第25章
イズミはカゲオの腕の中で必死にもがき、縄が手首に食い込んで、ありったけの力で体をよじり、蹴り上げた。
彼女の目は狂気に満ちていた。
恐怖、不安、警告、すべてが入り混じっていた。
「んっ!んっ!!」
ボルトはすぐに激しく吠え始め、ギズモはリクヤの傍らで何度もキーキーと鳴き声を上げた。二匹とも飼い主の苦境に反応していた。
リクヤの拳は震えていた。
「この野郎ども!」彼の声は怒りに満ちた唸り声となった。「彼女を放せ!」
カゲオは瞬きをしてから、気だるそうに首を傾げた。「何でそんなに怒ってるんだ?」
彼は肩をすくめた。「ただの刀鍛冶の娘だ。」イズミの縛られた腕を強く握りしめた。「俺たちは彼女を基地に連れて帰るだけだ。」
「ふざけるな!」綾音は前方に飛び出した。陸也も彼女の横に突進した。
ボルトも吠え、勢いよく前に出た。三人は一斉に襲撃者たちに突撃した。
影雄の笑みがさらに深まった。
哲也はただため息をついた。「感傷的だな」
彼の槍が一回転した。
そして――
シュッ!
真紅と黒の炎の三日月が通りを横切った。
「動け!」綾音が叫んだ。
三人は瞬時に散り散りになった。
ドーン!
炎が近くの建物に激突し、爆発とともに煙と瓦礫が空中に舞い上がった。
彼らが態勢を立て直す間もなく――
さらなる一撃。また一撃。そして、もう一撃。
鉄也はゆっくりと歩み寄りながら、次々と炎の奔流を放った。
その一撃ごとに、彼らは後退を余儀なくされる。逃げ道を断たれ、和泉からさらに遠ざけられていく。
「彼女を返せ!」陸也が叫び、拳を大きく振りかぶった。
影男は笑った。「彼女が欲しいのか?」そう言って、和泉の体を少し持ち上げる。
陸也は目を見開き、反射的に彼女の方へと手を伸ばした。
「なら、取りに来いよ」
その声は低く、危険な響きを帯びていた。
一瞬の動作で和泉を手の届かない場所へ引き寄せると、彼は剣を振るった。
刃に沿って、深紅と漆黒が混じり合う炎が噴き上がる。
「炎刃流奥義・第六型――『炎糸』!」
炎が爆発するように前方へ放たれる。陸也は辛うじて腕を交差させ、防御の姿勢をとった。
「ぐあっ――!」
その衝撃で、彼は通りを吹き飛ばされた。瓦礫を撒き散らしながら、崩れかけた石壁を突き破って叩きつけられる。
「陸也!」彩音は目を見開いた。その背後に、不意に影が忍び寄る。
「気をつけろ」
鉄也の声は穏やかだった。あまりにも穏やかすぎた。
彩音は即座に身を屈める。槍が風を切って頭上を通り過ぎた。
彼女は後方へ身を翻し、地面を滑るようにして距離を取る。
鉄也はゆっくりと振り返り、彼女を値踏みするように見つめた。
「驚くほど身軽だな」フードの下で、深紅の瞳が細められる。「強く、鍛え上げられ、適応力もある」
彼は一度頷いた。「ああ。いい素材だ」
その視線が陸也の方へと移る。「それに、あの少年も力を持っている」
彩音は唇を強く結んだ。「彼を傷つけたことを後悔させてやる!」
影男が高笑いする。「何が不満なんだ?」
その時――
ワンッ!
ボルトが飛びかかった。その犬は、影男の前腕に鋭い牙を食い込ませた。
「ぐああっ!」影男の笑みは瞬時に消え失せ、顔が苦痛に歪む。
「離れろ!」
ボルトは激しく唸り声を上げ、決して離そうとはしなかった。
影男は腕を地面に叩きつけた。続いて壁に、さらに別の壁へと打ち付ける。
それでも、ボルトは食らいついたまま離れなかった。ついに――
バキッ!
カゲオが容赦なく蹴りを見舞うと、ボルトの体は通りを吹き飛んだ。
石壁に叩きつけられたその犬は、そのまま動かなくなった。
「んっ……!」口を塞がれたイズミから、押し殺した悲鳴が漏れる。彼女の瞳は恐怖に大きく見開かれていた。
ボルト!
その名は口から発せられることはなかった。だが、誰もがその思いを読み取れた。
パニック、恐怖、そして胸が張り裂けるような思いを。
カゲオは自分の袖に目をやり、顔をしかめた。「チッ」
外套の大きな布地が引きちぎられ、腕にはよだれがべっとりと付着していた。
「汚らわしい畜生め」彼は何度も手を振った。「よだれまみれになっちまった」
イズミは即座に再び暴れ始めた。
蹴り、もがき、必死に拘束を解こうとする。
カゲオは彼女を見下ろした。「落ち着けよ」彼は薄笑いを浮かべる。「ただの犬だろ」
イズミは目を細め、その瞳には純粋な怒りが燃え盛っていた。
彼女がこれほどまでに相手を殺したいと願うような表情を見せたのは、初めてのことだった。
その頃――
ヒュッ! ヒュッ! ヒュッ!
