63. 国友の鍛冶師と魯坊丸の心情
天文二十一年十一月七日午前。
那古野では朔日に家臣を集めた評定が開かれ、おおよその方針が決まる。
そこから家老と役方が集まって予算の配分を決めてゆく。
役方とは、目付と奉行を指す。
そこには奥を取り仕切る帰蝶義姉上、側用人筆頭の岩室長門守も出席し、その補佐に俺が派遣している中間らも出席する。
俺の中間に発言権はない。
帰蝶義姉上と長門守に質問されたことに答えるのが仕事だ。
予算が決定すると、信長兄ぃが承認して、今月の追加予算と来月の予算を決める。
二泊三日のお泊まり会に来た俺が決定した予算書を見て溜息を吐いた。
俺が入ると、いつも政務室の空気が重くなる。
春頃は、余りに酷かった。
家老筆頭の林秀貞を呼び出し、新しい予算で家老の談合をやり直させた。
そんなことをすれば、家老らが激怒だった。
家老衆から奉行衆への風当たりも強くなり、針のムシロのような状況が続いた。
半年ほどで、素人に毛が生えた程度の知識でよく頑張っていると思う。
俺は叱る先を中間にした。
「お前らが付いていながら、どうしてこの程度だ」
「申し訳ございません」
「よいか、信長兄ぃからお前等を召し抱えたいという申し出がある。最初は同心だが、一年後に与力とすると言っている」
「誠ですか。我らが士分になれるのですか?」
「そうだ」
「一度は底辺まで身を落とした私が……侍に」
「だが、今の体たらくでは受けられぬ。残り二ヶ月を死ぬ気で働け」
「承知致しました」
中間らが嬉しそうな顔をした。
数年前まで村を無くし、河原者まで身を落とした者らだ。
中間というアルバイトのような役職でも喜んでいたのに、正社員である足軽や村人を飛び越して、幹部の侍になれる。
やる気を出した所で叩き落とす。
「千代、ざっと見た所で間違いが三十六箇所もあった。皆で手分けして修正しろ」
「畏まりました」
「よいか、佐渡守(筆頭家老の林秀貞)を呼び出すほどではないが、積もり積もれば呼び出すことになる。予算を組むときは目的を明確にし、その優先順位を付けて、予算を積み上げろ。分かったか」
「肝に銘じます」
「では、作業に掛かれ」
直接に叱られなかった奉行らが肩をなでおろした。
千代女が侍女らに担当を分担すると、いつもの慌ただしい政務所に戻った。
後ろで帰蝶義姉上が微笑み、その横の長門守がほっとしていた。
「魯坊丸、いつもすみませんね」
「いいえ、皆が素人なりに頑張っています」
「うふふふ、商人のように行きません」
「彼らは最初から帳簿を使い分けておりました。仕組みを教えただけで理解してくれました」
「優秀なのね」
「帰蝶義姉上、真剣に商人から召し抱えることを考えるべきです。これ以上、規模が大きくなると、今の者らだけで対応できません」
「それは……」
「信長兄ぃが尾張統一を三年ほど待って頂ければ、育てる余裕もあるのですが」
「殿に進言しておきます」
皆を叱ると、俺のすることは少ない。
俺は大量の戦力となる侍女らを連れ出す口実に過ぎない。
最近、どこに行くのも侍女らを連れて行くので、俺は凄く女好きという噂が流れている。
猥談にも俺の名前が上がるらしい。
七歳の子供に何を期待しているのか?
