第32話 近くて遠い親子
ベルンシュタイン侯爵家で療養を始めてから一週間ほどが経過していた。
顔色も良くなり、食事もしっかり摂れるようになったアリーに、僕と師匠はホッとしていた。
「そろそろ訓練を再開しても良さそうだ」
師匠の言葉に、アリーがはしゃぎ出す。
「お母様、本当ですか? やったー! お兄様! 手合わせお願いします!」
嬉しそうなアリーの表情に、つい緩みそうになる表情筋を引き締めた僕は、持ってきていた訓練用の剣を彼女に渡してあげる。
「姫さん、準備運動からだよ!」
「はい、お母様!」
いつもの返事に、師匠の顔が緩んだ。
住む場所が違っても、こんな当たり前の日常が続くと……無意識に信じている僕がいた。
「ん? 剣なんか持って……訓練でもするのか?」
僕たちの騒ぐ声が聞こえたのか、屋敷の中にいたヘンリーが裏庭に現れた。
「これから姫様と訓練をするところです」
「……見学しても良いか?」
「ええ、構いません」
「おい、スティーブ! 父上も呼んで来い!」
「分かった!」
アリーは見世物じゃないんだが、と少しムッとした僕は、ソワソワしている彼女に心を洗われたことで微笑みを浮かべながら剣を構えた。
「さあ、おいで」
「はい、お兄様!」
アリーは体を低くして僕の目の前に飛び込んできた。
既に体調は問題ないみたいで、キレのある、いつもの動きだ。
「……マジかよ」
ヘンリーのつぶやきに、スティーブと侯爵が固まっているようだった。気を抜いたらアリーに速攻で負けてしまうので、窺うのは気配だけだが。
数分打ち合った後、隙を突かれて僕は負けてしまった。
「ふう。アリー、体は問題なさそうだね。剣術大会には出るんだろう?」
「お兄様も出るんですよね? でしたら、私も出ます」
「無理しなくても良いんだからね。目立つのが嫌なら、僕が優勝するから大丈夫だよ」
「はっ! お前が優勝できると思っているのか? その華奢な体で」
僕を煽るヘンリーに、アリーが首を傾げた。
それを見ていた師匠が、後ろから僕の肩を叩く。
「ギルバートが負けるとしたら、姫さんぐらいだろう。まあ、大会じゃ魔法は使わせないさ。剣だけなら、加減もできる」
「アレン、確かにギルバートは強くなったようだが、優勝は言い過ぎではないか?」
侯爵が困った顔で師匠を見つめている。
「凡人には見ているだけじゃ分からないとアーバンが言ってたねえ。ギルバート、コンラートの胸を借りたらどうだい」
「……え?」
「おお、そうしよう。ギルバートとは成人してからは、手合わせしたことも無かったからな」
「……分かりました」
有無を言わさぬ師匠の視線が突き刺さっていた僕は、早々に断ることを諦めて、剣を構えようとして師匠を見た。
「ああ、そうさね。こちらで用意した剣にしよう。姫さん、コンラートにその剣を貸してやってくれるかい」
「はい、お母様」
剣を受け取った侯爵が、目を丸くして驚いている。
「……ギルバート、さっきのアリア王女殿下との手合わせは、この剣でやっていたのだろうか」
「……はい、そうです」
「そ、そうか……」
「父上、どうなさったのですか? 剣に問題がありましたか」
「……ヘンリー、持ってみろ」
「はい」
侯爵から剣を受け取ったヘンリーは、目を見開いて驚き、鞘から抜いて一振りする。
「あの動きをこの剣で……」
「そうだ。恐らく、殿下は全力を出していらっしゃらなかったはずだ。もちろん、ギルバートもな」
「「……」」
ヘンリーとスティーブは黙り込んでしまった。
「ギルバート、悪いが手加減してくれるか」
「分かりました。僕は受けますが、打ち込みません」
「ありがとう」
剣を構える侯爵は、今でも訓練しているのだろう、隙のない構えだ。アーバン殿の構えによく似ている。同じ流派なのか、それとも昔から共に鍛えていたのだろうか。
「ふんっ!」
侯爵が振る剣は、『ブン!』と大きな音を立てながら向かってくる。一撃一撃は重いが、受け流す僕には関係ない。
どうやら、スピードというよりパワー型の戦い方のようだ。
「一度だけ打ち込んでくれるか」
「分かりました」
僕は力の加減はせずに、スピードにだけ気をつけて、侯爵に向かって剣を振り下ろした。
——ガキッ!
「……何だって?」
大した力を入れていないのに、剣が真っ二つに折れてしまった。
……この剣は二振りしか持ってきていなかったのに。
明日からの訓練は、軽い剣を使うしかないだろうと考えていた僕は、侯爵が折れた剣と自分を交互に見つめていることに、やっと気がついた。
「ギルバート、強くなったな。できるならば、剣は私が教えたかった」
「コンラート、今更なことを言うんじゃない。ギルバートが困るだろう」
僕が何も言えないと理解している師匠が、先に答えてくれた。
師匠は放任主義ではあるが、本当に助けを必要としている時は、誰よりも正確に、素早く助けてくれる。
そんな師匠だからこそ、僕は五歳の時から二十五年も共に生活しているのだ。
「あ、ああ。悪かったな、気にしないでくれ。手合わせができて嬉しかったよ」
背を向けて軽く手を振り、ゆったりとした足取りで屋敷に戻る侯爵の背中を、僕は無言で見送るのだった。




