64. おぼろ豆腐(信長と魯坊丸のさり気ない会話)
天文二十一年十一月十七日夜。
武闘大会の奉納試合が終わり、すべて締めくくる宴会となった。
観戦に訪れた信長兄ぃと帰蝶義姉上も宴会に参加し、熱田衆の接待を受けていた。
札売りは武闘会が一番盛り上がった。
何だかんだ言っても武家が一番銭を持っており、気に入った武将に賭けてくれた。
買い出しに来た堺の商人らが羨むような売上であった。
打ち上げの宴席には商人だけではなく、公家関係の者も多く出席していた。
その筆頭は冷泉為益の家臣である近藤諸大夫や、斯波家から速水時久であった。
一流どころの公家様は来ない。
新嘗祭が近いので帝の神事に出席しなくてはならない。
こんな所で油を売っているのは誰かに仕える公家か、誰かに頼まれた者くらいだろう。
まぁ、例外として伊勢神宮に派遣される勅使様くらいだ。
さて、冷泉家の者は駿河今川家寄りなので間者である。
斯波家の速水時久は飛鳥井家の連絡役であり、飛鳥井家は織田家と駿河今川家の双方に近い。
その近藤諸大夫と速水時久が俺の信長兄ぃにあいさつに来た。
まず、近藤諸大夫は主である冷泉為益の名を述べてから挨拶を始めた。
「このような大きな催しができる織田様の勢いを映した賑わいでございます」
「そうであるか。儂は観戦に来ただけだ」
「ご謙遜を。皆が織田様のお陰と申しております」
「そうであるか。だが、儂は何もしておらん。熱田衆の努力の賜物である」
「ご謙遜を」
「事実である」
「信長様は帝より尾張守を賜れるお方でございます。それに相応しい態度を身に付けられますように」
「もっともである。ご鞭撻のほど、宜しく頼む」
近藤諸大夫は信長兄ぃに官位がくだることを褒め、やんわりと信長兄ぃが相応しくないと否定したが、信長兄ぃはまったく気付いていない。
遠回しな公家言葉では、信長兄ぃに通じないのでホッとした。
近藤諸大夫との挨拶が終わると、続いて速水時久が話しかけていた。
「この度の催しの成功。おめでとうございます」
「武衛様(斯波義統)を招待したが、それが叶わずに残念である」
「主様も出席したいと願っておりましたが、予定が上手く組み合いませんでした」
「信友様が許さなかったのであろう」
「いえいえ、そのようなことはございません」
「であるか。それならばよい。こちらは信友様とも再び和睦したいと考えておる。また、古渡城があった近くに、武衛様のお屋敷を建てる準備ができておる。ご都合が付けば、ご返事頂きたい」
「信長様のご厚意。主に伝えておきましょう」
「時に、弟が来年にも上洛する。その折に、飛鳥井家を頼ることになる。よしなに頼む」
「権大納言様(飛鳥井雅綱)にお伝えしておきます」
「宜しく頼む」
こちらは俺が依頼した通りに、武衛様の新しい屋敷を熱田の近くに造りますよと告げて貰った。
信長兄ぃとの挨拶を終える者から俺の方へ挨拶に来る。
信長兄ぃ夫妻を気に掛けながら、俺は礼儀正しい武家の子供を演じた。
子供が分からないと思える箇所は後ろに控えている千代女に聞く。
通り一遍の対応で、面白みも何もない。
それでも列は絶えない。
特に、熱田衆の中堅以下の商人らが喜ぶ。
熱田衆の談合にも参加できない彼らは、俺の本性など知らない。
彼らは熱田明神の生まれ変わりの俺に挨拶するだけで運気が上がると信じている。
しかし、俺と直接に言葉を交わそうと思えば、熱田神宮で高い祈祷料を払って指名するしかない。
俺は超人気ホストなのだ。
指名付きの祈祷料はべらぼうに高い。
札売りに参加するだけで宴会に参加でき、タダで挨拶できる。
こんな機会は少なく、長く伸びた列は途切れない。
苦痛な時間に耐えて、俺は挨拶を続けた。
挨拶が終わると宴会が始まり、食事が運ばれてきた。
千代女が料理の説明をしてくれた。
