閑話(73).大酒飲み慶次郎
天文二十二年一月六日。
荒子城の南、中島村の近くに建てられた屋敷で俺は体を揺すられた。
「旦那様、もう昼でございます」
俺は妻の美津に起こされて布団から出た。
朝帰りだったので、まだ眠い。
元旦は荒子城で飲み、二日は那古野城の控えで飲んだ。
三日は『弓始め(射礼)』、『乗り始め(馬術)』という儀式があって、あまり飲めなかった。
四日は中根南城で正月参賀があった。
俺はさくら山の鍛冶衆に呼ばれ、中根南城から届けられた料理と酒で朝まで飲んだ。
やはり中根家が用意する清酒は美味い。
同じ清酒でも美味さが違う。
送られた樽が空になるまで飲み明かし、一眠りして帰ったのが昨日の夕方であった。
「旦那様。今日はどうなさいますか」
「熱田に参拝した後、鍛冶衆に礼を言ってくる」
「そうでございますか」
妻の美津がにっこりと笑った。
養父前田利久の弟にあたる安勝の娘だ。
年は九歳(満八歳)と若すぎる妻である。
俺は当主の前田利春とは反りが合わない。
そもそも先代(織田信秀)の意向がなければ、前田家に養子に入ることもなかった。
確かに養父(前田家の嫡男)に子がなかったが、外から養子を迎えずとも次男に継がせる手があった。先代は滝川家と前田家を強く結ばせる意味を兼ねて、俺を前田家の養子に入れた。
だが、その先代が亡くなった。
もう俺を前田家の当主にする義理はなくなった。
「もう昼ですが、朝ご飯ができております。今朝採れた新鮮な卵で作った目玉焼きです」
「頂こう」
「すぐに準備して参ります」
塩田の埋め立ては進み、魯坊丸の養鶏場や養豚場が立ち並ぶ。
東の埋め立て地は熱田衆の倉庫街が建ちはじめた。
お陰で、家の家計は大黒字だ。
一部を本家に上納しても余っている。
塩田を貸し出したのは正解だった。
「目玉焼きの他に、焼き魚と味噌汁と沢庵でございます」
「頂こう」
「旦那様、美味しいですか」
「あぁ、美味い」
去年、熱田衆から前田家の塩田を借りたいと申し出があった。
土地の境界で揉めている熱田衆と話などできぬと利春は反対した。
俺は養父を説得して賛成させ、当主の決定をひっくり返した。
だが、それが当主の逆鱗に触れたらしい。
利春は自分の次男を、嫡男である俺の養父・利久の養子に入れた。
これで利久の跡を継ぐ者は俺だけではなくなった。
その上で、俺には塩田を与えて分家を立てさせた。
本家を出て一家を構えた俺が、前田家の家督を継ぐことはもうない。
問題は家臣だ。
俺に付いてきたのは助右衛門(奥村永福)の一人だけであった。
助右衛門は前田家の古参である。
その奥村家を離れて、俺に付いてきてくれた。
ありがたいが、幼い美津を気遣ったというのが真実であり、何かと意見がぶつかっていた。
そもそも治める村が一つだけだ。
しかも貧しい漁村だったので三十人しか住んでいない。
従者と侍女、養鶏場や養豚場を世話させるために召し抱えた使用人を合わせた数の方が多いくらいだ。
焦ることはない。
美津を世話する侍女は十分にいるし、当分の間、助右衛門一人で十分だ。
助右衛門が居れば、家は任せておける。
「殿。助右衛門が家臣を召し抱えたいと申しておりますが」
「却下だ。養鶏場と養豚場を拡張する許可は魯坊丸様から貰っている。人を雇って、大きくするのは良い」
「馬ならば、ともかく、鳥やアグー(黒豚)の世話を喜ぶ武士はおりません」
「読み書きと算盤が得意な者ならばよいとも言っているぞ」
「そんな方はおられません」
「家が出来て一年だ。焦ることはない」
「旦那様」
「助右衛門は頼りになる男だ。任せておけば大丈夫だ」
槍を振るしかできない利家のような馬鹿は嫌いだ。
塩田の貸し賃でそれなりの銭はあるが、当主に睨まれている分家に仕えたい奴はいない。
また俺の名は売れておらず、外から仕官を望む者もいない。
心配そうに見上げる美津の頭にポンと手を置き、「大丈夫だ」と言って家を出た。
熱田神宮を参拝した後、中根村の東八幡社に向かった。
