第七話 【クエスト4 : 友達を作ろう ②】
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どうも、縁側の猫です。
後編、凪紗さんとの距離が近づく回です。
どうぞお楽しみください。
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渡り廊下を戻りながら凪紗さんが腕時計をちらりと見た。
「あ、そろそろお昼休み終わっちゃう。教室戻ろっか」
「うん」
二人で並んで廊下を歩く。窓の外には相変わらず春の海が光っていて水色のカーテンが風に揺れていた。
……ふと思った。
(ナビさん)
『はい、マスター』
(そういえば朝、女の子たちにたくさん話しかけられてラインも交換したけどあれは友達に入らないの?)
『はい』
即答だった。
『あの方々は"友達"というより特定の別の目標性が強い集団です』
(別の目標性?)
『マスターの外見を起点とした恋愛活動、さらに発展すれば生殖活d――』
(あーーーわかったわかった、もういい)
……ナビさんの説明が時々生々しすぎる。
ただそう言われると一つ気になることがあった。
(じゃあ凪紗さんは?)
『凪紗様、ですか』
(うん。朝からずっと親切にしてくれてるけど……あの子も、その、同じ……?)
聞きながらなぜかナーシャの顔が一瞬よぎった。あの優しい微笑み。重なる面影。
――もし凪紗さんもそういう目的で近づいてきているのだとしたら。
なぜだろう、急に顔が熱くなった。
『……マスター』
(う、うん)
『正気に戻ってください』
(はい、スミマセン)
『凪紗様にも別の目標性があるのは事実です。ただしそれは恋愛とは異なります』
(違うの?)
『はい。凪紗様がマスターに親切にしている動機はマスターがリーナ様に初めて会った時の感情に近いものかと』
(……それって)
リーナに初めて会った時。一人きりで怒っていたあの赤い髪の少女。家族を失って誰にも心を開けずにいた彼女を見て僕が思ったこと。
(……同情ってこと?)
『そうです。詳細は本人に聞かなければ分かりませんが』
……そうか。
凪紗さんは僕の中に何かを見て放っておけないと思ってくれた。
僕がリーナにそうしたように。
それは少しだけ切なくて、でも不思議と嫌ではなかった。
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そんなことを考えているうちに教室の前まで戻ってきた。
――その時だった。
教室の扉の横に一人の男子が立っていた。
背が高い。僕よりもさらに頭半分ほど大きい。浅黒い肌に鋭い目つき、がっしりとした体格。制服の上からバスケ部のジャージを羽織っていて、立っているだけで周囲の空気を圧する存在感があった。
隣で凪紗さんの足が止まった。
ほんの一瞬、彼女の表情が強張る。
「……颯太」
小さく呟いた名前に僕は聞き覚えがなかった。
凪紗さんが「颯太」と呼んだその男子はだるそうに壁にもたれたまま凪紗さんを見た。
「……お昼休みももう終わるのに今頃来るって何?」
凪紗さんの声は平静を保っていたがさっきまでの弾んだ調子とは明らかに違っていた。
颯太は凪紗さんの言葉には答えず視線を僕に向けた。
「……で。お前誰?」
「今日から転校してきた結城くん。わたしが案内係でーー」
「聞いてない、お前に」
凪紗さんの言葉を遮って颯太が僕の前に立った。
近くで見るとその体格の圧は相当なものだった。鍛え抜かれた体。バスケットという競技で培ったであろう筋肉が制服越しにも分かる。まるで歴戦の戦士だった。
廊下に何人かの生徒が足を止めてこちらを見ていた。小さなざわめきが広がっていく。
「へぇ、転校生か。よろしくな」
颯太は笑った。口元だけの薄い笑み。目は笑っていない。
そして右手を差し出してきた。
僕はその手を取った。
瞬間、颯太の右手に力が入った。
――握り潰すような圧。普通の高校生なら膝をつくか痛みで声を上げるだろう。
僕は何も感じなかった。
(ナビさん)
『承知しております。マスターは現代日本に転生した後も身体能力はオリンピック金メダル級を維持しております。颯太さんの握力程度では何の影響もありません。ただし力を入れ返すと相手の骨が折れる可能性がございますのでご注意を』
(分かってる)
颯太の表情が微かに変わった。力を込めているのに相手がびくともしない。その困惑を僕は見て取ったが気づかないふりをした。
「よろしく、颯太くん」
普通に笑って普通に手を離した。
颯太は一瞬探るような目で僕を見た。それからふんと鼻を鳴らして手をポケットに突っ込んだ。
「……つまんねぇの」
それだけ言って颯太は教室に入ることもなく廊下の向こうへ歩き去っていった。
「凪紗さん、教室入ろう」
「……うん」
凪紗さんは小さく頷いた。颯太の背中を見送るその横顔が少しだけ寂しそうだった。
