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魯坊丸日記 ~魯坊人外伝 第三章「魯坊丸の日記は母上の楽しみ」~  作者: 牛一・冬星明


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55.蛮勇の平手政秀

 天文二十一年十月二十四日

 飛鳥井-雅春での相撲接待を終えてやっと中根南城に戻って来られた。

 昨日、相撲観戦している信長兄ぃを余所に那古野城で留守を預かっている筆頭家老(はやし)-秀貞(ひでさだ)、次席家老平手(ひらて)-政秀(まさひで)に紅葉を説得に向かわせた。

 昼から戻ってきた紅葉が俺の横で交渉を失敗したと落ち込んでいる。


「若様、本当に申し訳ございません」

「気にするな。説得するつもりが、逆に説得されて帰ってきたことを詫びているなら詫びは無用だ」

「そうではございますが、自分が情けなく思います」

「俺も信長兄ぃの説得に失敗した。紅葉を責めるつもりはない」


 ふにゅう、俺がそう言っても紅葉は落ち込む。

 国防を考える林-秀貞は賛同してくれたが、平手-政秀の政治のバランス感覚がそれを否定した。

 まず、第一に織田家から官位を求めながら受け取りの遅延はあり得ない。

 この意見はもっともだ。

 第二に官位を契機に六角家と斉藤家の関係を強め、三者で上洛を果たし、信長兄ぃが公方様の後ろ盾と売り込むことで今川家への牽制となる。今川家が甲斐の武田家と相模の北条家と三国同盟を結ぶ構えを見せているが、武田家と北条家が幕府と対立することを良しとしない。つまり、甲相駿(こうそうすん)三国同盟が今川家の尾張侵攻の足枷にしてしまえる。


「俺は幕府への対面が義元の足枷になるとは思っていないがな」

「私も同じです。ですが、政秀殿の狙いは義元の駿河ではなく、三河の幕府奉公衆と申しておりました。もし信長様が上洛の折に仕掛けてくれば、今川家は逆賊となります。可能であれば、朝廷から逆臣の汚名を被せます。公方様が駿河守護を取り上げれば、足利一門という肩書きが消え失せ、今川家は将来的な敵を周辺に持つことになるだろうと吹聴すれば、動きを封じられると断言させました」

「なるほど。北条家に関東管領職をチラつかせ、古河公方と和睦を整えれば、有名無実化した上杉家を廃する。おそらく逃げ込むであろう越後の長尾(ながお)-景虎(かげとら)との和睦は容易い」

「すると、甲相駿の三国同盟が甲相越に組変わるのですね」

「海が欲しい甲斐の武田-晴信は駿河へ侵攻する。これが潜在的な脅威だ。織田家の尾張が同盟に加われば、甲相尾の三国同盟もあり得る」

「平手様は広大な謀略を巡らせておられたのですね」

「そういう動きもあるから、今川-義元を動けまいとハッタリを噛ましているのだ」

「ハッタリですか。なるほど、納得できました」

「何が納得できたのだ」

「本日は、飛鳥井卿の使者として清須に赴くと申しておりました」

「清須か」

「尾張守護斯波(しば)-義統(よしむね)様、及び、守護代織田(おだ)-信友(のぶとも)様へのご報告と言っておりました」

「敵方の城へ単身で乗り込むか」

「朝廷の使者様の先触れを殺せば、朝敵は免れません。巡り巡って信長様に守護職が回ってくると笑いながら言われておりました」

「殺されるのが前提か」


 殺せるものならば殺してみろ。

 敵中に単身で乗り込む平手-政秀は傾奇者(かぶきもの)だ。

 俺なら敵中の誰かを調略し、そこから忍びを忍ばせ、腕利きの護衛を用意しないと行きたくない。

 政秀は一月末に上洛し、二月に拝謁を考えていたが、紅葉の説得と林-秀貞の援護もあって、三月に上洛し、四月に拝謁まで譲歩してくれた。

 これって決定だよね。

 

「うぅぅぅ、申し訳ございません」

「紅葉は頑張った。俺は責めるつもりはない」

「私の一存では返事できないと申しましたが、すでに三月上洛で段取りを始め、これを覆すのは容易ではありません」

「で、守護と守護代に挨拶の後はどうすると言っていた」

「岩倉へ赴きます。信長様も接待の催しを準備されており、その間に尾張の有力者を回ると申しておりました。来月中旬に帰国の途に就く飛鳥井卿に同行して京に上がるそうです」

「お礼参りか」

「近江の六角家にも足を運び、六角家との縁を強く結びたいようです」

「平手に限って、上洛の日取りを迂闊に喋らんと思うが・・・・・・」

「はい、対外的には、日取りは年が明けるまでは明確にせぬ方がよいと申しておりました。飛鳥井卿には、内々で教えることになると思います」

「日取りがはっきりすれば邪魔が入るか。いっその事、今川方に教えて妨害を誘発して延期できないか」

「どう妨害してくるかがわかりません」

「わかっている。言ってみただけだ」

「私が失敗したばかりに、本当に申し訳ございません」

「向こうは海千山千の公家を相手に交渉を続けてきた強者だ。紅葉では荷が重かった。俺が交渉していれば、来月の飛鳥井卿の帰参と一緒に上洛致しましょうと言われていたかもしれん」

