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第14章

メイの柔らかな笑い声が消えた。だが、部屋の空気はそのままだった。


皆の視線は彼女に注がれたままだ。微動だにせず、揺るぎない眼差しで。


「……本気なの?」彼女は軽やかに言ったが、その声にはいつもの余裕がなかった。


アオイは視線を逸らさない。「本気よ」


短い沈黙が流れた。


メイの視線が動く――まずはアオイへ、そして他の面々へと。


期待。好奇心。希望。シンジでさえ、今は彼女をじっと見つめていた。


「ねえ、メイ」サヤカが励ますような笑みを浮かべ、身を乗り出して促す。


ミツルが身を寄せ、期待に目を輝かせながら言った。「メイなら大丈夫だよ。できるって分かってる!」


メイは反論しようと口を開く。「でも――」


腕を組み、すべてを見透かしたような表情でライトが口を挟んだ。「正直に言おうよ……最初から知ってたんだろ?」


メイは動きを止めた。


リクヤが眼鏡の位置を軽く直す。「君の足さばき……あれは無作為なものじゃない。この村に伝わる動きのパターンと酷似している」


「それだけじゃない」ミツルが目を輝かせて付け加える。「動くたびに、まるで踊っているように見えるんだ」


アヤネも腕を組み、同意するように頷いた。「その通りね。立ち姿も、バランスも……重心の移動のさせ方さえも、すべてが合致しているわ」


サヤカが小さく笑みを浮かべ、首を傾げる。「私たちに隠し事をしていたのね?」


皆の視線が再びメイに集まる。


答えを待つように。


メイは静かに息を吐いた。「……みんな、私を買いかぶりすぎよ」銀色の髪を耳にかけながら、彼女は呟く。「先祖代々の『炎』に結びついた神聖な舞を、誰にでも簡単に踊れるものだと思わないで」


