閑話(69) 熱田神宮に降臨した舞姫
天文二十二年一月一日元旦。
寅の刻(午前4時から6時頃)の日の出前、熱田の神官が斎館(社務所)から本殿へ移動をはじめた。
先頭を、大宮司である私(千秋季忠)と河内親忠が歩く。去年まで一歩後ろを歩いていた親忠が肩を並べているのが腹立たしい。
昨年、大殿(織田信秀)が亡くなったことで千秋家の有利が消え、魯坊丸様も河内家との関係を修復したことで、堂々と肩を並べて歩くのだ。
忌々しいことだ。
しかも今年は魯坊丸様が末森に元日の参内を求められた。
このままでは熱田神宮への織田家の後ろ盾が失われたように見えてしまうと、魯坊丸様のご配慮で名代となった三姫が並んで歩いていた。
「わらわが参加できると言ったら、母上様が羨ましがったのじゃ」
「私もです」
「その……すみません」
「里の母御がわらわらを心配するのは当然なのじゃ」
「下女に身を落とし、兄上様の侍女に紛れるなど、普通はできません。流石、魯坊丸兄君の母上様です」
「ありがとうございます」(違います。母上は神聖な行事が好きなだけです)
お市姫、お栄姫、里姫が楽しそうに、私の後ろを付いてくる。
親忠も文句を言わない。
はじめて魯坊丸様が私の後ろに付いたときは、「見習い風情を後ろに付けるとは……」と言いたげな顔をしていた。
最近では、魯坊丸様は熱田明神の生まれ変わりだと、神官の誰もが疑わなくなり、我々の前を歩くべきだという意見が神官らの中にあるくらいだ。
もちろん、魯坊丸様はそういったことを望まれない。
斎館から一ノ鳥居に続く参道の林に、三姫のお付きの方は一ノ鳥居までの道中を、林に身を潜めて見守っておられ、お市姫が彼ら彼女らを見つけて手を振っていた。
お栄姫がそれを注意する姿が微笑ましい。
お付きの方は一ノ鳥居の内には入れないので、ここに留まり遠くから見守られる。
お市姫の母上であられる土田御前様からたくさんの奉納品を頂いた。
お市姫が見習いとして参加を承諾頂きありがたかった。
外玉垣御門をくぐり、内玉垣、瑞垣を通って本殿に至った。
神官が前に出て、開扉の儀を行って、本殿の扉が開かれる。
おぉぉぉぉ、神官らが声を上げると、三姫も目を丸くしながら遅れて声を上げた。
なんと微笑ましい。
歳旦祭では、参加せずに式典を下支えする者が多くいる。
典儀、陪膳、伝供、伶人、出仕(見習いの神官と巫女)と呼ばれる神官や巫女のことである。その出仕に紛れて、魯坊丸様の侍女や護衛が三姫を守っており、その侍女に混ざって、魯坊丸様の母上様がおられた。
魯坊丸様も大胆な方だが、その母上様も大胆で困った方だ。
しかし、母上様の機嫌を損ねることはできない。
今回の舞いの演目も、魯坊丸様は唐の勇敢な武人が舞う『蘭陵王』を希望されていたが、魯坊丸様の神々しさを表現する舞ではなかった。
我々がどれほどお願いしても変わることはなかったが、母上様が神の恵みに感謝する清らかな舞である『豊栄舞』を希望された。
豊栄舞は巫女舞なので魯坊丸様は拒絶されたが、押し切られる形で豊栄舞に変わった。
神官らは大喜びであった。
衣装も魯坊丸様は真っ白な浄衣と烏帽子での舞いを希望されたが、元服されていない魯坊丸様は少年であり、着衣に制限はないと母上様に説得して頂いた。
白地に金糸の刺繍を施した千早。赤を基調とした緋袴に、天冠、花の挿頭、さらに稚児髷まで整えられた。その姿は、まさに神であった。
魯坊丸様の説得には母上様の協力は不可欠で、三姫の後押しも侮れない。
神聖な本殿へ入ると、お市姫が声を上げた。
「中はこうなっておったのかや」
「お市姉上、しゃべってはなりません」
「そうだよ」
「すまんのじゃ」
他の神官も心得ており、三姫の失敗を誰も指摘しない。
魯坊丸様を説得に、三姫の協力が欠かせないとわかっているらしい。
歳旦祭は厳かに進み、無事に終わった。
歳旦祭が終わると、平常の業務に移る。
