61. 魯坊丸の師走、忙しい毎日
天文二十一年十二月五日。
すべての奉納試合が終わった。
新嘗祭も終わったが、俺の忙しさはそこからであった。
米の収穫が終わると、領主たちは一年の総決算に追われる。
借金を抱えた大名や領主は返済に走り、商人や寺社は取り立てに奔走する。
大なり小なり、領主らは大体が赤字だ。
次の右筆が俺の前に座った。
「魯坊丸様、こちらが末森配下の領主の返済額と来年の返済見積もりでございます。ご確認下さい」
「破綻させるなよ」
「領主らは首も回らず青息吐息ですが、村民は収穫が増えて収入が増えており、今年は上々の成果でした」
「やはり開拓費が重かったか」
「開拓の他に貯め池や水路の設置も多くやりました。村人は手伝い賃が入ってホクホクですが、すべて開拓費として請求される領主は溜まったものではありません」
「十年返済の範囲でやれているな」
「問題ございません。無駄な支出できないように代官に管理させております。最悪、戦の支出が多い場合でも二十年返済に切り替えられる範囲に留めるように代官に命じております」
「すまんな。代官の再教育まで監視して貰って」
「再教育が早いほど後が楽になります。こちらは加藤様の協力のお陰でございます」
「わかった。加藤図書助殿には礼状を出しておく」
「お願い致します」
俺はメモに“図書助へ代官再教育協力への礼状”と書き加える。
すべての書類が集まってくるこの時期が一番忙しくなる。
ここで戦でも起れば、目に当てられない事態になるがどうしようもない。
幸い、今年の冬は大きな戦はないようだ。
千代女や右筆(代理人)では決められないことが山程あり、間を空けずに、千代女が次の案件を聞いてきた。
「若様、島津義久殿より、補給の支援要請が来ました」
「薩摩統一に乗り出したか」
「随分と我慢されましたが、今は岩剣城を攻めております」
「三百貫文ほどの兵糧と武具を支給してやれ。島津家、一条家とは仲良くしてゆくつもりだ」
「畏まりました」
千代女が席を立つと、次の文官が現われる。
「西国の酒受注が増加しております。どこも前年の倍を求めておりますが、どうしましょうか」
「酒造所へ清酒のみを造らせよ」
「ですが、そうなると焼酎の在庫が減ってゆき、来年の秋頃には底を付きます。焼酎から消毒液の生産分が出来なくなりますが……」
「問題ない。山崎の焼酎専用の酒造所を建てさせておる。職人を移動し、生産地の配置換えを任せてもよいか」
「はい、問題ありません」
「では、後で山崎の建築担当と引き合わせる」
「お願いします」
俺は“山崎の担当者と顔合わせの段取り”と脇のメモに書き綴る。
はい、次。
俺が次の相手をしている間、その視界の端にお市、お栄、里が見えた。
俺が忙しくしているのを見て、手伝いたいというお市、お栄、里の申し出が嬉しい。
そして、頑張っている姿を見ると、俺も怠ける訳にいかない。
俺は「ゴロゴロしたい」と叫びたいのを我慢していた。
さて、お市らには書類の検算をお願いした。
もちろん、検算を再検算する者もいるので問題ない。しかし、全然減らない書類の山に三人が唸り出しはじめている。
そろそろ飽きてきた感じだ。
俺の前に座ってきたのは楓だった。
「若様。来年の技術者の採用者が決定しました。機織りと鍛冶見習い以外は希望の数に達しておりません」
「そうなったか」
「村人の子供は侍になりたいようで、河川工事の募集へ流れています」
「今年は河川工事に携わっていた者の多くが足軽に昇進したからな」
「河川工事に真面目に従事すると、足軽になれると認識したようです」
「仕方ない。しかし、短期的に職人見習いが足りなくなるな」
「熱田や寺にいた流民も雇用し終え、次に流れてくるのを待っている状態です」
尾張、美濃、三河と今年は大きな戦もなかった。
もちろん、『赤塚の戦い』、『萱津の戦い』、『笠寺・鳴海の焦土』など、小さな戦いは散発したが、春の長雨で木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)が氾濫して田畑を失った流民らと一緒に、土岐川(庄内川)の河川工事で減った人員補充に充てた。
信長兄ぃが常備兵二千人と、清須の周辺に砦を造るとか言い出さなければ、十分に余っていただろう。
俺は尾張の西地区を担当するさくらを呼んだ。
「さくら、清須の砦の人員はどうなっている」
「はい、総勢一万人で基礎を増築中です。那古野の常備兵九百人が三つ分かれ、三つの砦を守っております。清須勢も下手に攻めると、総勢一万九百人で攻められるので動けておりません」
「そうか」
「ただ、清須の避難している避難民も参加しており、食料を買って帰るので、兵糧攻め封鎖が機能しておりません」
「選別できんのか」
「無理です。山王社に避難している住民と清須の避難民を区別できません」
確かに……清須城と山王社の距離は七町(約700m)ほどだ。
狭すぎて関所が置けない。
砦造りに土砂を運ぶと日当の十文札が貰え、その十文札で米を買うことができる。
十文で一升(1.5kg)の米が買え、人が一日で食べる量を五合(750g)と仮定しても、兵糧が減る所か、微妙に増えることになる。
街道を封鎖して食料の流入を絶っているが、兵糧攻めの効果は限定的になってしまう。
俺が難しい顔をしていると、さくらの横の紅葉がにっこりと言った。
