プロローグ【 最終クエスト:魔王討伐 ―― 完了 】
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初投稿です、縁側の猫です。
異世界を救った勇者が、褒美にもらった現代日本で高校生やるお話です。
プロローグ(第一話)は、主人公の過去に関わる少し切ない描写がございます。その代わり、第二話からは平和でちょっとにぎやかな日常が始まりますので、ご安心ください!
基本ほのぼの、たまにシリアス、ところどころ女神様がうるさい。そんな感じで進んでいきます。
【更新予定】
まずは三日連続でプロローグ〜第三話を公開します!
その後は、火・木・土の週三回更新を予定しています。
気長にお付き合いいただければ嬉しいです。
感想・評価、おねがいします。
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白い。
どこまでも、白い空間だった。
さっきまで、僕は戦場にいた。焼け焦げた岩と、血と、灰の匂い。剣を握る手の感覚も、鎧の重みも、たしかにあった。
それなのに、今は何もない。
ただ――僕の体にだけ、戦いの跡が残っていた。
裂けた鎧。砕けた籠手。頬を伝う血は、誰のものか、もう分からない。左肩の傷は深く、呼吸のたびに鈍く痛む。右手はまだ剣を握ったままで、指が言うことを聞かない。
「……ナーシャ」
声に出してから、気づく。
彼女は、もういないのだ。
最後の一撃。マオウの鎧の、たった一箇所だけある隙間。そこを、彼女は自分の命を燃やして暴いてみせた。
「ユーリ。あとは、お願い」
そう微笑んだ顔が、まだ瞼の裏にある。
僕は、その隙間に剣を突き立てた。世界は救われた。
誰も、見ていない場所で。
膝から崩れるように、白い床に座り込む。涙は、もう出なかった。戦いの間に、全部枯れてしまったのだと思う。アレンも、リーナも、ナーシャも――みんな、僕より先に逝ってしまった。
勇者として、世界を救った。
けれど、それが何だというのだろう。
「――ユーリくん」
ふと、声がした。
聞き覚えのある、けれど久しぶりの声。
顔を上げると、そこに、彼女が立っていた。
「……ミリア、さん」
「うん。お疲れ様」
金色の髪を高く結んだ、小柄な少女。白い神衣の裾を短く着こなして、耳には大ぶりのピアスが揺れている。最後に会ったのは、三年前だったか。旅の途中、古い神殿で祈りを捧げた夜に、向こうから現れてくれたのが最後だった。
あの時も、彼女はこうして、少しだけ困ったように微笑っていた。
「あーしが来るの、久しぶりすぎてビックリした? あ、つーかめっちゃ血出てんじゃん! やば、やばやばやば、ちょっと待って、今治すから!」
慌てた様子で駆け寄り、僕の頬に手を当てる。ひんやりとした、けれどどこか懐かしい感触。傷が、少しずつ塞がっていく。
「……すみません、お手数を」
「やーめて。敬語もやめて。あーしと君の仲じゃん」
「仲、って言われても。女神様ですよ、あなたは」
「女神と勇者で、ちょうどいい距離感じゃん?」
相変わらずだ。世界を創ったと言われる至高の存在が、こんな話し方をするなんて、初めて会った時は本気で夢かと思った。どこか気が抜けてしまって、僕は小さく笑った。
「……笑った」
ぴたり、と女神ミリアの手が止まる。
「……よかった。ちゃんと、まだ笑えるんだ」
その声の温度が、ふっと下がった。さっきまでの軽さが嘘のような、静かな声だった。
「ユーリくん。あーし、ずっと見てたよ。十歳で旅に出て、二十四年。仲間を失って、それでも剣を置かなかった君のこと、ずっと」
言葉が、胸の奥に沈んでいく。
「ごめんね。本当は、もっと早く、君たちを助けてあげたかった。でも、神さまってのも、案外ルールが多くてさ」
ミリアは膝をついて、僕と目線を合わせた。金色の瞳が、少しだけ潤んでいた。
