襲撃事件
「え?」
今まで聞いたこともない張り詰めた声に、アディは顔を上げた。エリカはお茶の用意を終えて背を向けた女官を、食い入るように見つめていた。エリカとアディのやり取りが聞こえない兄妹は、喋りながら優雅な手付きでカップを口に運んでいる。
「毒かもしれない。ユージン王子のカップの飲み口を触っていたわ。アディ、二人を止めてっ」
聞き終わるなりアディは飛び上がって、飲んじゃダメっ! と叫びながら二人のカップを叩き落とした。カップの割れる音が大きく響く。二人に少しはかかったようだが、水際で防げただろうか?
「飲んだっ? いえ、口をつけたのっ!?」
血相を変えて詰め寄るアディに何事か察したらしい。ユージン王子は口元をきつく結んで首を振り、妹を鋭く見遣る。マチルダ王女も目を大きく見開いたまま、大丈夫と頷いたのを見て、アディはやっと息をついた。そうして初めて、自分のしでかした事の重大さに気が付く。
恐ろしいことに、証拠もないのに王族の手元を引っ叩いて、王女専用の食器を壊し熱いお茶をぶちまけたのだ。
何か言い訳をしなければと口を開いては閉じ、開いては閉じしていたアディは、突然乱暴に右腕を引かれてバランスを崩した。
「何をするっ!」
緊迫した声。空を切る音。
ユージン王子の胸の中で振り返ると、たった今までいた場所に銀に輝く刃が見えた。
マチルダ王女が子ネズミのようにすばしこくテーブルの下に潜り込んだのが、視界の隅に映る。
王子の背後に押しやられながら、現実味のない光景に口の中がカラカラに乾く。
ユージン王子が迫る刃を蹴り飛ばすと、女官は結い上げた髪の中から細い長針を抜き取り構えた。血の気の引いた無表情が恐ろしい。
「誰かっ! 誰か来てっ!」
必死に叫んでも人が来る気配はない。
警戒して身構えているユージン王子に鋭い視線を据えたまま、女は首にかけたペンダントに針を素早く擦り付け、次の瞬間襲い掛かってきた。
急所ならともかく、針で刺したくらいで何が出来るかはわからないが、危険なことには変わりないだろう。アディは何も考えずにソーサーを引っ掴んで投げつけ、女が怯んだ隙に前に飛び出して針を奪おうとした。
「危ないっ! アディっ! このバカっ!」
エリカの喚き声を他人事のように聞きながら手を出すが、いかんせん動きが遅すぎる。絶体絶命だ。だが女がニヤッと哂った次の瞬間、ユージン王子の投げた短剣が彼女の胸に突き刺さった。その場に崩れ落ちた女の周りに赤い血溜まりが広がる。
アディは小さく悲鳴をあげて膝をつき、、テーブルの下から這い出してきたマチルダ王女をかき抱いた。こんな凄惨な場面を子供に見せるわけにはいかない。
「マティっ、見ちゃダメっ! 大丈夫よ、大丈夫―――どこも怪我はないわね!? 痛いトコはないっ!?」
「だ、大丈……夫―――てか、アディ、いっ、息できな……ぃ」
「あ、ごめ―――」
慌てて腕の力を緩めると、マチルダ王女は上に伸び上がるようにもがき出て、プハーっと息をついた。そして改めてアディに抱きつく。
「アディ、思ったより胸あるんだね。死ぬかと思った―――」
茶目っ気のある口振りだが、顔色が悪い。それも当然だろう。アディでさえ歯の根が合わないのだ。
女の傍に屈んでその死を確認していたユージン王子は、二人の所に戻ってくると強張った顔で、二人とも怪我は? と聞いた。
「大丈夫です。ユージン殿下は―――」
「大丈夫。貴女のお蔭で助かりました。それにしてもよく危険に気付きましたね。どうしてわかったんです?」
「あのぅ―――ええと、彼女がカップの飲み口を触ったのを(エリカが)見て……」