その口調は落ち着き払っていた。慎重に言葉を選んでいる。


だが、彼女の指先は――袖をわずかに強く握りしめていた。


「確かに、私はシュエ(薛)家と遠い血縁関係にあるかもしれない」彼女は続けた。「でも、それだけでリアン様の代わりを務める資格があるわけじゃないわ」


一瞬の沈黙。


彼女の視線が伏せられた。初めて、不安げな表情だった。


「…それに」と彼女は静かに付け加えた。「ああいう儀式は、軽々しく行うものではないわ」


部屋は再び静まり返った。


そして――シンジが口を開いた。


「その踊りを知っているか?」


簡潔に、直接的に。


メイは動きを止めた。一瞬、しかし紛れもなく、彼女の目に動揺がよぎった。


彼女はすぐには答えなかった。


代わりに、視線をそらした。開け放たれた障子窓の方を。


朝のそよ風に揺れる、かすかな陽光が差し込んでいた。


「…知っています」と彼女はついに言った。


優しく、慎重に。それだけで十分だった。


アオイの視線がわずかに鋭くなった。


シンジの表情が深まった。「それなら、それは偶然ではない」と彼は言った。「聖華の伝統は、偶然に伝わるものではない」


メイは静かに息を吐いた。 「…あなたは、不確かなものにあまりにも大きな意味を見出しすぎているわね。」


「それでも」シンジは静かに答えた。「君はそれを否定していない。」


沈黙。重苦しい沈黙。


メイは目を閉じた。


ほんの一瞬――ほんの一瞬だけ――部屋が遠く感じられた。


暗闇の中で揺らめく炎…彼女の歩みを導く声…決して忘れることのないはずのダンス。


彼女の指は緩み、そして再びしっかりと握られた。


彼女は目を開けた。再び穏やかな表情を取り戻していた。


「…もし私が拒否したら」彼女はそう言って、彼らの方を振り返った。「あなたたちはただ探し続けるだけでしょう?」


「ああ」シンジは答えた。


「いいえ」と葵は付け加えた。


メイはかすかに瞬きをした。


葵はメイの視線を受け止めた。「…だって、もうあなたを見つけたから」


再び沈黙が訪れた。


「無理強いはしません」と真司は優しく言い、皆の、特にメイの注意を引いた。


短い沈黙が続いた。


「…でも、お願いがあります」


ゆっくりと、彼は両手を前に差し出し、頭を下げた。


「お願いします」


部屋中に息を呑む音が響いた。


「月城長老…!」泉は驚いて声を上げた。


しかし、真司は頭を下げたままだった。


「メイ」彼はその仕草とは裏腹に、落ち着いた声で続けた。「これは私自身のためだけでなく…月森の皆のためにお願いするのです」


部屋は静まり返った。


「どうか…力を貸してください。そして、今夜の儀式のために舞を踊ってください」


重苦しい沈黙が訪れた。長く、長く。


そして――メイはそっと息を吐いた。「…どうぞ、顔を上げて。」


シンジは動かなかった。


彼女の声はほんの少しだけ柔らかくなった。「あなたのような身分の方が私に頭を下げるのは、ふさわしくありません。」


その言葉に、彼はゆっくりと視線を上げた。


二人の視線が交わった。穏やかで、何かを探し求めるような視線。


メイは一瞬視線を逸らし、睫毛を伏せた。それから、他の者たちに目を向けた。


彼らは言葉を交わさなかった――ただ小さく頷き合い…静かな微笑み…無言の励ましだけがあった。


信頼。信念。


彼女の唇に、かすかに、どこか面白がるような笑みが浮かんだ。「…あなたたちは、実に厄介な人たちね。」


彼女は少し背筋を伸ばした。落ち着いて、優雅で、決意に満ちていた。


「…分かりました。」


部屋は静まり返った。


「私がやります。」


数人が小さく息を呑んだ。


シンジの笑顔が和らいだ。「ありがとう。」


「でも…」メイは付け加えた。少しだけ口調が鋭くなった。「ただし、条件があります。」


たちまち好奇心が湧き上がった。


「見せ物として行うつもりはありません」と彼女は言った。「この儀式に参加するなら…きちんと行うべきです。」


彼女の視線はシンジに移った。「許可をいただければ、準備の時間をいただけますか?」


シンジはしばらく彼女を見つめ、そして微笑んだ。


「…承知しました。」


メイは軽く頭を下げた。「…では、お受けしましょう。」


そして、まるで魔法のように、儀式の流れが変わった。


すると、シンジの表情が変わった。まるでスイッチが切り替わったかのように。


「おお、素晴らしい!」


彼の声に突然の明るさが宿り、皆を驚かせた。


彼の姿勢が正され、満面の笑みが顔に広がり、彼は鋭く、そして断固とした拍手を一度だけ叩いた。


「素晴らしい!本当に素晴らしい!」


部屋中の人々が瞬きをした。一斉に。


誰も反応する間もなく――


スライド。


扉が開いた。二人の女性係員がためらうことなく入ってきた。


優雅に。手際よく。静かに。


二人はまっすぐにメイの方へ歩み寄った。


「えっ――?」