「だから、せめて。褒美くらいは、ちゃんと選ばせてあげたくてさ」
褒美。
その言葉を、僕はしばらく、うまく飲み込めなかった。
「……平和な場所が、いいです」
やっと、それだけを口にした。
「戦いが、ない場所。誰も、僕のために死ななくていい場所。……ナーシャが、最後に言ってくれたんです。争いを終わらせたら、平和なところで、幸せに暮らしてほしいって」
「……うん」
「でも、この世界だと、どこに行っても、あいつらの面影が残っていて」
僕は、俯いた。
「だから、できれば。何もかも、全然違う場所がいいです」
ミリアは、しばらく黙っていた。そして、すうっと息を吸って、いつもの軽い調子に戻る。
「りょーかい。じゃあ、とっておきの場所に送ってあげる」
ぱちん、と指を鳴らす音。
白い空間が、ゆっくりと色を取り戻していく。
「地球ってとこの、日本って国。めーっちゃ平和だよ。戦争ないし、魔物もいないし、コンビニ行けば何でも買えるし。スマホっていう、ちっちゃい板で世界中のこと分かっちゃうの。マジで神。あ、あーしのことじゃなくて」
冗談のつもりらしい。僕は、少しだけ口元を緩めた。
「で、向こうでは"コーコーニネンセイ"ってことにしてあげる。十七歳ね。体はそのままだけど、若返らせとくから」
「……こーこー、にねんせい?」
「んー、まあ、若者が勉強するとこに通う、って感じ? 行けばすぐ分かるって。みんな同じくらいの歳の子ばっかだから、友達とか、できるかもよ?」
「……友達」
その響きが、少しだけ、胸に沁みた。
「名前は……うん、悩んだんだけどさ」
ミリアは、ちょっと得意げに笑った。
「結城 雪里。どう? ユーリくん、ユーリのままでいいでしょ?」
「……まんま、じゃないですか」
「いいじゃん、呼びやすいし! あ、あとね、家はお金持ちの設定にしといた。一人暮らし。親はあーしが適当にやっとくから。たまーに、ママとして顔出すかもね?」
「……出さなくていいです」
「出るから」
即答だった。
僕は、諦めて息を吐いた。けれど、不思議と嫌な気はしなかった。こんな軽口を、誰かと交わすのは、いつぶりだろう。
「それとね」
ミリアの声が、ほんの少しだけ、真面目になった。
「スキルとか魔力とかは、ほとんど封じとくから。あの世界のあーしの力も、向こうじゃ届きにくくてさ。でも、神社とか、パワースポットって呼ばれてる場所でなら、少しは使えると思う。いざって時のために、覚えといて」
「いざって時?」
「平和な国だけど、絶対ってわけじゃないから。念のため、ね」
その言い方に、僕はほんの少し、引っかかりを覚えた。けれど、ミリアはすぐに笑顔に戻る。
「大丈夫、大丈夫! あーし、君のこと、ちゃんと見てるから。何かあっても、ちゃんとフォローするし」
「……ミリアさん」
僕は、静かに頭を下げた。
「ありがとうございます。本当に」
「んーん。こっちこそ。……幸せになってね、ユーリくん。今度こそ」
その声が、最後に少しだけ、震えていた気がした。
視界が、白く溶けていく。
遠くで、ミリアが「あ、そうそう」と付け加える声がした。
「向こうの世界、あーしもちょっと、昔ちょっかい出しちゃったことあってさ。もし何か変なこと起きたら――まあ、その時はその時で。なんとかなるって!」
何か、と聞き返す前に。
僕の意識は、光の中に溶けていった。
ーーーーー
――ちゅん、ちゅん。
鳥の声。
瞼を開けると、見慣れない天井があった。白いクロス。新しい木の匂い。窓から差し込む朝の光が、白いカーテンを透かして、部屋の中を柔らかく照らしている。
ベッドから起き上がる。体が、驚くほど軽い。痛みも、疲れも、何もない。
鏡の前に立つ。
そこには、十七歳の少年がいた。黒い髪、整った顔立ち。けれど目つきは、どこか歴戦の勇者のそれだった。
――ユーリくん、ユーリのままでいいでしょ?
