69 末森への登城命令
天文二十一年十二月二十六日、未の刻。
俺は忙しい合間に子供部屋に顔を出すと、三十郎兄ぃと将棋を打っていた。
「王手」
三十郎兄ぃの顔が真っ赤に染まった。
残念ながら勝敗は決し、どう逃げても最長で十六手詰めだ。
だが、三十郎兄ぃは最後まで諦めていない。
俺と三十郎兄ぃが勝負している横で、喜蔵、お市、お栄、里の勝負が終わり、こちらの盤を並べ直して検証していた。
「俺ならこう逃げます」
「それは駄目なのじゃ。こう逃げても、こう差せばいいのじゃ」
「なるほど」
「では、こちらに逃げるのはどうですか」
「うぅ、むむむむ」
「私なら、こう差します」
「なるほど、こっちなら飛車筋が消えるのじゃ」
「里、駄目です。後ろから金を打てば、逃げられません」
「駄目ですか?」
「駄目じゃないのじゃ。ただ食いの金など食えば…………そうか、ここで桂馬が打てるのじゃ」
「はい、詰みです」
必死に逃げ道を探す三十郎兄ぃが怒鳴った。
「お前ら、五月蠅い」
「もう終わりなのじゃ」
「まだだ。まだ逃げ筋が残っている。すでに“詰めろ”が掛かっている。ここを凌げば、俺の勝ちだ」
三十郎兄ぃは、自分の詰みを放置して“詰めろ”を掛けてきた。
次の一手で俺を詰ませる狙いだ。だが、自分の負け筋が読めていない。
だが、強くなった。
この一年の戦績は三十八戦二十九勝九敗であり、俺が二連敗した所で“飛車落ち”を止めた。
そこから十連敗だ。
まだ無理攻めが多く、負ける気はしないが、少しでも油断すると負けそうだ。
三十郎兄ぃが長考していると、千代女が部屋に入ってきた。
「若様、末森より使者が参りました」
「そうか」
俺が腰を上げると、「勝負を投げるつもりか」と三十郎兄ぃが言った。
「これは十六手詰みです」
「何だと……まさか」
「お市らと一緒に検証して下さい。俺は使者を待たす訳に行きませんので行きます」
俺が歩き出すと、三十郎兄ぃが「待て」と言っているが、俺は無視して外に出た。
空はどんより曇り、雪が降り続いていた。
吹雪きはじめたら三十郎兄ぃらも泊まりになるかもしれない。
そんな事を考えながら渡り廊下を渡りきると、本館の謁見の間に急いだ。
要件は知っている。
三日前、末森の一室で信勝兄上と重臣が密談を交し、正月元旦に織田弾正忠家一門を集めると言い出した。
迷惑な話だ。
俺が謁見の間に到着すると、養父が使者を部屋に入れた。
信勝兄上の手紙を差し出すと要件を言う。
「年が明けた元日。中根家は末森城へ登城して、参賀の挨拶をお願い致します」
養父が指示書を読み終えると、俺に回してくれた。
そこには、中根忠良及び、忠貞、魯坊丸と書かれている。
義兄上は訓練中で不在だから後で伝えるとして、俺は使者に聞いた。
「義理父上は那古野の譜代でございます。元日に那古野の参賀に赴き、よき日を見計らって末森に行っておりました。何故に、末森家臣でない義理父上が元旦に赴く必要があるのでしょうか」
「去年は亡き大殿が御存命であられた。しかし、当主は信勝様に代わられた。同じと思うな」
「なるほど。道理でございます。然れど、まるで三日前に決まったような慌ただしさでございますな。慣例ならば、一月以上前に通達するものではありませんか」
「み、三日前にだと。信勝様を愚弄致すか」
「愚弄は致しませんが、私は熱田の神官として、元日から役儀がございます。熱田神宮への問い合わせは終わっているのでしょうな」
「熱田神宮への配慮は必要でしょう。しかし、まずは当主への参賀を優先して頂きたいというのが信勝様のお考えでございます。魯坊丸様は織田弾正忠家の準一門でござろう。当主の命に従うのが当然でございましょう」
「熱田神宮への配慮はないとおっしゃるのですな」
「そう申しておりません」
「事前に根回しするのが常識でしょう」
「確かにその通りでございます。ですが、魯坊丸様が大宮司、あるいは、権禰宜ではございません。神官に過ぎぬ者に気遣う必要でしょうか。織田弾正忠家のご当主にご不満がございますか」
「不満などございません。この一年、一度も一門衆を集めたことがないので、不思議に思っておりました。流石、ご当主らしい、(傲慢な)ご判断でございます」
「どうやら、ご不満がおありのようでございますな」
「不満などありません。ただ、熱田神宮の方々が信勝兄上をどう思うかを心配しただけです」
「些細なことを申されるな」
末森の使者は言いたいことを言って帰っていった。
「千代、明日は熱田神宮に赴く」
「畏まりました。で、元旦の舞いを中止にされますか?」
「中止にできると思うか」
「織田弾正忠家の使者方は文句を言いますまい。しかし、守護、守護代、牧家など有力な名家の使者は納得されないと思います」
「だよな」
熱田神宮は三種の神器の一つ「草薙神剣」を祀る、伊勢神宮に次ぐ最高格の神社である。
敵味方を越えて、熱田神宮を奉ると使者を送ってくる。
