60. 北畠具教の訪問
天文二十一年十月二十六日深夜。
その夜、俺は突然の呼び出しを受けた。
武闘大会の予選が二十四日から始まり、激戦を繰り広げた。
但し、真剣は使わない。
武器は竹刀か竹杖と定め、防具を貸し出した。
剣術家からすれば、不愉快かもしれない。
相撲大会が終わった直後に信長兄ぃが参加を打診してきたが即座に却下した。
揶揄う声で楓が聞いてきた。
「信長様が自らを推薦して参加するとの打診がありましたがどうします」
「駄目だ。信長兄ぃが出れば、試合が茶番になる。仕官したい者が腕前を披露する場所だと答えておけ」
「ホイホイ、そう返事しておきます」
続けて、さくらも問い掛けた。
「若様、津島や中島にいる僧侶が参加を申し出ていますがどうしましょうか?」
「仕官する気があるなら構わんと返事しておけ」
「わかりました」
俺の対応に紅葉が一声入れた。
「若様、宜しいのですか。間者が紛れてくると思いますが……」
「間者と分かった者は俺が召し抱える。最前線に放り込み、敵同士で殺し合いさせればよい。余所の家に仕官した場合は、不幸が訪れるだろう」
「承知しました」
すべてが順調と思っていたが、そうではなかった。
飛んでもない大物が紛れていた。
今朝(二十六日)、楓の報告を聞いてこめかみを押さえた。
「楓、もう一度言ってくれ」
「多芸様がお忍びで武闘大会の予選に参加しておりました」
「多芸?」
「若様は知りませんか。北畠家の住まう所を多気城を多芸御所と呼ぶ者がおります。その偉い方のご子息が使っている偽名です」
「北畠……国司北畠-晴具の息子具教か。どうして、そんな大物が」
「剣豪愛洲-久忠の弟子である元香斎(久忠の子、小七郎宗通)が同行しております。腕自慢で参加しているのかもしれません」
「剣豪、そう言えば、具教は塚原-卜伝から一の太刀を伝授されたとか」
「いいえ、そんな話は聞いておりません。卜伝殿は有名ですが、伊勢に寄ったとは聞いておりません」
「そうか」
まだ、卜伝に会っていないようだが、すでに具教は愛洲陰流の剣豪らしい。
伊賀のお膝元に伊勢があり、具教と元香斎を知る伊賀者が多くいたので間違いない。
百二十八人の予選通過者から三十二名を絞る二次予選で、楓は棄権を呼び掛けた。
その替わりに、俺が主催する真夜中の実戦稽古に招待すると頼んだらしい。
加藤-三郎左衛門の入れ知恵であり、具教が応じた。
なお、真夜中の実戦稽古は俺が主催している訳ではなく、加藤が勝手にそう呼んでいる。
俺はまったく関係ない。
だが、伊勢国司の息子が参加するので、主催者がいないと困るとか言われて呼び出された。
俺は主催じゃないです。
そう言って逃げる訳にもいかない。
主役は遅れて登場する。
俺が到着した頃には、すでに実戦稽古は始まっており、元香斎の隣に案内された。
具教の師匠である元香斎も近く七十歳を迎える高齢であった。
真夜中の熱田神宮の広場は暗い。
しかも、新月も近く月灯りも心許ない暗さである。
俺が元香斎と一緒に座っている場所は篝火が焚かれているが、具教が稽古をしている場所は真っ暗であり、どう動いているのか見当もつかない。
俺は気配を探りながら、火花を見入っていた。
「魯坊丸様はよい訓練をされておりますな」
「そうでしょうか」
「火花が飛び散る広場を見ながら、一向に心が動じておりません」
「危険な場所ほど、妄りに動くなと教えております」
「良き師をお持ちのようですな」
「剣術の腕前は今一つです。ですが、良い家臣に恵まれております」
「そうですか。良き家臣に恵まれておられますか」
稽古はしばらく続き、冬の寒空に白い湯気を立ち上らせながら具教が戻ってきた。
布巾を受け取ると、上半身を脱いで汗を拭きながら俺の横に腰掛けた。
「よい稽古をさせて貰った」
「そうでございますか」
「多芸である」
「魯坊丸と申します」
「いくつか、聞いてもよいか」
「答えられることならば」
「魯坊丸殿は朝廷をどう思う」
「朝廷でございますか。どう言われても返事に困ります」
本音を言えば、良い取引相手だ。
帝や公家が清酒を気に入ってくれており、プレミアムが付いて飛ぶように売れている。
尾張の酒というだけで高値がつく。
ありがたいと思うが、具教がそんな答えを求めていないだろう。
「では、聞き方を変えよう。帝はどうあるべきと思うか」
「それも答えかねます。帝は日の本の中心であられます。しかし、『建武の新政』のように政に参加するのは宜しくございません」
「それは何故だ」
