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その時、アディは―――

「……ここ、は―――……? エリ……カ……」


 初めに感じたのは身体の痛みだった。アディは重い目蓋をのろのろと引き上げたが、何も見えない真の闇の中にいることがわかっただけだ。どうやら痛みは窮屈な姿勢でいたせいらしい。胎児のように丸まっていた手足をそろそろと伸ばしていくと、伸ばしきる前に硬い壁に突き当たり、四方が囲まれているのがわかった。


 狭い空間。おそらく箱のようなものに閉じ込められているのだ。そうとわかると気のせいか急に呼吸が苦しくなってくる。

 時間も場所も見当がつかないまま、忙しく周囲をまさぐると、繻子の滑らかな手触りがした。内張り付きの木箱か何からしい。埃っぽい臭いからして古い長持ちか何かだろうか。


 暫く出口を探して必死にもがいていたアディは、全く継ぎ目がないことに溜め息をついた。


「よっぽど頑丈に閉じ込められてるみたい……」


 落ち着くために軽い口調で言ったつもりが、思った以上に不安げに聞こえた。それに押されるように考えたくない想像が膨らみ出す。

 もしかしてこれは棺桶ではないのか。まさか土中に埋められているということは―――? だとしたら誰にも気付かれず、このまま朽ち果てていくのかもしれない。

 ぞっとする可能性に一気に総毛立つと、もう形振り構ってはいられなかった。


「いやよっ、誰かーっ! 誰か開けてーっ! 助けてっ、エリカーっ!」


 棺にしては寸足らずなことも忘れて、アディは声を限りに叫び続けた。恐ろしい末路が頭から離れず、居ても立ってもいられない。振り上げる空間がないせいで壁を叩く音は鈍かったが、そのうちに拳が傷付いたのかぬるついた感触に変わっていく。


 叫び過ぎて声も枯れ果ててしまい、やっと無駄な努力を諦めたアディは、現状を打開する方法を見つけるため、震える唇を噛み締めて意識を失う前の出来事を思い返し始めた。



     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇




 わざとらしく隣を跳ねるように歩いていたエリカが、はぁーっ、と溜め息をついて立ち止まった。


「アディ。別にいいじゃないの。それでなくとも自力ではみみっちいドレスしか用意出来ないのよ? 背に腹は代えられないわ。それに今やあなたはユージン王子の命の恩人。堂々としていればいいの」

「そういうわけにはいかないわよ」

「……全く。この子の頭の固さはいったい誰に似たのかしら」


 そっぽを向いていても聞こえよがしなエリカの文句は丸聞こえだ。アディは憤慨して彼女に向き直った。


「あのねぇっ、私は頭が固いんじゃなくて常識的なのっ。殿下のお申し出は有難いけど、お受けするわけにはいかないのっ。そのくらいわかるでしょ?」


 ないとは思うが、もし決定的なプロポーズを受けてしまったら断るしかないのだ。相手の好意につけ込むべきではない。

 だが、それを言うとエリカは片手を額にかざし、劇的な身振りで、嘆かわしい……っ、と頭を振った。


「そこが石頭だって言っているの。別に絢爛豪華な衣裳を作って頂いたところで、結婚はまた別の話じゃないの。それはそれと割り切って、頂けるものは有難く頂きましょうよ」

「後半顔が笑ってるわよ。それに何よ、絢爛豪華って。いつの間に話を大きくしてるのよ。元王女とは思えないがめつさだわ」

「あーら、聞き捨てならないわねっ。このわたくしに向かってがめついですってっ!? その一言で世が世なら首が転がっていても不思議はないのよ? ああ、こんな乳臭い小娘に悪態をつかれるとは、我が兄王陛下が亡くなっていて幸いだわっ。もし存命だったら、最愛の可愛い妹が耐え難い侮辱を受けたと知って、寝込んでしまったでしょうよ。まあまあ、恐ろしいことっ」


 声高らかにさえずるエリカに、アディは仕方なく謝ったが、でも本当のことじゃない、と余計な一言を付け加えたせいで火に油を注いでしまう。エリカは幽霊とは思えぬ生き生きとした身のこなしで、下々の者に無礼を働かれた王女様芝居を繰り広げた。


「ああお兄さま……っ! お兄さまに『宮廷の薔薇、私の太陽』とまで言われた、このエリカ・アントニア・アマーリエ・ジャン・ラングストンが……っ! 結婚が決まった時、貴族の子弟達は皆涙にくれ、宮廷中が火の消えたような沈みようだったと語り継がれた、このエリカ・アントニア・アマーリエ・ジャン・ラングストンがっ! ラングストンに決闘を申し込んだ騎士は十人を下らなかったというわ。素敵ねと何気なく口にしたら、どんな高価な宝石でもどんな季節外れの果実でも、万難を排してわたくしのもとに届けられたものよ……っ? それでもわたくしをがめついなどと思う者が一人でもいたかしら? いいえ、いませんでした。美しい物は美しい人のもとへ―――それが世の理というものですと言ったのは、時の財務長官だったわ。貴女を見つめる喜びのために自分は生まれてきたと言ったのは、隣国の大使だった。そのわたくしが―――国の至宝とまで謳われたこのエリカ・アントニア―――」

「アマーリエ・ジャン・ラングストンが、でしょ。もうわかったわよ」


 いつまでも続く熱弁を途中で遮ってやると、エリカは渋々一人劇場に幕を下ろして溜め息をついた。


「まあ、わたくしの過去の栄耀栄華はいいとしても、アディも頭を切り換えてみたら? ローディスとの話は断ったんだし、晴れて身も心も自由なのよ? この際、ユージン王子のことを本気で考えてみてもいいんじゃないかしら」

