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第29章

月森つきもりにて――


村中を警備の者たちが駆け回り、残された村人たちの世話や、軽傷の手当てに追われていた。


「ありがとうございます、おじさん」と、幼い少年が感謝の言葉を口にする。


ヒロは小さく微笑んで頷いた。「その足、ちゃんとお大事にな」


「うん!」と少年は力強く頷くと、両親のもとへと駆け寄った。両親は彼を両手を広げて迎え入れ、その傍らには二人の侍が彼らを守るように立っていた。


ヒロはその心温まる再会を柔らかな笑みを浮かべて見守っていたが、やがて視線を足元の地面へと落とした。


「ヒロ」と、優しい声が彼を呼ぶ。


振り返ると、アヤカがこちらへ歩み寄ってきていた。


「アヤカ」と静かに声を返したが、彼の視線は再び足元の土へと戻ってしまう。


彼の表情に漂う重苦しさに気づいたアヤカは、彼の隣に歩み寄ると、そっとその前腕に手を置き、安心させるように優しく握った。


彼女の温もりに心が落ち着きを取り戻し、ヒロは顔を上げると、彼女の優しい微笑みに同じような笑みで応えた。


「タケ!」


必死な叫び声に、二人はそちらへと視線を向けた。


そこには、額に包帯を巻いたハヤテの姿があった。彼は、わらを編んで作った担架の上で意識を失っている人物の傍らに膝をついていた。


「頼む、目を覚ましてくれ! 死なないでくれよ!」ハヤテの頬を涙が伝い落ちる。「タケ!」


担架の上のタケは微動だにせず、目は閉じられたままだ。その腕や上半身には、新しい包帯が巻かれていた。


「お願いだ!」ハヤテはタケの足元に崩れ落ちるようにして叫んだ。「俺を置いていかないでくれ! ……誰が俺の背中を守ってくれるんだ? 誰が俺のくだらない冗談や話を聞いてくれるんだよ?」


ハヤテは嗚咽を漏らし続け、自分の下で起きたわずかな動きには全く気づいていなかった。


タケのまぶたが、ゆっくりと持ち上がった。


彼は小さく呻き声を漏らしながら、こう呟いた。「ハヤテ……このバカ……」


「えっ?」ハヤテは信じられないといった様子で、勢いよく顔を上げた。


タケはゆっくりと身を起こし、疲れ切った、しかしどこか呆れたような視線をハヤテに向けた。


「まだ死体扱いすんなよ。俺は死んでねえんだから」


「タケ!」ハヤテは彼に飛びつき、骨がきしむほどの力で抱きしめた。新たな涙がその顔を伝う。「生きてたんだな!」


「当たり前だろ、このバカ!」タケは驚いて目を見開き、必死になってハヤテを引き剥がそうとした。「痛えよ! 離れろ!」


「よかった……本当によかった、タケが無事で!」ハヤテは鼻をすすりながら、肩を激しく震わせて抱きしめる力を強めた。「もうダメかと思ったんだ! 二度とあんな怖い思いをさせるなよ! お前が俺を突き飛ばしてあの攻撃を受けたのは分かってるけど、絶対に死ぬなよ! お前は俺の親友なんだからな!」


タケの強張っていた肩の力が、次第に抜けていった。彼の瞳は穏やかさを帯び、ふと横の方へと向けられた。


「……馬鹿野郎」

彼はそう呟きながら、気恥ずかしげにハヤテの頭を撫でた。頬にはうっすらと赤みが差している。


「お前が無事で、本当によかったよ」


アヤカとヒロは互いに温かな笑みを向け合った。その表情には、安堵の色がはっきりと浮かんでいる。


「親友、か……」

ヒロは視線を足元に落としながら呟いた。到着した際にジンが口にした言葉が、脳裏に蘇る。


『それに、こいつは俺の親友なんだ!』


次から次へと記憶が溢れ出してくる。


子供の頃の、初めての出会い。ジンの明るく屈託のない笑顔。おどけた仕草。揺るぎない優しさ。数え切れないほどの冗談、笑い声、軽口の応酬……。


ヒロにとって、親友との何気ない日々のすべてが大切なものだった。


記憶がゆっくりと遠のくにつれ、目頭が熱くなる。彼は静かに拳を握りしめた。


「ヒロ……」

アヤカが優しく声をかけた。彼の表情の変化に、すぐに気づいたのだ。


「アヤカ」

ヒロは彼女の方を向いた。その紅い瞳には、潤みを帯びながらも確固たる決意が宿っている。「俺は……」


言葉を続ける前に、アヤカが微笑んだ。


すべてを理解しているような、温かな笑みだった。


「うん」と彼女は静かに言った。「わかってるよ」


ヒロには、それだけで十分だった。彼の顔に、安堵の笑みが浮かぶ。


村の門へと向かおうと身を翻した、その時――


「待ちなさい、ヒロ」

シンジの声が二人を呼び止めた。


長老は杖を静かに地面につきながら、落ち着いた足取りで近づいてくる。


月代つきしろ長老……お願いです」ヒロは懇願した。「ジンが俺に残れと言ったのはわかっていますが……」


ヒロは再び拳を握りしめた。「ジンたちを放っておくわけにはいかない。助けに行かなきゃ」


「私も行く」迷いのない決意を胸に、アヤカはヒロの隣へと歩み寄り、きっぱりと言い放った。


「クロツキは、ジンたちだけで立ち向かえる相手じゃない」ヒロは続けた。「だから――」


「少し落ち着いたらどうだ?」シンジは面白がるような笑みを浮かべ、言葉を遮った。「二人を止めるなんて、一言も言ってないだろう」


「え?」ヒロとアヤカは揃って目を丸くした。


「本当はこう言おうと思ってたんだ」シンジは温かな笑みを浮かべた。「俺も一緒に行くよ」


控えめだが、心からの笑い声が漏れた。「なにしろ、あの馬鹿な孫を助けなきゃならんからな」


月代つきしろ様……」ヒロは息を漏らした。その深紅の瞳には感謝の色が浮かび、口元には小さな笑みが広がっていた。


やがて、シンジの表情に思案の色が混じり始めた。


「だが……」彼はわずかに眉を寄せた。「どうやって奴らを追う? もうかなり先に行っちまっているはずだ」


ワンッ!