メイが状況を理解する間もなく、二人は彼女の両腕をそれぞれ掴んだ。


しっかりとした、敬意を込めた――しかし、抵抗する余地はなかった。


「ま、待って――何を――?!」


彼女はすでに出口へと案内されていた――いや、エスコートされていた。


「準備はすぐに始めなければならない!」シンジは明らかに満足そうに満面の笑みを浮かべた。「日没までにやらなければならないことが山ほどある!」


「ちょっと待って――!」


扉が再びスライドして開き、そして――メイは忽然と姿を消した。


スライド。


静寂。


一行は凍りついたように座り込み、状況を理解しようとしていた。


そして――一斉に冷や汗が流れた。


「…早かったな」とカズキが呟いた。


「承諾したのに、何も言わずに…」とヒカルが付け加えた。


ライトは鼻から息を吐き出した。「あのじいさん、人格が急に変わるな…」


アヤネは扉の方を瞬きしながら言った。「…心配した方がいいかしら?」


イズミはぎこちなく笑った。「いや…大丈夫だよ」


沈黙。


「…たぶんね」


シンジが静かに笑い、皆の注意を引いた。「心配する必要はない」と彼は落ち着いた声で言った。「彼女は信頼できる人たちに任せているから」


アオイは腕を組み、じっと見つめていた。 「彼女を見た瞬間から、ずっと彼女のことを考えていたんでしょう…?」


シンジは否定しなかった。


アオイは首を少し傾げた。「だったら、最初からそう言えばよかったのに。直接聞けばよかったのに…わざわざ私たちに気づかせる必要はなかったのに。」


「それに、二人きりで話せばよかったのに」とライトは腕を組んで付け加えた。「わざわざ僕たち全員を巻き込む必要はなかった。」


シンジはしばらく何も言わず、視線を少し落とした。


「彼女を追い詰めたくなかったんだ」と彼は静かに認めた。「君たちは来たばかりだし…それに、彼女は君たちみんなを大切に思っているのが分かったから。」


彼は再び顔を上げ、優しい笑みを浮かべた。「だから…彼女が信頼できる人たちに囲まれている時に話した方がいいと思ったんだ。」


一同は沈黙し、互いに顔を見合わせた。


「…そう言われると…」とカズキは小さく笑みを浮かべ、後頭部を掻きながら呟いた。「確かにそうかもな。」


部屋にはかすかな安堵感が漂った。


しかし、静香は顎に軽く指を当て、物思いにふけっているようだった。「…芽衣ちゃんが踊る姿、どんな感じかしら。」


「きっとすごく素敵よ!」綾音は両手を合わせて甲高い声で言った。「美しい衣装に上品なメイク…早く見たいわ!」


泉は小さく微笑んで頷いた。「もちろん。それに、芽衣ちゃんがここで踊るのは初めてなのよ――薛家の一員としてね。」


美鶴の視線は下へと移った。彼の心はさまよった――銀色の髪がなびき…ローブが揺れ…月明かりの下、優雅なステップ…


彼の頬にうっすらと赤みが差した。


「…ああ」彼はぼんやりと呟いた。「きっと素晴らしいだろうな。」


「…え?」


全員の視線が彼に集まった。


ミツルは一瞬動きを止めたが、すぐに我に返った。


「ま、待って! そういう意味じゃなくて!」彼は慌てて手を振りながら、しどろもどろに言った。「ただ、その……つまり……!」


ヒカルはニヤリと笑い、カズキを小突いた。「へえ、そりゃどうも」


二人の少年は、互いに含みのある笑みを交わした。


ミツルは顔を真っ赤にして、完全に降参した様子でさっと視線を逸らした。


一方、少女たちは少しきょとんとした様子で瞬きをした。


「……今の、何?」アヤネが呟いた。


シンジはそのやり取りを静かに眺めながら、楽しげで柔らかな笑みを浮かべていた。


「さて」彼は立ち上がり、杖をついて姿勢を整えると口を開いた。「今夜の儀式の準備の監督に戻るとしよう」


双子はすぐに立ち上がった。


「私たちも手伝うよ!」サヤカが意欲的に申し出た。「飾り付けやスタイリングなら得意だし」


隣でシズカも頷く。「私も、必要とされるところならどこでも手伝うわ」


ヒカルが一歩前に出ると、カズキもそのすぐ横に並んだ。「俺たちも手伝うよ」


「ああ」カズキが伸びをしながら付け加えた。「あれだけ特訓した後だし、いい気分転換になるだろうからな」


「特訓?」シンジは少し興味深げに眉を上げた。


ミソラが小さく頷いた。「訓練場に向かう前に、何度か手合わせをしていて……そこであなたに見つかったんです」


「その前には」ヒカルが明るい調子で口を挟んだ。「イズミの工房に寄って、それぞれに合う武器を選んだんだ!」


シンジは小さく笑った。「なるほど……さすがは我らが天才、といったところかな」


イズミは照れくさそうに笑い、後頭部をかいた。「ちょっと手伝っただけだよ……」


彼らの背後で、アヤネは黙り込んでいた。彼女は視線を落とし、肩をわずかに強張らせていた。


(まだ、あのことを考えているんだな……)リクヤはそれに気づいた。穏やかな表情の裏に懸念を滲ませながら、彼女の方へ視線を向ける。


(……何か声をかけるべきだ)


