68. 武衛屋敷本館の完成と京の情勢
天文二十一年十二月二十日。
畿内を任せている望月兵大夫の手紙が届いた。
良い知らせと悪い知らせだった。
手紙を読み終えると、それを千代女に渡し、右筆の岡本定季へと次々に回されていった。
ある程度、回った所で俺は聞こえるように呟いた。
「武衛屋敷の本館が完成した。いっその事、武衛様も京に上洛しないかと誘ってみるか」
皆が一斉に笑った。
悪くない案であるが和睦を条件に出されると、こちらの対応に困ってしまう。
時間がないしね。
まともな思慮があれば、織田弾正忠家と敵対する道を選んでいないだろう。
「残念ですが、信友殿が認めになりますまい」
「まともな守護代であれば、去年の戦に負けた時点で謝っておりましょう」
「時間の無駄です」
「そうか、無駄か。だが、誘うのはタダだ。手紙だけでも出しておこう」
「承知しました。これから別館を建て直しますので、別館が完成した暁にお誘いしますと書かれて如何でしょうか」
「そうしよう。で、俺が宿泊する知恩院の守りは間に合いそうか」
「完璧と申せませんが、それなりに防御力が間に合うと思われます」
「頼りにしていると、兵大夫殿に伝えてくれ」
「畏まりました」
俺は腰掛け直し、真剣な顔で皆の方に向いた。
悪い方の話だ。
今年(天文二十一年)の初め、管領代六角定頼が亡くなり、近江の内政を固める時間を稼ぐ為に、六角義賢は公方足利義藤と三好長慶の和睦を成立させたが、すでに崩壊寸前であった。
「問題は何だと思うか」
「若様、宜しいでしょうか」
「千代か」
「問題は幕臣にあります。三好家に実権を奪われたままでは幕臣に何の力もありません。公方様と長慶殿の関係を対等にしたいのでしょうが急ぎ過ぎております」
「その通りだ。地味に三好長慶殿と対面し、じっくりと譲歩させるべきであった」
「丹波に逃亡した元管領細川晴元殿の誘いに乗ってしまいました」
和睦によって管領職を失った細川晴元は朽木から逃げ出した。
残っていた晴元の嫡子、聡明丸(細川昭元)は三好家に人質として差し出されたが、晴元自身は丹波に身を隠している。
立場を悪くしたのは、公方様と一緒に上洛した丹波波多野秀親であった。
「長慶殿は秀親殿にも晴元殿の身柄を要求し、拒絶されたのであろう」
「あるいは、秀親の主君である波多野元秀が上洛しないことを叱ったのかも知れません」
「元秀殿は長慶殿を信用できなかったか」
「秀親殿が逃亡したことで、波多野家が反三好勢となり、長慶は兵を丹波へ送りました」
だが、三好勢の丹波攻めは膠着し、松永久秀は和睦を選んだ。
憐れなのは、反三好として道化を演じることになった幕臣であった。
空白となった京で挙兵したが、和睦後に戻ってきた三好勢に討伐された。
阿呆な話だ。
結局、幕臣を多く討たれた公方様の面目も丸潰れとなった。
「だが、そんな阿呆な話が次々に起こっており、畿内は混乱を続けている」
「どうして、こうも簡単に領主らは晴元の誘惑に乗るのでしょうか」
「口が上手いだけではないのだろうな」
「先月も“清水坂の戦い”での建仁寺の炎上事件が起こっております」
先月(十一月)二十八日、反三好勢が清水寺付近に集まった。
聞きつけた京を守護する三好勢は鴨川を渡った。
清水寺から続く坂道を駆け下りてくる反三好勢に対して、三好勢は鴨川の土手を壁にして対抗した。
もちろん、三好勢の勝利だった。
だが、近隣にあった建仁寺まで戦場が広がり、建仁寺が焼失してしまったのだ。
この騒動に慌てたのが、朝廷の公家衆と、和解を進めた六角義賢であった。