「何言って―――」

「宮廷の権力闘争に関わらせるのは気が乗らなかったけれど、こうなったら未来の王妃を目指すのもありだと思うわ。案外、シルビアより向いているかもね。あの子はおとなしく控え目な性格だったけれど、アディはかなり神経が図太いもの」

「……」

「ユージン王子は見たところ、粗削りだけれど顔立ちも整っているし、年の離れた妹への対応も優しいし、男らしさも兼ね備えている超優良物件よ。家柄は言うに及ばず、今のところ女性関係での悪い噂も聞かないし」

「エリカ、やめてよ。そういうつもりはないわ」

「じゃあドジャー? 彼も外見はユージン王子以上に華やかだし優しいけれど、いかんせん派手な噂も多いのが難点ね。いっとき、一人の女性に操を立てると誓っても、浮気な男を繋ぎ止めるのは灰で縄をなうようなものですもの。まあ、彼が将来、没落した母方の実家を継ぐという点は、ラングストン家の資力と名前をもってすれば全く問題ではないのだけれど」

「エリカ、言ったでしょ―――」

「この二人で気が進まないなら、キリム侯爵なんてどう? 無口で控え目だけれど、アディと目が合うといつも顔を赤らめているわ。グリーブ公爵の息子は乗馬の腕前がすごいって評判だし、ホーソン伯爵は詩人なんですって。話してみたら面白いかもしれないわ」


 次々と指折り数え上げていたエリカは、反論しようと口を開きかけたアディに、憐れむような諭すような笑みを向けてきた。


「ローディスのことで頭を悩ませるのはもうやめなさい。忘れるの。他に目を向けた方がいいわ」

「そんなの―――どうしてそう言えるの? ずっとずっと好きだった相手なのよ? 諦めると決めてもその気持ちに変わりはないわ。早くに亡くなったひいお祖父さまを想い続けてるエリカなら、私の気持ちだってわかる筈でしょ」

「わかるわよ。わかるから言っているの。ねぇアディ、人生は長いのよ? 恋を失っても人生は続いていくの。叶わぬ想いにいつまでもしがみつくのはやめて、新たな恋を見つけた方が幸せだわ。わたくしは囚われてしまった。わたくしを愛してもくれなかった男性にね。彼を自分の身代わりに死なせたせいで、わたくしも彼も互いにもう自由になることすら出来ないのよ」


 遠い昔を懐かしみつつ苦く笑んだエリカに、アディは押し黙った。


「一人で年を重ねていくと、過去を振り返ることが増えるの。若い頃は昔話ばかりの年寄りをバカにしていたけれど、自分もいつの間にかそうなっていたわ。でもわたくしの過去は苦い味しかしないのよ。だから幸せな続きを想像することで自分を慰めたわ。彼はあの時、奇跡的に助かって、わたくしは神に感謝して―――そして手を離して自由にしてあげるの。彼は勿論最初は拒絶して見せるわね。けれどわたくしが本気だと知って受け容れる。わたくしは激怒する兄王陛下に甘えて、自分の我が儘だから彼を悪く思わないと約束して貰って……そうね。少しは反省している様子を見せるわ。落ち込んで見えるのは兄王陛下に、さすがに我が儘が過ぎると叱られたせいよ。そして、彼がいつか本当に愛する人と結ばれた時、わたくしも笑って若気の至りで回り道したけれど今はお互い幸せねと言うために、わたくしを愛してくれる人を探すの。めでたしめでたし」

「でも……」


 最後はちゃかすような口調で話し終えたエリカに、アディは躊躇いながらも口を開いた。


「エリカがその気になったら、いつだって再婚の道はあった筈よ。少なくとも―――住まいを王宮に戻すのはすぐに出来たのに、しなかったのは……ひいお祖父さまの思い出と離れたくなかったからじゃないの……?」

「さあ、どうしてかしら。忘れたわ、そんな昔のこと」


 エリカはちょっと笑って、悪戯っ子のように肩を竦めてみせる。


「わたくしの話の仕方が悪くて、アディにはすっかり一途な恋と思わせてしまったけれど、別にそういう話でもないのよ。若い頃の思い込みで、一人の未来ある男性と自分の運命を狂わせた愚かな王女がいたっていうお話。今思うと、何故あの頃あんなに彼じゃなきゃダメ、彼を得られないなら死んでしまうとまで思い詰めたのか不思議なくらいよ。確かにあれも自分だったのに、それが本物の恋だったかももうわからないの。本当よ?」


 アディにはそんな不確かな感情で人生を無駄にしてほしくない、と締めたエリカは、いつもより小さく見えた。

 彼女に触れられないことが歯がゆかった。もし触れられるなら強く抱き締めるのに。

 二人ともが黙り込むと周囲の静けさが際立つ。


 アディは真摯な情を向けられて嬉しい気持ちと、エリカの傷を癒す力がない自分の不甲斐なさに板挟みになっていた。だがそれでも、ローディスを今すぐに思い切るのは不可能だ。

 それを言うとエリカは、頑固なところはわたくし譲りね、と仕方なさそうに笑ったのだった。



 その時、アディは後ろから肩を叩かれて飛び上がった。傍らのエリカも同じように驚いて口元を手で覆っている。


「独り言? やっぱりあなたって、評判通り変人ですのね」

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