79.佐久間抜作の失態。
天文二十二年(1553年)閏一月十三日。
十二日に平手政秀の葬儀を終え、後始末を終えると那古野に報告に上がった。信長兄ぃには美濃から帰ってきた佐久間信盛という先客がいたので、待たされることになった。
とりあえず、俺は信長兄ぃの部屋に通され、帰蝶義姉上と雑談を交わした。
「私も葬儀に参加したかったわ」
「どこの誰とも知れない死体の葬儀にですか?」
「魯坊丸の晴れ姿を見にです」
「喪主の平手久秀殿の代わりに差配しただけです」
「お忍びの殿と宿老を出迎えたのでしょう」
「はい」
平手の葬儀に、宿老の林秀貞、内藤勝介、山田弥右衛門、織田弾正忠家の長老織田秀敏が参列した。
次の宿老候補となっている織田藤左衛門家信張の参加は見送った。塚を建てた東雲寺は信張の居城小田井城に近く、信張は住職と親しいので、葬儀に参加させずとも噂を広めてくれるだろうからだ。
俺の判断ではなく、死に掛けているような青い顔の平手の爺さんが最終的に決めたんだけどね。
「葬儀の前に移し、那古野城内の天王坊へ入りました。帰蝶義姉上はもう挨拶されたのでしょうか」
「はい、殿が葬儀に行っている間にこっそりと挨拶を済ませました」
「いろいろと献策していたでしょう。無理ばかりするので中々に回復しません」
「和尚(平手政秀)も、魯坊丸は手強いとぼやいておりました。ふふふ」
帰蝶義姉上は口を袖で隠して笑った。
平手の爺さんが生きていることを帰蝶義姉上に伝え、帰蝶義姉上の忍びらにも秘匿をお願いした。
俺が上洛するとき、信長兄ぃの警護をお願いするくらい人手が足りない。
爺さんを隠し通すなんて無理だ。
ならば、最初から共犯者にしておくに限る。
これで爺さんは比較的自由に信長兄ぃと連絡が取れるだろう。
俺が上洛して留守の間も信長兄ぃに、影ながら指示を出してくれると思う。
死に掛けても元気な爺さんは引退する気なんて露ほどもない。
俺は爺さんの愚痴を言いながら、たわいもない報告を重ね、庭を眺めながらお茶を楽しんでいると、信長兄ぃが戻ってきた。
どかっと俺の前に腰掛け、書類を俺に投げつけてきた。
「大体の予定が決まった。確認しろ」
俺は目の前に置かれた書類を拾うと、すぐに目を通した。
佐久間信盛が交わした書状と今後の予定が書かれている。
何ぃ、信長兄ぃと斎藤利政の会見を天文二十二年(1553年)四月二十日だと……俺の眉がぴくりと動く。
三月中旬に俺は上洛しているから俺の留守になるぞ。
平手の爺さんは俺と一緒に上洛したあと、用事を済ませると尾張に戻るつもりだったのか?
一ヵ月遅らせて、俺が帰国してからの方がよくないか?
信盛の独断か、爺さんの仕業か、これは聞いてみないとわからない。
俺は中身を読み進めた。
読み終えると、俺は信長兄ぃの顔を見上げた。
「まず、この日時ですが問題です」
「儂はもう少しあとにするように命じたが、佐久間が舅殿(斎藤利政)に押し切られたと申した」
「押し切られましたか」
「致し方ないと許可を出した。何か、問題があるのか」
「会うだけならば、日帰りなので問題ございません……が、付属する交渉の方が問題です」
「信盛が何度も往復して検討に検討を重ねたぞ」
蝮殿(斎藤利政)は俺に会いたがっている。
だが、俺が勢力を伸ばすのを嫌っている信盛は俺抜きに固執した。
それは嬉しい。
仕事は誰かに任せるに限るが、信盛では力不足だった。
平手の爺さんが居れば、何とかなっただろう。
四月は上洛しており、俺はいない。
信長兄ぃが何度も検討したのが、稲葉山から津島へ抜ける河川と湊を整え直す件と、稲葉山城と牛屋(大垣)を結ぶ水路を新たに掘る計画であった。
整備や掘削は斎藤家が行い、その費用を織田家が持つ。
完成した水運権を織田家に渡すという。
つまり、運賃収入で織田家は出費を補填できるという。
「魯坊丸、計算は何度も見せられた。本当に織田家は損をせぬのか」
「斎藤家の蝮土は輸送代で足が出ております。注文が増えるほど赤字が大きくなります」
「舅殿が言っておったことは本当であったか」
