54.上洛会談その1 <頑な信長>
天文二十一年十月二十三日
陀武夫御墓〔ミヤズヒメの墓、断夫山古墳〕の東に作った乗馬場に、朝から大勢の民衆が集まってきた。投石の札売上が芳しくなかったので、追加した奉納相撲であったが、相撲は俺が思っていたより人気があった。来年は相撲の札を売ってみようかとか考えてしまう。
奉納試合は昼から決勝の一試合のみ。
ゴール付近に砂を積み上げ、決戦の舞台を整えてみた。将来的には、両国国技館に吊られている『吊り屋根』のような四本柱の屋形を用意してみたい。
陀武夫御墓の北にある旗屋御殿の茶室を借りて、相撲観戦の前に会談を申し出た。
旗屋御殿の茶室はかなり広く、信長兄ぃ、帰蝶義姉上、長門守と側近四名が付き添った。対して、俺は千代女と楓を後ろに座らせた。
まず、主人の旗屋-金蔵が茶を点て、皆に茶をご馳走してくれた。
「都の宇治より取り寄せた茶葉でございます」
「いただこう」
信長兄ぃが茶碗を取ってぐっと飲むと俺に差し出す。所謂、回し飲みという奴であり、主従の関係を強く示す意味がある。客が多いと次茶が必要となる失態の心配もあるが、今日の客は信長兄ぃと俺の二人、他は付き添いであった。なお、毒の確認は信長方と千代女によって茶会がはじまる前に終わらせてある。
俺が金蔵に茶器を返すと、金蔵は挨拶をして部屋を出ていった。
「急ぎと聞いた。相撲の前に何の打ち合わせだ」
「飛鳥井卿は上洛の日取りを気にされております。迂闊に日取りを喋られないように申し上げたく、会談を申し出ました」
「そんな事はわかっておる。近々、家老衆を集め談合し、来月の月中の評定で決定する。それまで飛鳥井卿に伝えぬ。だが、平手の爺と相談したが、来年の春が一番よいであろうと申しておった」
「私としては来年の秋以降にして頂きたいとお願いします」
「儂が上洛するのではないぞ。お前の上洛の話だ。そんなに待たせるわけにゆかん」
平手-政秀の目論みは正しい。
朝廷や幕府へ上洛を届け、様々な手配や準備を見積もれば、四、五ヵ月が掛かる。来年の二、三月が双方の妥協点となる。しかし、それは朝廷や幕府の段取りである。
今川家の動向は加味されていない。
俺が留守でも万全の体制を取るには、兵の数、武力の充実を整えておきたい。一年あれば、鉄砲の数が相当増える。また、硝石の増産体制が整い、火薬量の心配がなくなる。巧くすれば、新造の三百石船も揃ってくる。それに大砲の試作品を乗せるという策も加わる。
欲を言えばキリがないが一年の余裕があれば、かなり揃ってくる。
「兄上は京の情勢をどこまで把握されておりますか」
「近江の管領代六角-定頼様が亡くなったのは残念であるが、跡を継がれた義賢様が三好-長慶殿と和睦され、公方様が京にお戻りになられたと把握しておる」
「その際、細川-晴元殿が管領と細川京兆家の当主を罷免され、細川京兆家の当主は細川-氏綱殿に代わっております。しかし、管領職は引き継いでおりません。公方様の意地でしょう」
「そうであったか」
「三好-長慶殿は御供衆に任じられ、公方様へ忠誠を誓いましたが、公方様と長慶殿の仲はよろしくございません」
「であるな。故に、元関白近衛-稙家様を通じて、公方様をお助けして欲しいとの御言葉を頂いた。この信長はそれに従いたい」
「それには反対致しません。しかし、物に順序がございます。今川-義元を何とかしなければ、上洛などできません」
「であるな」
信長兄ぃも今川-義元の動向を気に掛けていた。
管領を罷免された晴元は丹波に身を隠し、丹波の波多野-元秀が叛旗を翻した。氏綱を丹波守護と認めないのか。あるいは、晴元を裏切った長慶の風下に入れないという武士の意地かはわからない。しかし、長慶が晴元から氏綱に寝返る時に元秀の妹を離縁して帰したという事実は変わらない
丹波には三好の軍勢が入り、返り咲いた丹波守護代の内藤-国貞との間で丹波を二分して争っている。
「兄上、今月〔十月〕の二日に三好長慶殿は二万の軍勢を京に上げ、岩倉〔京の北側、京都市左京区岩倉〕の小倉山城(山本館)を攻めております」
「なんだと、まことか?」
「小倉山城の城主対馬守〔山本-尚治〕は幕府奉公衆です。しかも元管領の晴元に従っていた者です」
「晴元殿に従って叛旗を翻したかの」
「わかりません。ですが、公方様に反三好を吹き込んでいたのは間違いないでしょう。長慶殿は反三好の奉公衆を敵視しております」
「公方様をお助けする為にも一刻も早く上洛をする必要があるな」
