第21話 感慨に耽る暇もなく
ヘレーネと再会した日から一年の月日が流れていた。
あの日、アーバンが馬車を寄越すから乗ってほしいと言ったのだが、「馬車なんて乗りたくない」と突っぱねた師匠がとった行動はというと……。
「ちゃんと寝られたかい、二人とも。ほんの半日も飛べば王都だからね。体調が悪ければ言うんだよ」
「はい、お母様!」
「はい、大丈夫です」
「まあ、二人ともあたしより魔力が多いから平気だと思うが、疲れたら早めに休むようにするからね」
「「はい!」」
初めての王都に、楽しそうにしているアリーの頭を撫でてやる。
ん? なんだか違和感があるな。
「アリー、どうした? 緊張しているのかい?」
「お兄様……。ほんの少しだけ、怖いです」
「そうか。知らない場所に行くんだから、怖いのも緊張するのも当たり前のことだよ。途中までは、お兄様が抱っこして飛んであげよう」
「本当ですか! 嬉しいです!」
「ギルバート、また甘やかして……」
「師匠、きっとこれが最後の甘やかしになると思いますから、目を瞑ってください。もうアリーも十五歳になります。王都に着いたなら、立派なレディとして行動しなければならないのです」
「……確かにそうだねえ。アリー、空の上では好きなだけギルバートに甘えておくんだよ。王城には敵しかいないと思うんだ。誰にも弱みを見せちゃいけないよ」
「はいっ、お母様!」
そうして、僕たちは長く住んだ岩山を後にした。
僕は、小さくなっていく岩山を振り返った。
あそこで、まだ幼かったアリーを抱き、歩く練習をさせ、剣を教え、何度も食卓を囲んだ。
僕にとってはただの修行場だったはずの場所が、いつの間にか故郷になっていた。
★★★
空の旅は、ほんの三時間ほどで終了した。
師匠のスピードについていけたため、速度を落とさずに最後まで飛んでこられたのだ。
「……アリーを抱いたまま、あたしについてこられるとはねえ。ギルバート、成長したねえ」
「師匠、見た目は確かに変わっていませんが、僕はこれでも二十九歳ですので、それなりに成長していると思いますよ」
「……なんてこった。あたしなんてお婆ちゃんじゃないか」
「魔力量が多いせいで、僕たちは見た目が変わらないですからね」
「まあ、齢のことで何か言われたとしても、あたしは気にならないからねえ」
「そうですね。僕もアリーに対して何か言われない限り、感情が動くとは思いませんが」
「くくく、そうかい。ギルバート、アリーの護衛は任せたよ。絶対に目を離すんじゃないよ」
意味深な物言いをする師匠に質問をしたかったが、そのまま応接室に通されてしまった。城の中では余計なことを話すなと言われている。
確かに、あちらこちらに隠れた者たちからの視線を感じた。
岩山と森に育てられた僕たちは、王城の磨き上げられた床、筋肉隆々の騎士、洗練された動きの侍女、豪奢な調度品、そのすべてに圧倒されていた。
しかし平然とした顔で、僕たちは磨かれた廊下を進む。エスコートしていたアリーの指先に、ほんの少しだけ力が入った。
そして、入るように勧められた部屋のソファに座るのは、この国の国王夫妻だった。
「お帰りなさい、アレン。そして……わたくしの愛する娘。アレン、この子の名はなんというの?」
「アリアです」
「そう。良い名ね」
王妃は微笑み、ふと何かに気づいたようにアレンを見る。
「……まさか、フィアリアから?」
「何を馬鹿なことを。あたしの名前から一字くれてやっただけさ」
「まあ」
王妃は楽しそうに目を細めた。
「そういうことにしておきましょうか」
「……ふん」
「フィアリア様? お兄様、ご存知ですか?」
小声で話しかけてきたアリーに、苦笑いしながらも答える。
「とても有名な、女性で初めて賢者になられたお方だよ」
「お母様のお知り合い?」
「ふふ、アリア……嬢。フィアリアは、わたくしとアレンの先生だったのよ。アレン、貴女に多大な影響を与えた人の名前を、わたくしの娘に付けたのね」
「お母様、フィアリア様とはどのような方なのですか?」
「ただの昔の知り合いさ。あえて言うならば……あいつが余計なことを言うから、あたしは仕方なく賢者なんてものになったのさ」
「そうなのですね! では私は、お母様とフィアリア様、二人からお名前をいただいたのですね!」
「……だから違うと言ってるだろう」
そう言いながら目を逸らす師匠に「ああ、事実なんだな」と皆が優しい目を向けていた。
「ところでアリア嬢、そなたは王の仕事をどう思うかね?」
唐突に、挨拶すら交わしていない国王陛下が、アリーに優しく話しかけた。
アリーと師匠は不敬など気にしないだろうが、僕は小心者なのでハラハラしてしまう。とはいえ、こちらから声をかけるわけにもいかず、僕は口を閉ざしていた。
「国は王様一人で守るものではありません。民が暮らし、働き、笑える場所を守ることが、国を守るということだとお母様がおっしゃっていました!」
王妃が一瞬驚いた顔を見せた。
「……そんなことまで教わっているのね」
「はい!」
「そう……」
王妃がふっと微笑んで優しい声で話しかける。
「貴女も、同じように教わってきたのね」
「え?」
「わたくしもアレンも、昔、同じ言葉をフィアリアから教わったのよ。その教えが貴女にも受け継がれているなんて……誇らしく思うわ」
「そうでしたか。私も嬉しく思います」
国王夫妻は、嬉しそうな、でも寂しそうな顔をしていた。目元がうるうると涙で滲んでいたが、誰も何も言わない。
王妃の手が、ほんの少し持ち上がった。アリーの頬に触れようとしたのだろう。
けれど、その手は途中で止まり、静かに膝の上へ戻された。
「大きくなりましたね、アリア嬢」
「……はい、王妃陛下」
一瞬空気が止まる。王妃は傷つきながらも綺麗な顔で笑った。
「今は、それで構いません。それでも……わたくしも陛下も、貴女を忘れたことはないの。愛しているわ、わたくしの可愛い娘だもの」
「……はい、ありがとうございます」
心の中では困っているのだろうが、師匠に教わった通りに笑顔を絶やさないアリーに対し、幼いとはいえ、王族としての対応も素晴らしいと、後ろで見守っていた宰相も、満足そうに大きく頷いていた。
——コンコン。
応接室をノックする音に、全員が扉の方を見る。
現れた二人の青年を見て、国王陛下が口を開いた。
「アリア。そなたの兄たちだ」
第一王子はアリーを見た瞬間、目を丸くした。
「……何だ。めちゃくちゃ可愛いじゃないか」
「兄上!」