熱田明神の生まれ変わりと称される俺が、尾張の子々孫々までの繁栄を祈って舞いを奉納すると、大々的に触れ回っており、今更、中止となると大恥を掻くことになる。
俺の恥で終わらない。
守護代の清須織田大和守家と岩倉織田伊勢家は喜ぶだろうが、有力な名家の牧家などは失望する。
その不満は、織田弾正忠家への信頼に影響する。
信長兄ぃは独断が激しく迷惑だが、信勝兄上は家臣の進言に影響され過ぎだ。
「信勝兄上は、耳当たりの良い佐久間大学や側近の意見を聞き過ぎる」
「そうでございますね。厳しい信光様や、慣例に五月蠅い加藤図書助殿の意見を聞くべきでしょう」
「信勝兄上は礼儀正しいと聞くが……俺には厳し過ぎないか」
「それは中根家が佐久間家といがみ合っている影響でしょう。(佐久間)大学殿は我らをずいぶんと悪く言っておりますから」
「そうするとあれか」
「はい、桜山を中根家と佐久間家で分割しろと命令されると、千秋様が末森城に乗り込み。亡き大殿の書状を立てに、織田弾正忠家は熱田神宮と縁を切りたいのですかと恫喝されました。信勝様は命令を下げ、完全に面目を失いました」
「それで俺に八つ当たりとか、狭量過ぎるだろう」
「側近の津々木蔵人が吹き込んでおり、それを信勝様が信じております」
他者を貶めて、主を持ち上げる。
主の意見を肯定し、主を否定する意見には猛烈に反論する。
太鼓持ちの特徴だ。
どうやら信勝兄上は、人を見る目がないらしい。
そして、褒められている内に勘違いが進み、『裸の王様』になってゆく。
困ったものだ。
翌日(二十七日)、千秋邸で季忠に会った。
季忠は熱田神宮を無視した命令に激昂し、周りの神官まで伝播した。
俺は慌てて宥めた。
「待て、落ち着け」
「落ち着けません。末森と戦うしかありません」
「慌てるな」
季忠以上に周りの神官の激怒が激しく、俺もちょっと慌てた。
信勝兄上の愚痴から入ったことを後悔した。
千秋邸にいる神官が集まってきたので、まず千秋邸の神官を説得した。
「慌てるな。中止ではない。午前、午後、夕方の三回が夕方の一回に減るだけだ」
俺が「中止ではない」と連呼したが、神官の激怒は収まらない。
その内、熱田神宮から神官が集まってきて庭を埋め尽くす。
俺は廊下の上で宣言した。
「落ち着け。安心しろ。神官らの為に日を改め、舞ってやる」
「魯坊丸様が我らの為だけに舞って頂けるのでしょうか」
「そうだ。嫌か」
俺がそう問い直すと、さらに「俺を助けろ。正月を乗り切るぞ」と叫ぶと、不満の声が熱狂に変わった。
誰かが、「えいえいお~」と叫ぶと、周りも声を合わせた。
大きな怒濤となって、空気を揺らした。
俺は頃合いを待って、広げた手の平を閉じた。
「では、散れ。準備を怠るな」
皆が散ってゆくと、正気を取り戻した季忠が待っていた。
「取り乱し、申し訳ございません」
「構わん。だが、俺が来たのは舞いの話ではない」
「舞いではない?」
「俺が気に掛けているのは、元旦の歳旦祭だ。季忠様の後ろに俺がいないと、河内親忠殿との力関係が微妙になるであろう」
「確かに。魯坊丸様は熱田神宮を円滑にする為に親忠殿に近づいております。外から見れば、魯坊丸様と私の不仲説を唱える者が現われるかもしれません」
「だから、妹の里を巫女見習いとして参加させようと思う。急な話だが、お市とお栄の許可が貰えれば、三姫を季忠様の後ろに付けたいと考えている。どうか?」
「ありがとうございます」
「おまけに母上が付いてくるが、それには目を瞑って欲しい」
「問題ございません。母君には世話になっております」
「母上を焚き付けるのは止めてくれ」
「そうは参りません。魯坊丸様は地味に終わらせようとされますが、ご自身の価値をお考え下さい。その点、母君はよく分かっておられます」
「お手柔らかに頼む」
「わかっております」
絶対にわかっていない。
母上は俺を可愛らしく、季忠は俺を神々しく扱いたいのだ。
「舞いの舞台も何とかなろう」
「はい。例年まで元旦であっても、普段と同じ三千人でしたが、去年は一万人の参拝者が訪れました。今年は倍の二万人が参拝しても問題ございません」
「そうだろうな」
俺が舞いを見せる為に新たに広場を増設した。
ざっと一万平米(10,000平方メートル、サッカー場より少し大きい)を本殿の横の木々を切って造り出した。
広場に糸を張った枡席に一万人、立ち見一万人まで対応できる。
神官らの本気度がすご過ぎる。
舞台も本格仕様であり、一ヵ月の突貫工事と思えない。
三回舞いを一回に減らすと、一万人以上の観客の前で舞うことになる。
止められるなら辞めたくなってきた。
「千代、面倒臭いから逃げてもいいか」
「神官らが熱田の民を巻き込んで、末森を取り囲みそうです。それで宜しければ」
「いい訳ないだろう」
「では、致し方ありません。お諦め下さい」
俺は帰る直前まで床をゴロゴロして抗議した。
誰か変わってくれ。




