第30話 里帰り
アリーが寝てしまい、起きた時に寂しさを感じないようにと、ベッドの脇でうつらうつらしていたら、朝になっていた。
「ギルバート、帰るよ」
「……え?」
「さっさと用意しな。アリーが寝てるなら、もう少し寝かせておこう」
「あ、はい、分かりました」
国王陛下と話をしてくると部屋を出て行った師匠が、急に「帰る」と言い出したのだ。僕はてっきり『岩山』に帰るものだと思っていたのだが。
「まさか、実家のベルンシュタイン侯爵家に帰って来るとは」
「お母様とお兄様のご実家なんですね!」
「くくく、アリーは楽しそうだねえ」
「はい! 私、初めて岩山以外のお家にお邪魔するのです。楽しみで仕方ありません!」
「ああ、確かにそうか。それ以前に、貴族の屋敷を見たことがないだろうから……」
説明しておいた方が良いのだろうか。岩山の家は、僕が建てたものばかりの、ただのログハウスだ。
丸太を積み上げ、結界魔法で強度を増し、隙間風が入って来ないようにしただけだった。
ちらりと師匠を見ると、何もしないで良いと視線で言われる。
様々な感情をアリーに経験させたいのだろう。
「さあ、着いたよ」
馬車は、侯爵家の門の前に到着した。
「わあ……」
馬車の窓に張りつくようにして、アリーが屋敷を見上げている。岩山の家しか知らない彼女にとって、左右に広がる石造りの館も、手入れされた庭園も、何もかもが珍しいのだろう。
まだ本調子ではないアリーを横抱きにして馬車を降りる。
「アレン様、ギルバート様、お帰りなさいませ。アリア王女殿下、よくいらしてくださいました」
迎えてくれたのは、使用人をはじめ、両親であるベルンシュタイン侯爵夫妻、そして僕の兄弟たちだった。
「どうぞ、お部屋を用意いたしましたので、ごゆるりとお過ごしください」
アリーがピクリと動いた。『部屋を用意した』という言葉に、また夜、一人になることを懸念しているのだろう。
侯爵たちは深く頭を下げていたからその様子には気づいていないようだ。
「……おかまいなく」
僕の袖をギュッと握って、一言だけ発したアリーが怯えているように見えた僕は、師匠に視線を送ってから侯爵に声をかけた。
「僕は姫様を部屋へお通ししてまいります」
「……あ、ああ」
侯爵の横を通って、ズカズカと屋敷の中へ入る。
僕の乳母が、アリーの部屋まで案内してくれたので、少し肩の力を抜いて向かうのだった。
★★★
部屋に移動してソファで寛ぎつつ、アリーへの説明で忙しいギルバートをよそに、後をついてきた彼の兄弟は好き勝手に話し出した。
あたしはソファで足を組み、アリーに視線を向け、聞いていないふりをした。
「おい、あのギルバートの目が、人を睨んでいないぞ」
「叔母様を睨んだら、仕返しが怖えよ!」
「まあ、そうだな」
甥っ子どもめ。あたしの悪口を言うとは……あとで覚悟しておいてもらおう。
「しかし、あそこまで目尻が下がったところを見たことがあるか?」
「あー、そういえば、デビュタントでも妙だとは思ったが……ここまでとはな。それに父上も言っていたぞ、まるで別人のようだった、と」
「絶対にあり得ないと思っていたが、本当だったとはな」
「まあ、あれは姫様限定のようだし。あいつは五歳までしかうちに居なかったから知らない顔があっても仕方ないよな」
「しかし、あれは不毛だろう……」
「え? まさかギルバートに限って! 『恋』ってやつか?」
「そう見えるよな」
顔を見合わせて瞬きをした兄弟は、苦笑いをしていた。王女に恋をするなんて、とでも思っているのだろう。
乞い願っているのは、どちらかと言えばアリーなのだがな。
「仕方ねえな。俺が兄ちゃんとして、釘を刺しておくか」
「おー、兄貴、頑張れ!」
長男のヘンリーが神妙な顔をしてギルバートに近づく。
「ギルバート、姫様に挨拶をさせてもらえるか」
「……はい。姫様、こちらはベルンシュタイン侯爵家嫡男のヘンリーです」
アリーの顔が、ほんの一瞬曇ったか。ギルバートはその変化に気づいたようだが、理由は分かっていなさそうだった。
「はじめまして、アリア王女殿下。ギルバートの兄、ヘンリーと申します。どうぞお見知りおきください」
「ええ、分かったわ。ヘンリーね」
女性が好むような、艶やかな顔で笑うヘンリーに、ギルバートの視線が刺さる。
そんな視線を向けられたヘンリーは、ギルバートの耳元に顔を寄せ、小声で囁いた。
「そんなに睨むなよ。俺は曲がりなりにもお前の『お兄様』だぞ」
「……」
ギルバートは反応しないことにしたらしい。そんな様子を見たヘンリーが、ニヤリと笑って懲りずに声をかける。
「お前、姫様との距離、近すぎないか?」
「……」
「そんなに近づく必要があるのか? 陛下に怒られなかったのか?」
ジッとヘンリーを見つめたギルバートは、一言だけ返す。
「僕は護衛だからです」
「はいはい」
「姫様をお守りするのが僕の役目ですから」
「そうだなあ」
珍しく、空回っているギルバートは苛立ったように言い放つ。
「……何ですか、その目は」
「いや、な。不毛な恋愛は辛いぞ。やめておけ?」
「はあ? 何の話ですか」
「…………」
「?」
「まあ……頑張れ」
どうやらヘンリーは、ギルバートが自身の気持ちに気づいていないようだと理解したらしい。
そんな彼は弟の元へ戻ると、大きなため息をつきながら呆れた顔をして説明を始めたのだった。