アヤネはテツヤの槍をかわし続けていた。どの突きも紙一重で外れ、どの薙ぎ払いも、ついさっきまで彼女が立っていた空間を切り裂いていく。
やがて彼女は後方へ宙返りし、数メートル離れた地点に着地した。ルナ、クイナ、そしてケイトのすぐ目の前だ。
テツヤは動きを止めた。
「ふむ」彼の視線はアヤネに留まる。
やがて視線は彼女を通り越し、背後で震える三人組へと向けられた。
「時間稼ぎか」
アヤネの体がこわばる。
テツヤはゆっくりと槍を掲げた。「よかろう」
その声に感情の色はない。「まずは邪魔者を排除する」
クイナが息を呑む。ケイトは即座に姉にしがみついた。
ルナが一歩前に出る。彼らをかばうように両腕を広げて。
だが、体は言うことを聞かなかった。手は震え、膝はガタガタと鳴り、呼吸は乱れる。
どうすればいい? 思考が堂々巡りする。殺される。この子たちが殺されてしまう。
彼の視線は子供たちへ、震える手元へ、そして再びテツヤへと激しく行き来する。
恐怖以上に、激しい屈辱感が彼を襲った。
俺は戦士のはずなのに。月守の侍。そして「ルナ・ハートスロブ」の一員。それなのに、肝心な時に……俺には何もできない。
彼の顎が震えた。怖い。動けない。戦えない……誰一人として守れない。
その時――
一人の人物が前に出た。
アヤネだ。
彼女は彼と哲也の間に立ちはだかった。
背筋を伸ばし、拳を握りしめ、迷いの色は微塵もない。
「ルナ」静かな声だった。
「え?」彼は彼女の背中を見つめた。
「逃げて」
彼の目が見開かれた。「な、何だって?」
「あの子たちをここから連れ出して」
「アヤネ……」
「子供たちが最優先よ」彼女の声には、反論を許さない響きがあった。「私たちより、あの子たちを守らなきゃいけない」
彼女は振り返った。その瞳は揺るぎない。
「さあ、行って」
ルナは立ち尽くした。喉の奥が締め付けられる。心の中では、ここに残りたいと叫んでいた。力になりたい。自分が無力じゃないと証明したい。
だが、腕の中のクイナとケイトに目を落とし、彼はアヤネの言葉が正しいことを悟った。
苦しげな呻き声を漏らし、彼は身を翻して走り出した。
子供たちは彼にしがみつき、彼はそのまま通りを駆け抜けていった。
二人は振り返った。不安と恐怖に満ちた表情で。
アヤネはただ、力強く頷いてみせた。
行って。ここは私が何とかするから。
ルナは二度と振り返らなかった。振り返ることなどできなかった。
もし振り返れば、走り続ける自信がなかったからだ。
目頭が熱くなり、涙が滲む。
痛いほどに奥歯を噛み締めた。
くそっ……その言葉が頭の中で際限なく響く。くそっ……なんで俺はこんなに弱いんだ? なんでこんなに無力なんだ?
久しぶりに、ルナは自分自身を憎んだ。
アヤネは二人の黒月の戦士の方へと向き直り、しっかりと大地を踏みしめた。
本能的に拳を上げ、防御の構えをとる。
体は傷つき、息は荒い。数でも圧倒的に不利だ。
それでも、彼女の瞳は決して揺るがなかった。
カゲオは一瞬彼女を見つめ、やがて高笑いを上げた。
「ハッ!」彼は彼女を指差した。「まさか素手で俺たちと戦うつもりか?」
彼の肩は面白そうに震えた。「この娘、思った以上に馬鹿だな。」
隣にいた哲也は首を少し傾げ、深紅の瞳で彼女を見つめた。
「無駄な努力だ。」彼の口調は冷静だった。「ちゃんとした武器がなければ、俺たちに勝てる見込みはない。」
「まあ、あんたたちとは違って、私は達人じゃないわ!」
綾音は勢いよく飛び出した。足元の地面がひび割れた。
その瞬間――
ヒュッ!
深紅と黒の炎が彼女に向かって押し寄せた。
彼女は身をかがめ、横に避け、次の炎の波を転がり抜けた。そして、そのまま彼らに向かって突進を続けた。
「でも、だからといって無力なわけじゃないわ!」
彼女の拳が突き出された。影雄は軽々と剣を振り下ろした。
ガチャン!