だが、言葉は出てこなかった。 ……


やがて一行が月代つきしろの屋敷から外へ出ると、活気と期待に満ちた村の光景が彼らを迎えた。


提灯が吊るされ、人々の声が飛び交う。祭りの準備は着々と進められていた。


「みんな何かしら手伝うことになってるけど」と、ヒカルは横目で視線を向けた。「ライトはどうするの?」


ライトはポケットに手を突っ込んだまま、肩をすくめた。「特に何も」


カズキが冷めたような視線を向ける。「……それだけ?」


ミツルがアオイの方を向いた。「アオイは?」


アオイは迷わず答えた。「三味線や楽器のグループに入るつもり」


「……え?」全員が足を止めた。


アオイは少し振り返り、片方の眉を上げた。「……何?」


「つまり……演奏するってこと?」イズミが口火を切り、


「……式典の最中に?」ミソラが言葉を継いだ。彼女もまた、片方の眉を少し上げている。


アオイは重心を移し、背中で軽く手を組んだ。「……正確には、ちょっと違うかな」と彼女は言った。「歌おうと……思ってるの」


一瞬の沈黙。


「メイの踊りに合わせて」


みんな驚いて瞬きをした。アオイは手を前に出し、指先を少しもじもじさせた。


「……彼女、ここで踊るのは初めてだから」と、彼女は声を和らげて続けた。「だから……何か力になれたらいいなって」


彼女は小さく息を吐き、首の後ろをさすった。「だって……私が歌うことも、曲を作ることも知ってるし……」


「もう取り掛かってるの?」ライトが穏やかな口調で尋ねた。


彼女の視線が少し下を向く。「書き始めてはいるよ。ただ……今はまだ、大まかなアイデア段階だけど」


それから彼女は再び顔を上げ、みんなを見つめた。「この場所と……彼女と、つながりを感じられるようなものにしたいの」


彼女の頬がほんのりと赤らんだ。「……彼女、この村に縁があるでしょ?」少し照れくさそうに視線を横に逸らす。「だから……特別なものにできたらいいなって……思ったの」


静寂が訪れた。


気まずい空気ではなく、ただ静かな時間が流れた。


やがて、ゆっくりと――みんなの顔に笑みが広がっていった。


「アオイ、マジで!?」サヤカが瞬時に彼女の隣へ駆け寄り、明るい笑顔で背中を軽く叩いた。「いつの間にそんなに可愛くなっちゃったの?」


葵は手についたものを払いながら、さらに頬を赤らめた。「……私、昔からいい子だったし」と、彼女は小声で呟く。


静が優しく微笑みながら歩み寄った。「本当にそうね、葵。今の気遣い、素敵だったわ」


すぐに男子たちも加わった。


「ああ」と、一樹がにっこりと頷く。


「いけるよ」と光が親指を立てて見せると、満もすぐに同じ仕草をした。「応援してるからな」


葵の表情が和らぎ、感謝を込めた小さな笑みを浮かべて静かに頷いた。


美空が軽く腕を組みながら近づいてきた。「それじゃあ、演奏者たちのところへ行って、曲の説明をしてくるのね?」


葵は頷いた。「うん。彼らはもう要領を分かってるから、すぐにまとまると思う」


「いいプランだね」とライトが言った。


光が彼を横目で見やり、からかうような笑みを浮かべる。「で、お前は? まさかまだ何もしないつもりじゃないだろうな」


ライトは片眉を上げた。「俺は鍛錬するよ。刀の稽古だ」


光は顔を覆うように手をやり、うんざりした声を漏らした。「お前って、本当に面白みがないな……」


彩音は小さな笑みを浮かべながら、みんなの様子を眺めていた。誰もがそれぞれのやるべきことを抱えている。


彼女の視線は陸也の方へと向かい、その笑みがほんの少しだけ明るさを増した。


もしかしたら……あの続きができるかも。彼女は彼のそばへと歩み寄った。


「ねえ、陸也」と、彼の隣で足を止めて声をかける。「一緒に村の探索、続けない?」


「あ、えっと……」陸也は首の後ろをさすりながら、言葉を濁した。「今日はやめておくよ、彩音。イズミと先に確認しなきゃいけないことがあるんだ」


不意を突かれたイズミが、きょとんとして瞬きをした。「私たち、何か確認するんだっけ?」


彩音の表情が少し曇った。「……でも、今日行くって約束してたじゃない」


陸也はぎこちなく小さな笑みを浮かべた。「ごめん。」