鋭い鳴き声に、三人の視線が一斉に向けられた。


振り返ると、ボルトが尻尾を振りながら、舌を出して軽快にこちらへ駆け寄ってくるところだった。数歩手前で立ち止まると、ボルトは自信ありげに再び吠えた。


「ボルト!」ヒロは声を弾ませ、顔をほころばせた。


ハッとしたように、彼の瞳が輝く。「そうか……犬なら匂いを追える」


まるで言葉を理解したかのように、ボルトは鼻先を地面に近づけて熱心に匂いを嗅ぐと、数歩先へと駆け出した。


そして振り返り、ついてくるよう促すように再び吠えた。


アヤカ、ヒロ、そしてシンジは、互いに決意を込めて頷き合った。


「行こう」ヒロが言った。


…………………


金属が打ち合う音が響き渡り、その規則的な残響が「黒月くろつき」のアジトの奥深くに隠された密室を満たしていた。


その部屋は、まるで鍛冶場のようだった。


真っ赤な炎を上げる炉が、部屋を重苦しい熱気で満たしている。石壁にはつちや火箸、たがね、そして未完成の刀身が並び、空気中には溶けた鋼の匂いが色濃く漂っていた。


金床の前に立っていたのは、イズミだった。


彼女は疲れたように息を吐き、袖口で額の汗を拭った。その視線は、作業台の上に置かれた刀身へとゆっくりと向けられる。


『火のひのつばさ』。


炎の明かりに照らされてもなお、その伝説の刀は美しく輝いていた。彼女が構造を調整していたなかごのあたりには、淡い紅色の文様が揺らめいている。


感嘆の念など、そこにはなかった。ただ、罪悪感だけが彼女の胸を占めていた。


「おじい様は激怒するだろうな……」 彼女の唇に、力なく苦笑が浮かぶ。「私が守ろうとしている人々に向けられるかもしれない刀を、こうして調整しているなんて」


彼女の手がゆっくりと握りしめられる。いや……「かもしれない」ではない。あれは月守つきもりを守るための武器だったはずだ。清貞きよさだの一族に託された武器。それなのに、私はそれを奪った連中に手を貸している。


胸が痛いほど締め付けられる。「まるで……裏切り者みたいだ」


磨き上げられた鋼の表面に、震える自分の姿が映り込んでいた。涙で視界が滲む。


「ごめんなさい……」 謝罪の言葉が、反射的に口をついて出た。「本当にごめんなさい、おじい様……」


カサリ。


微かな音が静寂を破った。


イズミは弾かれたように、近くの作業台へと顔を向けた。その上に置かれていた道具が、ごくわずかに音を立てて揺れていた。


「誰かいる……」


心臓の鼓動が早まる。彼女は慎重に、小さな鍛冶槌へと手を伸ばした。その柄を握る両手が震えていた。


「だ、誰?」


静寂。


暖炉の薪が爆ぜる音だけが返ってきた。


イズミは唾を飲み込んだ。


「……誰かいるの?」慎重に一歩踏み出しながら、もう一度尋ねる。


また、かすかな物音。


そして――


「キュッ!」


道具の山陰から、小さな白いネズミが飛び出してきた。


イズミは動きを止めた。「……ギズモ?」


指から木槌が滑り落ちた。


カラン!


「ギズモ!」


彼女の顔に、瞬時に安堵の色が広がった。小さなネズミは彼女に向かって駆け寄ると、軽々と服をよじ登り、肩の上に落ち着いた。


彼は愛おしげに、その小さな頭を彼女の頬にすり寄せた。


様々なことがあったにもかかわらず、イズミは思わずふっと笑みをこぼした。


「信じられない……」彼女は指先で優しくギズモの頭を撫でた。「会えて本当に嬉しいわ」


「キュッ!」ギズモは誇らしげに鳴いた。


イズミは瞬きをした。「……待って」彼を見つめる。「ここまでついてきたの?」


ネズミは勢いよく頷いた。「キュッ!」


イズミの顔に、合点がいったという表情が浮かんだ。襲撃の後、姿を見かけなかったのはそういうわけだったのか。村から逃げ出すとき、クロツキのマントのどこかに隠れていたに違いない。


