトリスの代わりに刃を受けていた。
「やっちまえ!」
ばらばらと第1隊に向かって男たちが駆け寄ってくる。
殺し屋はニヤリと笑った。
万が一、初撃で打ち損じても依頼人が一斉に攻撃をしかけてくる手はずになっている。
両手を背中に回して服の中に突っ込み張り付けてあった五指剣を両手に握った。
幅広い三角の形状の短剣である五指剣は殺し屋の得意武器であり、近接状態での乱戦に向いている。
「ブランド!」
悲痛な叫びをあげるターゲットはまだ剣も抜いていない。
大柄な衛士の肩にいた白猫がなぜかその前で全身の毛を逆立てているが障害ではなかった。
糸目の男の腹には深くスティレットが刺さっているので素早くは動けないはずである。
細剣を抜いた従卒を倒せばターゲットの喉を掻ききるのは容易なはずだった。
左手の五指剣で細剣を払い、右手を従卒の胸に突き出す。
もらった。
そう思った右手の手首をがっちりと掴まれている。
その手は血にまみれていた。
は?
虚を突かれて動きを止めた瞬間に左手の手首も掴まれている。
「危ないから子供は刃物を振り回してはダメじゃないか」
優しいともいえる声が上から降ってくる。
ブランドが殺し屋の両手首をしっかり掴みながらじっと見つめていた。
ブランドが長剣を抜かなかったのにはもう2つ理由がある。
衛士の仕事は敵を倒すことではなく、町の人を守り犯罪者を捕まえることだった。
斬るという選択肢はよほどのことがなければ選択肢には入ってこない。
そして、相手の見た目が子供だったことも強く影響している。
世の中には不運な生い立ちにより、犯罪行為に手を染めさせられる子供がいることも知っていた。
トールハイムで子供たちに積極的に関わっているのもそういう芽を早めに摘むためでもある。
実際には殺し屋は魔法を使って見た目を変えている小柄な女性であった。
しかし、周囲には少女としか見えていない。
そんな不幸な境遇の女の子を犯罪行為から足を洗わせ更生させるのは大事な仕事と考えているのがブランドだった。
腹に刺さったままのスティレットのことはこの瞬間忘れている。
「放せ。この化け物め」
殺し屋は叫んで体術を駆使し身をよじるが全く無駄だった。
「いい子だから刃物を離しなさい」
ブランドの説得は続く。
殺し屋はまぶたの間の細い隙間に光る眼を見つめると恐怖を感じた。
言いつけに従わないと永遠にこのままになってしまうのではないかという荒唐無稽な想像をする。
「う……」
「おじさんに任せなさい。君は悪い子じゃない。悪い大人に騙されているだけだ」
「いや、私は……」
「何も怖くないよ」
お前がこええよ。
そういえば依頼者たちはどうしたのかと殺し屋は周囲を見回す。
ブランドを除く衛士たちは剣の腕前はそれほどでもないということは確認済みであった。
依頼者たちはオラストン伯爵配下の元騎士たちである。
不意を突いた形であり、難なく制圧できているはずだった。
その依頼者たちは醜態をさらしている。
数名はそこここに火傷を負っており、別の者たちは両手で耳を覆って蹲っていた。
殺し屋は知らなかったが、前者はイライザ、後者はシャーリーの仕業である。
ブランドといそいそと巡回に出ているベアトリスをイライザもシャーリーも快くは思っていなかった。
2人の主観的には早くも夫婦気取りをしているという印象を受けている。
そのため、さりげなく第1隊をつけていたのだった。
そこに起きた変事である。
手をこまねいている2人ではなかった。
直後に突っ込んできた連中は怒りに燃える魔法使いをも相手にしなければならないという不幸にみまわれる。
呆然自失から回復したベアトリスの指揮のもと襲撃者たちは次々と捕縛されていった。
その間もブランドによる説得は続いている。
「おじさんはブランドと言うんだ。君の名前を教えてくれるかな?」
催眠術にかかったように殺し屋は自分の名を名乗る。
「私はミリム」
「そうか。ミリムか。いい名前だ。もう、こういう危ないことをしなくてもいいんだよ。ミリムを脅す悪い奴はおじさんがやっつけてやる。だから、ナイフを離しなさい」
ミリムは完全に作戦が失敗したのを悟った。
いつの間にか2人の魔法使いも近くにやってきていて自分のことを厳しい目で睨んでいる。
ターゲットも冷ややかな目をミリムに向けていた。
衛士たちの包囲の輪が縮まり、さらに応援の衛士や騎士がどんどん駆けつけてくる。
ミリムは両手の力を緩めた。
五指剣が滑り落ちて石畳にぶつかり大きな音を立てる。
ブランドは笑みを作った。
「偉いぞ。ミリム」
こうなったら自分のことを子供だと誤解したままの衛士を上手く利用するしかない。
そう判断したミリムはしゃくりあげ鳴き始める。
「えーん。怖かったよう」
「ああ。もう心配はいらないからな」
「ねえ、ブランド。ひょっとしてもしかしたら本気の本気で子供だと思ってる?」
イライザの呆れた声が響いた。
「ん? なんのことだ?」
ため息をついたイライザはシャーリーの方を見る。
「お願いしてもいいかしら。説明してもいいんだけど長くなりそうだし」
「分かりました」
シャーリーは詠唱を始めるとミリムの変装の魔法を剥ぎ取った。