本宮の東の神楽殿で参拝が行われ、正月は参拝者が多く、斯波家、織田岩倉家、弾正忠家など名代による参拝からはじまる。
今年は正月三が日の参拝を河内親忠に任せ、私は魯坊丸様の舞のご覧になる参拝者の案内係に徹することになった。
参拝を終えた来客が舞台脇に設置した待機所に案内されてくると、私が来訪客のお相手をする。
どちらが楽か、言うまでもない。
だが、魯坊丸様に関わることを河内親忠に譲る訳にいかなかった。
最初の仕事は、三姫を舞台裏の控え室へ案内することである。
本殿から西に続く廊下を渡って舞台裏に到着すると、お市姫はまっすぐに控え室へ向かわず、舞台の方へ上がって行かれた。
「おぉぉぉぉ、もうたくさん人が座っているのじゃ」
「ほんとうですね」
「魯兄じゃが戻ってくる頃には一杯になっているかの」
「きっとそうなります」
「お市ちゃん、私達もここで舞うのよね」
「楽しみじゃ」
「不安だよ」
お市姫は堂々としているが、里姫は不安そうだった。
そこでお栄姫が提案してきた。
「千秋様。予定では一日で三回の奉納舞を捧げる予定でした。しかし、信勝兄上の命で登城したので、本日は夕方の一舞しかできません。朝から待っている人も退屈でしょうから、練習を舞台の上でやるのはどうでしょうか」
「練習を舞台の上ですか」
「待っている人の退屈しのぎになり、私らも舞台に上がる心の準備もできます」
「それはよい。そうして頂きましょう」
お栄姫の機転で、控え室の練習を舞台ですることに変更した。
雅楽の演奏者も喜んだ。
客も退屈することなく、舞の練習を楽しむ。
昼前には一万席がすべて埋まり、立ち見まで人で溢れた。
午前だけで二万人もの参拝者となった。
午後から人がやってくる。
この日に限って魯坊丸様を末森へ呼び立てた信勝様が、恨めしく思えてきた。
予定通りの三回なら問題なかったのに……このまま増えても大丈夫か?
「大宮司様」
「どうかしましたか」
「すでに広場が埋まってしまいました。次の参拝者が中へ入れろと騒いでおります。どう致しましょう」
「遂に、二万人が埋まったか」
魯坊丸様が正月詣でを推奨したので、年々のように参拝者が増えていた。
それでも去年は一万人であった。
二万人を超えるとは考えておられなかった。
「魯坊丸様が末森をお立ちになったとの報告は」
「まだです。すでに末森では宴席がはじまっているとは聞いております」
「宴席がはじまり次第、席を立つと言われておりましたがどうしたのでしょうか。魯坊丸様に何かあったのでしょうか」
「心配するな。魯坊丸様に挨拶する者が絶えずに出られないだけでしょう。すぐにお出になられ、こちらへ駆け付けられるでしょう」
「そうだとよいのでしょうが……」
「心配することはありません」
「しかし、どう致しましょう」
「林の外周に張った縄を外し、後ろで立ち見の許可を出しなさい。それが嫌な方はお帰り願いなさい」
「わかりました」
本心はこの神官と同じですが、私が慌てても仕方ありません。
しかし、本当に一万人の枡がすべて埋まるとは……。
お市様らの練習を見て、誰も文句も言っていませんが、果たして無事に終わるのでしょうか。
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私はひたすら魯坊丸様を待つこととなり、とうとう日が傾き始めた。
まだか、苛立ちが走ります。
「大宮司様、あれを」
参道の人波が、まるで海が割れるように左右へ開き、その先から一同がお戻りになられました。
「大宮司様、魯坊丸様です。魯坊丸様のご到着です」
神官らの興奮が収まりません。
よかった。
民衆が暴動を起こす前に、ご到着されてよかった。
すぐに、お市様ら三姫の稚児舞からはじまりました。
魯坊丸様の神々しい舞を披露され、神だ。あれは神だ。まさしく熱田明神が舞い降りられたのだ。
あぁ、最高だ。
こうして、最高の正月からはじまったのです。