彼女の笑みが深まった。


「あの『荒野』をずっと抜けてきたのね……」


ギズモは誇らしげに小さな胸を張った。イズミは思わずくすりと笑った。


「本当に信じられない子ね」


だが、その笑みはすぐに消えた。彼女の表情が真剣なものに変わる。


「ここまで来られたってことは……」彼女は洞窟の入り口の方に目を向けた。「……ツキモリへの帰り道も覚えているのね」


ギズモは首をかしげた。「キュッ?」


イズミは慎重に彼を両手にすくい上げた。彼女の声には、確固たる響きが宿っていた。


「ギズモ……あなたに頼みたいことがあるの」


小さなネズミは、すぐに身を乗り出して耳を傾けた。


彼女はゆっくりと息を吸い込んだ。「アヤネ、リクヤ、そして私は捕らえられているの。彼らは私たちがどこにいるか知らないわ」


彼女の手が、ほんの少しだけ彼を強く握りしめた。「もしみんなが私たちを探してくれていたとしても……自分たちだけでこの場所を見つけるのは無理よ」


彼女はギズモの小さな瞳をまっすぐに見つめた。「だから、ツキモリに戻ってほしいの」


一瞬の沈黙。「そして、みんなをここへ案内して」


一瞬、ギズモはただ彼女を見つめていた。やがて、その小さな顔に決意の色が浮かんだ。


「キュッ!」彼は力強く頷いた。


イズミの顔に、ふわりと小さな笑みが戻った。「あなたなら、きっとやってくれると思ってたわ」


彼女は手早く作業台を探し、羊皮紙の切れ端と小さなインク瓶を見つけ出した。


急いで短い伝言を書き留めると、紙を小さく折りたたんだ。


そして、エプロンのポケットから小さな革製の鞄を取り出した。


「おじい様が伝書動物用にいつもこれを作っておいてくれてよかった……」


彼女は慎重にメモを鞄に収めると、ギズモの体にしっかりと装着させた。


優しくベルトを調整する。「よし」彼女は温かい笑みを浮かべた。「これで、もし何かあっても、彼らは私たちがどこにいるか正確にわかるわ」


ギズモは意気揚々と鳴き声を上げた。イズミは彼をそっと石の床に下ろした。


「行って」彼女の瞳が優しく和らいだ。「気をつけてね」


「キュッ!」


迷うことなく、ギズモは作業場から飛び出し、クロツキのアジトの薄暗い廊下へと消えていった。


イズミは、彼が角を曲がって見えなくなるまでその姿を目で追った。


「……無事に届いて」


彼女のささやきのような祈りが、鍛冶場に静かに響いた。


ギズモは薄暗い廊下を駆け抜けた。冷たい石の床を打つ彼の小さな足音は、ほとんど聞こえないほどだった。


時折、彼は立ち止まって身を潜めた。


クロツキの衛兵たちが通り過ぎていく。小さなネズミは、彼らが角を曲がって見えなくなるまで、垂れ下がった布の下に身を平たくして隠れていた。


そうしてようやく、彼は再び走り出した。


左へ。右へ。そしてまた別の廊下。


外の空気の匂いが強くなってきた。


あと少しだ……。


彼の耳がぴくりと動いた。


人の声だ。


前方の広間には「黒月くろつき」の構成員が数人集まって談笑しており、入り口付近では別の者たちが番をしていた。


ギズモの小さな目が素早く周囲を見回す。


多すぎる。


正面突破は無理だ。


「キュッ……」


彼の視線が上を向く。天井を渡る木製のはりから、太い支えのロープが垂れ下がっていた。


驚くべき身軽さで、ギズモは近くの木箱を駆け上がり、ロープへと飛び移った。


上方の影に身を潜めながら、慎重に進んでいく。


あと少し……。


その時――


「キャアアアッ!!」


耳をつんざくような悲鳴が広間に響き渡った。


全員の視線が一斉に向けられる。


「ネズミよッ!!」若い女性の構成員が恐怖に凍りつき、震えながら天井を指さした。


「あ、あそこにいる!」彼女の剣が鞘から躍り出る。「あっちへ行って! あっちへ!」


彼女がむやみに刃を振り回すと、深紅と黒が混じり合った炎の軌跡が四方八方へと弾け飛んだ。


「キュッ!」ギズモは鋭く鳴き、炎がロープを飲み込む寸前で飛び退いた。


爆風でロープの一部が断ち切られ、残った部分が空中で激しく暴れた。


ネズミは別の梁の上に着地した。


女はさらに大きな悲鳴を上げた。「こっちに来るわ!」


「来てないぞ」と別の構成員が叫ぶ。


「来てるわよ!」


「お前の頭上、二十フィート(約六メートル)も上だ!」


「そんなの関係ないわ! 何とかしてよ!」


彼女は即座に、隣に立っていた男の腕の中へと飛び込んだ。


突然の重みに、男はよろめきながら後ずさる。「お、おい!」


「突っ立ってないで! こ、殺してよ!」


一方、鍛冶場の中では……。


イズミが目を見開いた。「……ギズモ?」


騒ぎの音が部屋に響き渡る。彼女は迷うことなく、入り口に向かって駆け出した。


「おい!」


入り口に立っていた二人の衛兵が、即座に彼女の行く手を阻んだ。


「中に戻れ!」


イズミは彼らを無視した。二人が反応するよりも早く、その間をすり抜けて駆け出した。


「待て!」


「戻れって言ってるだろ!」


背後で激しい足音が響く。


心臓が早鐘を打つ。お願い……無事でいて……


彼女は大広間に飛び込んだ。その光景に、彼女は立ち尽くした。


怯えきった「黒月クロツキ」の女は、まだ必死の形相で仲間にしがみついていた。


ギズモは頭上のはりにしがみつき、必死に別の逃げ道を探していた。


イズミの胸に希望の灯がともる。彼はまだ生きている……


その時――聞き覚えのある溜息が広間に響いた。


「……まったく」


部屋中が静まり返った。一人の男が前に出る。


カゲオだ。


彼は気だるげに両手をポケットに突っ込んだまま、小さなネズミを見上げた。


「これだけの騒ぎを起こして……」彼は面白がるように小さく笑った。「……たかがこんな小さなものごときで」


怯えた女が即座に上を指差す。「カゲオ! あそこにいるわ!」


「気づいてるよ」彼は全く興味なさげな様子だった。その深紅の瞳がギズモを捉える。「みんながパニックになってたのは、こいつのことか」


彼は不敵な笑みを浮かべた。「もっと危険な代物かと思ってたんだがな」


イズミは息を呑んだ。「やめて……」


カゲオがゆっくりと剣の柄に手をかける。鋼が擦れる金属音が広間に響き渡った。


ギズモは即座に危険を察知した。


彼は梁の上を駆け抜ける。壁の上部にある開口部までは、あとわずか数フィートだ。


あと少し……


カゲオが何気ない動作で剣を振るう。深紅と黒が混じり合った炎の三日月が空を切り裂いた。


ゴウッ!


その一撃は梁を鮮やかに両断した。木片が爆発するように飛び散る。


「キュッ!」


ギズモは辛うじて最初の一撃をかわし、開口部に向かって身を躍らせた。


月明かりに浮かぶ小さな影。彼は逃げ切れるはずだった。


カゲオの笑みが深くなる。手首を軽くひねるだけで……二撃目が放たれた。


より速く。より鋭く。


シュッ!