「最初の一品は『おぼろ豆腐』でございます。最近、若様の食欲が落ちております。私の判断で若様が好きな一品を追加させて頂きました」
「ありがとう」
「あとの油ものは、一口サイズまで量を減らしております」
「すまんな。気を使わせて」
「若様の健康が大事でございます」
最近、想定外の来客が増えて激務が続いている。
昔よりマシだ。
皆の能力が上がっており、影武者君らが巡業を変わってくれている。
だが、考えないといけないことは以前より多い。
おおむね今川義元の関係だ。
義元は、織田家の三人が官位を貰うと決まると、面倒な情報戦を仕掛けてきている。
元凶が居なくなれば楽だろうな。
「猪の首を取ってこいと言ってみたいな」
「蘇我の首でございますか」
「そうだ」
「崇峻帝の逸話ですね。申し訳ございません。我らでは力不足でございます。加藤も同じでございます」
「知っておる」
今川義元が俺の首を取れないらしい。
加藤が集めた強者が死ぬ気で攻めれば、ワンチャンあると思うが、そんな無茶な命令をしないと思っているから従ってくれている。
それは今川義元に仕えている藤林の伊賀者も同じだろう。
だから、地味な調略戦が続く。
俺は愚痴混じりに千代女へ話しかけた。
「冷泉家の者がずいぶんと嫌味を言っていたな。都の様子はどうなっている」
「中御門家は当然として、和歌繋がりで、三条西家、正親町三条家、冷泉家が中心になって織田家の悪評を流しております」
「そうなると、悪い噂が立っていそうだな」
「いいえ、そんなことはございません。平手政秀殿が近衛家と懇意にされており、近衛家を中心に、久我家、徳大寺家、山科家、鷹司家が織田家の擁護に回っております。しかも、尾張守の入手で揉めた九条家が織田家から多額の支援を受けたことで味方になり、一条家と組んで、宮中では織田家の優位を形成しております」
「一条家とは、琉球交易で誼があるからな」
「最大の敵は、関白左大臣二条晴良様でございます」
「二条家に喧嘩を売ったつもりはないぞ」
「いいえ、敵対する近衛家が織田方に付いたので、必然的に敵対関係となっております。しかも支援者であった九条家が織田方に寝返りましたので、今川方を頼るのは必然の流れとなっております」
あぁ、二条家か。
そのパトロンであった西国の覇者大内義隆が『大寧寺の変』で亡くなった。
公方様に近い近衛家が、関白の地位を巡って二条家と対立した。
「二条晴良様の母は九条家の姫でございます」
「大内家の支援が途切れ、それを支えたのが九条家だったか」
「その九条家は石山御坊(本願寺)の説得で織田方に寝返りました」
「なるほど、石山御坊から崩してくれたか」
「はい、石山御坊は帝のお気に入りの清酒を瀬戸内海に売って勢力拡大を狙っております。清酒が途切れるのを嫌がり、今回は味方してくれました」
「今回だけだ。次回も味方とは限らん」
俺は比叡山、興福寺、石山御坊に清酒の桶売りをしている。
清酒で儲けている寺々は俺と敵対関係ではない。
この寺同士も仲良しではない。
寺同士が対立すれば、その影響は織田家に及んでくる。
「三好家と石山御坊の関係も悪くありません」
「そうなると、織田家と三好家の対立は避けたいな」
「公方様の三好嫌いも相当なものです。対三好の者を優遇しております」
「しかも公方様を立てないと、近衛家が敵に回る」
「はい、微妙な天秤の上に、織田家が立っております」
「面倒な」
どうして、こんな面倒なところに行かなきゃいけないんだ。
無条件に公方様を支持すると言える信長兄ぃの気楽さが妬ましい。
俺は思ったことを口に出してしまった。
俺の独り言に、信長兄ぃが割り込んできた。
「京など行きとうない」
「馬鹿者め、帝や公方様に上洛すると言ったのだ。今更、反故のできるものか」
