アディが消えた!?
「三日前からアディが行方不明っ!?」
ドジャーが聞き返すと、マチルダ王女は青白い顔で頷いた。
「そう。最初はあたしから逃げてると思ったの」
なんでも、仮装舞踏会の衣裳を任せるよう強引に迫ったところ、本人は気持ちだけで充分だと固辞したのだという。マチルダ王女が実力行使を目論んで仮縫いに押しかけると、アディはおらず、ラングストン家のメイド達が右往左往していたのだ。羽目を外した女主人がどこぞの殿方と自由意思で逢瀬を楽しんでいる可能性もある。大事にして後で困ることを考えたメイド達は、なかなか口を割らなかったが、さすがに行方知れずになって三日目になり、不安に苛まれた一人がこっそり打ち明けてきたそうだ。
「どこぞのって、アディに限ってそんなことはありえません」
「そんなのあたしだってわかってるよっ。だから焦ってるんだってば。こんなことになった心当たりは幾つかあるけど……それが当たってたらアディは無事じゃすまないかもしれない」
両手を揉み搾るようにしてマチルダ王女は顔を歪めた。
その髪が鳥の巣のように縺れているのに気付いて、ローディスは落ち着こうと深呼吸した。どうでもいいような些末なことに意識が向かうのは、緊張している証拠だ。現に手のひらにびっしりと汗をかいている。
「マチルダ殿下」
ドジャーが厳しい声音で追及する。
「心当たりとはなんです? アディは何に巻き込まれたと考えているのですか?」
王女に対するとは思えない程、冷たい表情と声を向けられて、マチルダ王女は怯えたように一歩後退ってから、そんな自分に腹を立てたように無表情を装う。
「それは―――」
マチルダ王女の説明は驚くべき内容だった。
厳重に秘められているが、宮中でユージン王子を狙った暗殺未遂事件が発生し、それを水際で食い止めたのがアディであったこと。警備の厳しい王子の居室ではなく手薄なマチルダ王女の部屋で事件は起きたが、そもそも何故その時そこにユージン王子がいるとわかったのか。アディに対するマチルダ王女とユージン王子の執着を知っている者はどのくらいいたか。それらを今調査中だが、なかなか調べが進んでいなかったこと。
「今巷で流れてる噂だけど拡がり方が異常でしょ。誰が言い出したかもわからないし、気持ち悪いくらい時期も重なる。兄さまが、もしかしたらあの暗殺未遂事件自体、たまたまじゃなくて最初からアディを巻き込む陰謀だったんじゃないかって……」
「というと―――そうか。もしその事件が成功していればその場にいた彼女にも疑いの目が向けられる。普段と違う行動をしていた時に王子殿下が害されたとなれば、下手すれば実行犯を呼び寄せた犯人扱いされかねなかっただろう。失敗した今は、彼女の名誉を汚す噂で体面を潰す。どちらにしてもアディの立場を危うくする方向に向かっているってことか」
ひとりごちたドジャーにマチルダ王女は頷いた。
「勿論、ついでで王太子の暗殺なんて考えないだろうし、兄さまとアディの両方に強い害意を抱いている相手ってこと。そっちの方向で今探ってるんだ。正直、兄さまを狙う奴は数えきれないけど、アディにはそこまで悪意を向けられる理由がないし」
「アディはラングストン伯爵家の唯一の相続人ですよ。今は隠棲しているがその気になればラングストン伯の影響力は健在でしょう。王家も蔑ろに出来ない程のね。……ユージン殿下とラングストン家が結ぶと面白くない勢力だったら、俺にはすぐに思い当たりましたがね」
厭味を込めたドジャーの言葉はもっともだ。だが、それをベルモント派筆頭というべきマチルダ王女に言うのは、身の程を知らない行いだ。ローディスは睨み合う二人の間に割って入った。
「ドジャー、あんたの気持ちもわかるがそれならマチルダ殿下の部屋で暗殺を企てたりしないだろう。成功して疑われるのはアドリアナだけじゃなく、マチルダ殿下も同じだ」