深紅と黒の炎が、空中のギズモを直撃した。


「キュウッ!!」


彼の小さな鳴き声が、広間に響き渡った。その衝撃で、彼は開口部から弾き飛ばされ、その先の闇へと放り出された。


「……嫌っ……」イズミの口から、かろうじてそんな声が漏れた。


その瞬間――


「ギズモッ!!」


彼女の悲鳴が隠れ家に響き渡った。彼女はよろめきながら前へ進み、必死にその開口部へと手を伸ばした。


だが、そこには何もない。ただ夜の闇が広がっているだけだった。


彼女の膝が石の床に打ち付けられた。たちまち涙で視界が滲む。


「嘘でしょ……」彼女は激しく首を振った。「嘘……嘘よ……」


冷たい石に触れた彼女の手が震えていた。


私のせいだ……。彼女の息遣いが乱れる。別の方法を見つけるべきだった……自分で彼を外に連れ出すべきだった……私は……


彼女はぎゅっと目を閉じた。新たな涙が床にこぼれ落ちる。


ごめんね……ギズモ……本当にごめん……


ゆっくりとした溜息が広間に響いた。カゲオは剣を下ろし、静かに鞘へと収めた。


カチリ。


彼は、膝をつく少女の方へ視線を向け、どこか面白がるような笑みを浮かべた。


「なるほどな……」彼の深紅の瞳が、わずかに細められる。「俺の読み通りだった」


イズミはゆっくりと、涙に濡れた顔を上げた。


カゲオは両手をポケットに突っ込んだまま、彼女の方へと歩み寄る。


「あの小さなネズミは、お前の連れだったわけだ」彼は数歩手前で足を止めた。「見覚えがあると思ったんだ」


彼は小さく笑い声を漏らした。「月森つきもりで……」その瞳に、相手を思い出した光が宿る。「お前の仲間と一緒に走り回っていたな」


口元の笑みが深くなる。「認めよう……感心したよ。気づかれることなく、荒野を抜けてここまでついてくるとはな」


彼は首を傾げた。「実に忠実な小動物だ」


その表情は変わらない。「……残念ながら。選ぶ側を間違えたようだがな」


イズミの中で、何かがぷつりと切れた。


「あんた……」


彼女はゆっくりと立ち上がった。全身が震えている。


恐怖からではない。怒りからだ。


「あんた……」


誰も反応する間もなく、彼女は飛びかかった。


「この……化け物!!」


彼女の叫びが広間に響き渡る。


二人の衛兵が即座に立ちはだかった。彼らは、彼女がカゲオに届く前にその両腕を掴み上げた。


「離して!」イズミは激しく抵抗した。「後悔することになるわよ!」


衛兵たちは掴む力を強めた。


カゲオは微動だにしなかった。それどころか……ただ眺めていた。まるで退屈そうに。


「ボルトを傷つけたわね……」イズミの声が震えた。彼女の目は涙で熱く燃えていた。「そして今、ギズモは……」


小さなネズミが打ち据えられる光景が、彼女の脳裏をよぎった。新たな涙が頬を伝い落ちる。


「あの子たちが、一体何をしたっていうの!?」彼女の息遣いが荒くなる。「誰にも危害なんて加えてない! 無実なのよ!」


衛兵に押さえつけられたまま、彼女は無力に拳を握りしめる。「どうしてこんなことができるの!?」


カゲオはため息をついた。「やれやれ、厄介な娘だ」


彼は彼女のすぐ目の前に立つまで歩み寄った。二人の間には、ほんのわずかな距離しかなかった。


彼の深紅の瞳が、彼女の瞳と交差する。


冷徹。虚無。感情の欠落した瞳。


「知っているか……」彼は静かに言った。「……お前と俺の、何が違うのかを」


イズミは彼を睨みつけた。


カゲオは自らの問いに答える。「お前は『命』を見る。俺は『障害』を見る」


彼の視線は揺るがない。「あのネズミか」彼は肩をすくめる。「逃げようとしていた。だから排除した。ただそれだけのことだ」


イズミは息を呑んだ。その声に滲むあまりの無関心さが、怒りなどよりも遥かに彼女を凍りつかせた。


カゲオがわずかに身を乗り出す。「もし同情を求めているなら……」彼の唇に、かすかな笑みが浮かぶ。「……来る場所を間違えているぞ」


彼の瞳が鋭さを帯びる。「さあ」彼は鍛冶場の方へ視線をやった。「仕事に戻れ」


イズミは動かずにいた。


「言ったはずだ……」彼の声が低くなる。「……鍛冶場へ戻れ、と」


彼女は動かない。カゲオの笑みが消えた。


「燃やすものなら、他にもいくらでもある」


イズミは凍りついた。「……何ですって?」


彼は落ち着いた様子で彼女を見つめた。「茶髪の娘。アヤネだ」


視線を動かす。「それとも……あの少年か。リクヤ」再び笑みを浮かべる。「どちらがより大きな悲鳴を上げるだろうな」


イズミの顔から血の気が引いた。息が詰まる。


いや……抵抗する気力さえ失せていた。


看守たちがそれに気づく。彼女はゆっくりと項垂れた。


「……やはりな」カゲオは一歩後ずさった。「よろしい」


彼は背を向けた。「少なくとも一人の人質は、自分の立場をわきまえているようだ」


気だるげに手を振る。「連れ戻せ」


「御意」


看守たちはイズミを鍛冶場へと連行し始めた。


彼女は抵抗しなかった。できなかったのだ。もう、どうすることもできないと悟っていたから。


彼らの姿が廊下の奥へと消えていくと、カゲオはギズモが消え去った開口部の方へちらりと目をやった。


「……しぶとい奴め」独りごちる。


立ち去ろうとしたとき、彼の視線は、先ほど騒ぎを起こした「黒月」の女性メンバーへと向けられた。


彼女は即座に身を強張らせた。彼に見られていると気づき、顔を真っ赤に染める。


何も言わず、彼女は慌ててパートナーの腕から抜け出し、何事もなかったかのようにマントの皺を伸ばした。


「そ、そんな目で見ないでよ!」彼女は目を合わせまいとしながら、どもるように言った。「こ、怖がってたわけじゃないんだから……ただ、あの気味の悪い小動物を……警戒してただけよ!」


カゲオは無言のまま、しばらく彼女を見つめた。


そして、何とも言えない響きで「ふん」と鼻を鳴らす。


そのたった一言に込められた不信感に、彼女はその場ですくみ上がった。


それ以上何も言わず、彼は彼女の横を通り過ぎていく。彼女がしがみついていた男が、片方の眉を上げた。


「『警戒してた』にしては」男はニヤリと笑って言った。「コアラみたいに俺にしがみついてたけどな」


彼女は勢いよく彼の方を向いた。「してないわよ!」


「いや、間違いなくしてたぞ」


「してないって言ってるでしょ!」


「首を絞め殺されるかと思った」


「そんなことしてないわ!」


「息ができててラッキーだったよ」


「もう、本当に最低!」


カゲオが立ち去る中、二人は言い合いを続け、その声は次第に遠ざかっていった。彼はただ溜息をついた。「馬鹿どもめ」


逃げようとしていたあの鼠の姿が、一瞬脳裏をよぎった。


彼の足取りが緩む。


……待てよ。彼は眉をひそめた。もし、ここまでやって来たのだとしたら……。思考がつながり始める。あれはただ彷徨っていたわけではない。目的があったのだ。


彼は歩みを止めた。「……何の目的だ?」深紅の瞳が細められた。


あの清定きよさだの娘は必死の形相だった。あの「ネズミ」を外へ逃がすという危険を冒してまで。なぜだ?


沈黙。


やがて――


「チッ」と彼は舌打ちをした。「考えすぎか」


再び歩き出す。「あの炎なら、跡形もなく焼き尽くされていただろう」


石造りの廊下に足音が響く。「直撃を食らって生き残れるものなどない」


振り返りもせず、影男かげおは闇の中へと消えていった。


................


隠れ家の別の場所では……


突然、部屋がまばゆい光に包まれた。


カチッ。


「おぉ……」 光る画面を見つめる哲也てつやの目は、子供のような好奇心で輝いていた。


「また光ったぞ」


「見せてくれ」


「どけよ!」


醍醐だいごや数人の「黒月くろつき」の連中が、初めて魔法を目にした子供たちのように彼を取り囲んだ。


数メートル先――分厚い鉄格子の向こうで――彩音あやね陸也りくやは、その光景をただ黙って見つめていた。


「……マジで?」 彩音は呆れたような声で言った。


陸也は壁に寄りかかり、姿勢を直した。「まるで、子供が火を発見するのを見ている気分だな」


彩音はため息をつく。「……正直、それだと彼らを買いかぶりすぎよ」


そうは言ったものの……彼女のこめかみを、一筋の汗が伝い落ちた。


信じられない……彼女の思考は、先ほどの出来事へと戻っていった。


………………..


「教えてくれ」


醍醐は陸也の手に携帯電話を握らせた。


「この奇妙な機械がどうやって人の姿を写し取るのか、見せてくれ。俺たちはそれに興味があるんだ」


「……え?」 陸也は呆然と彼を見つめ返した。実演させるためだけに、拘束されていた手は解かれていた。


……………..


