第37話 賢明な第一王子の選択
試合が終わり、私は父王の控室に来ていた。妹のこと、そして、自分の身の振り方を伝えるために。
しかし、その前に知らなければならないことがある。
大賢者が育てたとはいえ、強さだけの可能性もある。王となる者に必要なのは、剣や魔法の腕だけではない。人を見る目、国を思う心、そして何より、自分より弱い者を守ろうとする意思が必要になる。
私は、アーバンと、乳母のヘレーネもこの場に呼んでいた。
アリアの実力と、王としての資質を確認するためだ。
「姫様は、二歳までに王国史を諳んじていらっしゃいました。絵本に飽きたから王国史を読んでくれと頼まれた時には、『そんなご冗談を』と思ったのですよ。ふふっ」
懐かしそうに微笑むヘレーネの様子を見る限り、誇張しているようには見えない。
二歳。
普通なら、ようやく言葉を覚え始める頃ではないのか。
「殿下は、八歳の時にはギルバートと打ち合っても押されなくなりました。十歳でギルバートに勝ったと聞いた時には、アレンの再来かと思いましたよ」
「……」
今度はアーバンが、当然のことのように言う。
大賢者の話は物語になっている。
空を割っただの、一人で軍勢を退けただの、子どもの頃は誇張された英雄譚だと思っていた。
だが父王や母上は、あの人ならやりかねないと笑っていた。
アーバンが毎日必死に訓練して身につけた剣術を、その頃は魔法で補っていたとはいえ、完璧に再現してみせたとも聞いている。
……あんな人間離れした者の再来、だと?
先ほどの試合を思い返す。
アリアは息を乱しながらも楽しそうに笑い、最後まで剣を振るっていた。
無理をしているようには見えなかった。
勝ち誇る様子もない。
ただ、自分の力を確かめることを楽しんでいるように見えた。
第一王子の自分が王になれば、妹を臣下として使うことになる。
だが、あれほどの力を持つ者を自分の下に置く意味があるのだろうか。
王となった私が命令を出し、その命令に従ってアリアが国を守る。
それよりも、アリア自身が王となり、裏から手を回すことの方が得意な私が支えた方が、よほど国のためになるのではないか。
純粋に強く、そして可愛らしい妹だ。
妙な野心に染まっている様子もない。
ならば、答えは一つしかない。
王位に就くことが目的なのではない。
国を安定させることが、王族の役割であるはずだ。
「私は降りる! 最強の王女がいるんだ。私は裏方に回る!」
「えっ、アルベルト殿下!?」
側近たちが一斉にこちらを見る。
まさか、ここまであっさり決断するとは思っていなかったのだろう。
「弟の考えは知らんがな。私は降りる」
「妹と対面したのは数回だろう。もう諦めたのか」
父王の声は平静だった。
だが、私の考えなどお見通しだろう。
あえて私を挑発している。
もしかして、私だけでなく、ここにいる側近たちまで試しているのだろうか。
「……父上は、どうお考えなのかお聞きしてもよろしいでしょうか」
「第一王子であるそなたが身を引くと言うのであれば、王位はアリアが継ぐことになるだろう」
「そうではなく!」
そんな分かりきったことは聞いていない。
わざと話を逸らした父王へ視線を向けると、わずかに口元が緩んでいた。
やはり遊ばれている。
「アリアは精神的にも物理的にも強く賢いが、腹芸はできぬであろう。それを補う者が多数いてくれるなら、我が国はこれまでより大きく栄えるだろうな」
「父上もそうお考えですか」
「問題は、第二王子が納得するかだろう」
弟は、自分が王子であるから偉いと思っている阿呆だ。
周りにはおだててくれる者しか置かず、諫めてくれる者は排除していると聞いていた。
王となれば、国を私物のように扱いかねない。
「あいつでは、頭も強さもアリアに勝てるわけがない」
そう口にしながら、先ほど戦っていた第一王女である妹を思い出す。
「……いや、違うな。あれほどの力を持ちながら、あの子は笑っていた。力を誇示するためではなく、純粋に楽しんで剣を振っている」
そうだ。
そこが何より大きい。
力を持つ者が、その力に酔っていない。
剣を振るう彼女は生き生きとしていて、それでも相手を見下すようなことは一度もしなかった。
あれほどの力がありながら、それを当然とは思っていない。
それならば、国を任せても大丈夫なのではないか。
「ん? 待てよ……?」
「どうした」
父王が私の発言に興味を持ったようだ。
独り言のような言葉に、わざわざ相槌を打つ人ではない。
きっと大事なことなのだろう。
私は先ほどの試合を思い返し、考えを巡らせる。
「彼女は剣術で、ここまで強いのか……?」
「ああ、そうだな」
「ですが、大賢者様は……彼女は魔導師、ですよね」
私の側近が首を傾げた。
「それが何か?」
「分からないのか!? 剣は、本職ですらないんだぞ!」
「……あ」
控室の空気が一瞬止まった。
私の頭の中にも、先ほどのアリアの剣筋が蘇る。
あれほどの速さ。
あれほどの力。
あれほどの技量。
それが、本職ではない。
「剣でこれなら、魔法で手合わせなんてした日には――」
私は真顔になった。
いや、駄目だ。
想像しただけで背筋が寒くなる。
「私は絶対に降りる。彼女に対して、争うことは得策ではない。強き王は暗殺されることもないだろうし、安心して国を運営できるだろう」
「殿下……」
「王位など妹にくれてやる。それに、私は勝てぬと分かっている相手と争って死にたくない」
「そこですか!?」
「大事なことだろう!」
生きていれば、いくらでも妹を支えることはできる。
死んでしまえば何もできない。
「……それに、あれだけの力を持つ者が国を守るというのなら、私が争う理由もない」
納得していない側近たちとは対照的に、父王は頷きながら、ニヤリと口角を上げた。
その顔を見て、私はようやく気づく。
父王は最初から、私がこう答えることを期待していたのではないか。
「決まりだな。アリアとギルバートを呼んでくれ」
「ギルバートも、ですか?」
「聞いていれば分かる。そなたたちも残りなさい」
楽しそうな父王と、隣で微笑みを崩さない王妃の母上。
二人の間では、すでに何か話が決まっているようにしか見えない。
嫌な予感ではない。
だが、妙に落ち着かない。
何が起こるのだろうかと、私は珍しく緊張しながら、二人の到着を待つのだった。