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【視点:七海 凪紗】
渡り廊下で風に吹かれながらユーリくんに学校を案内している時、わたしは本当に楽しかった。
……でも正直に言うとユーリくんに親切にしているのには理由がある。
昔の幼馴染たちのことを思い出すから。
あの頃はみんな一緒にいて毎日が楽しくて何も考えなくてよかった。でもある出来事があってみんなバラバラになってしまった。
ユーリくんを見ていると、なんだか放っておけなかった。あの子たちと同じ匂いがする。笑っているけどどこかに傷を隠しているような。大丈夫なふりをしているけど本当は全然大丈夫じゃないような。
あの事件後の、わたしの幼馴染たちに共通するあの空気。
だから最初は正直に言えば同情だった。
それ自体がちょっと自分でも嫌だなと思っている。同情で人に優しくするなんて相手に失礼だって分かっているから。
でも止められなかった。
――そんなことを考えていた時だった。
教室の前に颯太が立っていた。
心臓がきゅっと縮んだ。
颯太がユーリくんの前に立った時、わたしは息が止まりそうだった。長く見てきたから分かる。あの目つき、あの笑い方。絶対にユーリくんに絡もうとしてる。傷つけようとしてる。
――昔の颯太はあんな顔しなかった。
あんな風に笑って人を試すような真似、絶対にしない子だった。いつからああなってしまったのか。何がそうさせたのか。考えるたびに胸が痛む。
颯太。昔はいつもみんなの真ん中にいて誰よりも優しくて誰よりもみんなを守ってくれた子。
今はもうあの頃の面影はほとんどない。
目つきが変わった。笑い方が変わった。人との距離の取り方が全部変わってしまった。
部活の後輩に暴力を振るっているという噂も聞いている。
どこで間違えたんだろう。いつからこうなったんだろう。
……分かっている。あの日からだ。
でもユーリくんは怯まなかった。普通に笑って「よろしく」と言って何事もなかったように流してみせた。
その姿を見て少しだけ安心した。同時に颯太の背中が廊下の向こうに消えていくのを見て胸が痛んだ。
――颯太。
わたしはまだあんたのこと諦めてないからね。
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【視点:結城 雪里】
午後の授業はなんとか乗り切った。
冗談ではなくマオウ討伐のための王国軍の新兵訓練よりも精神的には堪えた気がする。日本の高校生は毎日これをこなしているのだから本当にすごいと思う。
終業のチャイムが鳴って教室がざわめき始めた時、僕はふと凪紗さんの方を見た。
……元気がなかった。
昼休みにあれほど楽しそうに学校を案内してくれた彼女が午後の授業中ずっとどこか上の空で窓の外ばかり見ていた。
原因はおそらくあの颯太という男子だろう。
詳しい事情は分からない。でも凪紗さんにとって大切な誰かであることはあの一瞬の表情で十分に伝わった。
「凪紗さん」
「え? あ、ユーリくん」
凪紗さんは少し慌てたように顔を上げた。無理して笑顔を作ろうとしているのが分かる。
「どうしたの?」
「あのさ、もし放課後に時間あったら学校の周りも案内してもらえないかな」
「え?」
「さっきの校内案内がすごく楽しかったから。この街のこともっと知りたいなって」
凪紗さんがぱちぱちと瞬きし、じわっと表情が緩んだ。
「……いいよ! 行こ行こ! 凪原のいいとこ全部見せてあげる!」
さっきまでの沈んだ空気が嘘のように声が弾む。
――よかった。
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放課後、凪紗さんはスイッチが入ったように元気になって僕をあちこち引っ張り回した。
「ここが商店街! おばちゃんたちが優しくてねコロッケおまけしてくれるの!」
「こっちが海沿いの道! 夕方になると夕日がすっごい綺麗なんだよ!」
「あ、あそこのたい焼き屋さんは絶対食べて! 凪原で一番おいしいから!」
一つ一つの場所を紹介するたびに凪紗さんの目がきらきらと輝く。自分の好きな場所を人に見せる時のあの嬉しさ。
僕はその姿を見ながら小さく微笑んでいた。
ナーシャもこういう子だった。みんなが笑顔でいることが自分の幸せだと本気で信じている子。他人のために走り回って自分のことは後回しにして、それでも笑っている子。
やがて坂を上った先に小さな公園があった。
遊具はいくつかあるが子供の姿はなくて静かだった。その奥にバスケットのゴールが一つだけぽつんと立っている。
凪紗さんの足が止まった。
夕日に照らされたバスケットゴールを凪紗さんはしばらく黙って見つめていた。
「……ここ、昔よく来てたの」
ぽつりと呟いた。
「幼馴染たちとね。ここでバスケしたり鬼ごっこしたり。……楽しかったな」