記憶が薄れていく。彩音は首を振った。「和泉いずみは初めて使ったとき、あんな反応はしなかったわ」


陸也は力なく微笑んだ。「いや……」その表情から徐々に光が消えていく。「ただ、彼女が無事だといいんだけど」


彩音は視線を落とした。前髪の影が、彼女の表情を隠す。


「……うん」彼女は静かに答えた。


陸也はしばらく彼女の様子をうかがった。


「……彩音」


彼女は何も答えない。


「ここに来てから、ずっと黙ったままだね」


やはり反応はない。


「大丈夫か?」


長い沈黙が流れた。


「……大丈夫」彼女は顔を背けた。


「でも――」


「言ったでしょ……」意図したよりも鋭い声が出た。「……大丈夫だって」


また、間が空く。


「……ただ……」彼女は唾を飲み込んだ。「……放っておいて」


陸也はゆっくりと息を吐き出し、彼女の方を向いた。


「……わかった」彼の表情が、珍しく真剣なものに変わる。「彩音、一体どうしたんだ?」


彼女は視線を逸らした。


聖華せいかの儀式の時から、ずっと私を避けてたじゃない」


彩音は乾いた鼻で笑った。「笑わせる」ようやく彼の方を振り返る。「よく言うよ」


陸也は瞬きをした。「……え?」


「儀式の前から、私を避けてたのはそっちでしょ」声は穏やかだったが、その裏にある傷ついた感情は明らかだった。「それに、言い合いをした後も……」彼女は視線を落とす。「……まるで何事もなかったみたいに振る舞ってた」


陸也は眉をひそめた。「違う」彼は首を振った。「そうじゃないんだ」


彼の肩に力が入る。「俺はただ……」舌打ちをする。「腹を立ててたんだ」


「何に?」


「お前に」


彩音の目がわずかに見開かれた。


「お前はずっとルナと一緒にいたから」彼の眉間にわずかに皺が寄る。「あいつと笑い合って、話して、一緒に歩いて。それなのに……」


彼の声が小さくなる。「……取り残されたのは、俺の方だった」


アヤネは彼をじっと見つめた。やがて、ゆっくりと眉間に皺を寄せた。


「……本気で言ってるの?」彼女は小さく鼻で笑った。「私があなたを無視してたと思ってたわけ?」


「それ以外にどう思えって言うんだよ」


アヤネは思わず、呆れたような笑い声を漏らした。


「笑わせないでよ。隙あらばイズミにべったりだったじゃない」


リクヤは瞬きをした。「え?」


彼女は視線を足元に落とした。「空いてる時間は全部、彼女の工房に入り浸ってた。こっちなんてほとんど見もしなかったくせに」


彼女は唇をきゅっと結んだ。「それに……」声のトーンが少し和らぐ。「……もう私なんて必要ないって、言ったじゃない」


沈黙。


リクヤは目を見開いた。「……アヤネ」


「正直、思ってたのよ……」彼女は再び視線を逸らした。「……私の代わりができたんだって」


その言葉は、まるで殴打のような衝撃を彼に与えた。


「……違う」即座に返事が返ってきた。「そんなつもりは一度もなかった」


「へえ、そうなんだ……」アヤネは力なく笑った。


「本当だよ」リクヤは答えた。


「じゃあ、どういうことだったの?」アヤネは再び彼の目を見た。「もしそうじゃないなら……なんで私を遠ざけ続けたの?」


彼女の声がわずかに震えた。「それに、なんで私と話すんじゃなくて、イズミと武器を作ってたの?」


リクヤは動きを止めた。「……だって……」視線を逸らす。「……君のためだったから」


沈黙。


牢獄の中が、急に信じられないほど静まり返ったように感じられた。


「……え?」アヤネは瞬きをした。


リクヤの顔が、みるみるうちに真っ赤に染まった。


「……その武器」彼は彼女と目を合わせようとしなかった。「君のものにするつもりだったんだ」


アヤネはゆっくりと口を開けた。「……何ですって?」


彼はため息をついた。「最初にイズミの工房を訪れたとき……気づいたんだ。君だけが、自分に本当に合う武器を見つけられずにいたことに」


彼は照れくさそうに笑った。「隠そうとしてたけど……俺にはわかってた」


アヤネは微動だにしなかった。


「だから……イズミに頼んだんだ。一緒に作ってくれないかって」リクヤは続けた。「君の戦い方に合わせた、専用の武器を」


彼の頬が、さらに赤く染まった。 「驚かせたかったんだ。……だから、ちょくちょく姿を消してたんだよ」


アヤネはただ、じっと見つめることしかできなかった。自分が誤解していた数々の場面が、脳裏をよぎる。


遅い時間までの外出。ひそひそ交わされる会話。隠し事をするような素振り。


そのどれもが、彼女を遠ざけるためのものではなかった。すべては……彼女のためだったのだ。


「……待って」かろうじて声が出た。「それ全部……私のために?」


陸也はゆっくりと頷いた。「……ああ」


長い沈黙が流れた。


「……どうして?」


陸也は再び視線を逸らした。「……なんでもないよ」


彩音は彼に身を寄せた。「ううん」彼女の声は優しくなっていた。「教えて」


彼はためらった。ようやく彼女の方を振り返ると、彼女の頬がほんのりと赤らんでいるのに気づいた。


彼の鼓動が乱れた。


「……だって」彼は唾を飲み込んだ。「……君は、俺の大切な友達だから」


彩音の顔に、小さな笑みが浮かんだ。


「それに……」陸也の声は、かき消されそうなほど小さくなった。「……君は、俺にとって本当に大切な人なんだ」


彩音の胸が高鳴った。彼の言葉の温もりが、すぐに彼女に伝わってきた。


それでも……まだ何かが言い足りない気がした。


彼女は彼の瞳を見つめ返した。「……ただ『大切』なだけ?」と静かに尋ねた。


頬の赤みが、さらに濃くなった。


陸也は息を呑んだ。心臓が激しく打ち、その音が彼女に聞こえてしまうのではないかと思うほどだった。


「俺は……」


言葉が喉の奥まで出かかった、その時――


ガシャーン!!


二人はびくりと身をすくめた。


「……今度は何?!」彩音は叫び、音のした方へと振り返った。


「よこせ!」源四郎が怒鳴り、ダイゴに飛びかかった。


「やだね!」ダイゴは身をひねってかわし、スマホを胸に抱え込んで守った。


「もう十分間も独り占めしてるだろ!」


「だから?」ダイゴはニヤリと笑った。「俺は副リーダーだ。好きなだけ使ってやるよ」


「チッ……」源四郎の額に青筋が浮かんだ。「本当にムカつく奴だな」


「へえ?」ダイゴは不敵に笑った。「で、どうするつもりだ――」


源四郎が突然、飛びかかった。


二人はスマホを奪い合って取っ組み合いになった。


「おい! 離せよ!」ダイゴが唸った。


「お前こそ離せ!」源四郎が言い返した。


端末が二人の手から滑り落ちた。


そして――


バキッ!


