80.美濃からの人質。
天文二十二年(1553年)閏一月二十日。
佐久間信盛は十五日の評定が終わると、その足で美濃へ向かった。
出迎えたのは豹変した蝮殿(斎藤利政)だった。
「はぁ、今なんと言った。その程度のことも知らずに署名致したとか申すのか」
「ですが、何も教えて下さらなかったではありませんか」
「当たり前であろう。騙された奴が悪いのよ」
「ご無体な」
「くだくだ言わずに、今年の分の銭を持ってこい」
これまで友好的だった態度が消え、高圧的な態度からはじまり、稲葉山から牛屋(大垣)まで、すべての河川改修の予算を請求してきた。
信盛は三日三晩も泣き付いたが、まったく聞いて貰えない。
それどころか、斎藤家の取次役である堀田道空と名代春日丹後守を那古野に派遣され、信盛は連れ去られるように帰城させられた。
「どの面を下げて戻ってきた」
「申し訳ございません」
「この役立たずめ」
昨日、帰ってきた信盛を信長兄ぃは足蹴にして蹴り飛ばしたらしい。
道空と丹後守に対面した信長兄ぃは、河川工事の今年の予算として三千貫文ほど用意して欲しいと懇願されたらしい。
それは怒りたくもなる。
昨日、夜更け前に登城命令と、その予算書の写しが俺の元に届けられた。
俺は読み終えると、それを千代女に渡しながら千代女に話し掛けた。
「今年は三千貫文、来年も三千貫文か」
「工事は十年続く予定ですから、総額で三万貫文となります」
「問題は“洪水が発生した場合はさらに追加の援助をお願いする” との一文だ」
「洪水は毎年のように起こります」
「あぁ、そうだ。十年で終わらない。水運利権を貰っても回収できるのは、百年後か、二百年後かも定まらない」
「信長様も怒る訳です」
対策を考えながら床に入ったのが昨日の話だ。
朝餉を取っていると、道空と丹後守から離れた一団が早朝に中根南城の門を叩いた。
意味がわからん。
「代表は小野城主の横幕帯刀信兼殿です。氏家直元殿の家臣でございます」
「小野城(現・専勝寺)?」
「牛屋城(大垣城)の南に位置する城であり、信兼殿は採掘場の管理を任されております」
「そういう者か」
氏家直元は白石(石灰)の採掘で潤っており、俺に好意的な美濃武将である。
その信兼が三十人くらいの団体でやってきたという。
しかも、まだ年端のいかない子供をぞろぞろ連れて来ている。
信兼は蝮殿と直元の手紙を預かっているらしい。
嫌な予感しかしない。
「千代、信兼殿はどうしているか」
「若様のみの対面を望んでおりましたので、玄関脇にある遠侍一ノ間で待たせております」
「義理父(中根忠良)ではなく、俺に会いたいと申しているのだな」
「余人を交えずと希望しております」
「仕方ない。奥の応接の間に通せ」
「畏まりました」
俺も頃合いを見て、応接の間に移動した。
信兼が中央に座り、その後ろに七人の子供、さらに後ろの部屋に二十人くらいの供の者が控えていた。
俺は上座に腰掛けると、顔を上げるように申し付けた。
「先触れも出さず、急な訪問。誠に申し訳ございません」
「手紙を届けにきたのであろう。手紙に先触れなどあるまい」
「ありがとうございます」
信兼はそう答えると二通の手紙を取り出した。
一通は蝮殿。もう一通は直元。
俺は蝮殿の手紙を開いた。
『取次のこと。話し合いに応じる。
委細は道空、口上に任せ候』
(取次役を交替しろ、そうすれば話し合いに応じてやる。細かいことは、堀田道空に聞け)
短い手紙だが俺宛ではなく、信長兄ぃへの手紙であった。
俺から信長兄ぃに届けてくれという意味だろう。
つまり、俺を取次役にすれば、佐久間信盛の失態を白紙にして話し合いに応じるという意味か。
蝮殿は相変わらず、芸が細かい方だ。
直元の手紙は、ツラツラと感謝の口上が続き、次男の八丸(氏家行広)を中根学校で学ばせて欲しいという嘆願書であった。
中根にできた学び屋は“中根学校”と呼ばれている。
周辺から優秀な生徒を集めた。
すると、熱田中の武将から息子を預かって欲しいと頼まれ、今では織田方の武将からも息子を差し出す者が増えていた。
学校を卒業すれば、領地の代官になれると言っているからだ。
「千代、受け入れるべきか?」
「織田家は先代様(織田信秀)から領地に代官を派遣しておりました。若様はそれを利用され、信長様を通じて代官に土地の管理を任せるように変更させました」
「領主なのに予算を自由にできなくした」
「そうなれば、領主は一族の者を代官に据えたいと考えます。時流を読むに長けている領主は、一族の者を中根学校に入学させようと望んできました」
「あぁ、予想通りに次男や親族を学校に送ってきたな」
「美濃には代官を置く制度がございません。織田家への人質という意味合いが強いと思われます」
「俺が引き取って問題はないか」
「問題はございません。しかし、信長派の方々はよい顔はせぬでしょう」
「だろうな」
美濃の領主らは信長兄ぃではなく、俺に人質を送ってきたことになる。
俺の美濃への影響力が増す。
同じ美濃斎藤家を後ろ盾にしている信長派の方々には大変なことだ。
「考えても仕方ないか」
「いろいろと調整には時間が必要となりましょう」
「そうだな」
小声で千代女との会話を終えると、俺は正面を向き直した。
「信兼殿、後ろの者を紹介してくれぬか」
「承知致しました。まずは、殿である氏家直元様の御次男、八丸様でございます」
「八丸です。宜しくお願いします」
「魯坊丸である」
「次に、明智光安様の御次男、明智助十郎様でございます」
「助十郎でございます。父よりよく学んで来いと仰せ遣っております」
「うむ、期待に添えるようにしよう」
明智光安、斎藤家の家老じゃないか。
中美濃の明智家から人質を送ってくるのか?