綾音は刃をかわし、攻撃をすり抜けた。
影尾の顔に笑みが広がった。
「はっ!」彼の目は嘲るように輝いた。「そうか。武器の使い方がわからないのか。」
綾音はよろめきそうになった。「な、何ですって!?」
彼女は迫りくる攻撃を避けながら、怒りを込めて彼を指差した。「もちろん剣の使い方は知ってるわよ、バカ!」
「なのに使ってないじゃないか。」哲也の表情は相変わらず無表情だった。
綾音は彼の槍を間一髪で避けた。「だって、持ってないんだもん!」
彼女は再び身をかがめた。
「なんでこんな馬鹿どもに説明しなきゃいけないのよ!?」
一瞬、彼女の目は信じられないという表情で真っ白になった。
「一体何の会話なのよ!?」
影尾はさらに大声で笑った。 「彼女、面白いわね。」
近くの瓦礫の中から、泉は戦いの様子を見守っていた。
縛られた手が震えていた。
綾音……彼女の瞳に不安の色が浮かんだ。
綾音は炎の噴出を避けるように後方に宙返りした。
数メートル離れた場所に着地した。それでも彼女は立ち、戦い続けていた。あらゆる困難にもかかわらず。絶望的な状況にもかかわらず。
泉の胸が締め付けられた。
そして――
ヒューッ!
何かが弾丸のような速さで、アヤネの横を駆け抜けた。
速く、激しく、止めようのない勢いで。
カゲオが辛うじて腕を上げた、その瞬間――
ドォン!
強烈な蹴りが彼のガードに叩き込まれた。その衝撃で、彼は数歩後方へと吹き飛ばされる。
周囲に土煙が舞い上がった。
アヤネは目を見開いた。「リクヤ!」
少年は、彼女と襲撃者たちの間に軽やかに着地した。
荒い息遣い。口元には血が滲み、眼鏡にはひびが入っている。
それでも、彼は立っていた。
カゲオは腕を下ろすと、不敵な笑みを浮かべた。
「やれやれ」笑みが深まる。「ようやくお目覚めか。昼寝は終わりかよ?」
リクヤは手の甲で唇の血を拭った。
激しく上下する胸。だが、その視線はカゲオから、そしてイズミから決して逸らされることはなかった。
拳が固く握りしめられる。ひび割れたレンズの奥で、何かが危険な光を放っていた。
「イズミを離せ」
低い声だった。
冷たい声。いつもの彼とは比べものにならないほどに。
カゲオの笑みが、わずかに揺らいだ。
リクヤが一歩前に出る。足元で土煙が渦巻いた。
ひび割れた眼鏡の奥で、瞳が細められる。
「今すぐだ」
カゲオは思わず一歩後ずさり、こめかみを一筋の汗が伝い落ちた。
「お、おいおい……」彼は呟き、神経質そうに眉をピクリと動かした。「こいつ、急にどうしたんだ?」
フードの下で、テツヤの深紅の瞳が細められた。「あいつの纏う空気が変わったな」
アヤネはリクヤの背中を見つめ、わずかに目を見開いた。
リクヤ……。
彼女の視線はイズミへと移る。その刀鍛冶の少女もまた、彼から目を離せず、呆然とした表情を浮かべていた。
胸の奥が奇妙に締め付けられるような痛みを感じ、アヤネは首を振ると、彼の隣に並ぶように一歩前へ出た。
ポキッ。
肩を回し、指の関節を鳴らす。「二人とも、イズミを放しなさい」
カゲオが不敵な笑みを浮かべる。「さもなくば?」
リクヤは彼らから視線を外さない。
「アヤネ」毅然とした声だった。「ここは俺に任せろ」
アヤネは眉をひそめる。「嫌よ」
「逃げろ」
彼女は目を見開く。「何ですって?」
「ここから離れるんだ」彼はぐっと奥歯を噛み締める。「危険すぎる」
アヤネの表情が瞬時に険しくなる。「どこにも行かないわ」
「行かなきゃダメだ!」
「だから、残るって言ってるでしょ!」彼女は拳を握りしめ、一歩踏み出した。「イズミはあんたの友達なだけじゃない、リクヤ! 私の友達でもあるのよ!」
「無理だ――!」
その言葉を遮るように、突如として炎が轟音を立てた。
ゴォォォッ!
深紅と漆黒が混ざり合う炎が、彼らに向かって爆発的に放たれた。リクヤが目を見開く。
「アヤネ!」
とっさに、彼は彼女をかばうように身を投げ出した。
ドォォォン!