「まさか、若様が負けるなど」

「俺は忘れる。紅葉も気にするな。千代、年内は政秀と会わぬ。そう調整しておけ」


 横で作業をしていた千代女が「畏まりました」と返事した。

 俺は貯まっている書類に目を向けると、ドタドタと床の上を走る音が響いてくる。もうそんな時間になったか。元気な黒髪の三人の妹らが障子から顔を覗かせた。


「魯兄じゃ、お勉強は終わったのじゃ。お手伝いをするのじゃ」

「兄上、お手伝いします。

「できることはございますか」


 お市は堂々と仁王立ちで胸を張って言い切る。対して、里とお栄は顔だけ覗かせてそう言った。

 つい先日まで「遊ぶのじゃ」と言っていたのに比べると、随分としおらしくなった。だが、今日はお市らに見せられない仕事が多い。


「すまん。お市らの仕事を用意していなかった。気持ちだけ貰っておく」

「そうなのかや」

「お市ちゃん、邪魔しちゃ駄目だよ」

「お市姉様、向こうに行きましょう」

「魯兄じゃ、一緒に食事をしてもよいかや」

「あぁ、いいぞ。来月の武闘大会の奉納試合は一緒に観戦するか」

「したいのじゃ。でも、参加できるようにならんかや」

「お市は参加したいのか」

「腕試しなのじゃ」

「残念だが無理だ。一五歳以上でかつ、女性は家の当主から許可を貰う必要がある。信長兄ぃや信勝兄上が許可を出すとは思えん」

「しおしおなのじゃ」

「考えてみろ。お市の顔に傷を付けたら、信長兄ぃがその者の首を切ってしまう。相手は本気で戦ってくれると思うか。本気でない者と戦って勝ちたいか」

「そんなのは嫌じゃ」

「準決勝に残った四名は熱田神宮の宴席に呼ぶ予定だ。その席で稽古ができないか頼んでやる」

「やったのじゃ。魯兄じゃは話がわかるので大好きなのじゃ」

「ありがとう」

「食事の時間まで里の部屋でかるたでもするのじゃ」


 お市らは里の部屋で遊ぶらしい。

 里は「今日こそ一勝する」と意気込み、お市は「今日も全勝するのじゃ」と返す。お栄は「・・・・・・」と黙っているが、目が鋭くなった気がした。

 ドタドタと床を鳴らして奥に消えた。


「千代、お市が子供部屋に戻らんということは、三十郎兄ぃ〔後の織田(おだ)-信包(のぶかね)〕も来ているのか」

「九郎〔信治(のぶはる)〕様、喜蔵〔信時(のぶとき)〕様、彦七郎〔信興(のぶおき)〕様も来られております」

「勢揃いだな」

「いいえ、先日は三十郎様が喜六郎〔秀孝(ひでたか)〕様を連れて来られましたが、本日は来られておられません」

「まだ来ていない兄上は半左衛門〔秀成(ひでなり)〕だけになっているではないか」

「そのようです。もしかすると弟君の源五郎〔長益(ながます)〕くらいも来られるかも知れません。又十郎〔長利(ながとし)〕様は御年四歳。城から出して貰えるかが微妙なのです」


 何故、俺の兄弟弟妹が中根南城に集まるのかが疑問に思った。

 お市が食い物の話をして、食い物に釣られた三十郎兄ぃ、その三十郎兄ぃに巻き込まれた喜蔵はわかる。また、喜六郎は三十郎兄ぃ、お市と同じ土田御前の子供なので巻き込まれるのは仕方ないと思えた。しかし、九郎兄ぃは三十郎兄ぃと仲が悪いので連れてくるとは思えない。彦七郎、半左衛門は名前も上がったことがなかった。


「若様、疑問は単純でございます」

「末森で何かあったのか」

「大したことでございません。信勝様は信長様に対抗して常備兵三百名を揃えました」

「三百名か。妥当な数だな」

「妥当ではございません。家臣の次男や三男、村の強者を集めた騎馬隊をお作りになるようです」

「馬、馬は高くつくぞ」

「今の所、まだ百頭ほどしか手に入れておられません。次男や三男と一緒に馬を取られた家臣は慌てております。末森では、追加で購入した馬の代金、日々の飼い葉代で末森の台所が苦しくなり、朝夕の二食は一汁一菜とされました。食べ盛りの三十郎様に辛いようで、帰りにおにぎりとから揚げを大量に持って帰られております」

「で、おにぎりを頰張る三十郎兄ぃを見た他の兄弟も集まってきたのか」

「そのようです」


 三十郎兄ぃは嫌いではないが、俺を見るとすぐに剣の勝負を挑んでくる。

 剣道で使う面と厚手の防具を用意したので怪我の心配はなくなったが、竹刀もどきは木刀に近く、やはり当たれば痛い。しかも三十郎兄ぃは防具を用意すると遠慮がなくなって痣だらけになってしまうようになった。飯を漁りに数日おきに来ているらしい。

 しばらく子供部屋には近づかないでおこう。

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