「舟で荷を運べば、商人は安く移動できます。おそらく、水運事業は十分に採算が取れ、織田家が投資した分は取り返せます」
「なるほど、舅殿の言い分は正しかったのだな」
「長良川と揖斐川を結ぶ水路は、稲葉山から牛屋を結ぶ東山道(中山道)と並行して走っておりますので利用者も多いでしょう」
「相判った。損はないのだな」
「二航路、“のみ”は採算に乗るでしょう」
「のみ……だと。他にどこがあるのだ。そんな話は聞いておらんぞ」
「織田家を儲けさせる。そんな甘いことをおっしゃる方でしょうか。帰蝶義姉上、どうですか」
俺はそう言って読み終えた書類を帰蝶義姉上に回した。
書類を受け取った帰蝶義姉上が目を通す。
俺は目線を岩室長門守に移した。
じっと見られた長門守の額から汗が湧く。
「どこか拙い場所がございましたか」
「気が付きませんか」
「はい、どこにも問題はないと思いましたが……申し訳ございません」
「いいえ、俺も一度してやられました。誰でも一度は犯しかねない失態です」
俺が“失態”と告げると、長門守の体が震えた。
一度読み終えた帰蝶義姉上がもう一度読み直し、しばらくして「あっ」と声を上げた。
「この一文でございませんか」
「どこですか」
「ここです。『この蝮土の運搬に関わる水運のみに限る』という一文です。蝮土の材料である白石の粉末を熱田から稲葉山へ運ぶ輸送路は、現状の輸送路と新たに掘る水路の両方が使えます。普通に読めば、この二路に限られます」
「帰蝶義姉上、そこです。“普通”に読めば二路です」
「帰蝶、普通に読めばとは、どういうことだ」
「殿、よく考えて下さい。蝮土は白石だけで出来ている訳ではございません。人糞や家畜の糞尿などを村々から集めております。その輸送に使う水路も整備すると言われる可能性がございます」
「また、村々の水路の整備も織田家の銭でやると言っておるのか」
「父なら、そう言いかねません」
「信長兄ぃ、まだあります。長良川と|揖斐川の上流に新たな白石の採掘場ができております。奥美濃の河川の整備も手伝えというと思います。そして……」
「待て、まだあるのか」
「斎藤利政様は木曽川の上流で白石が採掘できないかと、山師を呼んで調べさせております。中美濃の整備も言ってくるかも知れません。河川を整備するだけで数十万貫文は掛かるでしょう」
「数十万貫文だと⁉」
「その額はあくまで簡単な手入れの概算です。土岐川(庄内川)のような本格的な河川改修を考えれば、一千万貫文から一億貫文(一兆円から十兆円)くらいの予算になるでしょう。あくまで大まかな試算に過ぎません……もっと掛かるかも知れませんし、少ないかも知れません」
「一億貫文だと……あり得ん」
「魯坊丸、父もそこまで無理な要求はしないのではありませんか」
「大きく出して、小さくまとめる。それがいつもの手でございます」
「確かに、そうですね」
まぁ、盛るだけ盛ってくるだろうが、最後まで言い切れば同盟破棄だ。
だから、妥協はする。
信盛にはエグい着地点を設定してくるだろう。
俺も帰蝶義姉上の輿入れでやられた。
帰蝶義姉上の化粧料は、蝮土の“利益の一割”から“売上げの一割”に変更された。
こっそり、最後の合意の一文を変えるだけで化粧料が十倍に跳ね上がった。
しかも、売り上げは誤魔化しが利かない。
例えば、たくさん儲かれば、支給する給金を上げて、利益を下げることができる。
経費を増やし、利益を削ることもできる。
帰蝶義姉上の化粧料を任意に減らすことができた。
しかし、売り上げに掛かる報酬は変えられない。
それは赤字の会社にも消費税が掛かるように、必ず売った分だけ支払う額が増えてゆく。
尾張の開発が進むだけ蝮土が売れ、帰蝶義姉上の化粧料は増えてゆく。
いずれは織田家の為に使って欲しいと、信長兄ぃが頭を下げるほどの額になるだろう。
帰蝶義姉上の存在感が増してゆく。
蝮殿の計略に嵌められた。
それでも化粧料は織田家内で完結していたから目をつぶって同意できた。
だが、美濃の河川に織田家の銭を垂れ流すことなどできない。