猛火が二人を完全に飲み込んだ。
「ぐあっ!」
「うっ!」
爆風に吹き飛ばされ、二人は宙を舞った。瓦礫と土煙の中を激しく転がり、数メートル離れた場所でようやく滑るようにして止まった。
静寂が訪れる。どちらも動かない。立ち上がる気配もない。
カゲオはしばらくその光景を見つめていたが、やがて鼻で笑った。
「戦いの最中に言い争いをするなんてな」
テツヤは槍の握り位置を直す。「愚かだな」意識を失った二人を見下ろし、彼は言った。「予想通りだ」
イズミの瞳が揺れた。
「んっ……!」
押し殺したような声が喉から漏れる中、テツヤは倒れ伏した二人へと静かに歩み寄った。
彼は二人の傍らにしゃがみ込み、手短に状態を確認すると、小さく頷いた。
「気絶してるな」
カゲオが悠然と近づいてくる。「やれやれ、思ったよりあっけなかったな」
テツヤは呆れたように目を回した。「行くぞ」
彼は軽々と、リクヤを片方の肩に、アヤネをもう片方の肩に担ぎ上げた。
「ダイゴ様たちと合流しなきゃならん」
彼の深紅の瞳が怪しく光る。「それに、この二人を『主』の元へ届けないとな」
カゲオの笑みがさらに深まる。「言われなくても分かってるさ」
彼の視線が、ゆっくりとイズミに向けられた。
少女の体がこわばる。背筋を冷たいものが走り抜けた。
カゲオの笑みは、どこか不気味さを増していく。
「おっと、そんな顔すんなよ」
彼はまるで重さを感じさせない様子で、イズミを肩に担ぎ直した。
「光栄に思うことだ」
イズミは目を見開いた。「んっ?!」
「お前は俺たちにとって、大いに役に立つんだからな」
恐怖が彼女の表情を支配する。彼女は必死に抵抗し、ありったけの力で手足をバタつかせた。
「んっ! んっ!! んっ!!!」
だが、無駄だった。カゲオは微動だにしない。
ボルトの不在、意識を失ったアヤネとリクヤ――あらゆる現実が、一気に彼女に押し寄せてきた。
捕らえられて以来初めて、彼女の心は純粋な恐怖に支配された。
そして彼女にできるのは、自分と共に仲間たちが連れ去られていくのを、ただなす術もなく見つめることだけだった。
.......................
ヒロは全速力で戦場を駆け抜けた。行く手を阻もうとする「黒月」の構成員たちを、閃く剣で次々と薙ぎ払っていく。彼らはヒロの容赦ない進撃についていけず、次々と地に伏した。
「くそっ……!」
首を狙った刃を身を屈めてかわすと、ヒロは相手の胸板に蹴りを叩き込み、吹き飛ばしてそのまま前進を続けた。
その時、低く、陰鬱な笑い声が路地に響き渡った。
ヒロは即座に足を止め、視線を屋根の上へと向けた。
眼下の混沌を見下ろすように、建物の屋上に一人の人影が立っていた。フードの影から深紅の瞳が妖しく光り、白いマントが夜風になびいている。
ヒロはぐっと奥歯を噛み締めた。
マントに刺繍された「黒月」の紋章が、すべてを物語っていた。
「黒月」だ。
「やれやれ……」男は面白がるように呟いた。「これはまた、とんだ客人が来たものだ」
ヒロは剣を握る手に力を込めた。その声には、不気味なほど聞き覚えがあった。
「お前は誰だ?」ヒロは問い詰めた。「この一連の騒動の黒幕か?」
フードの男は、大げさな仕草で両腕を広げた。
「どう見える?」男は笑いながら答え、さらに口元を歪めて笑みを深めた。「相変わらずの馬鹿だな……ツキヤマ・ヒロ」
ヒロは凍りついた。背筋を冷たいものが走る。深紅の瞳がわずかに見開かれ、やがて鋭い敵意を宿して細められた。
「なぜ俺の名を知っている?」ヒロは声を荒らげた。「答えろ!」
侵入者は再び低く笑うと、その表情を冷酷なものへと変えた。
「今はそんなこと、どうでもいいだろう」
男はゆっくりと、腰の剣を抜いた。
刃が鞘から放たれた瞬間、その周囲に深紅と漆黒が混ざり合ったような炎が噴き上がり、まるで生きている影のように空中でうねった。
「さて……」フードの下で男の瞳が光る。「この十年の間に、お前がどれだけ強くなったか見せてもらおうか」
「なっ……!?」ヒロの言葉は最後まで続かなかった。
フードの男が、消えたのだ。
ヒロの目が見開かれる。
速い!
侵入者は一瞬にしてヒロの横に現れ、すでにその刃を振り下ろしていた。 「炎刃流奥義・壱ノ型――」
剣の周囲で、深紅と漆黒の炎が爆ぜた。
「紅蓮華!」
漆黒の炎の奔流が押し寄せた。だが、それは何にも当たらなかった。
「ん?」男は瞬きをした。
ヒロの姿が消えていたからだ。
「炎刃流奥義……」背後から、低く怒りを孕んだヒロの声が響く。
「参ノ型――灼線!」
ヒロの刃から深紅の炎の線が迸り、地面を切り裂きながら侵入者へと迫る。
フードの男は身を翻し、剣を掲げた。
ドォォン!
攻撃が剣に激突し、炎が爆ぜる。
その衝撃で男は数歩後退し、履物が屋根瓦を削り取った。
すかさずヒロが踏み込む。
鋼と鋼がぶつかり合う。
カキン! カキン! カキン!
激しい連撃の応酬に、夜の闇の中で火花と炎が散る。
「ははっ!」黒月の戦士が笑う。「いいぞ!」
カキン!
「本当に強くなったな!」
ヒロは歯を食いしばり、刃を突き出した。
「ぐっ!」
再び剣が激突する。フードの男は顔を伏せ、口元に笑みを浮かべた。
「だが、まだ足りない」
ヒロが反応するよりも早く――
ドスッ!
