第一話【 クエスト1:登校せよ ①】
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どうも、縁側の猫です!
第一話、ユーリくん初登校回です。のんびりお楽しみください。
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四月中旬の朝、七時半。春の澄んだ空気。坂道の先で海が朝日を受けて白く光っている。潮の匂い。遠くで鳴る電車の音。桜の花びらがどこからか一枚だけ、僕の肩に落ちてきた。
――平和だ。
何度そう思っただろうか。昨夜この世界に来てからずっと、胸の奥でこの言葉が繰り返されている。
『……マスター』
頭の中に、抑揚のないナビさんの声が響いた。念話だ。便利な機能だと昨日のうちに身に染みた。
(うん、ナビさん。どうしたの?)
『少々お待ちください。ただいまクエストを追加いたします』
「え」
思わず声が出てしまった。慌てて周囲を見回す。幸い通りには誰もいなかった。
(……クエスト?)
心の中で聞き返すと、目の前に半透明のウィンドウがふわりと浮かんだ。
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【クエスト1 : 登校せよ】
難易度 : ★☆☆☆☆☆☆☆☆☆
報酬 : 新たなる出会い
───────────
(……ナビさん)
『はい』
(この世界にも、クエストって概念あるの?)
『概念としては存在します。"ゲーム"と呼ばれる娯楽の一種で頻繁に用いられる用語です。ただし通常、"登校"のような日常活動に対しては使用されません。ご注意を』
(ゲーム、って?)
『……マスターの元の世界における、吟遊詩人の語る英雄譚とお考えください。ただし観客自身が主人公となって、物語の中で選択や行動ができる形式です。現代日本では主に電子機器上で遊ばれております』
(へえ……)
坂道の中ほどで一度足を止める。
吟遊詩人の物語を自分自身が動かす。そんな娯楽がこの世界にはあるのか。
(……楽しそうだね)
『ご興味がおありでしたら、マスターの元の世界と類似したシステムを持つ作品も多数ございます。"JRPG"と総称されるジャンルです。剣と魔法、勇者と魔王、仲間と旅、そういった要素で構成されております』
(……)
胸の奥で何かが小さく軋んだ。
剣と魔法。勇者と魔王。仲間と旅。
――アレン。リーナ。ナーシャ。
自分の人生そのものがこの世界では"娯楽"として消費されている。それ自体は別に嫌じゃない。ただその言葉を聞くだけで、まだ少しだけ胸が痛む。
(……ごめん、ナビさん。それはもう少し経ってから、考えるよ)
少しの沈黙のあと、ナビさんの声が返ってきた。
『承知しました。余計なご提案を失礼いたしました』
(ううん。別に余計じゃないよ)
僕はまた歩き始めた。
『マスター』
(うん?)
『転校の初日から気持ちが沈むのはお勧めいたしません』
(え?)
『転校初日は学校生活の基盤を決定する極めて重要な局面です。気弱な印象を与えれば、その後の対人関係構築において大きな不利を被る可能性が。具体的には"いじられキャラ"として一年間固定されるリスクがございます』
(……ナビさん、そういうの、どこで覚えたの)
『ミリア様の蔵書に"現代日本・学園もの必読書100選"というコレクションがございました。全て拝読済みです』
(……そう)
なんだろう。ナビさんの現代日本理解、やたらと情報量が多いのに、どこか一点ズレているような気がする。必読書100選って、なんだ。
それでも声に出して指摘する気にはならなかった。ナビさんなりに僕を心配してくれているのは伝わってくる。
(うん。ありがとう、気をつけるよ)
『結構なことです』
坂を下りきると、住宅街の間を縫うように小さな駅が見えてきた。
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――朝の駅というのはこんなに人がいるものなのか。
最初の感想がそれだった。
改札の前に様々な人達がずらりと並んでいる。スーツ姿の大人たち。重そうな鞄を抱えた疲れた顔のサラリーマン。犬を連れた散歩帰りらしきおばあさん。全員が全員、自分の行き先を知っているような顔ですいすいと流れていく。
僕は駅の入り口で立ち止まった。
――どこに行けばいいんだ、これ。
『マスター、まずは改札を通ります』
(その改札、というのは?)
『正面の細長い機械が並んでいる場所です。制服のポケットにお持ちの"ICカード"を、あの青く光っている部分にタッチしてください』
ポケットを探ると薄いカードが一枚入っていた。女神ミリアが用意しておいてくれたものらしい。
言われた通りに青い部分にカードをかざす。ぴっ、という軽い音とともに目の前のバーが開いた。
(開いた)
『開きました』
(魔法みたいだ)
『仕組みとしては電波による近距離通信と、ネットワーク上の残高管理でございます。詳細はまた後日』
(……うん、詳細はいい)
ホームへの階段を上る。
そこで僕は再び立ち止まることになった。
ホームは二つある。電車の行き先を示す表示板には、見慣れない地名がいくつも並んでいる。止まる駅の違う電車が何種類もあるらしい。どれに乗ればいいのかまったく分からない。
(……ナビさん)
『はい』
(これ、本当に難易度・星一つ?)