「魯坊丸、東美濃の河川改修に熱田商人が銭を出したと聞きましたが、あれは問題ないのですか」
「改修費はすべて借財となります。年利五分(5%)で、木材の買取価格を一割安くする約束になっております。まだまだ改修する河川が残っていますから、すべてを返すには百年掛かる計算となっております」
「百年ですか」
「東美濃の領主らが文句を言わないのか」
「支払いはすべて木材のみという約束です。銭が減らないので払っている感覚が希薄になるみたいです」
東美濃の話はどうでもいいのだ。
すでに佐久間信盛は取次代理として仮署名を終えている。
明後日の評定で承認されて終わる予定だった。
天文二十二年(1553年)閏一月十五日。
俺は評定に参加せず、控えの部屋で待機させられた。
評定後の宿老との話合いに参加する為だ。
退屈だが待つしかない。
次々と決めるべきことが述べられ、信長兄ぃの判断に家老が承認するという談合政治の体裁を取る。
佐久間信盛の番となり、自信ありげに斎藤家との交渉を述べた。
「佐久間信盛、よくぞ交渉をまとめて参った。褒めてつかわす」
「ありがたきしあわせ」
「所で、一つだけ気になることがあった。『この蝮土の運搬に関わる水運のみに限る』という一文である。まさか、材料を運ぶ為の河川という名目で、美濃のすべての河川改修の銭を織田家が出すことに同意した訳ではあるまいな。間違いなく、其方が報告した通りに二路のみであろうな」
「間違いございません」
「であるか。この信長、安心した。もしも美濃の水運すべての河川工事に関わることになれば、織田家の出費が一億貫文(十兆円)になるという試算を聞いて肝を冷やしたぞ」
「一億貫文とは、何のことでございましょう」
「交渉した佐久間は知っておると思うが、長良川と|揖斐川の上流に新たな白石の採掘場がある。そちらの河川も含まれるのではないかと懸念しておった。しかも斎藤利政殿は木曽川の上流でも新たな白石の採掘場を探している。木曽川、長良川、|揖斐川の三大河川の改修になると大掛かりになるかもと意見された。木曽川の上流まで含まれれば、美濃全域となってしまう。よかった。よかった。では、二路と約束した書面も提出せよ」
「特に書面はございません」
「何だと。そちらにも銭を出せと言われたらどうするつもりだ」
「…………」
佐久間信盛の顔が青ざめていった。
どうやら何も知らなかったらしく、何も答えられない。
「もう一枚の書状に“二路のみ”と書いて、儂の署名と印を押しておいた。斎藤利政殿の署名と印を取って参れ」
「か、か、畏まりました」
「美濃の国を取った斎藤利政殿が織田家に有利な案を出しておる。信盛が余程優秀なのだろうと思っておった。相違ないな」
「も、もちろんでござ……います」
「接待にかまけて交渉を疎かにしたとの噂もあって案じておったが、そのようなこともなかったようじゃ。この信長、ほっとしたぞ」
「はい」
「では、もう一度美濃に行ってくれるか。吉報を待っておるぞ。まさかと思うが、斎藤利政殿であっても引くことはあいならんぞ」
「畏まりました」
平伏した信盛は「あり得ない。あり得ない。あり得ない」とブツブツと呟きながら下を向いた。
残念ながら、この追加の書状に蝮殿が署名する訳がない。
難癖を付けるのはここからだ。
次に、平手政秀に代わって織田信張を宿老に引き上げると宣言し、他の家老らも同意した。
「最後になるが、魯坊丸を儂の御伽衆とする。また、次回から評定にも呼ぶこととしたい。異存はないな」
「異存なぞございましょうか。むしろ遅いくらいでございます」
「林の爺ぃは悪童贔屓か」
「平手の代わりは魯坊丸様しかございません」
「憎たらしいが、その通りである」
「方々も、ご異存ございませんな」
筆頭家老林秀貞が下々を睨み付けた。
俺を評価する者と警戒する者に分かれたが、反対派の急先鋒だった信盛はそれどころではない。
家老から声が上がらなければ誰も声を上げない。
反対する者もなく、全会一致で俺の評定入りが決定した。
また仕事が増えるな。