帰蝶義姉上とたわいもない話で時間を潰していると、長門守が提案してきた。
「魯坊丸様、これから国友の鍛冶師らと会う予定となっておりますが、宜しければ、ご同席頂けませんか」
「何かあるのか」
「信長様が三年前(天文十八年(1549年)七月)に五百丁の鉄砲を注文致しました」
「そういう噂は聞いている」
「まだ二十丁しか納めておりません」
「それは少ないな」
「注文した直後に公方様と三好様が争っており、公方様に願われて融通したと言われては、文句も付けられません」
「確かに」
「しかし、今年の春先に公方様と三好家が和睦しましたが改善されておらず、夏頃に橋本殿を遣わしました」
「で、改善されたか」
俺がそう聞くと、長門守は首を横に振った。
「公方様が鉄砲を使用したことで、大名や有力武将が鉄砲に注目したようです。近江商人を通じて、美濃、信濃へ流れ、また、伊勢商人を通じて、駿河、相模などに売られているようです」
「信長兄ぃが提示した額より高値で売れるか」
「津島商人も五十丁ほど確保しているそうです」
「先に注文を出した信長兄ぃを蔑ろにしていると……」
「今まで魯坊丸様に気が向いておりましたので気にされておりませんでしたが、この度、魯坊丸様から鉄砲を購入することになりました」
「そろそろ国友のことを思い出すな」
長門守が何とも言えない顔で頭を下げた。
側用人という中間職は気苦労が多い。
信長兄ぃが怒らないように先回りしている。
俺は「千代」と声を掛け、とある物を用意するように頼んだ。
「長門守、鉄砲の引き渡しは二刻(四時間)ほど後に致しましょう」
「何か、ございますか」
「ちょっとした物を取りに行かせました。無礼なことをしているのです。少しくらいは待たせましょう」
「畏まりました」
長門守はそう答えると伝言を横の者に託した。
◇◇◇
天文二十一年十一月七日夕方。
俺は長門守と一緒に玄関を入ってすぐの詰所に移動した。
信長兄ぃに謁見させるならば奥に通すのだが、今回は鉄砲の受け渡しのみだ。
長く待たされ、鍛冶師はかなり苛立っているが、俺は一切気にしない。
長門守が名乗り、俺を紹介する。
「こちらに御座すのは、信長様の弟君であられる織田魯坊丸様である。この度、帝より、従五位下典薬頭を頂くことが決まっておる」
「魯坊丸だ。面を上げよ」
ははあっと鍛冶師が頭を上げ、名乗りを上げた。
「国友与四郎と申します。若輩者ですが、よろしくお願いいたします」
「善兵衛ではないのですね」
「親方は忙しく、尾張まで足を運ぶ余裕などございません」
「約束を守らなければ、それ相応の対処をすると申し付けたはずですが、織田家を舐めているのですか」
「そんなことはございません。織田様には感謝しております。しかし、大大名様が無理を申されますと、こちらも断ることができないのです」
ツラツラと言い訳を続けた。
俺は持ってきた二丁の鉄砲を手に取った。
重心がしっかりしており、手にしっくりして持ちやすい。
ネジもしっかりしていた。
「其方が造ったのか」
「はい、私が造りました」
「これを造るのに、何日掛かった」
「一ヵ月を要します」
「遅いな」
「遅くはございません。親方には及びませんが、この性能を出すには、その日数を要します」
「技量が全然足りておらん」
俺がそう言うと、与四郎がぐぐっと睨み付ける。
素人目の意見に腹を立てたらしい。
だが、俺は余裕で扇子を振った。
持って来させた玉鋼の入った箱を前に置いた。
ガシャンという音に、与四郎が反応する。
「見てみよ。これは集めた鉄で鍛え直した。鉄砲の銃身で十丁分(35kg)はある」
与四郎が上に掛けた布を取ると、鉄を取り出して鉄と鉄を叩く。
カーンという音が部屋に響いた。
与四郎の目が輝いた。
「同じ量、あるいは、それ以上の鉄を用意できるならば、鉄砲の代金をその鉄で払っても構わぬ」
「誠ですか」
「ただし、約束通りに月十丁を納めるのが条件だ。出来なければ、この話は無しだ」
「守らせます。必ず、約束を守らせます」
「しつこいようだが、敢えて言うぞ。数が揃えばよいのではない。最低でも、この鉄砲と同程度のものを用意しろ」
「当然でございます。国友の鍛冶師として恥じぬ仕事をさせて頂きます」
「うむ、よい取引であった」
「魯坊丸様、これより良い品ができた場合、相場で買って頂くことはできますでしょうか」
「良い品ならば、相場で買わせて貰う」
「ありがとうございます。この鉄を使って、今まで以上の作を造ってみせます」
「期待している」
信長兄ぃは手付けで百貫文を渡しており、残りの四百貫文は出来高払いとなっていた。
まだ価値が定まっていない鉄砲の先物買いをした訳だ。
鉄砲の相場が八貫五百文から十貫文となっており、五百丁で五百貫文だから、一丁で一貫文と激安価格だった。
腕が上がれば、一丁一貫文の鉄砲など造っていられない。
そりゃ、他に売りたくなるわ。
俺が育てている鍛冶見習いにしたように、これから国友の新人は織田家の鉄砲を造るのが課題とされるだろう。
十丁を造らないと、貴重な鋼鉄が手に入らない。
そして、十貫文以上の出来のよい鉄砲は相場で買うと約束した。
これで名鉄砲鍛冶師らも、腕を競って織田家に鉄砲を売ってくれるだろう。
今回は、鉄砲の代金から鋼の代金を引くと逆ざやになった。
足りない分は、来月の鉄砲で構わない。
「長門守、細かい話は信長兄ぃにしないで下さい」
「拙いですか」
「信長兄ぃならば、最初の百丁分の代金は払っておると言い張るでしょう」
「確かに」
「間違っていませんが、国友の鍛冶師も食ってゆく必要があります。鉄を買う代金も要ります。締め付けると臍を曲げます」
「そうでございますな」
「良い品が出来てくれば、合わせ買いで百丁分を納めるように進めて下さい」
「畏まりました」
長門守がそっと頭を下げた。
長門守の肩の力が抜けた気がしたが、俺を見る目が厳しくなった気がする?