強烈な蹴りがその脇腹に叩き込まれた。
「ぐっ……!」
ヒロは後方へと吹き飛ばされたが、空中で身を翻して着地し、地面を滑るようにして踏みとどまった。
体勢を立て直したその瞬間、侵入者はすでに目の前に迫っていた。
再び刃が激突する。
「まだ答えてねえぞ!」ヒロは叫びながら剣を振るった。「お前は誰だ!?」
侵入者はその一撃を、いとも容易く身をかわしてやり過ごした。
「なんで『炎刃』の技を知ってやがる!」ヒロは怒号を上げた。「この野郎!」
フードの男は口元をさらに歪めて笑った。予兆もなく体を回転させると、ヒロの脇腹に強烈な蹴りを叩き込んだ。
バキッ!
「ぐあぁっ――!」
激痛がヒロの全身を駆け巡る。衝撃で戦場を吹き飛ばされながら、口から血と唾液が飛び散った。
空を飛んだ彼の体は、崩れかけた壁に激しく叩きつけられた。
ドォォン!
石片が四散する。衝突の衝撃で損傷していた建造物はさらに崩落し、その一帯は土煙と瓦礫の雲に包まれた。
一瞬の――
静寂。
土煙がゆっくりと漂う中、煙の向こうから再び、フードの男の陰鬱な笑い声が響いた。
やがて土煙が徐々に晴れていく。
煙が薄れると、瓦礫の中で片手で脇腹を押さえながら膝をつくヒロの姿が現れた。口の端やこめかみから血が伝い落ち、頬を赤く染める中、彼は荒い息を整えようと必死だった。
苦痛に満ちたうめき声が漏れる。
「ふむ……」フードの男は、剣を指先で無造作に回しながら、ゆったりとした足取りで近づいてきた。
「お前は質問が多すぎるな」
その声には面白がるような響きがあったが、その底に潜む悪意は誰の目にも明らかだった。
「まあ……」男は続けた。「昔からそうだったか」
フードの下で、深紅の瞳が細められる。「ガキの頃からな」
ヒロは強張った。一筋の汗が頬を伝い落ちる。
こいつ、一体どうなってるんだ? 彼は奥歯を噛み締めた。まるで俺のことを知っているかのように話す。まるで以前に会ったことがあるかのように。だが、いくら考えても……人生で一度も見たことのない相手だ。
深紅の瞳が細められる。彼は一体、何者なんだ?それに、彼や他の「黒月」の連中は、なぜ俺たちの村の「炎刃」の技を知っているんだ?
彼は負傷した脇腹をかばうように、その手を強く握りしめた。それ以上に……なぜ、あの声には聞き覚えがあるんだろう?
襲撃者はついに数メートル先で足を止めた。その刃には、まるで生きた蛇のように、深紅と漆黒の炎が絡みついていた。
「さらばだ、月山ヒロ」
ゆっくりと、男は剣を持ち上げた。
ヒロは目を見開いた。体は動けと叫んでいたが、激痛が彼をその場に釘付けにしていた。
くそっ……。彼はぎゅっと目を閉じ、とどめの一撃に備えた。
その時、上空から何者かが舞い降りた。
ドォォォン!!
着地の衝撃で地面が爆ぜた。
猛烈な衝撃波が通りを駆け抜け、土煙と瓦礫が四方八方に吹き飛ぶ。
フードを被った男は即座に後方へ跳び退き、軽やかな身のこなしで数メートル先に着地した。
その口元には、不敵な笑みが浮かんだままだ。
土煙がゆっくりと晴れていくと、男とヒロの間に一人の人物が立っていた。夜風に長い儀礼用の装束がなびいている。
その手には、きらりと光る剣が握られていた。
「ジ、ジン……」ヒロは信じられない思いで見つめた。安堵の念が全身に広がっていく。
ジンは剣を構え、しっかりとヒロの前に立っていた。彼は一度も振り返らず、侵入者から視線を外そうとはしなかった。
「やれやれ。月代の跡取りが、ようやくお出ましってわけか」黒月の戦士はくすりと笑った。
彼の視線は、ジンが握る剣へと向けられた。「その剣の調子はどうだ?」
その声には、紛れもない嘲笑が混じっていた。
ジンの表情が瞬時に険しくなる。「てめぇ……」
剣を握る手に力がこもる。「俺の村にしたこと、高くつくぞ!」
彼の剣の周囲に、赤い炎が噴き上がった。
雄叫びと共に、ジンが突進する。襲撃者はにやりと笑った。
ガキンッ!
鋼と鋼がぶつかり合い、赤と黒の火花が空中に散った。
ジンは容赦なく攻め立てた。その一撃一撃に、怒りが込められている。
「よくもこんなことをしてくれたな!」彼は叫んだ。
ガキンッ!
「『火の翼』を返せ!」
ガキンッ!
「お前たちに、それを奪う権利なんてない!」
フードを被った戦士は、またしても軽々と攻撃をかわした。
「はっ!」と彼は嘲笑う。「どうした?」
再び刃が激突し、赤と黒の炎が爆発するように四散した。
「そもそも、お前にそんな資格などないだろう」
ジンの目が見開かれた。ほんの一瞬、彼の決意が揺らいだ。
襲撃者はそれを見逃さず、さらに不敵な笑みを浮かべた。
「その剣がなきゃ、お前は無価値だ」
ガキンッ!