大物過ぎて、ちょっとびっくりする。
「次に、古田重安が子息、左介」
「左介にございます。叔父の重安様は養父にて、某の実父は勘阿弥でございますれば、古田家の嫡男ですが価値はございません」
「左介、余計なことを申すでない」
「申し訳ございません」
子供らは前三人後四人に並んでいたが、前の三人目と飛ばして、後ろの古田が呼ばれた。
なんか陽気な餓鬼だな。
古田家といったが、豊臣政権で筆頭茶堂になった古田織部の親族か。
案外、本人かも知れない。
「次に、西尾信光がご子息、藤次郎」
「藤次郎にございます。父は三河国幡豆郡西尾の領主でしたが、没落して斎藤家の世話になっております。三河を奪う気がございますれば、お助けしたいと考えております」
「そのときは頼む」
「はぁ」
「次に、徳山貞高がご子息、孫三郎」
「はい」
「次は、佐藤忠能がご子息、昌信でございます」
「昌信でございます。出立前に元服致しました。若輩者でございますが、よしなにお願い致します」
「宜しく頼む」
信兼がそこで一度止め、すっと息を吸うと後ろを確認した。
残るは、前列最後の三人目。
年は十歳頃だろうか、俺より少し体が大きい感じがする。
年の割に堂に入っている。
子供の顔をした大人のような雰囲気……人のことは言えないか。
信兼が唾を飲み込んでから紹介を始めた。
「最後は、竹中重元が御嫡男、重虎でございます」
「重虎にございます。皆は私を半兵衛と呼びますので、どうかそちらの名でお呼び下さい」
「幼名ではなく、半兵衛か」
「竹中家の家格では、竹中家の嫡男重虎では侮られます。自ら半兵衛を名乗り、商人や周辺領主と渡り合っておりました」
「そうなのか」
「会ったときは、皆、びっくりしておりました」
楽しそうな顔をして笑った。
半兵衛(竹中重治)だと。
後に、竹中半兵衛は『今孔明』の名で呼ばれる軍師じゃないか。
どうして、そんな奴がここに来るんだよ。
半兵衛はニヤリと笑みを浮かべると、さらに口を開いた。
「急に人質を送られ、魯坊丸様も驚きのことでしょう。少し、お話をしても宜しいでしょうか」
「構わん」
「山城様(斎藤利政)の手紙を受け取ってお気づきと思いますが、山城様は魯坊丸に会いたがっておられます」
「その話は聞いているが、俺も忙しい身である」
「美濃に行くのが恐ろしいのでございましょう。いいえ、少し違いますか。魯坊丸様さえ亡きものにすれば、何とかなるかも知れないと揉めることをご懸念しておられるのでしょう」
当たらずとも遠からず、俺は単に面倒なだけだ。
半兵衛がはっきり言うと、信兼が「待て、勝手なことを言うな」と制止するが、半兵衛は止めない。
「山城様はそれほど愚かでございませんが、魯坊丸様を危険視する者は少なくありません。魯坊丸様をよく知る者ほど危険に感じておられます」
「言いたいことを言う奴だな」
「山城様もそのことを承知しております。それゆえに稲葉様を外し、明智様と氏家様に相談されております」
「ほぉ、稲葉殿は俺を危険視しておるのか」
「山城様は美濃のことを思っておりますが、稲葉様は次期当主の高政様の守役でございます」
「俺が高政殿と敵対するとでも考えておられるのか」
「高政様は典型的な武闘派でございます。弱い所から狙います」
「織田家は弱いか」
「いいえ、弱くはございません。しかし、西の六角家、北に朝倉家、東に武田家が勢力を伸ばしております。この三国と比べればどうでしょうか」
「なるほど、確かに弱そうだな」
「他にも脇が甘い浅井家などもございますが、高政様の奥方は浅井家の出でございます」
「なるほど」
「斎藤家が狙えるのは尾張、木曽、飛騨でございます。特に尾張は守護代と奉行が争い、その奉行の織田弾正忠家も三つに割れている。何と言っても銭があります」
「太った獲物という訳だな」
「その通りです。美濃の武断派にとって尾張は美味しそうな獲物です。しかし、山城様は一切手を付けようとされない。武断派の怒りは溜まりに溜まっており、高政様を担ぎだそうとしております」
「そうだな」
「顔色一つ変えない所を見ると御承知でしたか」
その程度の話は別に珍しくない。
美濃に蝮土を売って石高を増やし、産業を興して銭を得られる手段を教えている。
蝮殿の力が増せば、反抗する者も減ってゆく。