『はい。難易度設定に問題はございません』
(嘘でしょ)
『ちなみに首都である東京の、渋谷駅や新宿駅の難解さは、かつてマスターが挑まれた魔王城に匹敵、あるいは凌駕すると言われております』
(……え)
『迷路状の通路、複数階層にまたがるホーム、無数の乗り換え、突如現れる商業施設、方向感覚を奪う地下街。あれに比べればこの駅は初心者向けの演習場のようなものです』
(……嘘でしょ、ナビさん)
『事実を申し上げているだけです。マスターはいずれ東京にも行かれるでしょう。そのための心の準備を促しております』
(……それは、心の準備、相当しっかりしとかないと駄目だね)
そんなことを念話で延々とやり取りしながら、どうにか正しいホームを見つける。さらにナビさんの指示に従って正しい電車に乗り込む頃には、額にうっすら汗が滲んでいた。
――二十四年魔物と戦ってきた僕が、駅で汗をかいている。
なんだかおかしかった。
車内は通学時間帯らしく、かなり混んでいた。吊り革に掴まってふと周囲を見回す。
――あ。
同じ制服の生徒が何人もいた。
淡い水色のブレザーに白いシャツ、紺色のネクタイ。海の色を溶かしたような、柔らかい空色。僕とそっくり同じ服だ。
ほ、と息が漏れる。少なくとも電車を間違えてはいないらしい。魔王城の最深部で正しい道を見つけた時と似たような安堵だった。
(……いや、それは大げさかな)
『全く大げさではありません。現代日本の通勤ラッシュは、一部の魔界より過酷との研究もございます』
(そんな研究、ある?)
『私の中にはございます』
(……ナビさんの中だけか)
くすりと小さく笑った。
同じ服を着た、同じ年頃の仲間たち。
その光景が二十年以上も前の、あの日の記憶を呼び覚ました。
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――僕が十歳の春。アレンと一緒に王国軍の新兵訓練所に入った日。
「おい、ユーリ」
訓練所の宿舎の二段ベッドの上段から、アレンが顔を覗かせた。僕より一つ年上の茶髪の少年。幼馴染でいちばんの親友だった。
「お前さ、マジで剣筋えぐいよな。教官も驚いてたぜ。"十歳でこれは、百年に一人の逸材かもしれない"って」
「……そんなの、アレンだって」
「俺はお前ほどじゃねえよ。あーあ、親友が天才とか、気が重い気が重い」
アレンはわざとらしくため息をついて、それからにやっと笑った。
「でもさユーリ。お前、ちょっと優しすぎんぞ」
「え?」
「今日の訓練でも、相手の新兵が怪我しないように手加減しまくってたろ。気付いてたぞ、俺は」
「……だって、同期だし」
「そういうとこだよ」
アレンはベッドから身を乗り出すようにして、僕の頭を軽く小突いた。
「将来マオウ討伐するんだろ? そんなお人好しでやってけんのかね、お前」
「……その時は」
僕は少し考えて答えた。
「アレンが手伝ってくれるんじゃないの?」
アレンはきょとんとした顔をした。それから大きく笑った。
「……は! 当たり前だろ、バーカ」
――そうだよ、当たり前だ。一人で行かせるわけねえだろ。
あの時のアレンの笑顔。
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『マスター』
声に意識を引き戻された。
(……あ。ごめん、ナビさん)
『大丈夫ですか。次の駅で降ります』
(うん、大丈夫)
『……ご無理はなさらず』
いつもよりナビさんの声が、少しだけ優しく聞こえた気のせいだろうか。
(ありがとう、ナビさん。平気だよ)
窓の外に桜並木が流れていく。
平和な、穏やかな風景だった。
アレン。リーナ。ナーシャ。
みんなに今の僕の景色を見せてあげたかった。
(でも)
僕はそっと微笑んだ。
(たぶん君たちは、見てるんだよね)
『マスター。感傷に浸るのも結構ですが、次の駅です。降車準備を』
(……ナビさん、空気読んで)
『仕様です』
またそれだ。
僕は小さく吹き出した。車内の誰かが不思議そうな顔で僕を見たので、慌てて下を向いた。
電車が静かにホームへ滑り込んでいく。
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駅を出ると潮風が頬を撫でた。
海が更に近くなった。小さな港町らしい静かな駅前。目の前の一本道を、同じ制服の生徒たちがまっすぐに歩いていく。みんなの向かう先に緩やかな坂道と、その上に建つ白い校舎が見えた。
――あれが凪原西高校。
僕が今日から通う場所。
『マスター、最終確認です』
(うん)
『第一印象は一年間のクラス内序列を決定づける最重要要素です。失敗は許されません』
(ハードル上げるの、やめてもらえない?)
『事実を申し上げております』
坂道を上りながら、僕は一度深呼吸をした。
穏やかな春の風が頬を撫でて通り過ぎる。
桜並木の下で僕は校舎を見上げて、小さく呟いた。
「……行ってきます、アレン」
返事は風の音だけだった。
でもそれで十分だった。
校門をくぐる。
僕の"平和な日常"という名の最初のクエストが、今、本当に始まろうとしていた。
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〜前編・了〜