その音が部屋中に響き渡った。


静寂。


全員の視線が、ゆっくりと源四郎に向けられた。


彼はその場に凍りついたように立ち尽くしていた。スマホは、まだ彼の手の中にあった。いや、正確には……その「残骸」だった。


画面はクモの巣状にひび割れ、砕け散っていた。フレームはあわや二つ折りになりそうなほど曲がっている。細かなガラスの破片が、床へとこぼれ落ちていった。


源四郎は瞬きをした。「……おっと」


再び、沈黙が流れる。


彼はもう一度、視線を落とした。「……チッ」


アヤネはゆっくりと口を開け、「……嘘でしょ……」と呟いた。


隣にいたリクヤは、魂が抜け出んばかりの形相で呆然と立ち尽くしていた。


「ほら、どうすんだよ!」ダイゴはゲンシロウの方を向き、無残に壊れたスマホを指さして激昂した。「お前が握りつぶしたんだろ!」


ゲンシロウは苛立たしげに彼を睨みつけた。「へえ、俺のせいだってか?」鼻で笑う。「普通に渡してりゃ、こんなことにはならなかったんだよ」


ダイゴは乱暴に笑った。「俺がいつ、気前よく渡すような奴だったんだ?」


「独り占めしてたのはお前だろ!」


「クルミみたいに握りつぶすような真似をした、お前が馬鹿なんだよ」


「てめぇ……!」ゲンシロウの額に青筋が浮かんだ。


周囲の「黒月」のメンバーたちは、二人の言い争いをただ眺めるだけで、仲裁に入ろうとはしなかった。


「……馬鹿どもが」イサムは溜息をつきながら、鼻筋をつまんだ。


ライガは腕を組み、首を振った。「で、壊れちまったわけだ」


「もったいないな」レンマはからかうような笑みを浮かべ、テツヤの方に視線を向けた。「やっとあれを楽しめるようになってきたところだったのに」


「ふん」テツヤは舌打ちをして顔を背けた。「まだ調べ終わってなかったんだがな」


「……まあ」リクヤは無残に壊れた端末を悲しげに見つめた。「俺のスマホが……」


彼は溜息をつき、肩を落とした。「せめて昨日、クラウドにバックアップを取っておいてよかったよ」


彼の口元に、安堵の笑みが小さく浮かんだ。「そうじゃなかったら、立ち直れなかっただろうな」


アヤネは思わず微笑んでしまった。スマホ本体よりも先にデータの心配をするなんて、いかにもリクヤらしい。


彼を横目で見ながら、彼女の頬はほんのりと赤らんだ。


「……オタク」


「ん?」


「なんでもない」


リクヤが何か言い返すより先に――


「おい」


鋭い声が部屋に響いた。二人が顔を上げると、ゲンシロウが彼らの独房の前に立っていた。


彼の深紅の瞳が、まっすぐにアヤネを捉えた。


「どうやら……」彼は壊れたスマホを無造作に放り捨てた。 「……私たちのささやかなデモンストレーションは……思いがけない形で幕を閉じた。」


アヤネは片方の眉を上げた。「へえ、そうなんだ」


「じゃあ」彼は彼女に向かって手を差し出した。「お前のをよこせ」


アヤネは瞬きをした。「……はあ?」


「お前の端末だ。代わりにそれを使う」


リクヤは即座に彼女の前に立ちはだかった。狭い牢獄の中で、それが精一杯の動きだった。


「待てよ」彼は眉をひそめた。「俺の端末を壊すのを見せつけておいて、彼女が素直に渡すと思うのか?」


「その通りよ」アヤネも眉間に皺を寄せた。「それに言っておくけど……私はそれを持ってないわ」


ゲンシロウは目を細めた。「……嘘つきめ」


月森つきもりで使っているのを見たぞ」テツヤが彼の隣に歩み寄った。「儀式の最中に写真を撮っていただろう」


「ええ、そうね」アヤネは肩をすくめた。「でも、もう手元にはないの」


テツヤは彼女の顔をじっと見つめた。「……本当か?」


「本当よ」


沈黙が流れた。やがて……ゲンシロウの口元に、ゆっくりと笑みが広がった。


「……まあいい。自分たちで確かめてみるのも悪くないだろう」


金属音を立てて、牢獄の扉が開いた。


アヤネは反射的に後ずさりした。


「……おい。何をする気だ?」


ゲンシロウはその問いを無視し、彼女に向かってまっすぐに歩み寄った。


リクヤが即座に二人の間に入った。「下がれ」


予兆もなく、ゲンシロウは彼を突き飛ばした。


リクヤはよろめき、石の壁にぶつかった。


「リクヤ!」アヤネが叫んだ。


彼女が反応するより早く、ゲンシロウは彼女の襟元を掴んだ。


「ちょっ、おい!」彼女は掴まれた手を振り払おうともがいた。「離してよ!」


「この野郎!」リクヤが再び飛びかかった。「その汚い手を彼女から離せ!」


源四郎は彼に目もくれなかった。その視線は、綾音が何かを隠していないか探るように、彼女に釘付けのままだった。


「……そこまでだ」


静かな声が部屋に響いた。


全員が振り返る。影男が部屋に入ってきたのだ。その表情は相変わらず、何を考えているのか読み取れないものだった。


源四郎は動きを止めた。大吾は腕を組む。


「遅かったな」大吾の視線が影男に向けられる。「どこへ行っていた?」


源四郎はようやく綾音を放した。彼女はよろめいて足元を乱し、石の床に激しく尻餅をついた。


「……痛っ……」彼女は顔をしかめ、小さく首を振って顔を上げた。


影男は彼を見ようともしなかった。「連中の尻拭いだ」その口調は淡々としていた。「隠れ家に侵入者がいた」


部屋に静寂が訪れた。


「……侵入者?」蓮馬が繰り返す。


影男は一度頷いた。「獣だ」その深紅の瞳が鉄也に向けられる。「村の犬にいつもついて回っていたネズミを覚えているか?」


鉄也の眉がわずかに上がった。「……あの白いやつか」


「そうだ」影男は腕を組んだ。「そいつがいつの間にか隠れ家に入り込んでいた。鍛冶場までたどり着き、そして逃げ出そうとしたんだ」


綾音の心臓が跳ねた。……ギズモ。彼女は表情を変えまいと必死にこらえた。


「ネズミがこんなところまで何をしに来たんだ?」大吾が尋ねた。


「まさにそれが問題だ」影男は答えた。その視線がゆっくりと綾音の方へ移る。「……偶然迷い込んだわけじゃない。目的があって来たんだ」


彼の目が細められた。「そして、あの清貞きよさだの娘は、そいつを外へ出そうと異常なほど必死だった」


沈黙。


「……興味深い偶然だな」海人が呟いた。


綾音は首筋を伝う一筋の汗を感じた。彼に……バレたのだろうか?


