75.朝は早いが平和だった
天文二十二年一月八日
ずっと早い早朝、真夜中と言ってもいい。
がさがさと、さくらに体を揺すられて起こされた。
「若様、起きて下さい」
「さくらか、もう朝か」
「朝には、まだ二刻(四時間)ほどあると思います」
「真夜中ではないか」
「釜出しがございます」
「釜、炉……あぁぁぁ、そうか。あったな」
俺の止まっていた脳が動き出した。
あぁ~~~~、そうか。
鍛冶師達は火を入れた炉の「釜出し」をすると言っていた。
正月参賀で飲み明かし、その翌日から三日三晩の鉄づくりだ。
鍛冶師らは理由を付けて「火入れ」「釜出し」に付き合って欲しいと願い出てくる。
外せない用事がある場合は断っているが、可能な限り受けていた。
あぁ、眠い。
「新しい鉄を試すときは祈ってくれとか、今年最初だから来てくれとか。俺が行く意味があるのか」
「今度から断りましょうか」
「…………」
「このさくらに任せて下さい。ガツンと言ってやります」
「いいや、止めておこう。ヤル気を削ぐことはしたくない」
鍛冶師らは迷信深い。
熱田明神の生まれ変わりである俺が祈ると、良い鉄ができると信じている。
一心不乱に良い鉄を作ろうとしてくれている。
技術革新の原動力だ。
石炭と石灰で不純物を除去できるという俺の知識は入口に過ぎない。
空気の管理?
酸素を送り込み、炭素量を1.0%から1.5%にする。
どうすればいいかわからない。
鋼鉄の完成には、現場の創意工夫が頼りなのだ。
ヤル気が命綱だ。
俺の帯を締めている松が冷静な意見を呟いた。
「そうですね。刀づくりの金山衆からすれば、今の製鉄でも十分な玉鋼を確保できています」
「松、どういう意味です」
「さくら、よく考えて下さい。鉄作りの大半は金山衆の鍛冶師です。最高の刀を作りたいと思っている連中です。若様がお望みなのは、安定して鉄を作れる技術です」
「そうです。だから、私がガツンと」
「若様もヤル気を削ぐ気はしないと言っておられます」
その通りだ。
大量の鉄砲、大砲を作るには足りない。況して、鉄の船を造るにはまったく足りない。
いずれは大量の鉄鋼と石炭が必要になる。
それまでに技術を確立させておきたい。
「鍛冶師に従うということですか」
「見習いの技術者を育成できるまでです。そうですね、若様」
「その通りだ」
「さくら、了解しました」
さくらは護衛として頼りにされるが、内政はからっきしだ。
その分、皆がフォローする。
さくらにとって変わろうという野心家は誰もいない。
何故なら、侍女長になると、千代女、何見姉さん、乙子姉さんの風当たりが強くなる。
何より、訓練で加藤の要求値が跳ね上がる。
誰だって死にたくない。
さくら、楓、紅葉は見ている方が可哀想になるくらいに苛められており、特訓のあとの楓と紅葉は裏ではかなり落ち込んでいる。
どんなに精神的に追い詰められても、一刻で復活できるのがさくらくらいだ。
そんな艱難辛苦に挑戦したいというマゾヒストな侍女はいないようだ。
「さぁ、若様。出発です」
「毛皮が残っております」
「帽子と手袋もです」
「湯たんぽは用意してありますか」
「紅葉が台所に向かいました」
「さくら、準備が整いました」
「では、行きましょう」
松、竹、梅の指示で真新しい着物を着せられると、最後に毛皮を羽織らされた。
達磨さんのような着ぶくれだ。
もちろん、毛皮の帽子と手袋も装着済みだ。
さくらを先頭に廊下を歩いていった。
外に出ると、美しい星空が広がっていた。
だが、寒さが一段と厳しく感じた。
皆が集まり、俺は武蔵に抱きかかえられて出発だ。
千代女が横に付いた。
「若様、長根村の谷道を進みます」
「警護のためだったな」
「大丈夫と思いますが、鉄砲や矢で狙撃しようと考える馬鹿がいないとは限りません」
中根南城をまっすぐ北に進むと学校があり、その後ろにさくら山がそびえている。
さくら山の頂上近くにある製鉄所へ向かうならば、尾根伝いで歩くのが最短距離になる。
尾根伝いは見晴らしがよく、こちらからよく見えるということは、敵方からもよく見えるのだ。