蝮殿は中美濃と西美濃の武将を懐柔する一方、奥美濃は力で抑えつける政策を取っていた。
室町の武将は大義名分に拘っている。
大義のない下剋上で美濃を奪い取ったツケもあり、蝮殿の足元が常にグラついていた。
その矛先をかわす為に、高政殿の実父が土岐頼芸と噂を流し、美濃守護の正当な血筋に戻すという言い訳のような政策を取っていた。
ゆえに、高政が武断派と親しいという理由で簡単に廃嫡できない。
美濃には美濃の複雑な事情がある。
「困った山城様は、明智様と氏家様に相談され、氏家様は我が父に知恵を授けにやってきたのです」
「この策は、竹中重元殿が考えられたのか」
「いいえ、茶を配膳するときに、私が提案致しました。魯坊丸様に人質を送れば、武断派もおいそれと動けなくなると」
「そう簡単に武断派が諦めるか」
「中美濃の明智家、西美濃の氏家家から人質を出させた状況で武断派の動きを許せば、山城様に味方する者がいなくなります。故に山城様が武断派の処分に必ず動きます。それが判っていて、武断派の者が動けますか」
「同じ武断派も割れる訳か」
「はい、武断派も割れます。一致団結していれば、山城様もおいそれと手が出せませんが、分裂すれば、プチっと潰せます。いいえ、山城様は好機と思い、馬鹿共を一掃されるでしょう」
半兵衛のいう通り、武断派が動けば、明智家と氏家家の両家が敵に回る。
美濃を二つに割った大戦になり、尾張を美味しく頂く所ではない。
そうなるとわかっていて高政が立つか。
ないな。
武断派が割れ、高政という神輿を担げなくなった武断派を簡単に潰す好機になる。
あぁ、そうか。
蝮殿もその考えに至ったが、織田派に自分から人質を差し出せとは言えない。
それでは強制となり、反発を生む。
だから、自主的にその結論に至るように明智家と氏家家に相談した。
反対するであろう稲葉家を外した。
半兵衛はそれに気付いて直元に提案した。
これで武断派が大人しくするもよし、ヤケになって動けば潰す。
どちらでも後顧の憂いもなくなる。
「魯坊丸様は知恵が回ります。下手に誤解を生んではいけませんので説明役に名乗りでました」
「疑ったりはせぬぞ」
「そうでしょうか。山城様は多くの方を騙して来られました。警戒されて当然でしょう」
「それを言うか」
「今回は謀略などではありません。山城様は純粋に魯坊丸様との面会を望んでおられます。これからの美濃を託せるかを見極める為に」
見極めた結果。
危険と思われれば、殺されそうな気がする。
まぁ、半兵衛の言う通りで、美濃に行った先で殺せないか。
毛虫や蜘蛛が好きな奴もいるが、俺にそんな趣味はない。
やはり、俺は蝮に会いたくない。
「人質を差し出して魯坊丸様を殺めれば、織田派の武将も山城様から離れ、山城様は味方をすべて失うでしょう。この策は武断派を抑え込むと同時に、魯坊丸様の信用を買う為の策でもあります」
「安心してやって来いというのだな」
「はい、その通りでございます。この説明をする為に私が派遣されました」
先に人質を差し出しておいて、今更、行かないと言えないか。
糞ぉ、この蝮は煮ても焼いても食えない。
半兵衛か、噂通りの切れ者のようだ。
こんな奴を懐に置いて大丈夫か?
「其方も災難であった。帰国を望むならば、頃合いを見て帰国できるようにするぞ」
「いいえ、その必要はございません。私にとっては渡りに舟です。面白そうな魯坊丸様の下へ行く機会を狙っておりました」
「そ、そうなのか」
「魯坊丸様の食客三千人と早く話したいと思っております」
「食客三千人だと?」
「魯坊丸様、魯坊丸様たらしめる知恵の集団。それが食客三千人でございましょう。私もその一柱となる気概でやって来ております」
「少し落ち着け。其方は人質であろう」
「家督は弟に譲ると一筆を書いて出てきました。これよりは家臣と思って接して下さい」
「待て、家督とは一筆で譲れるものではないぞ」
「父が認めれば済む話でございます」
「認めなかったらどうする」
「そのときは、魯坊丸様から父を説得して頂きます」
「俺に丸投げするな!」
「そんなことより、さぁ、世界の深淵をお見せ下さい」
なんか、ちょっと目が怖い。
こんな変な奴が俺の家臣になりたがっているのか。
半兵衛って、こんな奴だったか?




