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魯坊丸日記 ~魯坊人外伝 第三章「魯坊丸の日記は母上の楽しみ」~  作者: 牛一・冬星明


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61. 伊吹おろしとさくら山(八事山連)

 天文二十一年(1552年)十月二十九日早朝。

 ゆっくりと体を揺すぶられて目を覚ますと、ぼっとする頭のままに立たされると、すべてが真っ白な斎服(さいふく)に着替えさせられた。

 そうか、今日だったな。

 ようやく頭が動き出し、すぐに毛皮を被せられると外に連れ出された。

 新月が近いからか、空は星のみが輝いている。

 あたりは静かな暁闇(あかつきやみ)に包まれていた。

 空には満天の星が広がり、プラネタリウムなど及びもしない美しさだった。

 その星が雨のように落ちてくるように感じるから不思議だ。

 首を上げると、体がぶるぶるぶると震えた。

 さぁ、寒い。

 吐く息が凍るほど白くなる。

 さくらが急いで湯たんぽを毛皮の内ポケットに入れてくれた。


「若様。これで寒くありません」

「さくら、ありがとう」

「いいえ、若様の毛皮の靴を懐で温めようとしましたが、千代女様に殴られました」

「それは千代女が正しい」

「どうしてですか?」

「やるなら、焼け石を布で包んで靴に入れておけ」

「おぉ、なるほど。流石、若様です」


 わぁぁぁぁ、少し温かくなっただけで大きな欠伸をした。

 ホント、眠い。

 毎朝、朝練の為に日が昇る前に起きているが、今朝はそんな比ではない。

 これから山を登る。

 高さは三十メートルもない山だが、頂上手前の山小屋を目指す。

 千代女が護衛の兵と一緒にやってきた。


「若様。おはようございます」

「向こうの準備は整っているか」

「はい、問題ありません。道中の安全も確認済みです」

「では、出発するか」


 さくら達と一緒に待機していた武蔵(たけぞう)が、俺を軽々と抱きかかえた。

 武蔵に抱えられると、俺の目線が千代女らと重なる。


「さぁ、行きましょう」


 朝からテンションが高い声をさくらが上げた。

 千代女や他の者もふっと笑う。

 中根家のムードメーカーだ。

 千代女が頷き、すると松明に火が灯され、皆が一斉に走り出した。

 北の平針街道を横切り、長根村を通り抜けると、さくら山に入る。

 山の中はさらに真っ暗だ。

 尾根に出ると、再び星が見えた。

 すぐに山小屋が見えてきた。

 山小屋の前では、(ふんどし)に法被一枚を羽織った男衆四十五人が出迎えてくれた。

 見るだけで寒いわ。


「魯坊丸様、ようこそお越し下さいました」

「皆も苦労掛けるが、今年もよろしく頼む」

「お任せ下さい。今年こそ、見事な“たたら鉄”を造り上げてみせます」


 俺にそう言い切ったのは、親方の尾崎(おざき)-文左衛門(ぶんざえもん)である。

 三代目尾崎(おざき)-善光(ぜんこう)の甥であり、一刀を熱田神宮に奉納し、もう一刀を(はやし)-秀貞(ひでさだ)に与えた人斬り包丁を打った鍛冶師である。

 名刀と呼ばれる刀を打つことに野心を燃やしていた。

 その隣に、最高の鉄砲を造ると俺に誓った坂口(さかぐち)-作之助(さのすけ)もいた。

 四十五人の内、二十五人は金山衆の出向であり、残る二十人が作之助の弟子である。


「さ、さ、外は冷えます。中にお入り下さい」


 昨日から“伊吹おろし”が吹き始め、季節は真冬に突入した。

 伊吹おろしとは、日本海から琵琶湖を抜け、伊吹山の麓を抜けてくる冬の風である。

 鉄は水に弱く、製鉄は乾いた風が吹く、冬に行われる。

 この“伊吹おろし”が、鉄造りの合図となる。

 最高の鉄を目の前にして、鍛冶師らは興奮を抑えられないようだ。

 簡易な祭壇の前に立つと、白い木の棒に、神垂(しで)という白いギザギザの紙を垂らした“祓串(はらいくし)”を掲げた。

 俺は右に左にサラサラと振り、声を上げて祝詞を詠み始めた。


高天原(たかまのはら)神留(かむづま)()皇親神(すらめがむつかむ)漏岐神(ろぎかみ)漏美(ろみ)(みこと)を以て…』


 大祓詞(おおはらえのことば)は穢れを払う為に特別な時に読まれる祝詞である。

 熱田明神の生まれ変わりである俺が唱えると、すべて穢れが祓われると、鍛冶師らは信じており、もう欠かせない行事となっている。

 ・

 ・

 ・

 俺は『()こし()せと()をす』と締めくくった。

 小屋の中に静寂が訪れた。

 鍛冶師らが成功を祈って真剣に祈っていた。

 彼らの顔を見ると、ふっと昔を思い出して笑みがこぼれた。

 信心深い鍛冶師らの要望で、はじめてやった時は酷かった。

 俺は大祓詞なんて覚えてなくて、「祓えため、清めたまえ、たらたま、きよたま、たらたま、きよたま」を連発して勢いで誤魔化した。

 あれは恥ずかしい黒歴史だ。

