第24話 混乱する会場
「……おい、あれ……」
誰かの声を皮切りに、大広間がざわめいた。
最初は近くにいた数人だけだったはずなのに、囁きは水面に落ちた雫のように、あっという間に周囲へ広がっていく。
扇子で口元を隠す夫人、グラスを持ったままこちらを窺う紳士。誰も露骨には見ていない振りをしながら、その実、皆が師匠の姿を追っていた。
「あれは大賢者アレン様ではないか?」
「馬鹿な。姿を見なくなって二十年以上だぞ」
「では、似ているだけか?」
様々な憶測が飛び交う中、アリーが師匠を見つけて声をかけた。
「お母様!」
その一言で、辺りがさらにざわつき始めた。
「ほら、お子様が……」
「いや待て。あの子が娘なら若すぎるだろう」
「というか、アレン様に子がいたなど聞いたことがない」
「ならアレン様とは赤の他人で、単に子持ちの女性なのでは?」
一瞬で空気が変わる。どうやら、アリーが纏う王族の色に気づいた者がいたようだ。
「……待て。あの娘、王族の色ではないか?」
「何だって?」
「では、なぜ大賢者を母と呼んでいる?」
貴族の噂とはこうして広がるのだな、なんて呑気に思いながらアリーに軽食を渡す。
僕たちからすれば、いつもの三人で立っているだけだ。何をそんなに難しく考える必要があるのか分からない。
「お兄様、ありがとうございます!」
笑顔でお礼を言う妹が可愛い。うん、やっぱり世界一だ。
「今度は兄?」
「だが、あの青年はベルンシュタイン侯爵家の色だぞ」
「王族の娘が、大賢者を母と呼び、侯爵家の男を兄と呼んでいる……?」
「どういう家族構成なんだ?」
「……いや待て」
「そもそも、あの令嬢は誰なんだ?」
高位貴族たちは国王へ視線を向ける。
「……まさか」
こちらを窺いながら、勝手な想像を膨らませている貴族たち。デビュタントの最後には、アリーのお披露目があるのだ。好きなように盛り上がってもらおう。
そんなことを考えていると、年頃の女性たちに囲まれそうになった。慌ててアリーの後ろへ移動し、周りを警戒している風を装って佇む。
距離もそう離れていないせいで、彼女たちの会話が否応なしに耳に入ってきた。
「まあ……あの方、どなたかしら」
「とても素敵……!」
「騎士様? 魔術師様?」
「あの女性の護衛をなさってるのではなくて?」
「帯剣を許されているのですから、彼女は隣国の王女様では?」
「そうでしょうね、お二方とも見たことがありませんもの」
チラチラと僕たちを見る視線に、気づかない振りを貫く。
ヘレーネ様に、相手を傷つけないように躱すように言われたが、もう少し具体例を教えてもらえば良かったと後悔する。
そんなことを考えている間に、令嬢が話しかけてきた。
「あのぉ、お名前を伺ってもよろしくて……?」
「仕事中ですので」
「ここで襲って来る者などおりませんわぁ。わたくしたちとおしゃべりしませんこと?」
グイグイと強気で言い寄ってくる令嬢を鬱陶しく感じ、考えておいた言葉を述べた。
「俺、三十ですよ」
そう言えば引くだろうと思うのが普通だろう。
「まあ!」
「でもお若く見えますわ!」
「見た目が麗しければ問題ありません!」
「三十歳なんて、殿方でしたら脂が乗って一番いい時期ですわ!」
近くで様子を見ていた令嬢たちが、一斉に僕たちの周りを囲んだ。
……なんでだ。上手くかわせる気が全くしない。
「お兄様、あちらでお母様がお呼びですわ」
そんな僕に助け舟を出してくれたのはアリーだった。
「ん? ああ、行こうか。ご令嬢方、失礼します」
少しムッとした顔で僕の手を引くアリーについて行く。
「ふう。アリー、ありがとう。助かったよ」
小声で礼を言うと、アリーは困ったように眉を下げて返事をした。
「お兄様、お母様の近くには人が寄らないようです。近くで待機しましょう。そうしなければ、周りを観察もできません」
「うん、そうだね」
こうして、僕たちは師匠の元へ戻った。すると、師匠が面白そうに肩を揺らしていた。
「くくっ。ギルバートはモテるねえ。気に入った娘はいたかい?」
「いるわけないでしょう。大体、僕はもう三十路ですよ? 今更ですよ」
「そうかねえ。手に入れたいと狙っているレディが多いように見えるがね」
周りを直視しないように見渡すと、僕たちはかなり視線を集めていることに気づいた。師匠の元へ戻ったことで、先ほどまで三人に分散していた視線が、一箇所へ集まってしまったらしい。
「楽しんでおられますかな?」
声をかけてきたのは宰相だった。アリーの様子を見に来たのだろう。
「まだ始まったばかりだというのに、この子たちはお疲れのようだよ。くくっ」
「まあ、社交というものは疲れるものですからなあ。今日は初めての社交ですし、第一王女殿下、王族の控室へお連れしましょうか?」
「いいえ、大丈夫です。ここにはお母様もお兄様もいてくださいますから」
「ギルバート殿、殿下をよろしくお願いしますね」
「はい。姫様のことはお任せください」
そう答えた瞬間、隣にいたアリーの表情が僅かに曇った。
本当に一瞬だった。
眉が下がり、何か言いたげに唇が動いたように見えた。
「よろしくお願いしますね、お兄様」
けれど次にこちらを見た時には、いつもの笑顔だった。
気のせいだったのだろう。そう思って、僕は深く考えなかった。