「織田家は三好家と争う理由はございません」
「それも承知しておる。親父も三好長慶殿に鷹を送り、懇意にしていたと聞いておる。争うつもりはない」
「公方様と三好長慶殿の仲が悪いことをお話致しましたが」
「それがどうした。長慶殿が公方様に無礼を働いたならば致し方ない」
信長兄ぃの割り切りの良さが羨ましい。
公方様と三好家が争い、それに巻き込まれれば、織田家は対処に多くの力を削がれる。
それを見過ごすほど今川義元は甘くない。
もちろん、今川義元が公方様と三好家を争わせる手を持っているとも思えない。
思えないが、不測の事態とは起こるものだ。
「ところで先程の返答はあれでよかったのか」
「斯波様の件でございますか」
「そうだ」
「問題ございません」
「清須を潰すのに、今更、和睦の話を持ち掛けるのか?」
「こちらは和睦する意思があったという姿勢が大事なのです。斯波様に和睦を頼みながら、信友様が蹴ったという事実が大切なのです」
「其方らはいつも面倒な手を考えるな」
「戦わずに勝つ為です」
「叔父上という毒団子を食わせる為か」
「あまり大きな声で言わないで下さい」
「その件は其方と叔父上(織田信光)に任せる」
「来年の夏に仕上げます」
あぁ、上洛したくない。
俺はずっと無関係の第三者でいたい。
「この『おぼろ豆腐』は美味いな」
「本当に、ほんのり甘味があって美味しいですね」
「帰蝶もそう思ったか。魯坊丸、どうしてこれを那古野に納めんのだ」
「千代、説明してやってくれ」
「畏まりました」
おぼろ豆腐の作り方は簡単だ。
豆汁ににがりを入れ、しばらく待つだけで『おぼろ豆腐』が完成する。
これは那古野の料理長にも教えている。
まず、その“にがり”が特別だ。
「熱田の西に、笠寺から移住してきた民が塩を作っております」
「知っておる。何か、新しい塩作りを教えたそうだな」
「流下式枝条架塩田でございます。砂に海水を撒いていた生産方法に比べ、生産量が三倍となり、労働が十分の一に減りました」
「それは凄いな」
「若様の知恵は、移住してきた笠寺の民を驚かせました」
「であるか」
「その塩作りの最終過程で、木灰や白石(石灰)を投入して塩を作ります」
そう、海水に含まれるカルシウムやマグネシウムを木灰や石灰のアルカリ成分と結合させることで塩のみを取り出す。
千代女の説明が続く。
「しかし、木灰や白石(石灰)を投入すると、うま味が一緒に消えてしまいます。そこで木灰や白石(石灰)を投入する前の塩水を“にがり”として豆汁に使うと、このおぼろ豆腐となります」
「それがこの豆腐ですか」
「待て、それでは那古野に納められぬ理由にならんぞ」
「いいえ、納められないのは出汁の方です」
「出汁ですか」
「木灰や白石(石灰)の代わりに豆汁を投入して、塩を作る方法があります。こちらは甘味のある高級な塩として販売しております。しかし、塩になるまで熱すると、多くのうま味が消えてしまいます。若様を慕う新笠寺の民が、若様の為に塩になる前の甘塩を取り出し、おぼろ豆腐に合わせて、こちらに届けてくれております」
「おぼろ豆腐の出汁は、豆汁で作った塩なのね。それは相性がよさそう」
「うむ、千代女とか申したな。那古野にも届けられるであろう」
「豆塩の出汁は一刻(2時間)もすれば、風味が落ちてきます。食したい場合は、熱田まで足を運ぶことをお薦め致します」
「であるか」
信長兄ぃが残念そうにしている。
実は、煮詰める前の濾過済み海水を那古野に持ってゆき、最終過程を那古野城で行えば、同じものが作れると思うのだが、敢えて教えないことにしておこう。
下手に教えると俺に準備を任せるとか、仕事が増えそうだしね。
その後も料理の話が続いた。
信長兄ぃは、甘い菓子や美味い食べ物が好きだよね。




