第28話 勘違い
無事にデビュタントを終え、僕たちは昨日から借りている客間へ戻ると、疲れもあって早々に眠りについた。
そして翌朝。
陛下の従者が訪れ、アリーを王族の朝食へと誘った。
「む、無理です、お母様!」
今にも泣きそうな顔で縋るアリーに、師匠は深いため息を吐いた。
「はあ、仕方ないねえ。王族との朝食じゃあ、ギルバートに行けとも言いづらいからねえ」
ちらりと向けられた視線に、僕はすぐさま首を振る。
「ええ。さすがに僕が同行するのはおかしいでしょう」
「だわねえ」
山では日の出と共に起きる生活だったせいで、僕たちは城でもすっかり早起きだった。
迎えに来た侍女たちより先に支度を終えていた僕たちに、彼女たちは恐縮していたが、別に彼女たちが遅いわけではない。
ただ、僕たちが王城の生活に慣れていないだけだ。
★★★
ギルバートを客間に残し、あたしとアリーは王族の朝食の席へ向かった。
別れ際、二人とも何とも言えない顔をしていた。
ほんの朝食の間だけだというのに、随分と名残惜しそうだ。
兄妹として過ごした年月を考えれば当然かもしれないが、昨日の剣舞を見ても、二人の間にあるものはそれだけではないようにも思える。
「アリア、おはよう。よく来たね」
「アリアちゃん、おはよう。さあ、座ってちょうだい」
「……おはようございます。失礼いたします」
「失礼するよ」
両陛下の歓迎ぶりとは対照的に、アリーは明らかに緊張していた。
席について間もなく、国王が余計なことを言い出す。
「昨日のデビュタントはどうだったかな。良い男はいたかい?」
アリーは真剣な顔で考え込み、やがて小さく口を開いた。
「……お兄様以上の方はいませんでした」
「……いや、兄としてではなく、婚約者の話なのだが」
国王が困った顔をすると、王妃が楽しそうにアリーへ尋ねた。
「ではアリアちゃんは、ギルバートくんのお嫁さんになりたいの?」
アリーは一度きょとんとしてから首を傾げ——。
「はいっ!」
迷いなく答えた。
国王の表情が固まる。
まあ、そうなるだろうねえ。
十五年ぶりに戻ってきた娘が、早々に嫁へ行きそうなのだから。
「では、どんな方ならギルバートくんより良いと思えるのかしらね?」
「強さも、優しさもあって、頼れる人……一緒にいて安心できる方です!」
今度は両陛下が揃って黙った。
幼い頃から共に暮らし、守り、育ててきたギルバート以上に安心できる男など、そう簡単に見つかるはずもない。
しかも昨日、あれだけの魔法を難なく消してみせたばかりだ。
「……つまり、ギルバート以上か」
国王が肩を落とす。
「ほほほ。あなた、それでは候補がいなくなってしまいますわ」
「うーむ……。まあ、アリアが望むのであれば、候補として考えておこう」
渋々ながらも、以前よりは随分と柔らかい言葉だった。
剣術大会も控えている。
今のところ、あたしが口を挟む必要はなさそうだ。
「おはよう……ございます」
遅れてやって来た第二王子は、あたしたちの姿を見るなり肩をびくりと揺らした。
昨日の一件について、相当に絞られたらしい。
人へ向けて魔法を放つことは、この国では禁じられている。まして王族が破れば示しがつかない。
その後に入ってきた第一王子は、対照的に爽やかな笑顔を浮かべていた。
「おはよう、アリア。アレン様も、おはようございます」
「ああ、おはよう」
「……おはようございます」
血の繋がった家族とはいえ、アリーにとってはまだ会って数日の相手だ。
ぎこちなさを隠しきれないながらも、あたしとの約束を守って笑顔を絶やさない。
そろそろ疲れてきただろう。
早めにギルバートのところへ戻してやろうかと思った、その時だった。
「アリアは、今日から王城の部屋へ移るんだよね?」