「……そこの無神経男の言う通りだから」
最初からそれはわかっていたのだろう。
あっさり矛を収めたドジャーを、マチルダ王女は憎々しげに睨み続けている。ローディスはそれを無視して、さっきから思い出していたことを考え考え口に出した。
「全然関係ないかもしれないが―――彼女の口からある人の名を聞いたことがある。意外で印象に残っているんだが―――」
「誰だ?」
「グラウ伯だ」
「それは―――確かに意外だな。年齢も趣味も合わないような二人に何があるっていうんだろう? グラウ伯には年頃の息子や親族もいない筈だし……ローディス、アディはどういう話をしてたんだ?」
「いや、どういう人物か知りたがっていただけだ。ただ、なんとなくだがあまりいい印象を持っていないように感じたな」
まだ硬い表情のままマチルダ王女が、わかった調べさせてみる、と請合うと、ローディスはこの程度しか手掛かりがないことに苛立って唇を噛み締めた。広い王宮内で個人の居場所を特定するのは不可能に近い。メイドが気を回したように、誰かの所に転がり込んで数日寝室に籠もりきりという貴族は決して少なくはないのだ。
今回はたまたま、マチルダ王女という軽々に扱えない人物が強引に関わったからわかったが、そうでなかったら今も知らずにいた筈だ。しかしどうやって探せばいいのか見当もつかなかった。
「しかも、大っぴらに危険を言い立ててアディを探せば、暗殺未遂事件の件も表沙汰になってしまうでしょう。それはまずい。波紋が大きくなれば、陰謀の小さな手掛かりがあっても消えてしまいかねないですから」
ドジャーの言う通りだ。だがそれでアドリアナを無事見つけることができるだろうか。
「一応、今のところアディが王宮の敷地から市街に出た形跡はないから。出入りの時のチェックは事件後、普段以上に厳しくなってるし、くぐり抜けるのは不可能だと思う。はっきりしてるのはアディは生死に関わらず、この城のどこかで動けなくなってるってこと」
「それと犯人はラングストン家の敵って可能性が高いとはいえ、アディ本人を敵視してる奴の可能性もあります。ラングストン伯は政治的に引退しているに等しいし、攻撃方法が女としての価値を貶めるやり口ですから。王家の妃候補としては致命的ですが、実際のところ多くの貴族にとっては裕福な名門の相続人という肩書きこそが重要で、彼女がどういう人物であろうと関係ないんです。まともな神経を持つ女性なら顔を上げて歩けないような噂で、アディをただ傷つけるだけだ。ユージン殿下がアディと親しくしていると知っている者は、殆どいない筈ですしね」
マチルダ王女によって彼女とユージン王子が引き合わされた舞踏会には多くの人間がいたが、会話を聞き取れる程近くにはいなかった。皆気を遣って、王族には話しかけられるまで一定の距離を保つのだ。また王子の立場上、アディだけと長々話していられなかったし、ドジャーも傍にいた。儀礼以上の関係だと思われる余地もなかった筈だ。
「兄さまもやきもきしているけど、間近に迫った仮装舞踏会の主催者としても、国王陛下の補佐としても、普段と違う姿を見せるわけにはいかないんだよ。それに今は兄さま自身がまた狙われる恐れが大きいから動けない。極秘に近衛を使って捜索してるけど、あたしも出来ることやってアディを助けたいの。でもあたしだけじゃ力が足りないのはわかってる。だからドジャー……と、ついでにそこの無神経男も手を貸してほしいんだ」
勿論、と頷いたローディスとドジャーだったが、具体的にやれることはあまりにも少ない。何より、アディが今どこでどうしているかを思うだけで焦燥感に駆られる。すぐにも走り出したい気持ちを抑え、命だけは無事であってくれと祈りながら、三人は今後やることについて改めて話し合ったのだった。