彼女が返事をする前に、陸也は泉の手首を掴んだ。


「さあ、ちょっと…片付けなきゃいけないことがあるんだ。じゃあ、また後で。」


「ちょ、ちょっと待って!」泉は引っ張られながら抗議した。


あっという間に、二人は人混みの中に消えていった。


沈黙が続いた。


「あれは…初めてだ」美鶴は瞬きをしながら呟いた。


「あの二人、いつからあんなに仲が良かったの?」さやかは二人の後ろ姿を見ながら呟き、静香は軽く肩をすくめた。


「まあ」光は腕を組みながら言った。「二人とも科学が共通の趣味だからね。何か手伝って欲しかっただけかもしれない。」


ライトは眉をひそめた。それでも…何か違和感があった。彼の視線は一瞬綾音に向けられた。特に昨日の彼の言葉を考えると…。


綾音は動かなかった。彼女は目を伏せ、指を軽く体の横で曲げた。


あっという間だった…。胸に軽い締め付け感が走った。もしかして…邪魔だったのかな?


美空はすぐにそれに気づき、一歩近づき、綾音の肩にそっと手を置いた。


「大丈夫よ」と美空は優しく言った。「一緒にゲストハウスに戻りましょう」


綾音は美空を見上げた。


美空は微笑んだ。「少しゆっくりしましょう。トランプでもしましょうか…あの姉妹の日の埋め合わせをしましょう」


少し間を置いて、綾音は今度はもっと優しく微笑み返した。


「…ええ。そうしましょう」


葵は小さく頷いた。「じゃあ、また後でね」


「またね!」と皆は声をかけ、美空が振り返って歩き出すのを見送った。


「私たちもそろそろ行かないと」と静香が優しく言うと、皆は頷いた。


「ああ、行こう」和樹はそう言って、既に光と双子を連れて先頭を歩き始めていた。


美鶴は軽く伸びをした。「よし、じゃあ僕は…」


美鶴が言い終わる前に、ライトが襟首を掴んだ。


「お前も一緒に行くんだ」ライトは冷たく言い放ち、美鶴を引っ張って歩き出した。「訓練だ」


「え、えー、マジで?!」美鶴は泣き言を言い、足取りもやっとだった。「勘弁してくれよ!」


二人は小道を下っていった。一人は抗議し、もう一人は動じない。


白川姉妹は二人の後ろ姿を見送り、軽く視線を交わした。


「…さあ」美空は優しく言い、綾音の手を取った。「戻ろう」


綾音は頷き、彼女の後について行った。唇にはかすかな笑みが浮かんでいたが、目元までは届いていなかった。


歩きながら、彼女の握る力が少しだけ強くなった。


…なぜこんなに気になるんだろう?


その考えは静かに、そして未解決のまま、彼女の心に残った。


…………


泉はついに彼女の手首を振りほどいた。


「ちょっと待って!」彼女は苛立ちながら彼の方を振り向いた。「一体何だったのよ!?」


陸也は一瞬固まり、いつもの癖で眼鏡を直した。「えっと…」


泉は腕を組み、睨みつけた。「説明もせずに私を連れ去り、綾音を置いて、今度は変な態度。さあ、話して。」


沈黙。


そして――陸也は息を吐いた。


「…ごめん。」


泉の表情は和らがなかった。「そんなの何の言い訳にもならないわ。」


彼は少し視線を落とし、ためらった。「…綾音のことなんだ。」


彼女は不意を突かれた。


「え?」


陸也は眼鏡を今度はもっと強く押し上げた。「彼女が…さっきから様子がおかしいことに気付いていたんだ。それで…」彼は言葉を慎重に選びながら、少し間を置いて言った。「…何事もなかったかのように探索を続けるのは良くないと思ったんだ。」


泉は眉をひそめた。「だったら、なぜ…そんなことを言うんじゃなくて、そう言わなかったの?」彼女は曖昧に身振りで示した。


陸也は小さく、無理やり笑みを浮かべた。「だって、大丈夫だって言い張るだろうから。」


「…大丈夫じゃないの?」泉は尋ねた。


彼はかすかに首を横に振った。「いや。大丈夫なふりをしているんだ。」


二人の間に短い沈黙が流れた。


「…それで、そのために私を連れ出したの?」泉は真顔で言った。


陸也は再び首の後ろをこすった。 「部分的にはね。でも…」


彼の口調が変わり、より分析的になった。「…ちょっと君に手伝ってほしいことがあるんだ。」


泉の表情が変わった。


興味が湧いた。


「…続けて。」


.....................