影男が牢の方へ歩き出した。その一歩一歩が、石の床に規則正しく響く。


「知っているか……」彼は静かに言った。「俺は学んだんだ。最も小さな生き物が、往々にして最大の秘密を抱えているものだと」


彼は鉄格子の前で立ち止まり、その視線をアヤネに固定した。


「その顔つきからすると……俺の読みは当たっていたようだな」


アヤネは無理やり彼を睨み返した。「何の話か、さっぱりわからないわ」


「ふむ」カゲオはさらに一瞬、彼女を観察した。


そして、彼は中へと足を踏み入れた。


リクヤが即座にアヤネの前に立ちはだかる。「彼女に触るな」


カゲオは彼をほとんど意に介さず、その脇から手を伸ばした。


彼の手が、アヤネの襟元を掴んだ。


「ちょっ、ちょっと!」彼女は反射的に身をよじった。「離して!」


リクヤが飛びかかった。「彼女から手を離せ!」


彼が次の一歩を踏み出すより早く、テツヤが軽々と彼のシャツの背中を掴み、引き起こした。


「落ち着けよ」テツヤは気だるげに言った。「無駄に体力を消耗するだけだぞ」


背後での揉み合いを無視し、カゲオはダイゴの方を向いた。


「副長」


ダイゴは腕を組んだ。「何だ?」


「キヨサダの娘を大広間へ連れて行くことを提案する」


「……イズミか?」ダイゴは片眉を上げた。「何のために?」


カゲオの視線はアヤネに向けられたままだった。「捕虜たちは、我々に話している以上のことを知っていると……俺は睨んでいるからだ」


彼は言葉を区切った。「それに、もし俺の疑いが正しければ……この件は雷禅ライゼン様にご報告すべき事案だ」


部屋が目に見えて静まり返った。ダイゴの余裕ある表情さえも消え失せた。


「……それほど重要なことだと?」


「ああ」


ダイゴは舌打ちをした。「……チッ。わかった」彼は出口の方を向いた。「連れてきてやる」


それ以上何も言わず、彼は廊下へと消えていった。


カゲオはゆっくりとアヤネに視線を戻した。その唇に、かすかな笑みが浮かぶ。


「……もう少しふさわしい場所で、話を続けようか?」


アヤネが反応する間もなく、彼は軽々と彼女を担ぎ上げた。


「ま、待って!」彼女は足をバタつかせ、抵抗した。「降ろして!」


リクヤは目を見開いた。「アヤネ!」彼はテツヤの拘束に抗った。「この野郎! 彼女を離せ!」


テツヤはただ溜息をつき、軽々とリクヤを肩に担ぎ上げた。


「落ち着けよ」と彼は気だるげに言った。「すぐにまた会えるさ」


リクヤはなおも暴れ続けた。「降ろせ!」


「無理だな」テツヤは答えた。「それに……」彼はからかうような笑みを浮かべた。「アツアツの二人を引き離すなんて無粋だろ」


「お、俺たちはそんなんじゃ……!」リクヤの顔が真っ赤に染まる。


アヤネの頬も同じくらい熱く赤らんでいた。「うるさい!」


捕らえた側は二人を気にも留めなかった。捕虜を確保すると、クロツキのメンバーはぞろぞろと牢から出ていった。


背後で重い鉄の扉が軋んだ音を立てて閉まる。その残響が廊下に漂う中、彼らは隠れ家の奥へと消えていった。


……………


ツキモリ村の先、西の森の奥深く。一行は鬱蒼と茂る木々の下を進んでいた。


頭上にはそびえ立つ木々が枝を絡ませ合い、夜の闇を覆い隠すように広がっている。頭上で葉が静かに擦れ合い、時折、枝から飛び立った鳥たちが森の奥へと消えていった。


先頭を行くミソラが道案内を務め、その視線は前方の狭い獣道と手元のスマホの画面を行き来していた。


点滅する位置マーカーは、変わらずその場所を示している。


「まだこっちね……」彼女は呟いた。


彼女の後ろには他のメンバーが二人一組になって続き、静かな会話を交わしながら長い道のりを進んでいく。


「思ったよりずっと遠いな」ヒカルは、果てしなく続くように見える森を見回しながら言った。


カズキも同意するように頷く。「もう何時間も歩いてるからな」


「頼むからもう近くであってくれよ」ライトが大げさに呻き、無意識のうちにミツルのそばへと身を寄せた。


ミツルはすぐにそれに気づいた。「……また蛇が怖いのか?」


ライトは勢いよく彼の方を向いた。「はあ!? 蛇なんて怖くねえよ!」


「へえ?」ミツルは片眉を上げた。「茂みが揺れるたびに飛び上がってたけどな」


「あれは別だろ!」


「あの緑色の蛇が道を横切った時……」ミツルの口元に、からかうような笑みが浮かぶ。「……お前、俺の腕にしがみついたよな」


「してない!」


「絶対にしたって」


「お前がパニックにならないか確認してただけだ!」


ミツルは呆気にとられたような顔で彼を見つめた。「……へえ」


「本当だってば」


「先に悲鳴を上げたのはお前だろ」


「絶対にそんなことしてない!」


「おいおい」ミツルはくすりと笑った。「ガキの頃からの付き合いだぞ。お前が強がってる時なんて、お見通しなんだよ」


ライトは舌打ちをし、恥ずかしさで頬を赤らめた。「チッ……なんで俺、お前なんかに構ってんだろ」


「俺がいつも正しいからだろ」


「本当に、どうしようもない奴だな」


二人の後ろを歩いていたサヤカが、静かに笑った。「本当に変わらないわね、あの二人」


シズカも温かい笑みを浮かべる。「変わらないものもあるのよ」


皆から数歩遅れて……ジンは黙々と歩いていた。


彼は森の地面に視線を落としたまま、腰に差した刀の柄を親指で無意識になぞっていた。


その異様な静けさに気づいたアオイが歩調を緩め、彼の隣に並んだ。


「……ジン先輩」


「ん?」彼は顔を上げた。


「すごく静かですね」


彼の顔に、かすかな笑みが浮かぶ。「大丈夫だよ」


だが、その瞳に笑みは宿っていなかった。彼の視線は再び、前方の道へと戻る。


アオイも一瞬そちらに目をやったが、やがて彼の腰に差された見慣れない刀へと視線を移した。


「……その刀で、足りるといいんですけど」


ジンは瞬きをした。「俺の剣か?」


彼女は頷いた。「『火の翼』じゃないけど……それでも役に立つはずよ」


ジンは柄に手を置いた。「……ああ」彼は少し力を込めて握り直した。「威力は遠く及ばないが……いい剣だ。これでいくしかない」


アオイは前を見据え、その瞳に決意を宿した。「『火の翼』は必ず取り戻すわ」


彼女の声は穏やかだった。「でも、それ以上に……」彼女は安心させるように微笑んだ。「……みんなを無事に連れ帰るのよ」


ジンは彼女に視線を向けた。「……ありがとう」