「この戦いがそれを証明している」
「うるさい!」ジンは怒号を上げた。
全身から赤い炎を激しく噴き上がらせ、渾身の力で剣を振り下ろす。
フードの戦士は後方へと跳んだ。剣は地面に叩きつけられ、石畳を真っ二つに割った。
ジンが追撃する間もなく、襲撃者はすでに近くの屋根の上に着地していた。
彼は剣を肩に担ぐ。
「さて」その声は冷ややかだった。「遊びは終わりだ」
不意に空気が重くなった。離れた場所にいたヒロでさえ、あらゆる本能が危険を叫んでいるのを感じ取った。
フードの下で、襲撃者の深紅の瞳が怪しく輝く。
ゆっくりと、彼は剣を掲げた。その周囲に、先ほどとは比べものにならないほどの巨大な赤黒い炎が噴き上がる。
彼を取り巻く夜の闇が、さらに深まったかのように見えた。
「最後の贈り物だ」残忍な笑みがその顔に広がる。「俺から……お前個人へのな」
ヒロは恐怖に目を見開いた。
「ジン!」戦場に彼の叫びが響き渡る。「そこから逃げろ!」
ジンの目が見開かれた。本能が彼を突き動かす。
彼は足を踏ん張り、剣を正面に構えた。
その瞳に、猛り狂う炎が映り込む。
侵入者の剣の周囲で、深紅と漆黒が混じり合った炎が激しくうねり、まるで実体を持った影のように夜の闇を這う。
そして、彼はヒロとジンを見下ろしながら、不敵な笑みを浮かべた。
「蝕断」
その声は穏やかだった。まるで何気ない日常の会話のように。だが、剣を振るった瞬間、空気が一変する。
一閃の横薙ぎが空気を切り裂く。最初は、信じられないほど遅い動きに見えた。
だが――
それは消えた。
ジンは目を見開く。本能が警鐘を鳴らしていた。彼は即座に、炎を纏った剣を掲げて防御の姿勢をとる。
だが、その攻撃は彼を狙ったものではなかった。
すべてを狙っていたのだ。
シュッ!
深紅と漆黒の斬撃が、恐ろしいほどの精度で通りを切り裂いていく。
石。木材。炎。建物。
その軌跡上にあるすべてのものが、まるで何の手応えもなく断ち切られていく。
一瞬の静寂。
そして――
ドォォォォン!!
村の一部が爆発した。建物が裂け、通りへと崩れ落ちる。
壁が砕け、屋根が吹き飛ぶ。攻撃は本来の標的を遥かに超えて突き進み、膨大な土煙と瓦礫が空へと舞い上がった。
ジンは立ち尽くした。息が喉に詰まる。その技の圧倒的な破壊力を前に、言葉を失っていた。
ヒロでさえ、ただ呆然と見つめることしかできない。
フードの下で、侵入者の笑みが深まる。
満足げに。それ以上の言葉もなく、彼は破壊の跡に背を向けた。
一跳びで、村の境界の向こうへと姿を消す。
反対側の丘の斜面に着地した瞬間、闇の中から数人の黒衣の者たちが現れ、彼に合流した。
「ダイゴ様」イサムが軽く頭を下げる。ダイゴは小さく頷いてそれに応えた。
「剣は手に入れたか?」
彼の視線は紅へと移った。彼女の顔に笑みが広がった。
彼女は鞘に収まった刀を彼に見せた。
「任務完了。」
装飾の施された鞘に月光が反射した。その夜初めて、大吾の顔に真の満足感が浮かんだ。
「完璧だ。」
数秒後、さらに二人の人影が一行の傍らに着地した。
「影尾、哲也。」雷牙は腕を組んだ。「お前たち、どこに行ってたんだ?」
影尾は肩に担いだ少女を直しながら、軽く肩をすくめた。
「時間つぶしに。」
「んっ!」
泉は彼の腕から逃れようともがき、口を覆う布越しにかすかな抗議の声が漏れた。
海斗は眉を上げた。「それで、なぜ女を担いでいるんだ?」
影尾は横目でちらりと見た。「清定だ。」
いくつかの視線が彼に向けられた。
「刀鍛冶の一人だ」と彼は説明した。「それ以上に重要なのは、彼女が現当主の孫娘だということだ」
レンマは思案深げに頷いた。「役に立つかもしれないな」
「大いに役立つだろう」カゲオがにやりと笑って付け加えた。
シグレの視線がテツヤへと移る。そして彼女は、彼の肩にぐったりと担がれた二人の人影に気づいた。
彼女のまぶたがぴくりと動く。「聞かないほうがいいかしら?」
「まあな」テツヤは答えた。
ゲンシロウが首を傾げる。「俺たちの任務は部外者の排除だったはずだが。おんぶして運ぶことじゃなかったよな」
仲間たちの間から、くすくすと笑う声が漏れた。
テツヤは呆れたように目を回した。「こいつらは例外だ」
「なぜだ?」ライガが尋ねた。
テツヤの表情は読み取れないままだった。「映像を記録できる小さな装置を持っているんだ」