前者は京を火の海にしない為に、後者は和解が一年足らずで崩壊するのを嫌った。
義賢にすれば、内政を固めたい時期に、公方様と三好長慶の争いに巻き込まれたくない。
「手紙には、公家と六角が公方様と長慶殿との会見を模索していると書かれておったな」
「はい、長慶殿も前向きのようです」
「普通ならば会見は成功するだろう。しかし、二人を対立させたい元管領の細川晴元は諦めていない。京の西、嵯峨方面で不審な放火が起こっている」
「晴元殿は焦っているのかも知れません」
「そうだろうな。去年、三好家と波多野家を対立させたが、五月に和睦を結び直して、三好勢は丹波から兵を引いた。波多野家も面目が立ったのでこれ以上は争う意味がない」
「しかし、争いが続かなければ……いいえ、三好家がぐらつかないと、晴元殿が管領へ復帰する道筋が立ちません」
「だが、三好家は強いぞ。畠山家、六角家、波多野家がすべて挙兵しないと互角に戦えない」
「ですが晴元の妄信を信じたい幕臣が多くいるのでしょう」
「原因の一つは公方様が長慶殿を嫌っていることだ。公方様に長慶殿と親しくし、油断させてゆっくりと幕府の権限を取り戻しましょうと進言する良心派はいないのか」
公方様は二十六歳だ。
公方の権威で三好方の武将を少しずつ籠絡して、発言力を増す自助努力くらいはしろよ。
例えば、三好家と敵対する勢力を将軍親征で近江の六角家と若狭の武田家を一緒に率いて戦えば、諸外の勢力は公方様にひれ伏すぞ。
畿内では、三好の傀儡と呼ばれても、外部の有力大名が公方様にひれ伏せば、権威が上がる。
まずは三好家を利用して幕府の権威を取り戻すことだ。
「公方様は辛抱がなさ過ぎる」
皆が頷いた。
千代女が次に三好長慶からの手紙を取り出した。
「先日、三好長慶殿から堺から京へ荷を運ぶ許可を頂きました。織田家との同盟、あるいは、人質といった要求はありません」
「長慶殿は常識人と見てよいか」
「叔父上の心証も常識人と言っております。戦では勘が良いようです」
「親父(織田信秀)と少し似ているのかも知れん」
見立てが正しいと仮定すれば、長慶から要求された幕臣の切腹や人質の要求はブラフだ。
高い要求を突き付け、謹慎で納得する。
公方様は無謀な要求を受けなかったという実績を得て、謹慎で納得させたと言いやすい。
そこまでは読める。
「織田家の荷物は商人の舟を利用し、淀川を利用して運びます。しかし、問題は荷を運ぶ部隊です。織田家の旗を立てた部隊を送る必要があります。どの道を使いますか」
「どの道がある」
「まず、最短は“東高野街道”でございます。次に、“清滝街道”、“古堤街道”、“竹内街道”、“長尾街道”、“住吉街道から“西国街道”へ抜ける道もございますが、いずれも一長一短だと存じます」
「最短を通れば、敵の拠点である飯盛山城の真下を通り、東へ回れば、畠山家を頼ったと思われかねず、北を通れば敵だらけの道か」
「どれも虎穴の道となります」
「ならば、最短にしよう。千代、手紙の準備を頼む」
「畏まりました」
俺は皆に茶化したように言った。
「こんな危険な京へ、官位をくれるからと言って、ホイホイと出てゆく奴は馬鹿ではないか」
皆の冷めた笑い声が聞こえた。
わかっていても上洛せねばならない。
帝や公方様の面目を潰す訳にはいかない。
少なくとも帝や公方様が納得するだけの理由が必要であり、平手政秀を説得するには材料が少な過ぎた。
年が改まれば、京の情勢も動くのだろうか。
今年も残り少なくなっていた。