浮かんだ笑みは、すぐに消えた。「……だが、俺が一番気にかかっているのはそこじゃないんだ」


アオイは不思議そうに彼を見た。


ジンは歩みを緩め、立ち止まった。彼女も同じように足を止める。


他の仲間たちはそのまま先へ進んでいったが、やがて二人が遅れていることに気づいた。


ジンは視線を落とした。「……何かがおかしい」彼はアオイにしか聞こえないほどの小さな声で言った。「仲間は連れ去られ、『火の翼』は奪われた。そして……」


彼はゆっくりと拳を握りしめた。「……クロツキが、俺たちの『炎刃流』を使っている」


戦いの記憶が脳裏をよぎった。


「……あの女」彼の表情が曇る。「俺に対して最後に放った技は……」


声が重く沈んだ。「……『第十四の型』だった」


アオイの表情が強張った。「……ええ」彼女は考え込むように腕を組んだ。「それに、シンジ長老は言っていたわ……ツキモリの戦士たちが極めているのは『第十の型』までだって」


ジンはゆっくりと頷いた。「その通りだ」


彼の視線は遠い地平線へと向けられた。「『炎刃流』の全十五の型を極めることができるのは、ツキシロの一族だけなんだ」


彼の表情が暗く沈んだ。「……少なくとも……俺たちはそうだった」


静かな風が二人を吹き抜けていった。


「祖父と俺……」彼は目を伏せた。「……すべての型を使えるのは、もう俺たちしかいない」


二人の間に沈黙が流れた。


「まだ、わからないことだらけだ」彼はゆっくりと、新たな剣の柄を握りしめた。「黒月くろつきがいかにして俺たちの技を習得したのか。誰がそれを教えたのか。そして、なぜ奴らが『火の翼』を狙っているのか」


彼は再び顔を上げた。


だが今度は……その深紅の瞳に、確固たる決意が激しく燃えていた。


「真実が何であれ……俺が突き止めてみせる」その声には、揺るぎない意志がこもっていた。「全員を連れ帰る……そして、『火の翼』を取り戻すんだ」


葵は微笑んだ。「一人でやるわけじゃないわ」


仁が彼女の方を向くと、彼女は迷いのない瞳でその視線を真っ直ぐに受け止めた。


「みんな一緒よ。ずっとあなたのそばにいる……一歩一歩、最後まで」


月森を離れて以来初めて、仁の顔に心からの笑みが浮かんだ。


「……ありがとう」


「みんな!」前の方からさやかの声が響いた。「これ、見て!」


二人は急いで仲間の元へと駆け寄った。


やがて森を抜けた彼らは、そびえ立つ断崖のふちに立ち止まった。吹き抜ける強風に、髪や服が激しくなびく。


その先には、全く異なる光景が広がっていた。


緑豊かな森は消え失せ、そこにはひび割れた大地、切り立った崖、そびえ立つ岩山、そして果てしなく続く荒涼とした平原が広がっていた。


頭上には暗雲が垂れ込め、カラスの群れが甲高い鳴き声を上げて飛び立つと、やがて遠くへと消えていった。


人の気配はない。村もない。動くものもない。


ただ、静寂だけがあった。


「……ここが……」葵が呟いた。「……『見捨てられた地』なのね」


さやかは腕を組んだ。「名前の通りね」


「本当に何もないわね」芽衣は顔にかかった髪を耳にかけた。「……不気味だわ」


静香が静かに頷く。「……虚しい感じがする」


美空が再びポケットからスマートフォンを取り出した。「ん……?」


点滅していた位置情報マーカーが揺らぎ――


やがて消えた。アンテナの表示も消えた。


「圏外」だ。


「……っ」彼女は眉をひそめた。「ダメね」


仁が彼女の方を見る。「どうした?」


美空は苛立たしげな溜息をつき、スマホをポケットにしまった。


「完全に圏外よ。もう位置情報は更新されない」


一樹は考え込むように顎をさすった。「月森では、村に電力を供給する発電機のおかげで電波が届いてたのかもしれないな」


全員がゆっくりと仁の方を向いた。


彼はまばたきをした。「……え?」そして、少し気まずそうに笑った。「俺の村だって、この四百年で進歩はしてるんだよ。完全に過去に取り残されてるわけじゃない」


彼は後頭部を掻いた。「……ただまあ、現代技術に関しては……少し遅れてるってだけで」


「少し、か?」とライトが呟いた。「控えめな言い方だな」


仲間たちの間にくすくすと笑いが広がり、張り詰めていた空気が少し和らいだ。


ヒカルの笑みはすぐに消えた。「……まだ問題がある」


全員が彼の方を向いた。


「追跡装置が唯一の手がかりだったんだ」彼は眼下に広がる広大な荒野を指差した。「見てくれよ、この場所を! 何マイルも続いてる。クロツキは文字通り、どこにでも潜んでいる可能性がある」


彼の肩が力なく落ちた。「それに、どこから手を付ければいいのかさえ分からない」


その瞬間、再び重苦しい空気が漂った。


ミソラは下唇を噛んだ。「……くそっ」


初めて……彼女でさえも、不安げな表情を浮かべていた。


その時――


ガサッ。


全員の視線が、すぐ近くの茂みへと一斉に向けられた。茂みの葉が激しく揺れている。


一度。二度。そして、また。


仲間たちは反射的に武器へと手を伸ばした。


ライトは明らかに体を強張らせた。「な、何だ……?」


彼の視線は、揺れる茂みに釘付けのままだった。「……まさか、また蛇じゃないだろうな」


ミツルは間髪入れず、彼をちらりと見た。「……蛇が茂み全体を揺らすなんてことは、普通ないだろ」


「……それを聞いても、ちっとも安心できないんだけど」


ガサガサという音が大きくなる。枝が折れ、葉が散る。


何かがこちらへ近づいてきていた。


ライトはごくりと息を呑んだ。「……嫌な予感がする」


突然、茂みが弾け飛んだ。小さな黒い影が、矢のように飛び出してきた。


「キャアアアッ!!」ライトは喉が裂けんばかりの悲鳴を上げ、反射的にミツルに抱きついた。


ミツルは動じもしなかった。ただ、自分にしがみつく年上の少年を見下ろしただけだ。


「……マジで?」


他のメンバーは、完全な沈黙の中でライトを見つめていた。


「……」


「……」


「……」


ライトはゆっくりと顔を上げた。「……変な目で見ないでくれよ」


その光景を無視して、ミソラは地面に横たわる小さな影へと慎重に歩み寄った。


その小さな体からは、細い煙が立ち上っていた。


彼女はその傍らにしゃがみ込んだ。そして、不意に目を見開いた。


「……嘘でしょ……まさか……」

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