「若様。兵糧攻めの効果は十分に出ております」
「そうか?」
「避難民の全員が参加している訳ではありません。恐らく食うに困った雑兵が参加しているのでしょう。川並衆に命じて、美濃の支援物資の量を少し減らすだけで帳尻が合うと思われます」
「では、そうしよう」
「さくらちゃん、手配はお願いします」
「了解です」
「若様。中島郡の領主から河川工事の援助を求めている分はすべて却下で宜しいですね」
「却下だ。信長兄ぃに直談判して許可を受けた所のみ、人員を派遣し、工事は清須の砦が完成してから回すように手配しておけ」
「畏まりました」
絶え間なく人が群がるが、昼になると自室に戻って昼食だ。
当然のように、お市、お栄、里も一緒に取る。
「もう目がチカチカなのじゃ」
「確かに疲れました」
「私は算盤を弾く指がつりました」
俺は三人に感謝の言葉を掛ける。
その一言で三人が素直に喜んでくれた。
食事を終えると昼寝を取る。
お市らは部屋に戻らず、隣の侍女部屋でお昼寝を取っている。
そして、午後からは書状への署名だ。
お市らもそのまま侍女部屋で書道の練習である書き写しをする。
お市と里の題材は、『源氏物語』を使い、お栄は柔らかい平仮名より四角の漢文を好んだ。
「お栄様。今日は何に致しますか」
「今日は『管子』に致します」
「承知しました」
お市と里の侍女が、予備の教科書に『枕草子』、『伊勢物語』、『古今和歌集』を用意しているのに対して、お栄の侍女だけが『四書五経』、『韓非子』、『孫子』、『呉子』、『老子』、『荘子』『墨子』を用意している。
お栄だけ、レパートリ-が全然違うのだ。
午後はお市らのおしゃべり以外のバックミュージックはなく、山が減ってくると、次の書類が足されてゆく、ネバーエンディングストーリーだ。
集中してきた頃、千代女の声で我に返った。
「若様、夕餉の準備が整いました」
「そうか、今日はここまでにしよう」
「終わりなのじゃ」
「疲れました」
「足が痺れて動けません」
俺は移動する前に三人の予定を聞いた。
「明日から二泊三日で那古野に行くが、お市はどうする」
「う~~~ん、どうしようかや」
「お市は決められんのか。お栄はどうする」
「私は末森で練習の成果を母上やまとめ役の侍女頭に披露しておきます。中根家へ勉強する為に来ております。不甲斐ないと外出禁止にされかねません」
「そうか」
「ならば、わらわもそうするのじゃ」
お市がお栄の案に相乗りした。
一つ下のお栄の方がしっかりしてきているような気がするのは気の所為だろうか?
最後の里にも聞いておく。
「里はどうする」
「私は……今日と同じで手伝っておきます。午後は母上に舞いの稽古を見てもらいます」
「そうしてくれ。母上も気が紛れるであろう」
食事場に移動すると、父上らもすでに揃っていた。
中根家の夕食は互いの報告からはじまり、食事が始まると幹部の報告がはじまる。
今日も三十郎兄ぃらもやってきており、家臣席で飯を漁っていた。
育ち盛りの兄ぃらにとって、末森の一汁一菜は辛かろう。
三日に一度は出稽古と称して、中根南城に刀の稽古にやって来ている。
帰りの“唐揚げ”などのお土産を大量に持ち帰っている。
そして、土産が無くなると、またやって来る。
幹部の報告など一切気にせずに、無心に飯を食い続けていた。
俺達の食事が終わり、幹部の報告が終わるのを待っていた。
「最後に賄い所の賄い長から報告です」
「賄い所を預かっております。来る十五日より、例年通りの“おせち”作りを開始します。正月に各部署に届けます。また、一月五日の新年会の特別食の準備に入ります」
「賄い長、今年も新作を作るのですか」
「当然です。しかし、今年は魯坊丸様の案ではなく、賄い所の総力を上げて考えた新作です。期待して下さい」
各部署に届けられる“おせち”料理は好評だった。
重箱に入れるのが珍しく、打ち鮑、勝ち栗、昆布、田作り、小肌の粟漬け、かまぼこなど定番の他に新作が必ず一つ追加している。
家臣全員に配るので量が半端ない。
「十五日から大晦日まで、昼飯は、朝に握ったおにぎりと味噌汁になります。各部署に通達をお願います。おにぎりと味噌汁になるのは、中根南城のみではありません。すべての部署も同じです」
「わかっている。その代わり、新年会を期待しているぞ」
「お任せ下さい。腕によりをかけて満足させるご馳走を作ってみせます」
まだ、一心不乱に食べていた三十郎兄ぃが、食事を止めて振り返った。
どうやら新年会のご馳走が気になったみたいだ。
「魯兄じゃ。わらわも参加してよいのかや」
「お市とお栄には、俺から招待状を送っておく」
「やったのじゃ」
今日も平和な一日でよかった。
夕餉が終わるとお市らは帰宅し、俺も風呂を貰って就寝の準備に入る。
日が暮れれば寝る。
それが普通の暮しであり、子供の正しいサイクルだ。
但し、政務所には蝋燭の灯りが煌々と輝き、徹夜で処理が続いている。
そして、俺の自室の隣も明るい。
俺が自室に戻ると、隣の部屋に加藤三郎左衛門らが待っている。
ここからは公にできない書状や全国に散った忍びの報告会だ。
報告者を除くと、千代女、右筆のみが参加する。
俺も体力が続く限り頑張るが、気が付くと布団で寝ている日々を送る。
師走だけは、どうしても眠る時間が足りない。
よく熱を出して倒れないものだな~っと思ってしまう。
俺も丈夫になったものだ。