 振り返った俺と親方の目が重なると、親方がズシンと立ち上がって声を荒げた。


「野郎共、気合いは入ったか」


 うおぉぉぉぉ、地響きが起こるような雄叫びを上げる。


「今年こそ、最高の鉄を作るぞ」


 うおぉぉぉぉ、親方の熱量も半端ない。

 刀と鉄砲は最高級の鉄でなければ名品は作れない。

 鍛冶師の熱力が凄かった。

 炉に火が灯ると、皆が一斉に動き出した。


「魯坊丸様。今年こそ、南蛮鉄を越える最高級の鉄を仕上げてみせます」

「親方、期待しているぞ」

「お任せ下さい」


 親方がそう答えると仲間の中へ入っていった。

 俺はしばらく作業を見守った。

 部屋の温度が一気に上がり、額から汗が浮き出してくる。


「若様。そろそろ」

「そうだな」


 俺らは鍛冶師の邪魔をしないように小屋を出た。

 すでに太陽が顔を出していた。

 冷たい風が頬をすり抜けて気持ちいい。

 さくらが俺に毛皮を着せながら、今更なことを聞いてきた。


「良質な鉄は手に入らないのですか」

「それを聞くか」

「さくらちゃん。砂鉄を集めた鉄は不純物が多くて質が悪いって教えたよね」

「紅葉、私を馬鹿にしないで下さい。そんなことは覚えています。しかし、集めたクズ鉄が良質な鉄になるのが不思議なのです」

「それが若様の知恵のお陰です。で、我々が集めたのはクズ鉄ではなく、鉄鉱石と呼ばれる鉄の原石です」


 博学の紅葉がさくらに説明する。

 砂鉄から作る鉄は意外と不純物が多い。しかし、炉で溶かしている内に、玉鋼(たまはがね)と呼ばれる良質な鉄が生まれる。

 その特別な鉄を使って名刀が生まれる。

 輸入品の南蛮鉄はそれに次ぐ、良質な鉄とされている。

 しかし、その南蛮鉄も善し悪しがある。

 また、関東では、川底に鉄の混じった石が多く採れ、俺はそれを多く買い漁った。

 それらを炉にぶち込んで作り直しているのが、織田式の“たたら鉄”もどき製鉄である。

 もっと楽をして鉄を手に入れたい。

 俺がそう呟くと、紅葉に笑われた。


「南蛮鉄がもっと手に入れば、楽になるのだがな」

「ふふふ、仮に手に入っても大量に買えません。鉄五束の十二貫(45kg)で五貫文もします」

「高いな」

「関東から買っている粒鉄やクズ鉄を買った方が安く付きます」

「自前で鉄鉱石を掘った方が安いか」

「はい、そうなります。しかし、大量に作ると、おが屑から人工石炭を作っておりますが、生産が追い付かなくなると思います」

「そうだな」


 人工石炭バイオコークスの生産は続けているが、需要の増加に追いつきそうになかった。


「近場で石炭が見つかったという報告が欲しいな」

「本格的に製鉄を始めれば、すべての山が禿げ山になってしまうね」

「まったくだ」

「九州の筑後稲荷村(とうかむら)から『燃える石』が見つかっていますが、大友家の支配が不安定です。採掘隊を派遣するのは難しいかと」

「ままならんか」

「若様以外に『燃える石』を欲しがる人がいませんから、あははは」


 紅葉が乾いた笑いを残した。

 そうなのだ。

 誰も石炭を使わず、それゆえに石炭を欲しがる人が誰もいない。

 欲しがっているのは俺だけなのだ。

 慌てても仕方ないか。


「若様。窯の煙が竜のように天に伸びております」

「あぁ、何本も上がっているな」

「私と同じ名前の『さくら焼き』が有名になると、私も偉くなったような気がします」

「さくらが偉くなる訳じゃないぞ」

「わかっております。気分です」


 帰りはさくら山の頂上に登ってから尾根伝いに降りてゆく。

 頂上に達すると、谷間に三つの製鉄小屋、その背後から登り窯の煙が何本も上がっている。

 登り窯から生まれる器には『緋』が走っており、さくら山で造られるので『さくら焼き』と命名した。

 熱田の名物になりつつある。


「誰もが、さくら山で『さくら焼き』を焼いていると、丁度いい偽装になっているからね」

「楓のいう通りです。誰もここで鉄砲を造っていると思わないのです」

「私はさくらがいつ口を滑らすかが心配だよ」

「私は滑らしません」


 楓がさくらを揶揄っている間に見張り台を通り過ぎた。

 ここから笠寺がある松巨島(まつこしま)がよく見え、鳴海城まで見渡せる。

 それは向こうも同じであり、鳴海城の北にある山王山(三王山)からこちらは一望できるのだ。

 だが、見えているから騙されることもあるのだ。


「若様。麓の中根学校まで降りてきました。ここから歩いて行かれますか」

「そうだな。武蔵、下ろしてくれ」

「はい」


 さくら山の麓に、多くの優秀な生徒を集めた学校を建てた。

 すぐ南に牛山とりで(中根北城)があり、菱池とりで(中根中城)の二砦で平針街道(鎌倉街道上道)を挟む。

 俺が歩くだけで、学校や砦に人が溢れた。

 あぁ、眠たい。

 俺は欠伸を堪えて、中根南城へ続く道を歩いた。


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