先に長門守が詰所から出て行くと、俺は千代女に聞いた。
「俺を見る目が厳しくなった気がしたが、気の所為か?」
「いいえ、厳しくなりました。信長様との差を思い知ったのでしょう」
「俺と比べてどうする」
「まったくです。若様と比べるなどおこがましい限りです」
「そういう意味ではない。俺など大したことはない」
「そんなことはございません」
「まず、親父(織田信秀)ほど魅力がない」
「そんなことはございません」
「そんなものだ。ただ、熱田明神と讃えてくれた亡き元大宮司様に感謝だな。そのお陰で誰も俺を変人と罵らん。好きなことのみに全力を注げた」
「その辺りは信光様に似ております」
「次に、政略で平手政秀に劣っている。俺が教えた兵を鍛える方法は義兄上の方が上手くなった。千代がいなければ、中根家は回らん」
「そんなことはございません」
「皆、この三年で変わった。三年後の信長兄ぃ、帰蝶義姉上、長門守も違っているだろう」
「それでも若様が一番です」
「そうでありたいが、俺一人では敵わん。だから、俺の手足を増やし、出来ることを増やしている。」
「私が若様をお守り致します」
「期待しているというか、千代がいなければ、信長兄ぃに抜かれそうだ」
「そんなことはございません」
「親父の息子でよかった。信長兄ぃの子供だったら、すり切れるまで使われ、ゴロゴロしたいなど言えば、首が飛びそうだ」
「…………」
想像したのか、千代女が目を逸らした。
信長兄ぃは殺す気はなくとも、うっかり怒って刀を抜き、勢いのままに振り下ろすと、首が落ちていたなんてことがありそうだ。
だが、ちょっとはっきり言い過ぎた。
「冗談、冗談だ。俺は信長兄ぃを高く評価しているぞ。国友に百貫文の前金を渡し、鉄砲に目を付けた先見性は悪くない」
「はい、若様と同じです。ただ、若様はご自分で造る道を選びました」
「工作は得意だったからな。信長兄ぃの着眼点はよかったが、その後の対応が最悪だ。数年で売れない鉄砲が売れるようになった」
「割安で買った信長様が得をされたと」
「五百丁の鉄砲を造るのは大変だ。国友が渋るのは当然であり、放置すれば、最悪の事態となっただろう」
「国友が信長様の命に逆らうのですね」
「しかし、もしも織田家の支配が近江まで広がった日には、国友の鍛冶師らはお茶を濁した報いを受け、すり切れるまで鉄砲を造ることを強制されただろうな」
「あり得ます」
「信長兄ぃは真面目過ぎる。正論を押し通そうとし過ぎる。状況を見るのが下手だ」
「しかも、信長様自身はいい加減な性格です」
「まったくだ。親の顔が見たい……と言いたいが、同じ親だったな。俺は親父で助かったと思うぞ」
「なるほど、大殿のような寛容さが信長様をいい加減な性格にしたのですね」
「その通りだ。信長兄ぃにも寛容。俺にも寛容。つくづく運がよかった」
「運だけではございません」
「千代らには感謝している。皆がおらねば、俺はここに居ない」
「勿体ないお言葉です」
「これからも俺を守ってくれ」
「絶対にお守り致します」
戦国の世は甘くない。
この六年で何度も思い知らされた。
天秤が少し狂うだけで首が飛ぶ。
俺はゴロゴロと皆で笑ってのんびりと生きてゆきたいだけなのに……道は遠い。




