第29話 目に見える不調
アリーが王城で生活を始めてから、一週間が経とうとしていた。
僕は様々な手続きをするために忙しない生活を送っていたため、最後にアリーに会ったのは三日前だった。
「ギルバート様、大賢者様からの言伝です」
「えっ? 師匠から、ですか」
「はい。『姫さんの体調が芳しくない。至急戻れ』とのことでした」
「っ!? ありがとうございます、すぐに戻ります」
「よろしくお願いします」
僕は王城の西棟の二階にいたので、アリーたちがいる東棟の三階へ急いだ。走るのでは遅いので、当然外を飛んで向かった。
少し目立ってしまったかもしれないが、緊急事態だ。やむを得ないだろう。
——バンッ!
「アリー!」
僕はアリーの部屋の扉を開け放ち、ベッドルームへ向かった。
師匠が慌てて言伝を頼むぐらいだ、アリーは寝込んでいるのだろうと確信していた。
「お兄様……」
「……あ、アリー?」
想像通り、アリーはベッドに横たわっていた。しかし、思っていた『病気』というよりは……。
「どうしたんだ、アリー。そんなに『隈』を作って……。眠れないのかい?」
頬も少し痩せたように見えた。体重が落ちているのか?
心配した僕は、アリーをヒョイと自分の膝の上に乗せた。
「やっぱり。体重も落ちてるじゃないか! お勉強が辛いのかい? なにが辛いか、お兄様に教えてくれないか」
僕はしっかりと視線を合わせ、緊張するアリーの背中を優しくさすった。
「ふっ、ううっ……。お、お兄様、わ、私っ……」
「ゆっくりで良い。お兄様はここに……アリーの傍にいるよ」
「お兄様あ——! わ——ん!」
珍しく、僕に縋ってわんわんと泣き出してしまったアリーに驚きつつも、ギュッと抱きしめる。
これまでずっと一緒に暮らしてきたのだ。一人で過ごす時間も増えた。環境の変化について行けないのかもしれない。
「アリー、大丈夫だよ。何が不安なのか教えてくれたら、ちゃんと最善策をお兄様が考えてあげるからね」
「ふぐっ、うっ、うっ……。は、はい、お兄様。私、寂しくて、それに体中が痛いんです……。ぐすん、ぐすん」
アリーの体を起こそうと彼女の肩に手を置くも、ぎゅうぎゅうと抱きしめるアリーは、僕を離す気がないようだ。
目を見て話したかったんだけどね。仕方ない。そのまま話の続きをしよう。
「そうか。それは辛かったね、アリー。陛下に、今日は一緒に過ごせるよう、お願いしてみよう」
「本当ですか! お兄様、嬉しいですっ!」
やっと笑顔を見せてくれたアリーの頭を撫で、ギュッと抱きしめる。僕が少し力を抜いた瞬間、彼女の体がグラリと傾いた。
「わっ、あ、アリー?」
「安心して眠ってしまったようだ」
「師匠!」
「国王にはあたしからお願いしてくるよ。アリーはそのまま寝かせておこう」
「ええ、それが良いでしょう」
完全に力の抜け切ったアリーを、僕はベッドへ戻した。
目元を赤くして眠る彼女は、幼い頃の面影のままだった。
★★★
あたしは国王の執務室の前に辿り着いた。扉の前にいた護衛が、慌てて扉をノックして、あたしの訪問を伝える。
「アレン! よく来てくれたな。あれからアリアはどうだ?」
先ほど見たアリーの顔が、まだ頭から離れない。
あれだけよく食べ、よく眠り、いつでも元気に走り回っていた子が、たった一週間で目の下に隈を作り、頬まで痩せていた。
王城へ戻すことを決めたのはあたしたちだ。だからこそ、もっと早く異変を知らせてほしかった。
「レオ、なぜもっと早くに言わなかったんだ! あんなに衰弱させるなんて。あたしを怒らせたいのかい」
「す、すまん! 悪かった! アリアが無理をしているのは分かっていたが、十五年ぶりの再会だろう? どうしても、離したくなかったんだ……」
レオは肩を落とし、普段なら国王として決して見せないような情けない顔をした。
十五年間、存在を知りながら抱くことも、成長を見ることもできなかった娘だ。ようやく手元へ戻ってきたのだから、離したくない気持ちそのものは理解できる。
——だからといって、許すつもりはないけれどね。
いつもより弱気な国王レオポルトから視線を外すと、周りの側近たちも目の下に隈を作っていた。レオポルトがアリーを溺愛していることは皆が知っている。強く進言できず、側近たちまで振り回されていたのだろう。
「こちらでの様子はどうだったんだい」
近くにいた宰相に声をかけると、困った顔で返答があった。
「侍女からの話ですと、この三日間は食欲もなく、夜も眠れずに泣いて過ごされることもあったようです。普段は笑顔を見せておられるのですが、元気もなく、庭にすら出られなかったそうです」
想像していた以上だった。
三日もまともに食べられず、眠れず、それでも昼間は笑っていたという。
アリーは昔から我慢強い。だから周囲が「まだ大丈夫だ」と思っているうちに、本人だけが限界を超えてしまう。
「はあ……」
深いため息を吐くと、部屋にいる者たちが息を呑んだ。
あたしが無闇に制裁を下す人間だとでも思っているのだろうか。
王城へ戻れば、家族で暮らせる。レオポルトはそう思っていた。
けれど十五年間離れていた時間は、血の繋がりだけで簡単に埋まるものではない。アリーにとってここは、生まれた場所であっても、まだ『家』ではないのだ。
「実の父親がそんなんじゃ、アリーはさぞ疲れただろうねえ」
レオをジロリと睨むと、縋るような目で見つめてくる。
「アレン、どうしたら良い!? 王妃にも怒られたんだ。いくら嫁に出すのが嫌だからと、ギルバートに助けを求めないなんて、アリアが可哀想だと……」
「彼女の言う通りさね。ギルバートを近づけたくないというのなら、あたしを呼べば良かったじゃないか。余計にギルバートでなければ収まらない状況にまでしたのはレオだろう」
「アレン……ぐうの音も出ないよ」
「一旦、ストレスから遠ざけるしかないだろうねえ」
「どうするんだ?」
「あたしの実家……ベルンシュタイン侯爵家で静養させる。あたしの部屋も、ギルバートの部屋もあるはずさね」
「……また離れてしまうのか」
レオの声が、ほんの少しだけ弱くなる。
気持ちは分かる。ようやく戻ってきた娘なのだから。
だが、十五年を取り戻したいのはレオの都合だ。アリーに十五年分の家族を、一週間で受け入れさせることはできない。
「自業自得だろう。助けを求めるのであれば、次はもっと早くに言うんだよ!」
国王であるレオポルトの背中を、思い切り「バシン!」と叩き、今回のことは不問とすることにした。
レオポルトは涙目になりながら、「すまん、愛娘を頼む」とあたしに頭を下げたのだった。