だが、夜は遠目が利かない。
狙う方は松明の灯りを目印に狙えると言う。
中根村に近づいた時点で監視されており、そんな万が一はあり得ない。
俺はそう思うのだが、千代女らはより安全な谷道を選んだ。
谷間は視界が悪く、狙える場所が絞られる。
「そう言えば、津々木蔵人の放った刺客はどうなった」
「刺客の名は杉谷善住坊と名乗っておりました」
「どこかで聞いたような……」
「後藤家が攻め滅ぼした城の中に杉谷城がございました」
「そうだ。六角家が千種城を攻め取る前に奪った城の一つだったな」
「はい、その通りでございます。熱田の仲介屋に伊勢の杉谷城の者と名乗っております。本人曰く、甲賀の杉谷家の縁の者とか……。しかし、杉谷家に近い者に聞きますと、伊勢の杉谷家と甲賀の杉谷家の交流など知らないと申しております。調べておきましょうか」
「必要ない」
「善住坊は若様に召し抱えられたいと申しませんでしたので、店主は信勝様に回したそうです」
そりゃ、そうだ。
甲賀の出なら望月家か、俺の侍女の実家の紹介で訪ねてくる。
仲介屋など通さない。
凄腕の者なら元締めか、加藤が接近して身柄を確かめる。
腕は一流半以下ということだ。
「昨日、若様が凧上げを為さっている頃、近づいて狙撃を試みましたが、加藤に忠告されて逃走しました。昨日の内に尾張の外に逃げたようです」
「蔵人に報告もせずにか」
「はい、平針街道を西へ、それから東美濃に方角を変えて北上して行ったそうです。加藤の脅しが堪えたのかも知れません」
あぁ、恐らくそうだろう。
殺さなかったのは、信勝兄上に雇われているからだろうな。
可哀想に。
今が戦国の世でなければ、絶対に加藤のような人間は遠ざけている。
話すだけで心が削られる。
だが、今川義元を筆頭に、加藤のようなヤバい奴らを刺客として送ってくる。
対抗するには、加藤とその仲間達の力が必要だ。
俺の命令を歪曲し、独断専行が常の連中だぞ。
危な過ぎて触りたくない。
長根村を通っていると、バタンと民家の扉が開いた。
子供二人が飛び出し、すれ違って走っていった。
「桶を抱えておりました。網漁の手伝いに行ったのでしょう」
「偉いな」
「網引きに参加すれば、桶一杯の小魚が貰えます」
「俺がそう決めた」
「本日の干潮は卯の刻(午前五時)です。準備を考えれば遅いくらいです。寝坊をしたのでございましょう。他の子供らは我らとすれ違う前に海岸に向かっていたと思われます」
「子供の朝も早いのだな」
「潮の満ち引きで網を引く時間を決めております。若様より早く起きる日が今日だっただけでございます」
網引きは毎日四分の一刻ずつ遅くなり、未の刻(午後2時)まで遅くなると、次から早朝の寅の刻(午前3時)に変更される。
それを一ヵ月のサイクルで繰り返す。
「若様が気にされることではございません」
「そうか」
「あの者らは日が沈めば、すぐに床に付きます。若様とは違うのです」
「なるほど」
蝋燭や油は贅沢品だ。
俺のように好きなだけ使える訳じゃない。
満月でなければ、月灯りで本を読むこともできんか。
視察から戻ってきた楓が話し掛けてきた。
「特に問題ないそうです」
「そうか」
「でも、よかったですね」
「何がだ?」
「朝練がお休みになったことです」
「その分、まだ眠い」
「今日のお昼寝は余分にとっております」
今朝はかなり早く起こされた。
普段の俺は早朝(午前五時頃)に起こされる。
これは敵の朝駆けに備えて、日の出前に起きる武士の本分を身に付けるためである。
そこから日の出まで朝練を行う。
最近は体力作りで走らされており、楓がいう通りで全力疾走は中々に辛い。
その朝練がお休みだ。
そう考えれば、製鉄所への視察も悪くないかもしれない。
何か含むところがあるのか、鹿が楓の背中を押した。
楓が「わかっているから」と面倒そうに返事する。
「滝川資清と慶次郎(前田利益)の警護はいつまでさせます」
「平手政秀の警護の話か」
「そうです」
「那古野に行ったときに、信長兄ぃに相談するつもりだ」
「そんな人材は余っておりません」
「そんなことはないだろう」