第一王子の何気ない一言に、アリーの動きが止まった。
「……え?」
「当たり前だろう」
事情を察していない第二王子が、さらに言葉を重ねる。
「第一王女なんだから、いつまでも客間にいるわけないだろ」
アリーの顔から、すっと笑みが消えた。
★★★
朝食から戻ってきたアリーは、目に見えて沈んでいた。
いつもなら僕を見つければすぐに笑うのに、今日は何かを考え込んだまま、俯いている。
何があったのか聞こうとしたが、師匠は何も言わない。
王族だけの話なのかもしれない。
それなら無理に聞くべきではないと思ったものの、こんなに落ち込んでいるアリーを放っておけるはずもなかった。
「師匠、山にはいつ帰るのですか?」
王城にいるから疲れるのなら、早く帰ってしまえば良い。
ただ、それだけのつもりだった。
ところがアリーは弾かれたように顔を上げ、僕の袖を掴んだ。
「お、お兄様たちは帰ってしまわれるのですか!?」
「え?」
あまりにも必死な声に、僕まで戸惑う。
「……ギルバート」
師匠が呆れた顔で僕を見る。
「あんた、岩山へ帰るつもりだったのかい?」
「え? ええ。違うのですか?」
「アリーはこれから、王城で暮らすんだよ」
「ええっ!?」
思わず大声が出た。
「……よく考えてみな。昨日、第一王女アリアとして公に紹介されただろう」
「それは……そうですが……」
言われてみれば当然だった。
アリーは王女なのだ。
昨日までは分かっていたはずなのに、どこかで僕は、デビュタントが終わればまた三人で山へ帰るのだと思い込んでいた。
朝になれば三人で食事をして。
訓練をして。
アリーが笑って。
師匠が呆れて。
そんな毎日が、これからも変わらず続くものだと。
胸の奥にぽっかりと穴が開いたような感覚がして、何も言えなくなった。
その時、袖を引かれた。
「お兄様……?」
アリーが心配そうに僕の顔を覗き込んでいる。
「どうしたの、アリー」
「大丈夫ですか? 先ほどから、とても苦しそうです」
僕を気遣う優しい声音も、表情も、昔と何も変わらない。
けれど、その瞳には薄っすらと涙が浮かんでいた。
「アリー! どこか痛いのかい? 辛いことがあったのなら、お兄様に言ってごらん?」
「……ギルバート」
師匠が深いため息を吐く。
「あんたは賢い方だと思っていたんだがねえ。アリーのことになると、どうしてこう鈍いんだか」
「どういう意味ですか? それよりアリー、お兄様の膝においで」
「はい、お兄様」
アリーを膝に乗せ、いつものように背中を支える。
「よしよし。朝食で何があったか、お兄様に教えてくれるかい?」
「……今晩から、お兄様たちと同じ部屋では過ごせなくなってしまいました」
「ああ……アリーの部屋が用意されているんだね」
「はい。私は、お兄様やお母様と一緒にいたいです」
小さな声だった。
十五歳になった今でも、こんな時のアリーは昔と変わらない。
「……アリー。お兄様も同じ気持ちだよ」
そう言うと、アリーが顔を上げた。
「でもね。王族に生まれたからには、王族としてやらなければならないこともある」
「それは……分かっています」
「寝る場所がお城になっただけだよ」
僕は、安心させるように頭を撫でる。
「慣れるまでは、昼間は僕や師匠と一緒に訓練させてもらおう。食事だって、全部が全部、別になるわけじゃない」
「……はい」
「それに、お兄様がいなくなるわけじゃないよ」
アリーの顔が、ほんの少しだけ緩んだ。
「それなら……頑張れそうです」
「うん。良い子だね」
ゆっくり頭を撫でてから、僕はアリーを抱きしめた。
離れて暮らすわけではない。
そう自分にも言い聞かせる。
けれど腕の中で安心したように目を閉じるアリーを見ながら、これまでと同じ毎日には戻れないのだと、僕はようやく理解した。