言いながら疑惑を抱くには根拠が薄かったように思えて口籠もる。そんな程度で騒ぎ立てたから進退窮まった女官が逆上したのかもしれない。
だが、ユージン王子はそれをあっさりと否定した。
「それはないですよ。部屋に入って座り位置を確認してから、目的の人物―――まあ俺でしょうが、その相手に一番自然に渡せるカップに毒を仕込んだんです。多分、あのペンダントに毒がついている筈です。というか―――」
淡々と説明していたユージン王子は、そこで感極まったように顔を歪めた。
「なんという無茶をするんだっ。刺客の前にか弱い女の身で飛び出すなんて無謀すぎるっ! 何かあったらどうするつもりだったんですっ」
「いえ、あの、私ただ夢中で……」
「アディ……っ」
アディは突然声を詰まらせたユージン王子に強く抱き締められ、ギョッとして固まった。立て続けに色々あって、頭が追いつかない。だが、アディを胸の中にすっぽりと収めてしまえるような大きな身体が、微かに震えていることに気付いてハッとする。
たった今、命を狙われたところなのだ。
これが王族として生まれた人の日常なのだと思い知り、慄然とする。
エリカが異変に気付いたのも、狙われた経験があったからだろう。のほほんと生きている自分とは違う、厳しい世界にいる人達なのだ。常に生命の危機に晒されている彼らの立場を身をもって感じ、アディも自然と震えていた。
「アディ、震えている……恐がらないで。貴女のお蔭で皆助かったのですから」
「……ごめんなさい。い、今更なんだけど、身体が勝手に……」
「大丈夫。今回は貴女に助けられましたが、この先は何があっても俺が貴女を守ります。必ず」
「ちょっ、な、何言ってるんですかっ、危険なのは私じゃなくユージン殿下やマティの方でしょうっ!?」
「いえ、俺達の傍にいれば必ずや貴女にも危険が及ぶ。ですが俺はもはや貴女を離してあげることは出来そうにありません」
「えーっ!? ちょっ、無理ですっ!」
間近から甘やかに見つめられれば、どれ程鈍くても今まさに王子に自分が口説かれている最中と理解できる。アディは目を泳がせて、王子の腕の中から逃れようと足掻いた。
冗談ではない。すでに身を切る思いでクライア家との話は白紙にと祖父に手紙を送ったが、長年の初恋に終止符を打ったからとて、すぐに他に気が向くほど多情ではないのだ。
何より、ユージン王子に抱き締められた時に弾き出された格好のマチルダ王女が、気付けば興味津々で見学中なのだ。子供の教育上よろしくない。
アディが慌てふためいてじたばたしていると、ユージン王子はフッと苦笑して腕を解いてくれた。
すぐに飛び退いて大きく距離を開けたアディに、両手をあげて何もしませんの意思表示をして見せる。
アディは何か言わねばと口を開いた。開いたのだが―――。
「まっまあ、ユージン殿下ったらおおおおお戯れをーっ!? ここここんな田舎者のこここ小娘をお揶揄いになってはいいいいいけませんわーっ!?」
動揺のあまり柄にもない台詞を引っくり返った声で叫んだアディに、ユージン王子は噴き出し、エリカとマチルダ王女は呆れたように肩を落とす。
「アディに色気を期待するのは間違っているとわかってはいるけれど、わたくしの身内とは思えない、いえ思いたくない酷い醜態だわ」
「アディ。ビビりすぎだよ」
「そんなに怯えないで下さい、アディ。貴女に嫌われると悲しくなります」
「いい、いえ、別にきき嫌ってなどは―――」
「にしても兄さま、押しが弱すぎ。さっきは口接けする絶好のチャンスだったのに」
「ええーっ!? マっ、マティっ、なんてこと言うのーっ!?」
絶叫と言ってもいい声量にエリカが顰めっ面で両耳を塞いだ。