「それなりに力あるものは役職を持っております。力があっても前田利家のような者は務まりません」
楓に言われて、「確かに」と頷いてしまった。
信長兄ぃに相談すれば、そのまま二人をずっと警護に付けることになりそうな気がしてきた。
信長兄ぃならありそうだ。
「資清が平手の警護に取られるのは構わんが、慶次郎は鉄砲衆の指導役に残したい。取られるのは拙い」
「鹿らもそれを心配しております」
「鉄砲衆から頼まれたか」
「見習いが造った鉄砲を確かめて貰いたいと申しているそうです」
鹿がじっと俺を見ていた。
「鹿、何か策があるのか」
「伊賀者を雇ってはどうでしょうか」
「召し抱えるのではなく、雇うのか」
「腕に自信がある者は、雇われる方を好む者もおります。伊賀崎道順や井上弥右衛門はその最たる例です」
「雇われたいのか」
「はい、家臣になるのを嫌がります。織田家に含むところがある訳ではございません。三好の調査などを引き受けています」
「なるほど」
「腕に自信がある者を四、五名ほど雇うのはどうでしょうか」
「悪くない。信長兄ぃに提案する。元締めに話を通しておいてくれ」
「かしこまりました」
鹿が「やった」という感じで喜んだ。
さくらは頼りないのでフォローされ、楓は楽をしたいから任せ切り、紅葉はドンドンと仕事を突き上げて息を付く間もない。
メンバーはローテーションさせるから、楓の下なら鹿は生き生きしているが、さくらの下のときは常に怒っている。
三人三様で面白い。
山道も中程まで進んだところで、紅葉が話し掛けてきた。
「若様。あとでも宜しいのですが、まだ時間があるので報告させます」
「何かあったか」
「朝顔、京の情勢を報告して下さい」
「はい。昨夜、若様が就寝後に手紙が届きました。公方様が室町代で正月参賀を催しました」
「聞いておる」
「三好長慶殿は出席せず、松永久秀殿が出席したと報告しましたが、出席しない理由が判明しました」
「熱でも出していたのか」
「いいえ、上洛した長慶殿を暗殺する手筈が進行しているという垂れ込みがあったそうです」
「暗殺ね」
「長慶殿を見張っていた丹波の忍びが捕まり、暗殺の噂に真実味が出たので正月参賀の出席を取り止め、久秀殿を名代としました」
公方様の幕臣が長慶殿の暗殺に失敗している。
噂だ、そう笑える状況じゃないか。
正月参賀にゾロゾロと家臣を連れて行く訳にゆかない。
警戒するのもわかる気がする。
朝顔の報告が続き、側近である上野信孝が「和睦しながら、将軍を軽んじている」と騒いでいるそうだ。
ここに来て、幕府方と三好方が緊張しはじめていた。
「嫌な話だな」
「はい、次に何かあれば戦になるかも知れません」
「戦になれば、上洛が中止になるかも知れん。悪い話ではない」
「若様……」
俺がそういうと朝顔がちょっと呆れた。
それをフォローするように紅葉が言葉を添えた。
「今なら三好家に、上洛の際に通過をお願いする予定である旨を添えた正月の挨拶を送っただけです。わかりますか」
「はい?」
「わかっていませんね。信長様が正式な使者を送った後に中止を申し出せば、織田家は三好家と敵対するという宣戦布告に取られ兼ねません」
「確かに」
「今、戦となっても、公方様に支援金と物資を送り、三好家にもこっそり資金を送るという中立の立場が取れます。比叡山や興福寺、京に運んでいる酒など、熱田の船を接収させる危険を避けられると、若様は申しているのです」
「なるほど、今戦が起これば、三好家と敵対せずに済むのですね」
酒の運搬があるので三好家と敵対しないのは最初からの方針だった。
だが、さっきの発言は上洛したくないだけだった。
いつもいつも深読みをしている訳じゃない。
だが、紅葉の説明で朝顔をはじめ、他の侍女らも「流石、若様です」という顔になっていた。
否定するのも拙いので黙っておこう。
俺が考えなくとも、情報を渡しておけば平手の爺さんが考えてくれる。
そんな感じで気楽に構えていた。
「若様、製鉄小屋が見えてきました」
このあと、平手の爺さんが退場し、すべて俺の肩に乗るなど考えもしていなかった。