「兄上、私は上洛すると、『火中の栗』を拾うことになると忠告しているのです」
「お前は公方様を助けようと思わんのか」
「お助けしたいのはやぶさかではございません。ですが、今の長慶殿を敵に回すのは得策ではない。その程度の自重がなければお助けできません」
「公方様を説得するのが、お前の役目と思わんのか」
「そもそも、公方様が元服もしていない私の話を聞いて下さるのですか」
「う~~~ん、どうであろう」
信長兄ぃが首を捻る。
そこは無理と断言して欲しい。
上洛すれば謁見はできるだろう、しかし、献上品を渡して挨拶するのみである。
公方様と会話ができるかも怪しい。
そんな俺に信長兄ぃは何を期待している。
そのまま第一回目の会談は平行線で終わった。
九月十七日 神嘗祭
十八日 “囲碁・将棋”の予備予選:三勝で勝ち上がり、三敗で失格
十九日 “囲碁・将棋”の一次予選:勝ち上がった一般者と招待選手を含む全員で百二十八席を取り合う。五勝勝ち抜き戦。一勝した者は一勝した者としか対戦できず、四勝者は四勝者と対戦する。一日十試合。(一試合一時間の計算)
二十日 “囲碁・将棋”の一次予選予備日、札売り開始。
二十一日午前 “囲碁・将棋”の二次予選一回戦 64戦128名 16台を四回、長考禁止
二十一日午後 “囲碁・将棋”の二次予選二回戦 32戦 64名 16台を二回、長考禁止
二十一日午後 札売り開始
二十三日 札売り最終日
二十四日午前 “囲碁・将棋”の本戦一回戦 16戦 32名 16台で午前、基本は長考禁止
二十四日午後 “囲碁・将棋”の本戦二回戦 8戦 16名 8台で午後、基本は長考禁止
二十五日 “囲碁・将棋”の本戦三回戦 4戦 8名 2台で午前午後二回、基本は長考禁止
二十六日 “囲碁・将棋”の本戦準決勝 2戦 4名 1台で午前午後二回、基本は長考禁止
二十七日 “囲碁・将棋”奉納試合 決勝 申刻(午後三時)から長考禁止
※)予選では、三回戦以降、対戦相手が戦うのが見られるように午前午後に振り分けてある。
九月二十八日 抜穂祭 氷上姉子神社の稲穂が運ばれてくる。
十月一日 月行事(朔日)
二~四日 乗馬の予備予選
五日 乗馬一次予選
六日 乗馬二次予選
七日 乗馬の札売り開始
十一日 乗馬の札売り最終日
十二日~十三日 乗馬本戦
十四日 乗馬奉納試合 午後から二頭で争う。
十月十五日 月行事
十六日 投石の予選で三十二村が決まる。
十六日 投石の札売り開始
【追加興行の目的】投石の札を売る為の人集めの相撲を開催。相撲の向こうで予選通過の三十二村が練習をされ、札を買う人を誘致する。
>>>【追加興行】17日 相撲の予選一日目〔三勝 勝ち抜け戦〕←主に中根南周辺の者が参加
>>>【追加興行】18日 相撲の予選二日目〔三勝 勝ち抜け戦〕←信長も参加表明し推薦枠に回す。
>>>【追加興行】19日 相撲の本予選〔勝ち抜け百名と推薦28名によるトーナメント戦〕
>>>【追加興行】20日 相撲の本選〔残った32名のトーナメント戦 4戦で二名を決定〕
二十日 投石の札売り最終日
二十一日 投石の本戦
二十二日 投石の奉納試合
>>>【追加興行】二十三日 相撲の奉納試合〔決勝〕
二十四日 武闘の予備予選、三勝勝ち抜け。竹刀と防具を貸し出する。
二十五日~二十七日 武闘の予選、勝ち抜け百二十八人を選抜。竹刀と防具を貸し出する
十月二十八日 月行事
十一月一日 月行事(朔日)
二日~五日 武闘一次予選 128人を32人に選抜する。
五日 武闘大会の札売りを開始。
>>>【追加興行】五日 早足走の予選戦〔トラック競技〕←十人の上位2名が予選突破。
>>>【追加興行】六日 早足走の予選戦〔トラック競技〕←十人の上位2名が予選突破。
>>>【追加興行】七日 早足走の本予選戦〔トラック競技〕←勝ち抜け百名と推薦28名による一対一のトーナメント戦。
>>>【追加興行】八日 早足走の本戦〔トラック競技〕←〔残った32名のトーナメント戦 4戦で二名を決定〕
>>>【追加興行】九日 早足走の奉納試合〔トラック競技〕
九日 武闘の札売り最終日
十日 武闘の本戦一回戦 16戦 32名
十一日 武闘の本戦二回戦 8戦 16名
十二日 武闘の本戦三回戦 4戦 8名
十四日 武闘の本戦準決勝 2戦 4名 午前午後に一戦ずつ
十一月十五日 月行事(十五日)
十七日 武闘大会の奉納試合
十一月十九日卯の日 新嘗祭




