65. 新嘗祭と初詣
天文二十一年十一月十九日。
十一月第二卯の日に新嘗祭が執り行われる。
前日の寅の夜から神職は、俗世の穢れを落とす『潔斎』をはじめる。
この十一月の寒い夜に東に流れる精進川で禊ぎとか、止めて欲しい。
マジで凍え死ぬ。
それが終わると、着替えて斎館に引きこもり、新嘗祭の当日を迎えた。
一般参列者など存在しない。
参列できるのは領主以上の上級武士のみであり、那古野領主の名代に林秀貞がやってきている。また、末森城主の名代は加藤図書助であった。
信長兄ぃの母の土田御前は信仰深い方であり、今年も灯籠と大きな琵琶と美しい衣装(神御衣)を奉納してきた。
その代理人は第三鳥居から行事を眺め、その光景を土田御前に報告する。
参進が終わり、所定の位置に付いた俺に巫女姿の千代女が声を掛けてきた。
「若様、何か気掛かりなことでもありましたか」
「いや、土田御前の使者殿も本殿に入ることは叶わぬ。しかるにウチの女性陣のことを思うと……」
「お市様、お栄様、里様のことですね」
俺は「うむ」と言って頷いた。
すると、千代女は深く頷いて微笑んだ。
「問題ございません。お市様、お栄様、里様の三名は、正式な巫女見習いでございます。この場に居ても問題ございません。むしろ……」
「母上か」
千代女が小さく頷いた。
千代女らは俺の護衛として本殿に入ることを許されている。
その仕草を教えたのは母上であり、侍女らを監督するためと称して堂々と入場していた。
神官らも見て見ぬ振りをしてくれていた。
この話を信仰深い土田御前が聞けば、卒倒しそうだ。
「くれぐれもお市やお栄から、土田御前らの耳に入らないようにしてくれ」
「承知しました」
「あと、念の為に母上の役職を千秋様と相談してくれ。俺が頼むと大事になりかねん」
「若様も大変ですね」
「大変な母上を持ってしまった」
母上は熱狂的な巫女オタクであり、信仰深い土田御前とは対照的に思える。
行事は大祝詞、舞いと続く。
本館の新嘗祭が終わっても終わりではない。
昼から御田神社でも新嘗祭を執り行い、その後に、境内の残る熱田七社を巡ってゆく。
御田神社の辺りを、農民や町民が遠巻きにぐるりと囲む。
俺は皆に姿を見せ、大宮司の隣で豊作を祈願する。
この御田神社の新嘗祭で、俺の役目は終わる。
他の神官らは残り六社を巡ってゆく。
俺は千秋邸に戻ってバタリと床に倒れると、その辺りをゴロゴロした。
「疲れた。しかし、この慣例は嬉しい」
「以前の若様の体力では、御田神社までが限界でした」
「三年前、眠気で倒れたからな」
「ふふふ、バタリと倒れた若様を見た皆が青ざめておりました」
「そういえば、母上はどうしている」
「着替えられ、すべての行事を追いかけておられます。護衛は付けております」
「そうか。里らはどうしている」
「近くの客間でお昼寝中でございます」
「皆が無事ならよい」
「残念ながら、若様は宴席が残っております」
そうだった。
新嘗祭が終わると宴会だ。
神官、町人、武士、農民らが各々の場所で宴会がはじまる。
高級神官と上級武士は羽城の広間が提供される。
出される清酒は特級酒だ。
参列者本人よりも、随行の武士が普段では飲めない酒にありつけて大喜びになる。
だから、随行者は毎年のように取り合いらしい。
「若様、床で寝ますと風邪を引きます。あちらでお休み下さい」
「わかった。眠気との闘いは嫌だからな」
「急ぎがあれば、お起こし致します」
「そうしてくれ」
俺が夜の宴会に備えて昼寝をした。
突然の電池切れは無くなったが、限界を超えると眠気が襲ってくる。
寝落ちなんて頻繁だ。
だが、宴席で寝落ちは流石に拙い。
さて、パチンパチンと澄んだ石を叩く音が響く。
囲碁は好きだ。
白と黒の美しいグラデーションに心が躍る。
俺はゆっくりと瞼を開くと、誰かが俺を覗き込んでいた。
「兄上、おはようございます」
「おはよう……里か」
「はい、兄上」
里が振り向いて、お市とお栄に俺が起きたことを告げた。
ドタドタとお市とお栄がこちらにやってくる。
俺も体を起こした。
「魯兄じゃはお寝坊さんなのじゃ」
「どうしてお市らがいるのだ?」
「遊びに来たらまだ寝ていたのじゃ」