ミリアの声が、耳に甦る。
『おはようございます、マスター』
聞き覚えのある、無機質な声。目の前の空中に、半透明の小さなウィンドウが浮かんでいた。青白い光で、文字が綴られている。
「ナビさん。……こっちまで来てくれたんだね」
『はい。ミリア様が調整してくださいました』
「……便利だね。相変わらず」
『そうであるように設計されております』
ナビさん自体は、元の世界でも使っていた。二十四年の旅を共にした、古い相棒だ。驚いたのは、こんな場所にまでついて来てくれたことの方だった。
『それと、マスター。一点、申し上げておきたいことが』
「うん?」
『こちらの世界には、私のようなシステムは存在しないようです。空中に文字が浮かぶ現象も、一般的ではない模様。つきまして、人前で独り言のように話しかけるのは、お控えいただいた方がよろしいかと』
「……あ」
それは、盲点だった。元の世界では、冒険者や魔導士なら誰もが何かしらの補助術式を使っていたから、ウィンドウに向かって話しかけることも珍しくなかった。けれど、ここは違う。
『念のため、"念話"の回線は繋いでおきます。心の中で話しかけていただければ、私の声は届きます』
「了解。……あ、じゃあこれ、心の中で言えば――」
(……試しに、これで聞こえる?)
『明瞭に届いております、マスター』
「よかった」
『ただし、私からマスターへの念話については、その限りではございません』
「……え?」
『仕様です』
「それ、どういう――」
『本日は、凪原市立・凪原西高校への転入初日です。制服はクローゼットに。朝食はキッチンに用意されています。母君より、と置き手紙があります』
「……ミリアさん、本当に出てきてるじゃないですか」
『出てきているようですね。一度、「ちゃんと働け」とお伝えしておきましょうか』
「ナビさん、それ女神様に言うこと?」
『マスターに対する敬意と、女神に対する敬意は、別枠です』
僕は、思わず笑ってしまった。
「……ナビさん。出かける前に、少し教えてほしいんだけど」
(この世界のこと。……右も左も分からないから)
『承知しました。では、転入までの間に、最低限の知識を共有いたします』
目の前のウィンドウが、ぱっと切り替わる。簡潔な図と文字が、次々と流れていく。
『こちらは"日本"という国家。ミリア様の仰せの通り、現在は戦争のない、比較的平和な国家です。通貨は"円"。身分証は"マイナンバーカード"。主な交通手段は自動車、電車、自転車。──マスターの生活に必要な分は、すべてご自宅に用意されております』
「……自動車、電車」
『走る、鉄の箱、とお考えください。詳細は追って』
「雑だね、ナビさん」
『追って、と申し上げました』
次々とウィンドウに浮かぶ図。奇妙な形の建物、光る板のような道具、制服を着た若者たちの姿。一つ一つが、見たこともないものばかりだ。けれど不思議と、違和感はなかった。この世界は、戦いのない世界。誰かを殺す道具より、誰かを生かす道具の方が多い世界。それだけで、もう、悪くないと思えてしまう。
『"学校"とは、同世代の若者が集まって、学問や交流を行う施設です。マスターは本日より、高校二年生として"凪原西高校"に通学することになります。授業、部活動、友人関係──すべてが、こちらの世界における"日常"を構成する要素です』
「……うん」
『なお、元の世界の知識──魔法、剣術、モンスター生態学、治癒術等──は、この世界では一切役に立ちません。むしろ、口にするのは極めて非推奨です』
「……気をつける」
『逆に、こちらの世界独自の知識については、マスターは初学者レベルです。ステータス上、すべて"レベル1"からのスタートとなります』
「レベル、1」
二十四年間、剣一本で生きてきた僕が、また、レベル1から始める。
なんだか、少しだけ、おかしかった。
「……いいね、それ」
素直に、そう思った。また、ゼロから。けれど今度は、誰も死なない場所で。
『結構なことです。では、まずは"登校"より。道順はマップ機能でご案内します』
「よろしく、ナビさん」
身支度を整えて、玄関を出る。坂の途中にある、小さな一軒家。下り坂の先には、海が、春の光を受けて眩しく光っていた。
潮の匂い。遠くで聞こえる、電車の音。自転車のベルを鳴らして走っていく、制服姿の誰か。
――平和だ。
胸の奥で、何かが、ゆっくりと緩んでいく。
ナーシャ。アレン。リーナ。
みんな、僕は、ちゃんと、幸せになれそうだよ。
だから。
坂の下、海辺に合わせ光る水平線を見つめながら、僕は小さく呟いた。
「……いってきます」
風が、静かに吹き抜けた。
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【 最終クエスト:魔王討伐 ―― 完了 】
【 次なるクエスト:平和な日常 ―― 受注 】




