51.典薬寮の従五位下典薬頭
天文二十一年十月十五日
千代女が少し浮ついた感じで望月の使者の吉棟が来たと報告した。
客間に移動中にさくら達がいろいろと教えてくれた。
吉棟は千代女の二つ年上の従兄妹であり、次期当主候補の若頭らしい。
武芸において千代女を上回る天才らしく、千代女が何度も挑んで勝てなかった相手だ。
「千代女様は吉棟様が好きだという噂が一時期立ちました」
「紅葉、余計なことを若様にいうな」
「すみません」
「で、実際はどうなのだ」
「そんな訳がありません。吉棟に好きとか思ったことなどありません」
「そうなのです。あの目は獲物を狙う狼の目でした」
「紅葉」
「すみません。でも、若様にはちゃんと伝えておくべきです」
「で、獲物としてどうなんだ」
千代女が「今なら勝てます」と断言した。
鬼姫と名を高めた頃、吉棟は元服した。
元服した吉棟はあちこちに連れ出され、それ以降は対戦する機会がなくなったそうだ。
稀に村に帰ってきたときも対戦を拒み続けられていた。
客屋に入った千代女の目は“今日こそ、決着をつける”と吉棟を捕らえているように思えた。
吉棟は頭を下げて織田取次役に就任したことを告げた。
「代わるのは結構だが、望月-兵大夫に何かあったのか」
「叔父上はぴんぴんしております。しかし、大内家の陶-晴賢の謀反(大寧寺の変)は生野銀山を直撃しております」
「生野銀山か」
「尼子-晴久殿の勢いが増し、尼子方へ寝返る者が増え、山名-祐豊も尼子との和睦を考えましたが、叔父上の説得で思い留まりました」
「兵大夫はなんと言っておった」
「尼子と山名が同盟を結べば、播磨、備前、美作の情勢は一気に尼子に傾き、生野銀山の経営に影響すると言いました」
あぁ、言っている意味がわかった。
赤松家は名前だけであるが、播磨・備前・美作の三カ国守護である。
実権を取り戻す為に守護代浦上家と争った。
しかし、尼子-晴久が美作を越えて播磨に影響力を持ち出すと、浦上家と赤松家で争っている場合でなくなった。
こうして赤松家と浦上家の争いは手打ちとなった。
銀は生野銀山から英賀湊へ運び、堺を通じて熱田へ届けられる。途中の姫路などが赤松の支配地であり、特に赤松配下の小寺家が輸送に関わっている。
大内家が謀反により崩壊し、尼子-晴久は再び東へ兵力を送ることができるようになった。
大内家臣の毛利家は大内家中のごたごたで頼りにならない。
そこで浦上家が分裂した。
守護代浦上-政宗に対して、弟の浦上-宗景が諸勢力と統合して尼子に与すると言い出した。
銀山を支配する山名-祐豊は尼子と隣接する因幡を安定させる為に勢いのある尼子家と和睦を考えるのも頷けた。
しかし、山名家が尼子方になると小寺家が敵方となり、銀の輸送に支障が出る訳だ。
「兵大夫はどうすると言っている」
「しばらくは傍観と申しております。尼子-晴久は奪われていた石見銀山を再奪取しました。これに対して毛利家が黙っている訳がないと申しております」
「そうだな。毛利-元就と陶-隆房は龍虎の関係であり、互いに相打つことになるので尼子に構っている暇はない。しかし、備後・備中は毛利家の生命線であり、陶-隆房と戦う為に失う訳にいかぬ」
「つまり、毛利家と尼子家が戦うのですか」
「そうなる。尼子-晴久は石見・安芸・備後・備中・備前・美作・因幡へと兵を分散することになる。つまり、播磨まで尼子勢は手が回らぬ。播磨は様子見が妥当となる」
「なるほど、叔父上の考えがわかりました。しかし、生野銀山周辺の領主らは生野銀山を狙っております」
「浦上-宗景に与して尼子方となり、生野銀山を狙う馬鹿共を弱めるしかない」
「そんな感じです。叔父上は英賀一向衆の間者として、尼子方の弱体化の為に動いております」
「一向衆の間者か」
「天王寺屋(津田宗及)の勧めで石山御坊も生野銀山に一口噛んでおります。英賀一向衆も英賀湊から銀を運び出すことで利益を得ており、赤松家を支持しております」
「それはわかった。で、兵大夫が来られんのは忙しいからだけか」
「いいえ、魯坊丸様の影響力を石山御坊に悟らせたくないと言っております。叔父上が熱田に何度も足を運べば、石山御坊にいらぬ疑いを持たれかねと」
「ならば仕方ない」
「今後、叔父上に代わって取次役として頑張らせて頂きます」
「よろしく頼む。それと細かいことは兵大夫に任せると伝えてくれ」
「はい、そのように伝えておきます」
「まさか、その要件のみできた訳ではないな」
「お察しの通りでございます」
吉棟の話は御所の話であった。
夏頃から信長兄ぃの守役である平手-政秀が“信長に尾張守”、“信勝に三河守”の官位を賜る活動を続けていた。俺も熱田染めを大量に送るなどの協力をしている。
近衛家の協力を得て、九条家の説得に成功し、その方向で話が進みはじめたのは聞いていた。
しかし、中御門家が猛反対して、今川の資金が公家に流れていた。
中御門家は今川-義元の母である寿桂尼の実家である。
織田と今川が争っていれば、双方から銭が流入するので長期化も見込んでいたが、意外と早く決着したのに驚いた。
先日、帝から“信長に尾張守”、“信勝に三河守”を与えると許可が下りた。
「信長様と信勝様は争っており、片方が上洛するのは難しいであろうと」
「よくわかっておられる」
「よって、二人の官位を受け取りに織田-魯坊丸に官位を与えるので取りに来させよとのお達しです」
「・・・・・・・・・・・・ちょっと待て」
「何でしょうか」
「適当な公家を尾張に派遣すれば済むではないか。どうして俺が取りに行く話になるんだ?」
「知りません。魯坊丸様の官位は、『典薬寮の従五位下典薬頭』だそうです」
「千代」
俺は横にいる千代女の意見を聞いてみようと思ったが、千代女は首を横に振った。
望月-出雲守は御所にも護衛を派遣している。
もしかすれば、内情を知っているかもしれないが、吉棟に伝えていない以上、教えるつもりはないという。
「我々も織田家の内情をすべて父上に伝えることはございません。織田家の不利となることを伝えるのは、主への不忠となります。誰一人、秘匿すべき秘を漏らす者はおりません」
「そうだな」
「しかし、例外として望月家にとって重要な案件は伝えます。望月家は判断を見誤らぬ為です。その秘を父上は第三者に伝えることはありません」
「出雲守に聞いても無駄ということか」
「はい、そうなります」
「吉棟殿、使者はいつ尾張にくるのか」
「使者の参議飛鳥井-雅春様はすでに京を発っておりますが、到着は定かでありません」
京から尾張、急げば二日、普通に歩いても三・四日だ。
しかし、六角家などの家に足を延ばせば、数日が費やされるので定かではないとなる。
遅くとも十日以内だろう。
でも、どうして俺が京に上がる話になるんだ。
意味がわからん。
なお、最後に千代女は吉棟に模擬戦を申し出たがあっさりと断られた。