扉が後ろで静かに閉まった。


スライド。


「…ずいぶん急でしたね」メイはそっと息を吐き、二人の侍女が腕を離すと、落ち着きを取り戻した。


「申し訳ございません」一人が軽く頭を下げた。「時間があまりなくて」


メイは袖を整え、いつもの穏やかな表情に戻した。


「…ええ、分かります」


二人は何も言わずに、メイに後についてくるように促した。


メイは後について行った。


屋敷の廊下はここが静かだった。


提灯の薄明かりに照らされ、空気はどこか違っていた。静寂に包まれ、まるで敬虔な雰囲気さえ漂っていた。


メイの足音が磨き上げられた木の床に静かに響き、二人は彼女をメインホールから離れた奥へと導いた。


「…一体どこへ行くのですか?」メイは尋ねた。


「準備室です」もう一人の侍女が答えた。「聖華舞の演者は皆、そこで準備をします」メイの視線がかすかに揺らいだ。踊り手たち……


彼らは大きな扉の前で立ち止まった。


他の扉とは異なり、この扉には精緻な彫刻が施されていた。


炎。燃え盛る炎。生きているかのように。


「どうぞ」と係員の一人が言い、扉を滑らせた。


扉の向こうの部屋は、柔らかな深紅の光に包まれていた。


壁沿いに灯籠が並び、磨き上げられた表面や絹織物に光が反射していた。


中央には、きちんと整えられた儀式用の衣装が台の上に置かれていた。


銀紫。


柔らかな深紅。


金色。


優雅で、時代を超越した美しさ。


メイはゆっくりと中に入った。


「……これが、私が着る衣装なのね。」


「はい」と係員は頷いた。「代々受け継がれてきたものです。この舞踏に選ばれた者だけが着用を許されています。」


メイは衣装に近づいた。彼女の指は布地のすぐ上をかすめたが、触れることはなかった。


「…美しいわ。」


「言い伝えでは…」と付き添いの女性が続けた。「これを着ると…蓮様の霊が踊り手を導くと言われています。」


沈黙。


メイの視線は衣装に留まった。


そして、ゆっくりと手を下ろした。


「…導く、ふむ。」


かすかな息が彼女の唇から漏れた。


付き添いの女性たちは手際よく部屋の準備を進めた。


髪飾り。帯。アクセサリー。


すべてが正確に配置された。


「お手伝いさせてください」と一人が優しく言った。


メイは小さく頷いた。


「…はい。」


........................


白い外套を纏った者たちが、切り立った尾根に佇んでいた。薄れゆく光を背に、その影が鮮明に浮かび上がる。


眼下には広大な森が広がり、その先には――彼らの標的があった。


静寂。


その静けさを、一歩踏み出す音が破った。


ダイゴが列から前に出た。その視線はまっすぐに前方を見据えている。「……準備はいいか」


「準備はできている」


「合図を待つ」


クレナイが静かな声で言い、フードを深く被り直した。「準備は万端よ」


ダイゴの深紅の瞳に、微かな光が宿る。「よし」


声を低く落とし、彼は告げた。「我々の目的は一つだ」


一瞬の沈黙。


月森つきもりの里」


その名が持つ重み。


「電光石火で攻め入る。『火のひのつばさ』を奪取する」


背の高い者の一人が、わずかに身じろぎした。「黒月くろつき様からは、部外者の排除も命じられておりますが」


ダイゴは振り返ることなく言った。「刃を確保した後だ」その口調は鋭く、断固として揺るぎない。「『火の翼』が最優先だ」


冷たい風が尾根を吹き抜ける。彼は崖の縁へと歩み寄り、遠くの地平線を見つめながら目を細めた。


「あの剣こそが、すべての鍵となる」口元に薄い笑みが浮かぶ。「そして、それを手中に収めた暁には……」


危険な響きを帯びた、低い声。「……黒月一族の真の力というものを、月森の連中に思い知らせてやる」


誰も言葉を発しなかった。その必要などなかったからだ。


張り詰めた空気が、重みを増していく。


そして――ダイゴが動いた。


尾根から一気に跳躍し、眼下の森へと姿を消す。


次々と、他の者たちもそれに続いた。


白い外套が闇に溶け込んでいく。


目指す先は――月森。


そして今度こそ――それは、手の届くところにあった。



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