第36話 決勝戦後、アレンとのデモンストレーション
「やめっ!」
司会役の声が響いた瞬間、アリーの剣が僕の首元へ向けられ、寸前でピタリと止まった。
一瞬遅れて、会場から大きなどよめきが上がる。
「参りました」
僕は剣を下ろし、笑顔で負けを認めた。
アリーもすぐに剣を引き、差し出した僕の手を両手で握る。
「ありがとうございました!」
額には汗が浮かんでいるというのに、疲れた様子など少しもない。
むしろキラキラと輝く瞳で僕を見つめる彼女は、とても満足そうだった。
ここまで勝ち上がってきたことよりも、最後まで思い切り剣を振れたことの方が嬉しいのだろう。
まったく、可愛いな。
鳴りやまない拍手を聞きながら、僕も心地よい疲れに身を任せようとした。
――その矢先だった。
「あれは、王女殿下だから手を抜いたのだろう」
水を差すような声が聞こえた。
「ここまで対戦した者たちも同じではないのか」
「王族に本気で剣を向けられるはずがない」
ちらほらと同意する声まで聞こえてくる。
……馬鹿なのか?
それとも、この国は長く平和だったせいで、平和ボケでもしているのだろうか。
僕は思わず眉間を押さえた。
アリー一人いれば、ここにいる参加者全員が一度にかかってきたとしても、負ける気がしない。
むしろ心配すべきは、アリーではなく参加者の方だ。
「では、師は誰なのだ!」
さらに挑発するような声が飛んだ。
さすがに黙ってはいられない。
僕がムッとして振り向き、口を開こうとした――その時だった。
「あたしだよ。何か文句でもあるのかい?」
僕よりも先に声を上げたのは、師匠だった。
腕を組みながらゆっくりと前へ出てくる。
口元には薄い笑み。
……ん?
僕には分かる。あれは怒っている顔ではない。
何か、楽しそうなことを企んでいる時の表情だ。
「……あ」
「終わった」
「馬鹿どもが。黙っていれば良いものを……」
観客席の一部から、諦めにも似た声が漏れた。
昔から師匠を知る貴族や騎士たちなのだろう。
対して、若い騎士や地方貴族と思われる者たちは、その反応の意味が分からないらしい。
「女ではないか」
「本当に剣を教えられるのか?」
やめておけば良いのに。
師匠の笑みが、さらに深くなった。
「強きゃ良いのかい?」
ゆっくりと決闘場へ上がり、片手で剣を持ち上げる。
「腕に自信があるやつは出ておいで」
会場がざわめいた。
司会役は明らかに困った顔をしていたが、この状況では止めることも出来ないらしい。
しばらくして、挑発に乗った数人が選ばれ、決闘場へ上がってきた。
皆、それなりに腕に覚えがある者なのだろう。
体格も良く、先ほどまでの大会でも名を呼ばれていた騎士が混じっている。
それを見ても、師匠は欠伸でもしそうな顔だった。
「一人ずつで良いのかい?」
五人をぐるりと見回し、首を傾げる。
「まとめてかかってきてくれた方が、早く終わるんだがねえ」
分かりやすい挑発だった。
案の定、騎士たちの顔色が変わる。
「馬鹿にするな!」
一人が地面を蹴ったのを合図に、五人が一斉に師匠へ飛びかかった。
正面から二人。
左右から一人ずつ。
さらに一人が少し遅れて背後へ回り込む。
連携としては悪くない。
――相手が師匠でなければ。
師匠の姿が、一瞬ぶれた。
次の瞬間。
――カラン。
一人目の剣が宙を舞った。
――カラン、ガッ、カン!
続けて二本の剣が地面へ落ち、残った二人も何が起きたのか理解できないまま膝をつく。
最後の一人が振り返った時には、すでに喉元へ剣先が突きつけられていた。
「はい、おしまい」
静かな声だった。
五人が動き出してから、十秒も経っていない。
当然、師匠は息一つ乱れていなかった。
「次は?」
師匠が笑顔で会場を見渡す。
先ほどまで騒がしかった会場が、嘘のように静まり返った。
誰一人として手を挙げない。
僕は小さく息を吐いた。
だからやめておけば良かったのに。
その静寂を切り裂いたのは、王妃陛下の楽しそうな声だった。
「そうね。せっかくですもの」
嫌な予感がする。
「アリアとアレンの試合も見てみたいわ」
……やっぱり。
僕は思わず目を見開き、王妃陛下へ視線で抗議した。
「それは、やめた方が……」
ぼそりと呟いたところで、隣へ来た第一王子殿下が僕の肩をポンポンと叩いた。
「諦めるんだな」
「……殿下」
「母上は言い出したら聞かない」
「……」
慰めになっていない。
僕が何とか止める方法を考えているうちに、当のアリーは嬉しそうに師匠の元へ走っていった。
「お母様! 本気で良いですか?」
「もちろんさね。久しぶりに思い切りやろうじゃないか」
……もう止められない。
無言を了承と取られたのか、単に二人がやる気満々だから諦められたのか。
こうして、アリーと師匠による模擬戦が行われることになった。
二人が向かい合う。先ほどまでとは明らかに空気が違った。
アリーが剣を構える。
師匠も笑みを消し、ほんの少し腰を落とした。
その瞬間。
僕は慌てて決闘場の周囲へ結界を張った。
「始め!」
二人が地面を蹴る。
――ドゴン!