他の者たちが眉をひそめる。
「村に入ったとき、そのうちの一人が村人と一緒にそれを使っているのに気づいた」彼は目を細めた。「カゲオと一緒に後を追ってみたら、最初から俺たちに気づいていたことがわかったんだ」
一同は静まり返った。
「興味深いな……」レンマが呟く。
「テツヤはただ、こいつらを尋問したいだけさ」カゲオがあくびをしながら言った。
「黙れ」
「間違ってるか?」
「うっとうしいな」
「ほらな? 間違ってない」
「そこまでだ」ダイゴの声が、即座に彼らを黙らせた。
彼はテツヤの方を向いた。「いいだろう。連れてくることを許可する」
テツヤは頷いた。
「ただし、あくまで例外としてだ」
場の空気が、急に冷ややかになった。
ダイゴの深紅の瞳が暗く沈む。「奴らが知っていることをすべて吐き出させたら……」
彼の視線が、イズミと意識を失った捕虜たちの上をなぞる。
「殺す」
イズミの顔から、瞬時に血の気が引いた。
恐怖が彼女の胸を締め付ける。
テツヤはただ頷いた。「了解した」
ダイゴの口元に、満足げな笑みが浮かんだ。「行くぞ」
それ以上何も言わず、彼は背を向けて闇の中へと歩き出した。
クロツキの面々が次々と後に続く。月明かりの下、彼らの人影は次第に消え失せ、やがて静寂だけが残された。そして彼らはその背後に、自分たちの攻撃がもたらした惨禍に沈む村を丸ごと残していった。
…………….
戦いは終わった。月森の里を焼き尽くした炎も、ようやく鎮まり始めていた。
夜空へと細い煙がたなびき、辺りには灰の匂いが重苦しく漂っている。
見渡す限り、そこには破壊の跡が残されていた。通りには崩れ落ちた家屋が散乱し、地面は砕けた木材や石片で埋め尽くされている。
かろうじて建ち残っている家もあったが、その壁や屋根には深い傷跡が刻まれていた。それは、つい先ほどまで繰り広げられていた悪夢の証だった。
それでも、この惨状の中にも「生」は残っていた。子供たちは親にしがみつき、母親たちは涙を流しながら我が子を抱きしめていた。
父親たちは安堵に震えながら家族を抱きしめる。愛する者たちが無事だったことに天へ感謝を捧げる者もいれば、ただ呆然と我が家の成れの果てを見つめる者もいた。
ただ、見つめることしかできない。自分たちが何を失ったのか、その現実を完全には受け止めきれないままに。
かつて月森の里を笑いと喜びに満たしていた祭りの賑わいは、今や遠い記憶のように思えた。
残されたのは、ただ煙と灰、そして悲しみだけだった。
「アヤネ! アヤネ、どこにいるの!?」
メイは口元に手を添え、声を張り上げた。その声は荒廃した通りに虚しく響く。瓦礫の中を必死に探す彼女の、普段は冷静な顔に、焦燥の色が浮かんでいた。
数メートル先では、他の仲間たちも同じように動いていた。
「イズミ!」サヤカが、隣にいるヒカルと共に呼びかける。
「リクヤ!?」ミツルは崩れた木材や石の山を乗り越え、視界に入るあらゆる場所を見渡した。
「リクヤ、頼むから出てきてくれ!」と彼は叫ぶ。
その声は切迫していた。「もう笑い事じゃ済まないんだ!」
返事はない。彼はぐっと奥歯を噛み締めた。
「陸也! どこだ!?」
「みんな!」
一行は即座にその声の方を向いた。
ライトは崩れ落ちた瓦礫のそばに膝をついていた。迷うことなく大きな石の塊を掴むと、驚くほど軽々とそれを脇へどけた。
「こっちだ!」
皆が彼のもとへ駆け寄る。ライトは次々と崩れ落ちた岩や砕けた木材を取り除き、ついに見覚えのある姿を露わにした。
全員が息を呑んだ。
「ボルトだ!」ヒカルが叫んだ。
その忠実な犬は、瓦礫の下で動かずに横たわっていた。
「ボルト……」ライトは慎重にその体の下に腕を回し、彼を抱き上げた。
「おい、いい子だ」彼の声が優しくなる。「目を覚ませ」
彼はボルトの首や上半身を優しくさすった。緊張の走る数秒間、何の反応もなかった。
やがて、ボルトの耳がぴくりと動いた。
ゆっくりと目を開ける。
「ワン!」犬は慌ただしく立ち上がった。
安堵の空気が一行を包み込む。
「よかった……」サヤカが息を吐き出した。
だが、ボルトはすぐに落ち着かない様子で行ったり来たりし始めた。
「ワン! ワン!」不安げに尻尾を振りながら、何度も吠える。
ある方向を向き、それから彼らの方を振り返る。
ワン!
振り返る。
ワン!