「公家様が政を理解されておられないからです。帝は神事を司り、公家様はそれを助ける。武家に政を任せるのが一番でございましょう」
「武家が世を乱しておるように見えぬか」
「見えます。足利-尊氏公が幕府を存続させる為に無茶をし過ぎました。『無理を通せば、道理が引っ込む』という言葉がございます。幕府を維持する為に、争いの種を全国に撒き散らしました。それが今の惨状でございます」
「南北朝か。まだ続いておると言いたいのだな」
「はい、その通りです。二百年も続き、敵と味方が絡み合っております。大きな鉈で断ち切らないと収まりません」
具教の目が細くなった。
俺をじっと睨み、ゆっくりとした口調で聞き返してきた。
「大きな鉈で何を切る」
「ご恩と奉公です。武士は土地を貰って忠義を尽くします。その土地を取り上げて、すべて帝にお返しし、土地の管理をすべて武家に任せて頂きます」
「武士にとって土地は命だ。そんなことをすれば、大事になるぞ」
俺も具教を見ながら頬を緩めた。
そんなことは百も承知であり、無理に土地を奪うつもりもない。
江戸時代、貨幣経済が進むと、土地で俸禄を得るのが難しくなり、土地を返す家臣が増えた。
確実に手に入る貨幣で俸禄を得るのを好んだ。
「そう難しいことではありません。まず尾張から始めようと思っております。すでに私の家臣はすべて銭で雇っております。土地を与えておりません。いずれは尾張中がそうなるでしょう」
「尾張に領主がいなくなるだと?」
「そうなった時点で土地を朝廷にお返しし、尾張の統治権を改めて幕府より頂きます」
「三河はどうする気だ」
「もちろん、いずれは取り戻しますが、三河を盗っても織田家が支配するのではなく、帝が決めた統治者を置くだけです。それに逆らう者は帝の軍が排除するのです」
「帝の軍だと?」
「土地の治安を守る為に集められた武将と兵です。手柄を立てても土地は与えません。俸禄が増えるだけです。そんな軍隊です。公方様に指揮を取って頂きたいのですが、今の幕府では駄目ですね」
「では、どうするつもりだ」
「私の手は小さいので、桶の水はすべてを掬えません。ですが、たくさんの手があれば、すべての水を受け止めることができます。中根村に学校を建てて、政ができる者を育てております」
「どれほどの歳月を費やすつもりだ」
「二百年も掛かって絡まった糸です。それを切るのに百年は掛かるでしょう」
「気の遠い話だな。儂も生きておらんぞ」
「私も生きておりません」
具教が“ぐふふふ”と低く笑った。
「面白いことを考える小僧だな」
「恐れ入ります。ただの妄想でございます。実際、どうなるかなど分かりません」
「だが、面白い」
「ありがとうございます」
「では、鳥屋尾-神童丸(後の満栄)を其方に預ける。政が分かる者に育ててくれ」
「神童丸?」
「重臣、鳥屋尾家の跡取りだ。実は儂の子である。嫡子に付ける小姓候補と一緒に送ろう」
「それでは人質ではございませんか」
「何を今更。北畠家の重臣に手を入れ、伊勢商人を籠絡し、伊賀を掌握しつつある。これでは戦にならんではないか」
ごくり、俺は唾を飲んだ。
具教は俺の動きを察知して、それで乗り込んできたのか。
強引な方だ。
「武闘大会があると聞いて、見に来たがよい収穫であった。帝にすべての土地を返上するか。夢のような話だ。人質は出すが、今の其方では頭は下げられん。ここに来て知ったが、従五位下典薬頭になるそうではないか。目出度いな」
「ありがとうございます」
「儂の父君は、従四位下の参議だ。俺もその辺りには行けるだろう。少なくとも従三位中納言くらいになって貰わねば困る。分かったな」
「努力は致しますが、返事はできかねます」
「今はよい。儂も父君を説得せねばならんからな。そうだ、中納言になった暁には、生まれたばかりだが、雪姫を其方にやろう」
「それもお答えしかねます」
ぐははは、具教が立ち上がり、再び刀を持って広場に戻っていった。
お茶を飲む元香斎が教えてくれる。
「気に入られましたな」
「そうでしょうか」
「具教様は豪快な方でございますが、知恵も回りますぞ。現国司様(北畠-晴具)も大和、紀伊まで進出されましたが齢五十歳となり、覇気が落ちております。近いうちに家督をお譲りになられるでしょう」
「詳しいのですね」
「現国司様も儂の弟弟子です。何かと相談されますゆえ」
「本気で人質を送る気でしょうか」
「送られるでしょうな」
「そうですか」
また、一つ厄介ごとが増えた。