次の瞬間には、決闘場の土台に穴が空いた。
「ちょっ……!」
僕はすぐさま次の衝突地点を予測して、そこへ結界を重ねる。
おいおい。なんでこんなに脆い素材を使っているんだ!
……いや、普通はこれで十分なのか。
この二人がおかしいだけだ。
本来であれば、決闘場全体を包み込むように防御壁を張れば良い。
けれど、それでは駄目だ。彼女たちの一撃はとてつもなく重い。
広く薄い結界では、衝撃を受け止めきれず、そのまま突き破られてしまう。
だから僕は、二人の動きを先読みし、剣がぶつかる場所へ局所的に結界を展開していく。
――カン! カン! キンッ!
金属音だけが連続して響く。
姿が消えたように見えたと思えば、次の瞬間には全く違う場所で剣がぶつかっていた。
――ドゴン!
「また床が!」
慌てて補修魔法を使い、その直後には反対側へ結界を張る。
忙しい。ものすごく忙しい。
そんな僕とは対照的に、観客席からは困惑した声が聞こえてきた。
「今……どちらが攻撃した?」
「見えない……」
「何が起きているんだ?」
「アリア殿下は、どこに……?」
ほとんどの者には、二人の動きを目で追うことすら出来ていないらしい。
僕は彼女たちの動きに慣れているから、何とか先回りして結界を張れる。
もっとも、慣れているから出来るだけで、楽ではない。
――キィン!
師匠の剣をアリーが弾く。
そのまま踏み込み、師匠の脇腹を狙う。
師匠は半歩だけ下がると、剣を滑らせるように受け流した。
次の瞬間には立場が逆転し、今度はアリーが攻撃を受ける。
「ああ、やはり彼が欲しい!」
……嫌な声が聞こえた。
視線がうるさいから、振り向かなくても分かる。魔導師団長バルタザール殿だ。
うん、無視しよう。
「遅いよ、姫さん!」
「ふふっ、お母様こそ!」
「言うようになったねえ!」
剣を打ち合わせながら、楽しそうな母娘の笑い声が聞こえてくる。
僕は思わず苦笑した。本当に楽しそうだ。
岩山では空に幾重もの結界を張り、周囲を気にせず訓練していた。
けれど侯爵家でも王城でも、アリーが思い切り剣を振れる訓練場はなかった。
二人が全力で試合をするのは、随分と久しぶりなのだ。
楽しくて仕方がないのだろう。
「……おい」
結界を張りながら声の方を見ると、アーバン殿が顔を引きつらせていた。
「なんでしょう」
「あの人……昔より強くなってないか?」
その隣では、陛下まで何とも言えない顔をしている。
「気のせいだと……思いたいな」
いや、気のせいではない。
それもそうだ。アリーを育てているのだから。
弟子が強くなれば、それを相手にする師匠も強くならざるを得ない。
「なんで引退した大賢者がパワーアップしてるんだよ……」
第一王子殿下が遠い目で呟く。
僕は新たな結界を張りながら、当然のこととして答えた。
「毎日、姫様の相手をしていましたから。当然でしょう」
「……それを当然って言うなよ」
知りません。僕に言われても困る。
そんなやり取りをしている間にも、二人の攻防は終わらない。
速度が落ちるどころか、むしろ少しずつ上がっている気すらする。
観客からは、もはや歓声すら聞こえなくなっていた。
ただ呆然と、目の前で繰り広げられる理解不能な戦いを見つめている。
結局――。
「やめっ!」
司会役が悲鳴に近い声を上げるまで、小一時間。
勝敗が決することはなかった。
「楽しかったです、お母様!」
「ああ。あんたも随分強くなったねえ!」
二人は汗を流しながら、満面の笑みで握手をしている。
僕はその後ろで、穴だらけになった決闘場を見つめた。
……修理するのは、僕なんだろうな。
周囲からアリーの実力を疑う声は、もう一つも聞こえなかった。