「千代女殿がもうすぐ起こすので、それまで待って下さいと言われました」
「兄上様、おはようございます」
「おはよう、お栄」
「お市ちゃんは待つのが嫌なので、お栄ちゃんと一局差していました」
「始めたばかりの序盤なのじゃ」
「お市姉様がぶつかってきたので中盤です」
そんな言い合いをしている間に千代女らが食事を持って戻ってきた。
食事が始まると、楓が熱田周辺の報告をし、続いて、さくらが尾張西、紅葉が尾張以外の報告をする。三人のおおまかな報告が終わると、他の侍女らが気になった報告が続く。
お市らも報告中に静かにしていたが、知っている話だったのか、お市が侍女に代わって返事をした。
「奥方様と大宮司様が来年の神楽奉納を若様にやって貰ってはどうかという話が出ております」
「どうして俺が?」
「神官らが悶々なのじゃ」
「悶々?」
「兄上様が奉納試合で神楽を舞いましたが、それを見られた神官が少なく、不満があるそうです」
「不満とはどういう意味だ」
「奉納試合を手伝った神官が自慢しているようです。見ていない者が“ずるい”と不平を言っているそうです。どこかで舞って頂けないかと、大宮司様が兄上の母上様に相談されていました」
「母上は凄く乗り気でした」
最後に里が元気に答えてくれた。
母上が絡んでくると、衣装が豪勢になるとか、客を呼ぶとか、話が大きくなり、いろいろと拙い。
女装は嫌だ。
素直に考えると、五月の武舞(舞楽神事)だろうか。
巫女服での舞いは勘弁してくれ。
心の声が口に出ていた。
「わらわは男らしい男舞いも好きなのじゃ」
「兄上様の男舞いも美しいです」
「里も好きです」
俺は褒めてくれたことに「ありがとう」と言っておいた。
しかも黙っていると、大祭の神楽奉納で舞うことになりそうな気がする。
先手を打つか。
「千代、よいか」
「何でございますか」
「ここ数年を掛けて、札に『国家安泰・家内安全・防災』の御利益があると言って売ってきた」
「お市様方に手伝って頂き、好評でございました」
「うむ、初詣を定着させる」
千代女が頷いた。
初詣は明治時代の電鉄の宣伝ではじまった文化であり、それ以前は近くの神社にお参りしていた。
去年の正月、近くの神社仏閣に加え、熱田詣でをすると御利益が増すと宣伝した。
熱田明神の札が売れ、歩合を貰って懐も重くなった。
「熱田を訪ねる公家様も多くなっており、迎賓館だけでは回らなくなってきております」
「上手く増収となれば、公家様がお泊まりになる別邸宅の建設費が捻出できるな」
「はい。具体的に何をされるのでしょうか?」
「正月の三が日のみ、境内で奉納舞いを披露する」
「若様が……舞われるのですか」
千代女は少し目を丸くして驚き、俺は首を捻った。
そんな驚くことか?
しかし、千代女の目は驚きから思考に変わり、すぐに意図に気付いた。
「神官の不満を抑え、若様を拝顔しようと民が溢れます。お札の売れ行きも宜しいでしょう。若様がおっしゃっておられた『人は習慣の生き物』を実践されるのですね」
「その通りだ。三年も続ければ、定着する。そうだ、『お札、破魔矢、お守り』の抱き合わせ販売を追加しよう」
「流石です、若様」
「わらわも手伝うのじゃ」
「お市らには売り子ではなく、俺の前座として稚児舞を披露して貰えるか」
「やるのじゃ」
「私も兄上様の手伝いを致します」
「里、手伝います」
何となく、いい感じでまとまった。
俺は大宮司から相談されたら、困ったような顔をして発表する。
千代女には準備を事前にして貰う。
完璧だ。
そう思った。
PS.月が変わって、大宮司から相談を受けた俺が発表すると、発狂した神官らが『魯坊丸様専用の舞い舞台を建てましょう』、『新たな広場を作りましょう』、『すべての宮大工に声を掛けなさい』と、訳のわからない盛り上がりを見せた。
俺は神官らの不満がそこまで大きかったとはじめて知った。
俺が舞うだけですよね?
千代女が「若様が舞うと言えば、神官らや民らが発狂するのは当然ではありませんか。そして、民を魅了した若様はもはや神。若様が一声掛ければ、数万の民を動員できます。死を恐れぬ狂兵は切り札となります」と、千代女が興奮気味に語った。
千代女が驚いたのは、“このことだったか”と俺は後で知ることになる。




