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狙われた仔羊

「恋愛ゲームに疎い小娘はこれだから手がかかるわね。いいこと、アディ。頼むからわたくしの曾孫らしく淑やかに振る舞ってちょうだい。後世にまで名を残す程の絶世の美貌を誇る、このわたくしの直系子孫の女性は今やあなただけなのよ? それがどういうことかわかっている? 人は皆、最上の美たるこのわたくしに思いを馳せる時、あなたにその面影を見つけようとするでしょう。それがそんな素っ頓狂な声を上げる小娘だなんて、人々の期待を裏切るだけならまだしも、わたくしの美しさへの不信に繋がったらいったいどう責任を取るつもりなの? それはもう、万死に値する罪よ?」

「いや……その……」


 エリカの鼻息が荒い。だが、反論する余裕もなければ、出来る状況でもない。それをいいことに、エリカのお説教は続いていく。


「だいたいレディというものはね、殿方に言い寄られた時に洗われる犬のようにギャンギャン騒ぐべきではないわ。相手の恋情を上手くあしらって、時に清楚に、時に大胆に、付かず離れずこちらの思い通りに動かすの。それが出来てこそ、一人前の淑女というものよ?」


 そんな魔性の女が淑女というなら自分には絶対に無理だ。

 だいたいエリカだって得々と喋っているが、そっち方面には疎いのだ。こんな風に偉そうに講釈を垂れる程の経験はない筈。

 アディがそういう思いを込めて睨むと、エリカはあらっと顔を赤らめてそっぽを向いた。自分の専門外だと今更ながら気付いたのだろう。


 その時、やっと異常に気付いた衛兵や女官達が室内に駆け付けてきた。今までかかったのは、犯人が手を回して王子の名で人払いを命じていたかららしい。

 すぐにユージン王子の命令で極秘裏の現場の検証と状況の捜査が動き出す。

 アディ達は別室に移った。マチルダ王女も新しい自室を用意されるまで落ち着ける場所はない。その相談をしているのか、兄妹は真剣な顔で何やら話し合っている。


 邪魔をしないようにと少し離れて座ったアディは、今しがたの事件を振り返って身震いした。本当に歯の根が合わないとはこういうことかと実感する。殺意を持って向かってくる人間の目を見たのは初めてだ。憎しみも嫌悪もなく、ただ邪魔だからというだけで、あの女官はアディに対しても殺意を向けたのだ。


「大丈夫? アディ、深呼吸なさい」


 エリカの声に、深く息を吸って落ち着こうとする。


「大丈夫よ。私なんかより、目の前でお兄さまを狙われたマティの方が恐かったでしょうに……ダメね私は。今は部屋がどうこう、事件の始末をどうこうっていう事務的な話より、まず怯えているマティを抱き締めて、もう心配いらないと慰めてやらなきゃいけないって、ユージン殿下に言わなくちゃ」

「……どう見ても一番動揺しているのはアディだから落ち着きなさい」

「でも……」

「あの二人なら、事務的な話はとっくに終えて、今はもっと大事な話とやらをしているわね」

「何それ?」

「現実逃避しているみたいだけれど、アディがさっきユージン王子に、もう離してあげられない、と言われた件について話を詰めている感じだわね」

「な……っ」


 その間にも、ユージン王子とマチルダ王女の会話はとんでもない方向に続いていた。


「アディは初心だからいっそのこと兄さまが激しいやつで蕩かしちゃえば結構いい線行けたと思う。腰引けてるのは拒絶や嫌悪じゃなくて、慣れてないからアワアワしてるだけじゃないかなあ。遠慮してても状況は変わらない気がするよ?」

「うーん、ただこういう時につけ込むのは男らしくないだろう?」

「何言ってるの、兄さまっ! そんなんじゃダメだよっ。アディはしっかりしているようで人がいいから、のんびりしてると横からとんでもないのに攫われちゃうよ? 借金まみれの中年男とか、子沢山のやもめとか、ポンコツ男を切り捨てる非情さがないから、あれよあれよという間に進退窮まって気が付いた時には―――って想像つかない? そうなった時に、兄さまが権力を行使してアディを取り戻せる? やって出来なくはないだろうけど、外聞が悪いからなるべくなら避けた方がいいと思うな」

「確かに。苦労を顧みず、くだらない男に同情して身も心も捧げてしまいそうな、そんなところは容易に見てとれるな」

「でしょっ? 彼をわかってあげられるのは自分だけとか言って、わけわかんない方向に全力で走っていくタイプだよ。だから紳士ぶってカッコつけてたらバカを見るんだってば。ここはひとつ、兄さまの情熱で男らしく迫って、身も心もお先に頂いちゃうんだよ。何はともあれ既成事実だよ。既成事実が必要だよ、兄さま」

「こら、マチルダ。はしたないぞ?」

「だって兄さま……っ」


 呆気に取られていたアディは、兄妹の会話の内容を把握すると慌てて止めに入ろうとした。だが、それより先、ユージン王子が口を開く。


「心配しなくていい、マチルダ。君に言われるまでもなく、事ここに至って彼女を他の男に渡すつもりはないよ。初めて会った時から魅力的な人柄に惹かれてはいたが―――こんなにも強く心を奪われるとは想定外だった」

「じゃあ―――」


 ユージン王子は期待に目を輝かせている妹から、口を開いたまま固まっているアディに視線を移した。熱意の伝わる真剣な目だ。


「アディ、愛しています。俺の気持ちを受け容れてほしい」

「え、あの、と、とんでもない出来事でユージン殿下は気が動転しているんですよ。だってそうですよねっ? さっきまで震えてらしたじゃないですかっ。命を狙われたら誰だって冷静ではいられないしっ」

「ん? さっき俺が震えていたのは愛しい貴女を危険に晒してしまったからですよ。貴女を永遠に失う可能性があったんです。生きた心地がしなかった」


 言いながら、ユージン王子はアディの乱れた髪を優しく撫で付けてくる。その愛しげな手付きに、アディは慌てて飛び退いた。


「うわぁ、顔真っ赤。兄さま、これはかなり脈ありかもね。あっ、いざっていう時はあたし邪魔しないから安心してね」

「俺を意識してもらえたのは収穫ですね。いずれ貴女から俺の胸に来てくれる日を愉しみに」


 アディを視線で絡めとったまま囁くユージン王子には、もはや囃し立てる妹も目に入っていないようだった。


「……これは逃げ道はない感じね。わたくしの見たところ、男がこういう目をした時は本気も本気、絶対に相手をオトすと決めた顔だわ……」


 エリカの助けにもならないコメントに被せるように、マチルダ王女も、兄さま本気だ……と呟く。散々焚き付けておきながら驚いたような口振りが気になったが、そちらを振り向く余裕はなかった。目を逸らしたらその瞬間に抱き竦められてしまいそうな危険を感じるのだ。


「まさに狙われた仔羊、絶体絶命といったところね」


 呑気に解説するエリカをよそに、アディはとめどない冷や汗を背中に伝わせていたのだった。




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