振り返る。
何度も、何度も。
「何かを伝えようとしてるの?」アオイが尋ねた。
ボルトはさらに大きな声で吠えた。「ワン!」
「どうしたの?」サヤカが心配そうに尋ねた。
美空は少ししゃがみ込んだ。「ボルト…綾音と泉と陸也はどこ?」
名前を呼ばれた途端、ボルトの耳がぴくりと動いた。
ボルトは焦ったように吠え、一歩前に踏み出したかと思うと、突然かすかに鳴き声を上げた。
「キャン!」犬はよろめき、横倒しになった。
「ボルト!」芽衣が駆け寄った。「大丈夫?!」
ライトはすでにボルトのそばにいた。「大丈夫だ。」
ライトはボルトをそっと起こし、怪我をした足を撫でた。
ボルトは苦痛にうめき声を上げた。
ライトの表情が曇った。彼はボルトの右足をそっと持ち上げ、調べた。
「怪我をしている。」
一行はたちまち静まり返った。
「どれくらいひどいの?」葵が尋ねた。
ライトは慎重にボルトの足を触った。 「瓦礫が崩れ落ちた時に靭帯が過度に伸ばされたんだと思う。」
彼の顎が引き締まった。「おそらく重度の捻挫だろう。」
ボルトは再びかすかに鳴いた。
「骨折の可能性もある。」
一行はショックを受け、呆然と立ち尽くした。
「彼は二人を守ってくれたんだ…」メイが呟いた。
ボルトが閉じ込められていた場所の周りの瓦礫を見れば、何が起こったのか想像するのは難しくなかった。
忠実な犬は、おそらく最期まで綾音と陸也のそばにいたのだろう。
ライトは急いで物資を運び出し、手当てを始めた。
「じっとしてろよ。」
ボルトは痛みに耐えながらも、驚くほど落ち着いていた。傷口を丁寧に手当てした後、ライトはしっかりと包帯を巻いてやった。
「よし」ライトは優しくその足を下ろした。「これでひとまずは固定できるはずだ」
ボルトは小さく鳴き声を漏らすと、感謝の印にライトの手を舐めた。
ライトの顔に、かすかな笑みが浮かぶ。
「いい子だ」彼はボルトの耳の後ろを掻き、優しく頬を撫でてやった。
犬の尻尾が、弱々しく地面を叩いた。
痛みがあるにもかかわらず、その瞳には強い意志が宿っているように見えた。まるで、何か重要なことを伝えようとしているかのように。
アヤネやリクヤに関することだ。
アオイは、ライトが優しくボルトの耳の後ろを掻く様子を見つめながら、こんな状況にもかかわらず、口元に小さく笑みを浮かべた。
犬は満足げに鳴き声を漏らし、その手に身を預けるように寄り添った。
「妙だな……」ヒカルがボルトを見つめたまま呟いた。
他のメンバーが彼の方に視線を向ける。
「ギズモの姿も見当たらない」
サヤカがまばたきをした。「本当ね」彼女は眉をひそめた。「いつもならボルトやイズミと一緒にいるはずなのに」
「言われてみれば……」ミソラが呟いた。
一同の表情が、次第に曇っていく。
アヤネも、リクヤも。イズミもギズモも。
誰も見つかっていない。重苦しい沈黙が彼らを包み込んだ。
その時――
「みんな!」
全員がその声の方へ勢いよく振り返った。瓦礫の散らばる通りを、カズキとシズカが走ってくるのが見えた。
二人とも、荒い息をついている。
「カズキ?」メイが声を上げた。「シズカ?」
二人はようやく彼らの元へたどり着くと、息を整えるために足を止めた。
カズキの顔色はひどく青ざめていた。その手は、何かをしっかりと握りしめていた。
「君…信じられないかもしれないけど…」
彼の声が震えた。一行の視線は、彼の手に握られた物に一気に注がれた。
ゆっくりと、和樹は指を開いた。
世界が止まったかのようだった。
割れたレンズ。歪んだフレーム。修復不可能なほどひび割れている。眼鏡は埃と灰に覆われていた。
葵は目を見開いた。「まさか…」かろうじて囁くような声だった。
芽衣は呆然と見つめた。顔から血の気が引いた。
「あれは…」彼女はゆっくりと両手で口を覆った。「…陸也の眼鏡だ。」
沈黙。誰も口を開かない。誰も動かない。一瞬、空気そのものが凍りついたように感じられた。
美鶴の目が震えた。彼の視線は割れた眼鏡に釘付けだった。
「まさか…」
その言葉は弱々しく、ほとんど懇願するように発せられた。
ゆっくりと、彼は手を伸ばした。カズキの手から壊れた眼鏡を受け取ると、彼の指は震えた。
壊れたフレームが彼の掌に収まった。
見覚えのあるフレーム。見覚えのある眼鏡。間違いようがなかった。
ライトは両手のひらを強く握りしめ、顎を食いしばった。
「どこで…?」
彼の声は低かった。危険なほどに低かった。
「どこで見つけたんだ?」
その問いが重く空気に漂った。そして突然、皆の最悪の予感が、これまで以上に現実味を帯びてきた。