平針街道を進み、菱池砦(中根中城)を抜けて中根村に入ると、神社が建てた小屋の門を潜った。
やぁ、やぁ、やぁ、子供らの掛け声が聞こえてきた。
どうやら先客がいた。
「(滝川)資清殿。精が出ますな」
「今日は加藤が中根南城にいるから時間を潰しているのよ」
「なるほど」
「慶次郎も酒目当てか」
「いや、鍛冶衆の宴会に誘われた。そのお礼を魯坊丸様に言いにゆくところだ」
「今、行ったら加藤に捕まるぞ」
「そんな気がしたから、時間を潰しにきた」
「それにしても慶次郎を誘ってくれるところがあったか。儂はなかったから、勝手に台所の料理を頂いた」
「よく叱られなかったな」
「熱田神宮の警護が忙しいとか抜かして、さくら殿の代わりに尾張中を走り回されたのだ。それくらいは当然だ」
「池田家に戻らなくていいか」
「(池田)恒興様は信長様が一番だ。正月の参賀も早々に切り上げて那古野に行かれた。片桐家、日置家の古参の家臣らが威張っているところに居られるか」
恒興の父、恒利が亡くなると、古参の家臣が息を吹き返した。
恒利が池田家に養子に入り、当主となったと聞いて、甲賀から来た者は肩透かしを食らった。
魯坊丸が甲賀衆と伊賀衆を召し抱えると、宗順(岩室重利)はちゃっかり伊賀衆の頭に収まったが、不器用な滝川家は仕事が一気に減った。
仕事がない訳ではない。
魯坊丸が臨時で使い勝手よくこき使っていた。
資清伯父御はこき使われた分を飲み食いで回収するのが常であった。
「ここで子供の面倒を見れば、どれだけ飲み食いしても文句を言わないからな」
「俺も手伝うか」
俺は小屋の中に入り、居残って勉学に励む子供を指導した。
皆、魯坊丸に仕えることを希望しているが、その内、変わり者が俺に仕えたいというかも知れない。優しく教えてやって損はない。
中根南城で加藤に捕まると、どんな課題を出されるかわかったものじゃない。
去年は敵のど真ん中に捨てられた。
よく生き延びたと思う。
加藤が居なくなる夕方まで時間を潰すのが一番だ。
剣術や勉強を教えた子供らを見送ると、俺達も中根南城へ向かった。
玄関をくぐると取次が出てきた。
用件を言うと、魯坊丸は来客中らしい。
「無理に呼ぶ必要はない。今日は礼を言いにきただけだ」
「承知しました。控えの間に案内します」
「それには及ばぬ。台所の控えを借りる」
「台所の控えですか」
若い取次はちょっとびっくりしていた。
慣れた者なら「あぁ、慶次郎さんですか。来ていると魯坊丸様に伝えておきます」というだけだ。
勝手知ったるなんとかやらだ。
加藤のシゴキに耐えた連中とは酒を飲み交わしており、もう他人の気がしない。
そういう訳で台所の脇にある小部屋に入った。
下女が何も言わずにお銚子を持ってきてくれた。
屋敷で飲むよりお手軽だ。
奥の棚からお猪口を取り出し、一つを資清に渡した。
奥の扉が開くと、魯坊丸が飛び出してきた。
「資清、慶次郎、頼みがある」
魯坊丸の頼みは頼みじゃない。
後ろで秘書の千代女が怖い顔で睨んでおり、無言で「断るなよ」と釘を刺していた。
千代女なんて怖くない。
だが、魯坊丸の頼みは断れない。
さり気なく、断れば清酒のタダ飲みを禁止すると言ってきた。
「平手政秀殿の護衛だ。正式な護衛が決まるまで引き受けて欲しい」
「わかった。いつまでだ」
「今度、那古野城に行ったときに信長兄ぃと相談する」
「資清、行こうか」
「待て、一杯くらいはいいだろう」
「しくじったとき、酒を飲んでいたと言って許してくれるといいな」
「ちくしょう、またお預けか」
「終わったら特級酒を用意してくれると言っている」
「美味いのか」
「あぁ、極上だった」
「なら、仕方ないな」
俺も酒に目がないが、資清も酒に目がなかった。
出立の準備をしていた政秀殿に追い付き、魯坊丸の命令で護衛をすることになったと言った。
政秀殿が「余計なことを」と言いながら嬉しそうな顔を覗かせた。
やっぱり、魯坊丸は人垂らしだ。