風が凪紗さんの栗色の髪を揺らした。
「でもある出来事があってみんなバラバラになっちゃった。颯太も……あの子も昔は全然違ったの。優しくてみんなを守ってくれていつもグループの中心にいて」
凪紗さんは少しだけ笑った。でもその笑顔の端が微かに震えていた。
「さっきユーリくんに絡んだ時ほんとに怖かった。もしユーリくんが怪我でもしたらって」
「……大丈夫だったよ」
「うん。……よかった、ユーリくん見た目より全然頼もしいんだね」
凪紗さんはくすっと笑って、それから少しだけ俯いた。
「……ユーリくん、ごめんね」
「え?」
「わたし、ユーリくんに最初から親切にしてたけど……正直に言うとちょっと同情みたいな気持ちがあったの」
「……」
「ユーリくんが教室に入ってきた時なんだか昔の友達と同じ空気がしたの。笑ってるけどどこか寂しそうで大丈夫なふりしてるけど本当は全然大丈夫じゃないんじゃないかなって。わたしの幼馴染たちとおんなじで」
凪紗さんは自分の手をぎゅっと握りしめていた。
「同情で優しくするなんて相手に失礼だよね。ごめん」
夕日が凪紗さんの横顔を橙色に染めていた。
その姿を見てまたあの人の面影が重なった。
ナーシャ。
明るくて誰よりも人の気持ちに敏感で、それでいて自分の弱さをなかなか見せられない。他人を守ることに必死で自分が傷ついていることに気付かないふりをする。
「凪紗さん」
「……うん」
「謝らなくていいよ」
「え?」
「理由なんて何でもいい。正直に言うと僕は引っ越してきたばかりで不安だったんだ。知らない場所で知らない人ばかりで何もかもが初めてで」
嘘じゃない。ただ少しだけ言い方を変えているだけだ。
「そんな中で凪紗さんが声をかけてくれて学校を案内してくれて購買まで一緒に突撃してくれて」
凪紗さんがぷっと吹き出した。
「……突撃って」
「本当に突撃だったよ、あれは」
「あはは、まあ否定はしない」
「あの渡り廊下で見た景色、本当にきれいだった。凪紗さんがあそこに連れて行ってくれなかったら僕はあの風景を知らないままだった」
「……」
「凪紗さんのおかげで楽しい一日になったよ。だから理由なんて気にしなくていい。……これからもよろしく、凪紗さん」
凪紗さんは目を見開いて僕を見ていた。
夕日が眩しかったのかもしれない。彼女の大きな瞳がきらりと光った。
「……うん!」
凪紗さんは大きく頷いた。
「こちらこそよろしくね、ユーリくん!」
その声が弾んだ瞬間。
ぽんっ、と目の前にウィンドウが浮かんだ。
☆クエスト4 : 友達を作ろう CLEAR☆
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報酬 : 忘れていた感情
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――忘れていた感情。
報酬欄に表示されたその文字を見て胸の奥がじわりと温かくなった。
……ああ、そうか。
友達のことを忘れたことは一度もない。
アレンもリーナもナーシャも、ずっと僕の中にいる。
ただあいつらを失った悲しみが大きすぎて、
友達がそばにいてくれる温かさの方を、
少しだけ思い出せなくなっていたんだ。
誰かと一緒にいて楽しいと思えること。誰かに「よろしく」と言ってもらえること。そういう当たり前のことがこんなにも嬉しいということ。
"友達"という存在の温かさを僕はずっと忘れていたんだ。
アレン。リーナ。ナーシャ。
……みんなが僕にくれたものと同じだった。
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凪紗さんと別れて一人で帰り道を歩く。
夕日が海沿いの道を橙色に染めていた。潮風がゆるやかに頬を撫でていく。
(……ナビさん)
『はい、マスター』
(ありがとう。今日一日助かったよ)
『……そういえばマスター』
(うん?)
『今回のクエスト"友達を作る"に関してはわたしの支援はほぼ介入しておりません』
(え?)
『ラインの設定や授業の対応は支援いたしましたが七海凪紗さんとの関係構築においてはマスターご自身の言葉と行動のみで達成されております』
(……そうだったっけ)
『はい。わたしの助けなしでまともにこちらの世界のクエストをクリアされたのはこれが初めてです』
(……)
『お見事でした、マスター』
その声はいつもの無機質な調子だった。
けれど「お見事でした」の響きだけが少しだけ温かかった気がした。
(……ありがとう、ナビさん)
(これからもよろしく)
『仕様です』
……やっぱりそれで締めるんだ。
僕は小さく笑って空を見上げた。
凪原の夕空はどこまでも赤くて静かだった。
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クエスト4・了




